カゼノセカイ

辛妖花

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2話

司の忘れた時間

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  心地よいそよ風と、暖かい日差しで目が覚めた陽子。真っ白い部屋。ここは病院の個室の様だった。どうしてここに居るのか分からなかった。
  小鳥のさえずりが聞こえて、窓を見る。そよ風に揺らめくレースのカーテン。しかし、一部不自然に揺れていない所がある。誰かが押さえている様な感じに見える。誰も居ないのに。

  実はそこには、真奈美が立ちつくし、陽子をじっと見ていた。

  誰も居ないのにとぼーっと考えていると、反対側にあるスライドドアがノックされ、すーと開いて看護師が入って来た。

「大山陽子さん。目が覚めましたね。気分はどうですか?」
「はい、多分···大丈夫です。よく覚えて無いんですが、なぜ私はここに居るんですか?」
「そうですか。とても酷い暴力を受けて重症だったので、一時的に記憶障害が起きているのかも知れません。検査では異常は無かったので、時間が経てば思い出すと思います。もう少しで主治医の方から詳しく説明しますので、もうしばらくお待ち下さい」
「···分かりました」

  暴力と聞いてはっとした。徐々に恐ろしい記憶が蘇ってくる。
  看護師が手際よく体温測定等の軽い診察をして部屋を後にする。窓の方に人の気配を感じて振り向くが、やはり誰も居ない。不自然に揺れていなかったレースのカーテンは、今は自然と風にそよいでいる。
  そうだ、夫から暴力を受け、動けなくなっていた所に真奈美が帰って来てしまったのだった。次々と思い出す陽子。ザワザワと恐ろしさが湧き上がって来る。
  そこにまたドアをノックする音。我に返り返事をすると、先程の看護師と医者が入って来た。

「あの!思い出したんですが、真奈美は、娘は無事ですか!?」

  慌てた陽子をなだめながら、医者が重い口を開いた。

「···残念ですが、お子さんは2階から落下して即死でした」
「そんな······」
「重ねて申し訳ありませんが、旦那さんもお亡くなりになりました」
「え!?なんで···?」
「詳しくはこれから来る刑事さんにお聞き下さい。実はまだ陽子さんに話さないといけない事があります。どうか落ち着いて聞いて下さいね」

  陽子は混乱していた。真奈美が父親に殺されたのに、その本人も死んだとは到底受け止められなかった。しかもまだ何かあるのか。陽子は大切な人全てを失い絶望していた。これ以上悪い事があるだろうか。すると医者が陽子の名前を呼ぶ。

「大山さん!妊娠しています。ご存知ですか?」

  その後の出来事は、頭が真っ白になりあまり覚えていられなかった。
  何と言う事だろう。暴力を受けて気絶している間に、性的暴行まで受けていたなんて。陽子はやり場の無い様々な感情を、絶叫と号泣で吐き捨てた。
  
  警察から、真奈美は近所の人の目撃情報で2階通路から父親に押されて落下し、即死だったと聞く。その父親は、台所の包丁で自ら首や腹を刺して死んだという。それが信じられなかった。あの時、陽子を殺そうとしていたのに。そして、顔色が変わり自分の両手を交互に見ていた。そこで会心でもしたのだろうか。考えても真奈美は帰って来ない。早く別れていればと、後悔し、自分を責め続ける陽子。

  警察の取り調べや、手続き、葬式と、一通り終えて職場の近くの新しいアパートに引っ越してきた陽子。両親は既に亡くなっていたので、頼る人も無かったが、会社の人や友人が助けてくれて何とか生活を始めた。

  そう、この新しい命と共に生きて行くと決めたのだ。

  それからの毎日は、今までの事を払拭する様に懸命に働いた。健康にも気を使い、お腹の赤ちゃんの為に色々な事を試したりした。とても充実した幸せな日々だった。

  そして、とうとう元気な男の子が産まれた。産まれる前は色々な名前を考えていたが、赤ん坊の顔を見て直感で「司」と名づける。真奈美の時もそうだったと、ふと思い出す。広げた真奈美のアルバムを見ながら1人呟く。

