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第四章・エンド・オブ・ストレンジャーズ
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玄関から出てきた叔母ははじめ勇三の思わぬ来訪に目を丸くしたようだったが、すぐににっこりと微笑んでくれた。目を線のように細めるいつもの笑顔は、勇三に自宅アパートでは味わえなかった「家に帰ってきた」という安らぎを与えてくれた。
「こんにちは」
曖昧な笑いを浮かべながらそう言ったきり、言葉を続けることができない。
突然家に押しかけたことを詫びるべきか、それとも理由を説明するべきか……ここへくるまでに考えていたどの言葉も、挨拶を口にしたことで糸がほどけるように形を失ってしまった。
叔母はそんな勇三を見ながら何度か頷くと、こう言った。
「おかえりなさい」
勇三がなにも言わないでいると、奥のリビングから叔父が顔を覗かせてきた。彼もまた勇三の姿を見て驚いたあと、叔母と同じように満面の笑みで出迎えてくれた。
「やあ、勇三くんじゃないか」
「どうも」叔母にしたように叔父にも曖昧に返す。
「ほら、そんなところにいないでこっちにあがっておいで」
手招きする叔父に言われるまま、勇三は家にあがった。リビングのドアに差し掛かったところで、あることに思い至り足を止める。
「どうしたの?」
「いや、その……」訊ねる叔母に勇三が頭を掻く。「おれ、お土産も無しに手ぶらで来ちゃって」
「そんな気を遣うことないのよ」
ほら、と、叔母に促されるままリビングに入る。
中心に据えられた木製のローテーブルを囲むようにぐるりと置かれたソファのうち、勇三は窓際の一脚に腰をおろした。高校に入学してこの家を出るまでの定位置だった場所に身を落ち着けると、ようやく心が休まった気がした。
「いま、お茶を淹れるわね」
叔母がそう言ってリビングの隣にある台所に引っ込むと、すぐに棚の開け閉めや食器を出す音が響く。
叔父は勇三の右手にある二人掛けソファに腰かけるとテレビの電源を切り、読んでいた新聞も畳んで脇に置いた。
「そうか……叔父さん、今日はお店が休みでしたね」会話の接ぎ穂をさぐるように、勇三はそう訊ねた。
「うん、昨日から定休日でね。このあいだの連休が出ずっぱりだったから、久しぶりにゆっくりできるよ」
「すみません、そんなときに突然来たりして」
「いや、そんなことないよ。むしろ久しぶりに顔が見られてよかったよ。ところで、今日学校は休みかい?」
その質問に、勇三はぎくりとさせられた。この瞬間まで、今日は世間一般が休みでもなんでもないということをすっかり失念していたのだ。叔父の口調に疑うような響きはなかったものの、その純粋さがかえって彼を辟易させた。
「今日は……テスト期間中で休みなんです。それで、叔父さんたちの顔を見に」
なんとか絞り出した嘘に、胸の奥がずきりと痛んだ。テスト勉強どころか、ここ数日まともに登校すらしていない。
「そうなんだ……ところで、こっちのほうはどう?」叔父が空っぽの両手を浮かせ、目に見えないスロットルを回してみせる。
「調子いいですよ。最近はたまに近所を走らせてるだけですけど」
「今度うちに乗っておいで。そろそろメンテにも出しておいたほうがいいからね」
「ありがとうございます」
「ふたりとも、事故だけは気をつけてね」
そう言ったのは叔母だった。
「勇三くん、夕飯は食べていくでしょ」見馴れた茶器に紅茶を注ぎながら叔母が言う。
「あ、はい」
ティーカップを受け取りながら、勇三は無意識のうちに頷いていた。立ち上る湯気に乗った香りがそうさせたのかもしれない。今朝まで食べていた、灰色を思わせる病院食には無い効果だった。
