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第一章・墓標を立てる者
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Ⅶ
ふたつの靴音だけが、沈黙をはらんだ地下の街にこだまする。
勇三はそれを聞きながら、あたりをきょろきょろと見回した。
昇降機を降りた彼をまず出迎えたのは、ドーナツのような円周の道路だった。周囲をぐるりと囲む道路からは、四方に直線の道が伸びている。
昇降機は、ちょうどドーナツの穴にあたる部分に建っていた。
振り返ると、昇降機のシャフトが地上に向かってまっすぐ伸びている。周囲がなんの変哲もないような街並み然とした風景だけに、その存在はますます異様に思えた。
(ずいぶん遠くに来たもんだ)勇三は思った。(それもおかしな方向に向かって)
「早く来い、置いてくぞ」
霧子にたしなめられ、勇三はそのあとを追っていく。
左右をビルが建ち並び、顔の見えない巨人たちのようにふたりを見下ろしてくる。
だが灯った街灯のおかげで、路地は思ったよりも暗くはなかった。これで人通りさえあれば、夜のオフィス街となんら遜色はない。
「そのうち崩れるんじゃないのか、ここ」
言いながら、勇三は潰されるアルミ缶を想像した。もしそうなったら、自分を含めて中にいる人間はどうなるのだろう。そう一度思い浮かべてしまうと、なかなかその想像を振り払うことはできなかった。
「怖いのか?」
「そんなわけあるか」強がっていることを押し隠しながら答える。
からかうような霧子だったが、勇三はその表情が消える一瞬、口元に緊張感が漂っているのを見逃さなかった。
彼女もまた落盤を懸念しているのか、あるいはもっとほかに原因があるのか。
「安心しろ、なまじ地下施設やトンネルのほうが地震や崩落に強くできてるもんだ。当然ここもな。もともとが堅い地盤の中にあるうえに、主要なビルが天井を支える柱の役割もしてくれてるんだ。ドーム状の天井も自重を支えられるようにできてるみたいだし、ここを工事した人たちの腕前を信じよう」
あまりためになるとは言えない励ましのあと、霧子は笑みを浮かべた。だが、相変わらずその裏にある緊張を拭いきれていない。
そのとき、地下を吹く風に乗って不快な匂いが勇三の鼻腔に届いてきた。どこか甘ったるい、腐った果物を想起させるような匂いだった。
「なんだこれ……」不快感に顔をしかめながら勇三は言った。
「そろそろお喋りはおしまいだ」
言いながら霧子が歩みを早める。ふたりはそのまま通りを抜け、レンガ敷きの広場に出た。一本きりの街灯が青白い光を放つ寂しげな場所だった。
霧子が広場の一角、ビルとビルの間にある細い隙間を指さす。
「そこに隠れていろ。なにが起きてもじっとしてるんだ」
勇三は大人しく霧子の言葉に従った。彼をそうさせたのは、感じ取っていた異様さのせいであり、有無を言わせぬ霧子の厳然とした態度だった。
言われたとおり隙間に入り、広場のほうを向いてしゃがみこむように身を潜める。両肩に接するほど壁が迫っていたが、自分の身が闇に溶け込んでいくような感覚と、身を隠せているという事実に予想以上の安堵を感じていた。
鼻にまとわりつく匂いを嗅ぎとってから、勇三は雷を孕んだ黒雲を頭上に見たような危機感を抱いていたからだ。
「それから、これはあまり言いたくもないことだが……」霧子が背を向けたまま言う。「もしもわたしが目の前で死ぬようなことがあったら、迷うな。その銃で自分の頭を撃ちぬけ」
霧子の言葉は要領を得ず、勇三に混乱をもたらした。同時に手にした拳銃がさらに重くなったように感じる。
霧子は続けた。
「きっとそっちのほうが楽に死ねる。意識があるまま八裂きにはされたくないだろ?」
なにも答えられない勇三を振り返り、霧子はどこか弱々しい笑みを投げかけた。
「そうならないように努力はするつもりだがな。まあ、経験者の助言だと思って受け取ってくれ」
霧子は足元にバックパックを置くと、広場の中央へとゆっくりと歩き出した。
その背中に声をかけようとした瞬間、ビルの向こうからとてつもない咆哮が轟いた。百匹の獰猛な獣が一斉に声をあげたような、聞く者を竦ませる声だった。
「ああ、そうだ……わたしがなんなのかまだ話してなかったな」背を向けたまま霧子は言った。「<グレイヴァー>。それがわたしたちの総称。二束三文の命を賭けて戦う、化け物相手の墓掘り人足だ」
広場の奥でゆらりと影がうごめく。
勇三はその光景に、はじめ自分の目を疑った。街灯の届かない暗がりにいっそう深い黒さをたたえていたその影は、一軒家ほどの大きさがあったからだ。