「ありがとう真奈美。母さんの所に生まれてきてくれてありがとう···」

  そう言って司を強く抱きしめながら泣いた。やっと真奈美の死を受け入れる事が出来た瞬間だった。

  そのすぐ傍らに真奈美は立っていた。生きている時に聞いていたなら素直に喜べただろう。今はただ悲しく寂しい気持ちでいっぱいになる。
  自分は死んだのだ。母親には見えていない。では今あるこの自分は何なのだろう。


  月日は流れ、質素だったが幸せな日々を過ごしている陽子と司。
  司が小学校4年生になった頃、陽子の会社に新しく男性が入社して来た。とても優しく明るい性格で、陽子の悩み事も真摯に受け止めてくれる人だった。1人でがむしゃらに働いてきた陽子にはとても新鮮で、魅力的だった。
  ある日、陽子は会社に新しく入ったその男性を連れて、司と食事に出かける。初めは無口だった司も、男性の明るさに次第に笑顔になった。その日はそれだけで別れる。
  家に帰るなり司の質問攻めにあう陽子。

「あの人は誰?どうして一緒にご飯食べたの?」
「実はちょっと良いな~と思ってて、でも司にも相談しようと思ってたんだけど、会って見た方が良いか悪いか分かりやすいんじゃないかと思って」
「え?それって母さんがあの人の事を好きってこと!?」
「ん~まぁそんなところ」

  そう言った陽子は満面の笑みを見せる。つられて司も笑った。

「まだ、1回しか会って無いから分からないよ。今度は遊園地行こう!」
「あはは!それはただ司が行きたいだけじゃない」

  大きな笑い声が2つ重なる。
  こうして、その男性と3人で出かける事が増えていった。

  遊園地、動物園、水族館等と、司が行きたい所に男性に連れて行ってもらう陽子と司。嫌な顔せず、司の面倒も良く見てくれていた。その為、司が気に入るのも早かった。3人で居ると、本当の親子の様だと感じていた陽子。不意に司が抱きついてきて、

「母さん!僕、あの人がお父さんでも良いよ」

  そう言って、にこっと歯を見せて陽子に笑いかける司。陽子は泣きながらありがとうと言い、抱きしめ返した。

  そんなある深夜、いつもなら朝までぐっすりで、こんな時間に目が覚める事は無い陽子が、むくりとベッドから身を起こす。何か人の気配を感じる。
  泥棒かと思い、辺りを見回す。すると、しっかり閉めたはずの部屋のドアが少し開いていて、人影が見えた。

「誰!?」

  慌てて声を上げる陽子。心臓の鼓動が早鐘のように頭に鳴り響く。恐怖で体が強ばる。

  「騙されちゃ···ダメ······」

  微かに聞こえた声は聞き覚えのある女の子の声だった。人影をよく見ようと目を凝らすが、瞬きをした瞬間にもう見えなくなっていた。何だったのか、陽子はしばらくその隙間の開いたドアを見つめていた。

  陽子はあれから度々、夜に人の視線や気配を感じたが、仕事で疲れてるのだろうと深く考えない様にしていた。今はとても幸せな日々だったから。
  司に許しをもらい、それを男性に告げるとすぐさまプロポーズされた。陽子はまたそれを司に報告する。司はバンザイをしながら飛び跳ね喜びを全身で表した。司は初めて父親を得る。今まで友達や他人の父親を羨ましく思っていただけに、とても嬉しかった。

  結婚式はせず、記念写真だけ3人で撮りに行った。その帰り道、会話が途切れ心地の良い沈黙の後、司が不意に陽子の顔を覗き込み言う。

「母さんが幸せなら、僕も幸せだよ」

  手を繋いだ3人の影が、夕陽に照らされて伸びていく。



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