「よければ泊まっていきなさい」紅茶を飲みながら叔父が言う。「明日の朝は、僕が駅まで送っていけばいいから。早めに出れば学校にも間に合うだろう?」
勇三はこの好意にも甘えることにした。
とにかく、いまは誰かと一緒にいたかった。
「こんにちは」
曖昧な笑いを浮かべながらそう言ったきり、言葉を続けることができない。
突然家に押しかけたことを詫びるべきか、それとも理由を説明するべきか……ここへくるまでに考えていたどの言葉も、挨拶を口にしたことで糸がほどけるように形を失ってしまった。
叔母はそんな勇三を見ながら何度か頷くと、こう言った。
「おかえりなさい」
勇三がなにも言わないでいると、奥のリビングから叔父が顔を覗かせてきた。彼もまた勇三の姿を見て驚いたあと、叔母と同じように満面の笑みで出迎えてくれた。
「やあ、勇三くんじゃないか」
「どうも」叔母にしたように叔父にも曖昧に返す。
「ほら、そんなところにいないでこっちにあがっておいで」
手招きする叔父に言われるまま、勇三は家にあがった。リビングのドアに差し掛かったところで、あることに思い至り足を止める。
「どうしたの?」
「いや、その……」訊ねる叔母に勇三が頭を掻く。「おれ、お土産も無しに手ぶらで来ちゃって」
「そんな気を遣うことないのよ」
ほら、と、叔母に促されるままリビングに入る。
中心に据えられた木製のローテーブルを囲むようにぐるりと置かれたソファのうち、勇三は窓際の一脚に腰をおろした。高校に入学してこの家を出るまでの定位置だった場所に身を落ち着けると、ようやく心が休まった気がした。
「いま、お茶を淹れるわね」
叔母がそう言ってリビングの隣にある台所に引っ込むと、すぐに棚の開け閉めや食器を出す音が響く。
叔父は勇三の右手にある二人掛けソファに腰かけるとテレビの電源を切り、読んでいた新聞も畳んで脇に置いた。
「そうか……叔父さん、今日はお店が休みでしたね」会話の接ぎ穂をさぐるように、勇三はそう訊ねた。
「うん、昨日から定休日でね。このあいだの連休が出ずっぱりだったから、久しぶりにゆっくりできるよ」
「すみません、そんなときに突然来たりして」
「いや、そんなことないよ。むしろ久しぶりに顔が見られてよかったよ。ところで、今日学校は休みかい?」
その質問に、勇三はぎくりとさせられた。この瞬間まで、今日は世間一般が休みでもなんでもないということをすっかり失念していたのだ。叔父の口調に疑うような響きはなかったものの、その純粋さがかえって彼を辟易させた。
「今日は……テスト期間中で休みなんです。それで、叔父さんたちの顔を見に」
なんとか絞り出した嘘に、胸の奥がずきりと痛んだ。テスト勉強どころか、ここ数日まともに登校すらしていない。
「そうなんだ……ところで、こっちのほうはどう?」叔父が空っぽの両手を浮かせ、目に見えないスロットルを回してみせる。
「調子いいですよ。最近はたまに近所を走らせてるだけですけど」
「今度うちに乗っておいで。そろそろメンテにも出しておいたほうがいいからね」
「ありがとうございます」
「ふたりとも、事故だけは気をつけてね」
そう言ったのは叔母だった。
「勇三くん、夕飯は食べていくでしょ」見馴れた茶器に紅茶を注ぎながら叔母が言う。
「あ、はい」
ティーカップを受け取りながら、勇三は無意識のうちに頷いていた。立ち上る湯気に乗った香りがそうさせたのかもしれない。今朝まで食べていた、灰色を思わせる病院食には無い効果だった。
「よければ泊まっていきなさい」紅茶を飲みながら叔父が言う。「明日の朝は、僕が駅まで送っていけばいいから。早めに出れば学校にも間に合うだろう?」
勇三はこの好意にも甘えることにした。
とにかく、いまは誰かと一緒にいたかった。
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