カゼノセカイ

辛妖花

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1話

風の世界

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  この日も、いつもの様に林の友達に会いに行こうと家の外に出ると、隣の家で葬式の準備がされていた。入り口の生垣の間から庭を覗き、縁側のあるあの部屋を見る。そこには、おばあちゃんが泣いて座っている。その傍らにはおじいちゃんが白い着物を着て綺麗な布団に横たわっていた。
  庭の鉢植えの梅は枯れていて、精はもう居なくなっていた。草や生垣は沈黙したまま、姿すら無かった。

「おじいちゃんまで、居なくなっちゃったの···!?」

  みるみる涙が溢れ、何故か林へと駆け出していた。すると、道の途中で後ろから女の子の声がして立ち止まる。

  「待って、司」

  聞いた事の無い声に驚いて、勢い良く振り返る。と、そこには見覚えのあるワンピースと長い髪の女の子が立っていた。

「···お姉ちゃん?」

  母親に見せてもらった写真のままの姿だった。

「そうよ司。会いたかった。司は私の事知らないかも知れないけど、私はずっと司の事見てて知ってるのよ。母さんが元気ないのもずっと辛かった···」
「お姉ちゃん···。だったらどうして今まで会いに来てくれなかったの?ずっと見てたんでしょ?母さんだって会いたがってるよ!」

  姉は、悲しそうな顔を浮かべて俯いてしまった。司はとてつもなく大きな不安に襲われ、小刻みに手足が震えてくるのが分かった。手を強く握りしめる。

「お、お姉ちゃん!帰ろう、母さんの所に!まだ···母さんに会ってないんだよね?」

  静かに顔を上げ、司をじっと見つめる目は、あの写真に写っていた優しい目とは違い、冷たい。

「そうね···帰りましょう···」

  最後に、と呟いた姉の言葉は司には聞こえていなかった。少し恐ろしかったが、姉の傍にに行くと、手を差し伸べてきた。写真で見るより小さかった。恐る恐るその手を取る。手を繋ぎながら家路につく。
  姉はそれから何も喋らなかった。その横顔は青白く見えた。あまりの重たい空気に耐えられなくなった司は口を開いた。

「お、お姉ちゃんはどこに住んでるの?この町に居るんだよね?」
「···そうね···」
「···ずっと見てたの気づかなかったよ。なんで声かけてくれなかったの?」
「······恥ずかしかったのよ···」
「そ、そうなんだ。じゃあ今は恥ずかしくなくなったの?」
「···そうね···」

  ちらりともこちらを見ない姉の反応に、どうしていいか分からず、また沈黙が訪れる。まだ家には着かない。少々怖かったが、何とか楽しませようと色々話題を考える司。

「あ、あのねお姉ちゃん。妖精って見た事ある?」

  やっとゆっくり司の方を見る姉。冷ややかな視線だったが、見てくれた事に司は少しほっとする。

「···いいえ」
「そっか、僕はあるんだよ。今はなんか見えないみたいだけど、この頃はいつも見えるんだ。しかもしゃべるんだよ!みんな僕にお願い事をするんだ。手伝ってあげると大喜びなんだよ!」

  そう楽しそうに語る司を見つめる姉。

「···そう、いいわね···」
「あ、うん。···き、きっとお姉ちゃんにも見えるよ」

  目をそらし、前を見つめる姉。

「···そうだといいわね」
「······うん」

  姉の表情は変わること無く、一点を見つめたままだった。繋いでいた手は、するりと離れていく。
  家に着くと、母は居間でぐったりと床に付していた。こんなに具合いが悪かったのに、何故今まで気付かなかったのだろうと自分を責める司。

「母さん大丈夫?お姉ちゃんが来てくれたよ。···母さん?」

  重く苦しそうな寝息しか聞こえなかった。悲しくなり、自分の部屋に行く司。その後ろを静かについて行く姉。
  司はベッドの上に寝転がった。姉はその部屋を見渡し、乱雑にされた机の上のアルバムを眺め、少し目を細める。

「···?お姉ちゃんどうしたの?」

  それに気付いた司は、ベッドから身を起こし聞いた。立ち上がり、机のアルバムを覗く。いつの間に出してあったのか、姉のアルバムだった。不意に、すぅっと息を吸う音。

「司、私はあなたを迎えに来たの。このままだと母さんまで死んでしまうから···」
「え?」

  お互いの目の中にお互いが映るほどの距離で、司は姉のその言葉に心臓を掴まれる思いになった。衝撃と恐怖が不安となり込み上げてくる。姉の目はガラス玉の様だった。

「私は、司と同じ5年生の時、父さんに殺されたの。そう、あなたと同じ様に父さんに···」
「嘘だー!!嫌だーー!!」

  姉の言葉を遮る絶叫。姉を突き飛ばし、アルバムも床に振り落とし、部屋を飛び出し、そのまま家を出て行く司。夜の闇の中、蛍の光と所々頼りなさげに光る街灯を頼りに林へと走り、逃げる。
  泣き叫びながら、ドロドロと苦しいモノが心に溢れて、怖くて耐えられず、ひたすら走って逃げた。その中で、キウイの精やおじいちゃんの事を思い出し、強く「死にたくない」そう心が叫んでいた。
  周りには昼間とは違う黒い影の様な精が居る。

