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第二章・墓標に刻む者
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追い込まれている。
勇三がそう気付いたときには、自分がどこにいるのかもすっかりわからなくなっていた。
道を待ち構えていた怪物たちによって、すでに二度も進路を変えさせられている。
強引にあの囲みを突破していた時点で……いや、がれきで霧子と離された時点で、自分は追い込まれたも同然の状況だったのだ。
「止まれ、勇三!」耳元でトリガーが訴え続ける。「止まるんだ!」
その制止を振り切って勇三は走り続けた。興奮や緊張、あるいはその両方の反動から、彼は自分の身体を思うように動かせなかった。
T字路に差し掛かったが、三度あらわれた怪物たちに正面の道を塞がれ、勇三はやむを得ず左に曲がった。
直後に勇三が足を止められたのはトリガーのおかげではなく、異様な雑草のように捻じ曲がった道路標識が一本、アスファルトを割りながら道路脇に生えているのを見たからだった。光景に違和感を覚え、彼はつんのめるようにしてようやく立ち止まった。
街灯の弱々しい明かりの下、スニーカーを履いた爪先の数センチ足らずの位置で道路が深く陥没していた。
向こう岸は見えない、アスファルトが消えてできた穴の深さは七、八メートルはありそうだ。
もしもいきおい余って転落でもしたら骨折か、最悪の場合死んでいたかもしれない。あの道路標識を見て疑問を抱かなかったらどうなっていたことか。
だが、恐ろしい結果を免れたことに安堵できたのは束の間のことだった。
背後からぎぃぎぃという不気味な鳴き声とともに、怪物たちが次々と姿をあらわしたのだ。
街を覆う闇の向こうから、道路の両脇にある廃墟の中から……あるいは猿のように街灯にぶら下がっている者や、車の屋根の上で飛び跳ねているものもいる。
立ち位置や仕草はまちまちだったが、皆一様に喉の奥から死体の上空を旋回するカラスのような歓声をあげている。
「トリガー?」勇三はようやくインカムの存在を思い出し、囁くように声をもらした。「悪かった。おれ……」
「なにも言うな」トリガーが遮る。「いいか、まずは肩の力を抜け。攻撃をよけることだけを考えるんだ」
トリガーの言葉が終わるよりも早く、怪物のうち一匹が地面をジグザグに跳ねるように襲い掛かってきた。
勇三は肩に担いでいたライフルを構えると引き金を絞った。数発の銃声が路地をこだまする。
しかし腰に据えもせずに放たれた弾があたるはずもなかった。弾丸は一発を除いて、全てが背後の闇へと吸い込まれていき、運良く命中したものも怪物の身体をかすめただけだった。
流れた仲間の血を見てか、群れ全体の声が怒りの色を帯びる。
傷を負った最初の怪物がふたたび、さらに猛然とした勢いで向かってくる。助走を経た最後の跳躍は、街灯の明かりと同じ高さにまで達した。空中高くから怪物が爪を振りおろしてくる。
勇三はライフルを手放すと、グローブをはめた右手で素早く二度、拳を握り締めた。
機械の内部が駆動し、瞬時にエネルギーを溜めていく。その音は小動物の鳴き声か、あるいはフラッシュを焚く前のカメラのチャージ音のように甲高かった。
振り下ろされた怪物の爪が勇三のこめかみから頬を切り裂く。入れ違いに放たれた拳は怪物の腹にめりこんだ。
その瞬間、大気を巨大な波紋が走り、怪物は受けた拳を中心に粉々に爆ぜた。
血や、考えるのもおぞましい怪物の構成物が勇三の顔や体に跳ね返る。その臭気以上に、生き物を殺したという事実が嫌悪感を生んだ。
胃袋がもんどりうち、うねるような動きとともに中身が口から逆流する。
えずき、咳きこみながら、同時に彼は自分の右肘から先の感覚が無くなっていることにも気づいた。
いまの衝撃で右腕まで吹き飛んでしまったのか。
慌てて左手を伸ばすと、ありがたいことに勇三は自分の右腕をつかむことができた。と同時に、痺れを伴う激痛が前腕を走る。
(力が強すぎたんだ!)
〝気をつけろよ。衝撃が大きすぎると、グローブの指向性がトランスして……つまり自分もショックを受けるからな〟同時に、トリガーの忠告が脳裏によみがえる。
(力み過ぎてショックを受けたんだ。クソッ!)
