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(三)
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たいへんなことになったと、新たな着物に袖を通しながら千之助は思う。
同行する三人の腕がたつとはいえ、もしも今回の騒動の下手人が忍びであれば、確実に自分が足を引っ張る自身がある。
限定的な自由と引き換えに、随分と無茶な仕事をやるはめになった。
彼がそう思うのも無理はない。
千之助がこれまでこなした仕事は、この里に連れてこられた者の夢から情報を引き出すことのみ。
彼が忍びとしての修行を嫌々やらされていたのは、十歳の時まで。
父であり頭領でもある幻之丞に、隠していた力がばれる。
一夜衆の中には幼い頃に父母を失う子も少なくない。そのような子供を預かるのは一夜の名を冠する首領の家である。
千之助が十歳の時にも、そういう子供が屋敷にいた。三つか四つくらいの男の子。母親が恋しかったのだろう。四六時中泣いていた。眠っていても目元を涙でぬらし、目が覚めては、母様がいないとわんわん泣く。
修行中でも時間を見つけては眠り、自分の夢を自由に作り変えて、自身の望みをかなえていた彼にとって、子供の泣き声は天敵だった。夢は浅い眠りの時に見るモノだ。周りがうるさくては夢を見る前に目が覚めてしまう。
千之助はなんとか幼児が泣く頻度を減らそうと、幼児が泣き疲れて眠りに入るのを待って、とある計画を実行することにした。
他者の夢に入る。
これまで自分の夢を、自分の意思で好きなように作り変えてきた。これだけでも常人にできることではなかったが、やろうと思えば他者の夢でもできるのではないかと考える。
床板で眠ってしまった幼児に麻布をかけてやり、幼児の傍らに座りこむと、幼児の額に手をあてた。そうして相手の呼吸に合わせて自身も呼吸する。
このまま呼吸を合わせたまま眠れば、その相手の夢に入れるのではとないかという予感はあった。
見事に予感はあたり、すんなりと幼児の夢の中に入る。
幼児は真っ白な空間で、一人膝をかかえて泣いていた。
千之助は、そこに動植物をふんだんに登場させ、華やかなものに作り変えると、自らは幼児に寄り添いあやす。しばらくして幼児の夢から出た彼と、目を覚ました幼児の目があった。
「母様!」
幼児が千之助の胸に飛び込んでくる。
子供の直感か。姿を変えていたにも関わらず、夢に出てきた相手が彼だと気がついたらしい。
「千之助。お主、今なにをした」
咎めるような声に千之助が振り返ると、そこには難しい顔をした幻之丞が立っていた。
「一緒に眠っていたわけではないな。……術だな」
さすがは忍びの里の頭領を務める父だ。恐るべき慧眼である。
父の恐い目に、彼はごまかすことができなかった。
全てを洗いざらい父に話す。
物心ついたころから、忍び衆の頭の息子であるという自身の立場と存在に、納得できなかったことを。
その心が、自身の夢を自由に作り変えることのできる術を、『夢神楽の術』を習得させたことを。
結果として、この時から嫌いだった忍びの修行からは解放される。
代わりに夢神楽の術の研鑽と、術を用いての情報収集を義務付けられた。
以来、千之助は他人の夢に入り続けてきたのである。
過去に思いをはせていた彼は大きく息を吐きだすと、重い足取りで里の唯一の出入り口へと向かった。
一夜の里は、入るのにも出るのにも困難を極める。
里は谷あいを形成する切り立った崖の中腹にある、海にぽつんと浮かぶ島のように存在する広大な岩棚の上にあった。崖の上から里は見えず、岩棚の先端から下を見下ろせば、川の激流が見える。
この里と外界とを繋げているのは、岩壁沿いにある人ひとりが横歩きになってようやく通れる、道とは呼べないような道だけ。
彼が自分には無理だと言った理由はここにある。
肥満体であった千之助の体型では、背を崖につけたところで、通れなかったのだ。腹の重みに引っ張られ、前のめりに崖に転落していくのは目に見えている。忍法女体釜で痩せた今でも、無理であることに変わりはない。
この糸のような道は、生まれたころより忍びとして育て鍛えられてきた、一夜衆だからこそ通れる道である。肉体的な鍛錬を放棄し、寝て過ごしてきた彼に通れるような安易な道ではなかった。
千之助が不安を抱きつつ出入り口へと到着すると、大きな葛籠を前にした幻之丞が、開口一番に「遅い」と不機嫌な顔で文句をいう。
彼が言い訳をしようと試みるが、手で制された。
「もうよい。時が惜しい。わしらが先に渡る。竜胆。これはお前に任せる」
言うが早いか、幻之丞はお菊と牡丹を引き連れ、巧みな横歩きで、わずかな出っ張りを駆け抜けていく。二人の女もまったく遅れることなく続いた。彼らにとっては通いなれた道以外のなにものでもない。
