しあわせの霧

辛妖花

文字の大きさ
6 / 7

霧の中

しおりを挟む


  あの夜の後、母は施設に連絡する。病院では治療が出来ないので、緩和療法で施設をまた利用出来るかの相談だ。
  母は沢山の部下を抱えているので介護は出来ない。私は母のマンションに居候で、しかもこのマンションは介護するには向いていない家だ。妹は会社勤めで、彼氏のマンションで同棲中なのでとても無理だ。
  やはり、看護師が常に居て介護する人が沢山いる方がおばあちゃんも私達も負担が1番少なくて良いのではと、話が落ち着いた。

  施設での緩和療法が可能になり、今まで使っていた部屋にそのまま入居となった。
  年齢も年齢なので、病状も凄くゆっくりと進行していたので、今までと変わらず施設で過ごしていた。
  今までより一層施設に通い、おばあちゃんの話しを聞いた。あまりに熱心なので、ここに就職したらどうかと誘われるほどだ。
  そして毎度、あの背の高い男の名前を聞く事を忘れていた。

  妹も休みの日、週一回は彼氏を連れてやって来ていた。いつも機嫌の悪いおばあちゃんも、妹の彼氏が来ると別人の様に機嫌が良かった。
  すっかりおじいちゃんだと思っている様だ。彼氏の方も最初は戸惑っていたが、元来陽気な性格らしく、会う度に演技が様になってきていた。たわい無い話しばかりだったが、とても楽しく幸せな時間が流れた。

  しかし、おばあちゃんの認知症は進み病状も確実に悪くなっていった。そのせいなのか、おばあちゃんのイライラも募っていく様だった。

「天谷さん!あ、え~と大丈夫ですか?」

  そう帰り際にあの背の高い男に声をかけられた。考え事をしていて返事が出来なかった。

「なんだか顔色も悪いし、元気もないみたいで···。あまり無理せず休んで下さい。僕らがついていますから、何かあったらすぐ連絡しますので」

  眉を八の字にしてとても心配してくれている事に、少し気分が和んだ。こんな自分を気にかけてくれる人が、家族以外でもいたのだと少し嬉しくなる。

「大丈夫ですよ。ちょっと考え事してただけですから。ありがとうございます」

  そう言って会釈し、不安げな男に作り笑顔で施設を後にした。
  随分家に近づいてから、男の名前を聞くのをまた忘れた事に気付く。



  この日も、いつもの様におばあちゃんの話し相手をしていた。だが、今日は何か様子が変だった。
  痛み止めが切れてきたのかと思い、職員室に行こうとした時であった。

「あかり、どこ行くの?」

  ハッキリした口調で呼び止められる。ベッドに横になったままだったが、こちらを見つめる表情はしっかりとしていた。みんなの事を忘れていた認知症のおばあちゃんはここにはいなかった。
  これは最後のチャンスなのでは無いだろうか。おばあちゃんがどうしたいのか、どう思っているのか聞けるチャンスは。

「うん!いや、違う違う、まだ帰らないよ!」

  焦るあまりうまく言葉にならなかった。

「うふふ、何慌ててるの?」

  おばあちゃんは口に手を当て微笑む。

「あのね、おばあちゃん。もし治らない病気で、もうすぐ死んじゃうとしたら、何をしたい?」

  焦って言った後に後悔した。あまりに直球過ぎて気を悪くしたり、病気の事が分かってしまうんじゃないかと。
  しかし、少し目を丸くしたが、おばあちゃんは優しく答えてくれた。

「そうだねぇ···、美沙子もあかりも、ゆかりもみんな元気だから、それで十分だよ。まあ、強いて言えば花嫁姿が見たいかな。ふふ」
「そうだよね、ごめんおばあちゃん。今すぐには無理かも。ってそうじゃなくて、おばあちゃん自身がしたい事とか心残りな事とかないの?」
「そうだねぇ······、あるとすれば、あの時星幸さんに素直に言っとけば良かったかな······」

  そう言い終わる前に、お腹を抱え痛がった。急いでコールボタンを押す。すぐに介護職員と看護師が対応してくれた。痛み止めの点滴をして、程なくして落ち着いた。おばあちゃんが眠るまでそばで手を握っていた。



  週一回、妹とその彼氏が来る日。昨日の事が幻だったかの様に私達の事は忘れ、彼氏をおじいちゃんだと思っている。そのお陰でとても機嫌が良い。
  しかし、昨日の事が病気の進行の合図だった様で、口からご飯もほんの少ししか食べられなくなっていた。

  私は胸騒ぎを感じ、いても立っても居られなくなる。毎日毎日施設の面会時間いっぱい居て、おばあちゃんに色々話しを聞いた。
  しかし、妹の彼氏が居ないと機嫌が悪い。それだけでは無く、あまりにしつこくし過ぎたのか、私を見るだけで怒る様になってしまった。
  どうすればおばあちゃんの心残りを解消してあげられるか悩み、途方に暮れる。私はおばあちゃんに酷い事をしているのだろうか。おばあちゃんの為と思って頑張ったつもりだが、もしかしたら自己満足でしか無いのだろうか。
  そんな事を悶々と考えながら施設の玄関で靴を履く。
  その時、またあの背の高い男が声をかけてきた。

「やっぱり無理をしているんじゃ無いですか?あんまり焦っても良い結果は出ないと思いますよ。って僕が偉そうに言える立場じゃないですけど。考えが煮詰まっている時は、ゆっくり何も考えずに休んだ方が良いですよ。経験談です」

  追い詰められた心に優しさがみる。悲しかったのと、嬉しい気持ちとで涙が出る。
  泣き顔に精一杯の笑顔を作る。

「ありがとう。そうします······」

  明日はお休みして下さい!の声を背中に聞きながら帰路に着いた。
  男の名前を気にしている余裕は無かった。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

レオナルド先生創世記

ポルネス・フリューゲル
ファンタジー
ビッグバーンを皮切りに宇宙が誕生し、やがて展開された宇宙の背景をユーモアたっぷりにとてもこっけいなジャック・レオナルド氏のサプライズの幕開け、幕開け!

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

処理中です...