しかし怪物たちは、動かない右腕を抱えた勇三を待ってはくれなかった。すぐに新手が一匹、飛びかかってくる。
勇三はライフルを手探りで探した。が、それは二メートル先の地面に転がっていた。
地べたを這うようにして取りに行くには絶望的な距離だった。残された武器を身につけた右手には痛みが走り出し、使い物にならない。
なにかないか。
周囲に巡らせた赤い瞳が一点に注がれ、勇三は唯一自由のきく左手を反射的に伸ばした。
獲物に爪を突き立てようとした怪物だったが、空中で衝撃を受け、陥没した道路の底へと頭から落下していった。
立ち上がった勇三が握り締めていたのは、あのねじれた道路標識だった。
標識の根元にはコンクリートのかたまりが残り、看板部分には叩き落とした獲物の返り血がへばりついていた。
彼は肩で息をしながら、残った怪物の群れを睨んだ。相変わらず右腕の自由は利かなかったが、痺れと痛みが少しずつ引いていくのを感じていた。
「トリガー……」
「怪我はないか?」
「なんとかな。霧子をここに呼んでもらえるか?」
「すでに向かわせている。堪えるんだ」
通信が切れると、あたりを支配するのは勇三の荒い息づかいと、怒りとも恐怖ともとれぬ怪物の喚き声だけとなった。
勇三は新しい武器を構えなおすと、雄叫びとともに敵陣へと斬り込んでいった。
勇三がそう気付いたときには、自分がどこにいるのかもすっかりわからなくなっていた。
道を待ち構えていた怪物たちによって、すでに二度も進路を変えさせられている。
強引にあの囲みを突破していた時点で……いや、がれきで霧子と離された時点で、自分は追い込まれたも同然の状況だったのだ。
「止まれ、勇三!」耳元でトリガーが訴え続ける。「止まるんだ!」
その制止を振り切って勇三は走り続けた。興奮や緊張、あるいはその両方の反動から、彼は自分の身体を思うように動かせなかった。
T字路に差し掛かったが、三度あらわれた怪物たちに正面の道を塞がれ、勇三はやむを得ず左に曲がった。
直後に勇三が足を止められたのはトリガーのおかげではなく、異様な雑草のように捻じ曲がった道路標識が一本、アスファルトを割りながら道路脇に生えているのを見たからだった。光景に違和感を覚え、彼はつんのめるようにしてようやく立ち止まった。
街灯の弱々しい明かりの下、スニーカーを履いた爪先の数センチ足らずの位置で道路が深く陥没していた。
向こう岸は見えない、アスファルトが消えてできた穴の深さは七、八メートルはありそうだ。
もしもいきおい余って転落でもしたら骨折か、最悪の場合死んでいたかもしれない。あの道路標識を見て疑問を抱かなかったらどうなっていたことか。
だが、恐ろしい結果を免れたことに安堵できたのは束の間のことだった。
背後からぎぃぎぃという不気味な鳴き声とともに、怪物たちが次々と姿をあらわしたのだ。
街を覆う闇の向こうから、道路の両脇にある廃墟の中から……あるいは猿のように街灯にぶら下がっている者や、車の屋根の上で飛び跳ねているものもいる。
立ち位置や仕草はまちまちだったが、皆一様に喉の奥から死体の上空を旋回するカラスのような歓声をあげている。
「トリガー?」勇三はようやくインカムの存在を思い出し、囁くように声をもらした。「悪かった。おれ……」
「なにも言うな」トリガーが遮る。「いいか、まずは肩の力を抜け。攻撃をよけることだけを考えるんだ」
トリガーの言葉が終わるよりも早く、怪物のうち一匹が地面をジグザグに跳ねるように襲い掛かってきた。
勇三は肩に担いでいたライフルを構えると引き金を絞った。数発の銃声が路地をこだまする。
しかし腰に据えもせずに放たれた弾があたるはずもなかった。弾丸は一発を除いて、全てが背後の闇へと吸い込まれていき、運良く命中したものも怪物の身体をかすめただけだった。
流れた仲間の血を見てか、群れ全体の声が怒りの色を帯びる。
傷を負った最初の怪物がふたたび、さらに猛然とした勢いで向かってくる。助走を経た最後の跳躍は、街灯の明かりと同じ高さにまで達した。空中高くから怪物が爪を振りおろしてくる。
勇三はライフルを手放すと、グローブをはめた右手で素早く二度、拳を握り締めた。
機械の内部が駆動し、瞬時にエネルギーを溜めていく。その音は小動物の鳴き声か、あるいはフラッシュを焚く前のカメラのチャージ音のように甲高かった。
振り下ろされた怪物の爪が勇三のこめかみから頬を切り裂く。入れ違いに放たれた拳は怪物の腹にめりこんだ。
その瞬間、大気を巨大な波紋が走り、怪物は受けた拳を中心に粉々に爆ぜた。
血や、考えるのもおぞましい怪物の構成物が勇三の顔や体に跳ね返る。その臭気以上に、生き物を殺したという事実が嫌悪感を生んだ。
胃袋がもんどりうち、うねるような動きとともに中身が口から逆流する。
えずき、咳きこみながら、同時に彼は自分の右肘から先の感覚が無くなっていることにも気づいた。
いまの衝撃で右腕まで吹き飛んでしまったのか。
慌てて左手を伸ばすと、ありがたいことに勇三は自分の右腕をつかむことができた。と同時に、痺れを伴う激痛が前腕を走る。
(力が強すぎたんだ!)
〝気をつけろよ。衝撃が大きすぎると、グローブの指向性がトランスして……つまり自分もショックを受けるからな〟同時に、トリガーの忠告が脳裏によみがえる。
(力み過ぎてショックを受けたんだ。クソッ!)
しかし怪物たちは、動かない右腕を抱えた勇三を待ってはくれなかった。すぐに新手が一匹、飛びかかってくる。
勇三はライフルを手探りで探した。が、それは二メートル先の地面に転がっていた。
地べたを這うようにして取りに行くには絶望的な距離だった。残された武器を身につけた右手には痛みが走り出し、使い物にならない。
なにかないか。
周囲に巡らせた赤い瞳が一点に注がれ、勇三は唯一自由のきく左手を反射的に伸ばした。
獲物に爪を突き立てようとした怪物だったが、空中で衝撃を受け、陥没した道路の底へと頭から落下していった。
立ち上がった勇三が握り締めていたのは、あのねじれた道路標識だった。
標識の根元にはコンクリートのかたまりが残り、看板部分には叩き落とした獲物の返り血がへばりついていた。
彼は肩で息をしながら、残った怪物の群れを睨んだ。相変わらず右腕の自由は利かなかったが、痺れと痛みが少しずつ引いていくのを感じていた。
「トリガー……」
「怪我はないか?」
「なんとかな。霧子をここに呼んでもらえるか?」
「すでに向かわせている。堪えるんだ」
通信が切れると、あたりを支配するのは勇三の荒い息づかいと、怒りとも恐怖ともとれぬ怪物の喚き声だけとなった。
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