こうして千之助は小柄な少女「竜胆」と二人、崖の前に残された。
同行する三人の腕がたつとはいえ、もしも今回の騒動の下手人が忍びであれば、確実に自分が足を引っ張る自身がある。
限定的な自由と引き換えに、随分と無茶な仕事をやるはめになった。
彼がそう思うのも無理はない。
千之助がこれまでこなした仕事は、この里に連れてこられた者の夢から情報を引き出すことのみ。
彼が忍びとしての修行を嫌々やらされていたのは、十歳の時まで。
父であり頭領でもある幻之丞に、隠していた力がばれる。
一夜衆の中には幼い頃に父母を失う子も少なくない。そのような子供を預かるのは一夜の名を冠する首領の家である。
千之助が十歳の時にも、そういう子供が屋敷にいた。三つか四つくらいの男の子。母親が恋しかったのだろう。四六時中泣いていた。眠っていても目元を涙でぬらし、目が覚めては、母様がいないとわんわん泣く。
修行中でも時間を見つけては眠り、自分の夢を自由に作り変えて、自身の望みをかなえていた彼にとって、子供の泣き声は天敵だった。夢は浅い眠りの時に見るモノだ。周りがうるさくては夢を見る前に目が覚めてしまう。
千之助はなんとか幼児が泣く頻度を減らそうと、幼児が泣き疲れて眠りに入るのを待って、とある計画を実行することにした。
他者の夢に入る。
これまで自分の夢を、自分の意思で好きなように作り変えてきた。これだけでも常人にできることではなかったが、やろうと思えば他者の夢でもできるのではないかと考える。
床板で眠ってしまった幼児に麻布をかけてやり、幼児の傍らに座りこむと、幼児の額に手をあてた。そうして相手の呼吸に合わせて自身も呼吸する。
このまま呼吸を合わせたまま眠れば、その相手の夢に入れるのではとないかという予感はあった。
見事に予感はあたり、すんなりと幼児の夢の中に入る。
幼児は真っ白な空間で、一人膝をかかえて泣いていた。
千之助は、そこに動植物をふんだんに登場させ、華やかなものに作り変えると、自らは幼児に寄り添いあやす。しばらくして幼児の夢から出た彼と、目を覚ました幼児の目があった。
「母様!」
幼児が千之助の胸に飛び込んでくる。
子供の直感か。姿を変えていたにも関わらず、夢に出てきた相手が彼だと気がついたらしい。
「千之助。お主、今なにをした」
咎めるような声に千之助が振り返ると、そこには難しい顔をした幻之丞が立っていた。
「一緒に眠っていたわけではないな。……術だな」
さすがは忍びの里の頭領を務める父だ。恐るべき慧眼である。
父の恐い目に、彼はごまかすことができなかった。
全てを洗いざらい父に話す。
物心ついたころから、忍び衆の頭の息子であるという自身の立場と存在に、納得できなかったことを。
その心が、自身の夢を自由に作り変えることのできる術を、『夢神楽の術』を習得させたことを。
結果として、この時から嫌いだった忍びの修行からは解放される。
代わりに夢神楽の術の研鑽と、術を用いての情報収集を義務付けられた。
以来、千之助は他人の夢に入り続けてきたのである。
過去に思いをはせていた彼は大きく息を吐きだすと、重い足取りで里の唯一の出入り口へと向かった。
一夜の里は、入るのにも出るのにも困難を極める。
里は谷あいを形成する切り立った崖の中腹にある、海にぽつんと浮かぶ島のように存在する広大な岩棚の上にあった。崖の上から里は見えず、岩棚の先端から下を見下ろせば、川の激流が見える。
この里と外界とを繋げているのは、岩壁沿いにある人ひとりが横歩きになってようやく通れる、道とは呼べないような道だけ。
彼が自分には無理だと言った理由はここにある。
肥満体であった千之助の体型では、背を崖につけたところで、通れなかったのだ。腹の重みに引っ張られ、前のめりに崖に転落していくのは目に見えている。忍法女体釜で痩せた今でも、無理であることに変わりはない。
この糸のような道は、生まれたころより忍びとして育て鍛えられてきた、一夜衆だからこそ通れる道である。肉体的な鍛錬を放棄し、寝て過ごしてきた彼に通れるような安易な道ではなかった。
千之助が不安を抱きつつ出入り口へと到着すると、大きな葛籠を前にした幻之丞が、開口一番に「遅い」と不機嫌な顔で文句をいう。
彼が言い訳をしようと試みるが、手で制された。
「もうよい。時が惜しい。わしらが先に渡る。竜胆。これはお前に任せる」
言うが早いか、幻之丞はお菊と牡丹を引き連れ、巧みな横歩きで、わずかな出っ張りを駆け抜けていく。二人の女もまったく遅れることなく続いた。彼らにとっては通いなれた道以外のなにものでもない。
こうして千之助は小柄な少女「竜胆」と二人、崖の前に残された。
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