しあわせの霧

辛妖花

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霧の中

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  あの夜の後、母は施設に連絡する。病院では治療が出来ないので、緩和療法で施設をまた利用出来るかの相談だ。
  母は沢山の部下を抱えているので介護は出来ない。私は母のマンションに居候で、しかもこのマンションは介護するには向いていない家だ。妹は会社勤めで、彼氏のマンションで同棲中なのでとても無理だ。
  やはり、看護師が常に居て介護する人が沢山いる方がおばあちゃんも私達も負担が1番少なくて良いのではと、話が落ち着いた。

  施設での緩和療法が可能になり、今まで使っていた部屋にそのまま入居となった。
  年齢も年齢なので、病状も凄くゆっくりと進行していたので、今までと変わらず施設で過ごしていた。
  今までより一層施設に通い、おばあちゃんの話しを聞いた。あまりに熱心なので、ここに就職したらどうかと誘われるほどだ。
  そして毎度、あの背の高い男の名前を聞く事を忘れていた。

  妹も休みの日、週一回は彼氏を連れてやって来ていた。いつも機嫌の悪いおばあちゃんも、妹の彼氏が来ると別人の様に機嫌が良かった。
  すっかりおじいちゃんだと思っている様だ。彼氏の方も最初は戸惑っていたが、元来陽気な性格らしく、会う度に演技が様になってきていた。たわい無い話しばかりだったが、とても楽しく幸せな時間が流れた。

  しかし、おばあちゃんの認知症は進み病状も確実に悪くなっていった。そのせいなのか、おばあちゃんのイライラも募っていく様だった。

「天谷さん!あ、え~と大丈夫ですか?」

  そう帰り際にあの背の高い男に声をかけられた。考え事をしていて返事が出来なかった。

「なんだか顔色も悪いし、元気もないみたいで···。あまり無理せず休んで下さい。僕らがついていますから、何かあったらすぐ連絡しますので」

  眉を八の字にしてとても心配してくれている事に、少し気分が和んだ。こんな自分を気にかけてくれる人が、家族以外でもいたのだと少し嬉しくなる。

「大丈夫ですよ。ちょっと考え事してただけですから。ありがとうございます」

  そう言って会釈し、不安げな男に作り笑顔で施設を後にした。
  随分家に近づいてから、男の名前を聞くのをまた忘れた事に気付く。



  この日も、いつもの様におばあちゃんの話し相手をしていた。だが、今日は何か様子が変だった。
  痛み止めが切れてきたのかと思い、職員室に行こうとした時であった。

「あかり、どこ行くの?」

  ハッキリした口調で呼び止められる。ベッドに横になったままだったが、こちらを見つめる表情はしっかりとしていた。みんなの事を忘れていた認知症のおばあちゃんはここにはいなかった。
  これは最後のチャンスなのでは無いだろうか。おばあちゃんがどうしたいのか、どう思っているのか聞けるチャンスは。

「うん!いや、違う違う、まだ帰らないよ!」

  焦るあまりうまく言葉にならなかった。

「うふふ、何慌ててるの?」

  おばあちゃんは口に手を当て微笑む。

「あのね、おばあちゃん。もし治らない病気で、もうすぐ死んじゃうとしたら、何をしたい?」

  焦って言った後に後悔した。あまりに直球過ぎて気を悪くしたり、病気の事が分かってしまうんじゃないかと。
  しかし、少し目を丸くしたが、おばあちゃんは優しく答えてくれた。

「そうだねぇ···、美沙子もあかりも、ゆかりもみんな元気だから、それで十分だよ。まあ、強いて言えば花嫁姿が見たいかな。ふふ」
「そうだよね、ごめんおばあちゃん。今すぐには無理かも。ってそうじゃなくて、おばあちゃん自身がしたい事とか心残りな事とかないの?」
「そうだねぇ······、あるとすれば、あの時星幸さんに素直に言っとけば良かったかな······」

  そう言い終わる前に、お腹を抱え痛がった。急いでコールボタンを押す。すぐに介護職員と看護師が対応してくれた。痛み止めの点滴をして、程なくして落ち着いた。おばあちゃんが眠るまでそばで手を握っていた。



  週一回、妹とその彼氏が来る日。昨日の事が幻だったかの様に私達の事は忘れ、彼氏をおじいちゃんだと思っている。そのお陰でとても機嫌が良い。
  しかし、昨日の事が病気の進行の合図だった様で、口からご飯もほんの少ししか食べられなくなっていた。

  私は胸騒ぎを感じ、いても立っても居られなくなる。毎日毎日施設の面会時間いっぱい居て、おばあちゃんに色々話しを聞いた。
  しかし、妹の彼氏が居ないと機嫌が悪い。それだけでは無く、あまりにしつこくし過ぎたのか、私を見るだけで怒る様になってしまった。
  どうすればおばあちゃんの心残りを解消してあげられるか悩み、途方に暮れる。私はおばあちゃんに酷い事をしているのだろうか。おばあちゃんの為と思って頑張ったつもりだが、もしかしたら自己満足でしか無いのだろうか。
  そんな事を悶々と考えながら施設の玄関で靴を履く。
  その時、またあの背の高い男が声をかけてきた。

「やっぱり無理をしているんじゃ無いですか?あんまり焦っても良い結果は出ないと思いますよ。って僕が偉そうに言える立場じゃないですけど。考えが煮詰まっている時は、ゆっくり何も考えずに休んだ方が良いですよ。経験談です」

  追い詰められた心に優しさがみる。悲しかったのと、嬉しい気持ちとで涙が出る。
  泣き顔に精一杯の笑顔を作る。

「ありがとう。そうします······」

  明日はお休みして下さい!の声を背中に聞きながら帰路に着いた。
  男の名前を気にしている余裕は無かった。




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