  いつの間に眠っていたのか、気付くともう朝で、大きな樹の根元に横になっていた。小さな足音と気配を感じ、起き上がり振り向くと姉が立っていた。悲しそうに見下ろす。驚いて逃げようとするが、

「待って、司!話しを聞いて···。でないと母さんが死んでしまう」

  怯えながら振り向き、姉を見る。とても怖かった。姉がでは無く、その話を聞く事が。

「私も司も、もう死んでるのよ。だから魂が見えるし聞こえるでしょ。でも触れない」
「嘘だ!!僕は生きてるよ!ほら!木にだって草にだって、傘や水にだって触れ···」
「感触はある?人は?母さんに触れた?」
「···さっ···触ってないだけで触れるもん!!」

  泣き出しながらも、必死になって抵抗する司。姉は苦しい表情を浮べながらも続ける。

「じゃあ、昨日は何食べた?いつトイレに行ったの?今は暑い?それとも寒い?···感じないでしょ···死んでるんだもの」
「うわ~ん!!」

  大粒の涙が滝のように流れ、喉が千切れんばかりの大きな声で泣いた。精には触れない事を思い出していた。人には怖くて触ろうとしていなかった事を思い出していた。いつ寝ていたとか、何を食べていたとか、何も思い出せない。何も感じる事が出来ていなかった事を思い出す。冷蔵庫や、あの風の温度。
  今も、絶え間なく流れているはずの涙も、感じる事が出来ない。




  学校に行くと、まず上靴がゴミ箱に捨てられている。教室では、授業中に手紙が回される。ある男の子を無視する様にとそれには書かれていた。
  それを助けようとした司が、今度は標的となってしまう。
  家では、父親が母に暴力を振るっていた。
  日に日に増す父親の暴力は司にも及ぶ。そして、クラスでのいじめも暴力へと変わる。それを目の当たりにしても尚、自分の保身に躍起になる担任。抵抗する気も失せた。

  全てに絶望していた。

  その最中の休日。いつも出掛けて居ない父親が、突然昼に帰って来た。母は少し前に買い物に出掛けていて居なかった。
  突然の罵声と暴力に、もう体は耐えられなかった。動かなくなった事にようやく気付き、慌てて出て行く父親。と、すれ違いで慌てて駆け寄る母。開いたままの目はもう何も映さない。遠くで救急車の音が聞こえて、消える。



「···そっか···、僕···あの時死んじゃったんだ、死んじゃってたんだね···。あはは···そうか···そっか。じゃあ今まで誰にも相手にされなかったのは、嫌われてたからじゃ無かったんだね。良かった。そっか、おじいちゃんあの時死んじゃってたんだね···そっかそっか···。母さんの元気、僕が貰ってたんだね···だから元気無かったんだ。···そっか、そっか···」

  司の魂に、今までの出来事が走馬灯のように駆け抜ける。

「······もう時間よ。逝きましょう」
「待って!もう少し待って。···母さんにさよならしたいんだ」
「···分かったわ···」

  司は母が居間のちゃぶ台に突っ伏して寝ているのを見る。手には色鉛筆と画用紙。そこに座り、絵を描き始めた。
  描き終わり、立ち上がる司と姉。2人は母を名残惜しそうに見つめながら去って行く。
  その気配を感じた母は顔を上げ、辺りを見回す。そのちゃぶ台の手元には散らかった色鉛筆と、見覚えのある描き方の見た事の無い絵があった。
  桜の木の下で、母と司と姉が仲良く手を繋いで笑っている絵だった。そしてそこには「ありがとう」「さよなら」の文字。
  母は慌てて小箱を抱え、靴も履かずに家を出る。向かったのはあの桜の木の下。

  桜に続く道の間、色々な精達は司と姉を黙って見送った。

「桜さんこんにちは」
「あら、こんにちは。その子は誰?」
「僕のお姉ちゃんなんだ」
「まぁ、いいわねェ。···今日はどうしたの?」
「うん、あのね、この前キウイ君が風になったでしょ?だから、僕も、風になれないかなって···思って···」
「···そう」

  桜の精は姉をチラッと見て続けた。

「気付いたのね。いいわ、2人ともこっちへいらっしゃい」

  姉に手を引かれ、桜の下へ行く司。桜の花を仰ぎ見て、その上の青い空を見る。
  その後ろからは、母がかけ登って来る。司達には見えていない。
  姉が桜の木に手を触れると、風が吹き上がる。
  母の声が聞こえた気がして振り返る司。母の姿を見て微笑む。
  桜の木の下にたどり着いた母を優しく包む。

「風の世界も良いものだね」

  母は、司の声が聞こえた気がして、思わずその手にしていた白い小箱を落としてしまう。箱の蓋が開き、中の白い陶器の蓋も開いてしまう。
  春の大きな風が吹き、中の遺灰ごと大空へと運んで行く。
  司を乗せて、晴天に消える。


  あの男の子も、不意に風に吹かれ空を仰ぐ。
  町の人々も風とともに空を仰いだ。

  司の「ありがとう」が聞こえた気がして。

    



          おわり
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