ReaL -墓守編-

千勢 逢介

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第五章・雨。その帳の向こう

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「それじゃあ行くぞ」高岡は傘をたたみながら言った。あがる気配こそなかったものの、雨は先ほどよりも少し小降りになっていた。「ここから道を外れて裏にまわる。邪魔になるから傘はこのへんに置いていけ」

 砂利道から外れて牧草地を進むにつれ、雨粒に濡れた青臭さに混じって牛舎独特のすえた臭いがいよいよ強くなってきた。
 飼料を蓄えるためのサイロだろうか、影となった牛舎の隣に頭ひとつ分大きな建物が、寄り添うようにしてそびえている。風通しをよくするため、牛舎それ自体は鉄骨を組み合わせた柵にトタン屋根をかぶせただけの壁の無い建物だった。

 高岡は嗅覚ではなく、日々レギオンと渡り合うことで培われたある種の感覚から、現場の異常さを察知していた。

「いいか、現場を荒らすなよ」

 肩越しに黒川を振り返り、声をかける。彼女はすでに気が滅入っているようだった。
 懐からペンライトを取り出し、スイッチを入れる。この状況にあると、弱々しいLEDの明かりでも頼もしく思えた。

 実際、牛舎の中は惨憺たる有様だった。
 中央を縦にコンクリートで舗装された導線が走り、その両側で区分けされた囲いには土が敷き詰められていた。
 本来ならそこで牛たちが寝起きをしているはずなのだろうが、この夜にかぎってその様子はない。それどころか、鳴き声や息遣いすら聞こえてこなかった。ただ雨粒が屋根を叩く以外、いっさいの物音がしなかった。
 すぐ脇の囲いにライトを向けると牛が数頭、横様に倒れて事切れていた。背後で黒川の呻き声があがる。

「吐くなよ」

 思わず口に手をあてる黒川を諫めはしたが、この光景では無理もない。ざっと見渡しただけで、牛舎にいた数十頭の牛たちが全滅しているのがわかった。

「行くぞ」

 高岡はすぐそばの囲いに歩み寄ると、ライトで中をぐるりと照らした。
 それから手近な牛の死骸を検めるべく、柵をくぐって柔らかい土の上へと踏み出した。

「高岡さ――」

 黒川が言いながら後に続こうとしたそのとき、牛の死骸から無数の小さな物体がいっせいに飛び立った。

「くそっ!」思わず悪態をつきながら顔をかばう高岡の目の前で、それはエンジンのような羽音と共に空中を四方八方に散らばっていった。「口を閉じてろよ、黒川。おさまるまでじっとしてろ」

 はたして、牛の死体から飛び上がったのは蝿の大群だった。この小さな自然の葬儀屋の興奮が冷めるのを、高岡と黒川は無言のまま待ち続けた。
 やがて蝿たちが各々落ち着ける場所に戻り、激しかった羽音も次第に眠たげなものに変わっていく。
 高岡は顔の前に持ち上げていた腕をおろすと、黒川のほうに向き直った。彼女はこの歓迎に腰を抜かし、土のうえで尻餅をついていた。

「大丈夫か?」
「ええ、なんとか」

 差し伸べた手をつかむ黒川の手の平が湿っているのを感じ、高岡は眉をしかめそうになるのを堪えた。濡れた土だけではなく、囲いの中の地面には牛の糞や小便も混じっていることだろう。
 もっとも、いまはそのことを気にしていられない。

「現場って、いつもこんな感じなんですか?」
「今日はまだましさ」

 黒川を立たせてやると、高岡は仕切り直しとばかりに牛の死骸のそばにしゃがみこんだ。その後ろで、黒川も覗き込むように上体を折り曲げる。

 あらためて見ると、牛の死に様はひどいものだった。
 前脚の付け根の上、人間で言う肩にあたる部分がいびつに盛り上がっている。おそらく皮膚一枚を隔てた内側で骨が砕かれ、関節もはずされているのだろう。前脚自体もあらぬ方向にねじれている。
 草を食むための長い舌がこぼれ出した半開きの口の端には、白い斑点が浮いていた。
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