「さて、はじめるか」
ふたつの靴音だけが、沈黙をはらんだ地下の街にこだまする。
勇三はそれを聞きながら、あたりをきょろきょろと見回した。
昇降機を降りた彼をまず出迎えたのは、ドーナツのような円周の道路だった。周囲をぐるりと囲む道路からは、四方に直線の道が伸びている。
昇降機は、ちょうどドーナツの穴にあたる部分に建っていた。
振り返ると、昇降機のシャフトが地上に向かってまっすぐ伸びている。周囲がなんの変哲もないような街並み然とした風景だけに、その存在はますます異様に思えた。
(ずいぶん遠くに来たもんだ)勇三は思った。(それもおかしな方向に向かって)
「早く来い、置いてくぞ」
霧子にたしなめられ、勇三はそのあとを追っていく。
左右をビルが建ち並び、顔の見えない巨人たちのようにふたりを見下ろしてくる。
だが灯った街灯のおかげで、路地は思ったよりも暗くはなかった。これで人通りさえあれば、夜のオフィス街となんら遜色はない。
「そのうち崩れるんじゃないのか、ここ」
言いながら、勇三は潰されるアルミ缶を想像した。もしそうなったら、自分を含めて中にいる人間はどうなるのだろう。そう一度思い浮かべてしまうと、なかなかその想像を振り払うことはできなかった。
「怖いのか?」
「そんなわけあるか」強がっていることを押し隠しながら答える。
からかうような霧子だったが、勇三はその表情が消える一瞬、口元に緊張感が漂っているのを見逃さなかった。
彼女もまた落盤を懸念しているのか、あるいはもっとほかに原因があるのか。
「安心しろ、なまじ地下施設やトンネルのほうが地震や崩落に強くできてるもんだ。当然ここもな。もともとが堅い地盤の中にあるうえに、主要なビルが天井を支える柱の役割もしてくれてるんだ。ドーム状の天井も自重を支えられるようにできてるみたいだし、ここを工事した人たちの腕前を信じよう」
あまりためになるとは言えない励ましのあと、霧子は笑みを浮かべた。だが、相変わらずその裏にある緊張を拭いきれていない。
そのとき、地下を吹く風に乗って不快な匂いが勇三の鼻腔に届いてきた。どこか甘ったるい、腐った果物を想起させるような匂いだった。
「なんだこれ……」不快感に顔をしかめながら勇三は言った。
「そろそろお喋りはおしまいだ」
言いながら霧子が歩みを早める。ふたりはそのまま通りを抜け、レンガ敷きの広場に出た。一本きりの街灯が青白い光を放つ寂しげな場所だった。
霧子が広場の一角、ビルとビルの間にある細い隙間を指さす。
「そこに隠れていろ。なにが起きてもじっとしてるんだ」
勇三は大人しく霧子の言葉に従った。彼をそうさせたのは、感じ取っていた異様さのせいであり、有無を言わせぬ霧子の厳然とした態度だった。
言われたとおり隙間に入り、広場のほうを向いてしゃがみこむように身を潜める。両肩に接するほど壁が迫っていたが、自分の身が闇に溶け込んでいくような感覚と、身を隠せているという事実に予想以上の安堵を感じていた。
鼻にまとわりつく匂いを嗅ぎとってから、勇三は雷を孕んだ黒雲を頭上に見たような危機感を抱いていたからだ。
「それから、これはあまり言いたくもないことだが……」霧子が背を向けたまま言う。「もしもわたしが目の前で死ぬようなことがあったら、迷うな。その銃で自分の頭を撃ちぬけ」
霧子の言葉は要領を得ず、勇三に混乱をもたらした。同時に手にした拳銃がさらに重くなったように感じる。
霧子は続けた。
「きっとそっちのほうが楽に死ねる。意識があるまま八裂きにはされたくないだろ?」
なにも答えられない勇三を振り返り、霧子はどこか弱々しい笑みを投げかけた。
「そうならないように努力はするつもりだがな。まあ、経験者の助言だと思って受け取ってくれ」
霧子は足元にバックパックを置くと、広場の中央へとゆっくりと歩き出した。
その背中に声をかけようとした瞬間、ビルの向こうからとてつもない咆哮が轟いた。百匹の獰猛な獣が一斉に声をあげたような、聞く者を竦ませる声だった。
「ああ、そうだ……わたしがなんなのかまだ話してなかったな」背を向けたまま霧子は言った。「<グレイヴァー>。それがわたしたちの総称。二束三文の命を賭けて戦う、化け物相手の墓掘り人足だ」
広場の奥でゆらりと影がうごめく。
勇三はその光景に、はじめ自分の目を疑った。街灯の届かない暗がりにいっそう深い黒さをたたえていたその影は、一軒家ほどの大きさがあったからだ。
「さて、はじめるか」
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