上 下
8 / 85

リンゴ

しおりを挟む
みんなの不満が痛いほどわかる。

石を投げられても仕方ない。


赤子に好きなだけ水を与えられない苦痛、

乾く大地に育たない農作物、

経済はひっ迫して民衆は休む暇もない。


雨が降らない現状は、みんなを苦しめている。


それを救えるのがイブだけなのに、イブは彼らを救えない。怒られても仕方ない。


イブに石を投げるくらいで、みんながまたがんばれるなら、ダメ聖女は石の的になるくらいでいい。


本当に心からそう思ってる。


でも、ちょっとだけ、泣きたかった。


ちょっとだけ甘えて、ネオに名前を呼んで欲しかった。






イブが這いつくばったまま血がポタポタ落ちる床を見つめていると、そこにコロンとリンゴが一つ転がって来た。


投げ込まれる石と一緒に投げ込まれたようだ。


(リンゴ?どうして)


リンゴは転がって、イブの膝に優しくぶつかった。


止まない小石の雨の中で、イブはそのリンゴを手に取る。イブの血が滴り、リンゴをさらに赤く染めた。


手触りに違和感をもってリンゴを回すと、表面に字が彫られていた。


Not Eve’s fault.イブのせいじゃない


イブの青い瞳に大粒の涙が降った。止める暇もない。

リンゴを投げてくれたのがネオだとわかる。


聖女の名前を知っている人は限られている。


『雨が降らないのは、聖女様のせいではありません』


この言葉をくれたのは紛れもなく、ネオだ。


(ありがとう、ネオ)


額を血に濡らしたイブは、リンゴを握り締めて立ち上がった。

  
  




イブが祭壇に背を向け、民衆をふり返る。


涙をぼろぼろこぼして、額から出た血で顔の半面を赤く染めたイブに民衆が息を飲む。


小石の雨が、止んだ。


イブはリンゴを持ち上げてから、一口かじった。

「イブ」とネオが彫ってくれた部分を食べる。

このリンゴは、ネオの声だ。


ネオが「イブ」とあの優しい声で呼んでくれると胸が熱い。


ネオが名前を呼んでくれると、聖女ではなく、


一人の女の子としていて良いと許される。それがたまらなく嬉しい。


一人の女の子として、がんばる気持ちが湧いて来るのだ。


ネオがいてくれればがんばれる。


何でもできそうなこの気持ち。


この気持ちを人は。

聖女ではなく、人は。

「恋」って呼ぶのではないだろうか。



勇気の実を食べて、胸を熱くしたイブは再び跪いた。


胸が高鳴って、熱かった。


ネオがくれたこの喜びと、熱さを持って祈りたい。


「この晴れの国に、どうか、恵みの雨を」


イブが跪き、両手を組んで祈ると、瞬く間に暗雲が立ち込めた。急に暗くなる空に民衆がどよめく。


民衆の中でネオも空を見上げた。


(これが、聖女様の力……)

「この晴れの国に、どうか、恵みの雨を!」


イブがさらに強く祈ると、胸に溜まっていた熱さが、空に吸い上げられる感覚を得た。


イブが吸い取られた熱さを追って空を見上げると、イブの顔に細い雨が落ちる。



  「雨だ!!!」

「雨よ!」

「これが雨?!」


民衆は大騒ぎして天を仰ぎ、慌てて家に向かって走り出した。広場から走り出した民衆はどんどんいなくなった。


民衆は六年ぶりの雨を称える余裕もない。一刻も早く家に帰って、雨水をできるだけ蓄えなくてはいけないからだ。


円形舞台の上で、イブはぼんやりと空を見上げた。


「雨が、降ったわ」


細い雨がイブの血に濡れた顔を洗う。


イブが視線を感じて舞台上から人が減った広場を見回すと、ローブを目深にかぶった人と目が合った気がした。


ローブを被った人は背を向けて走って行く。イブは舞台を下りてその人を追いかけた。


「聖女様!おめでとうございます!ってどこへ!?」

「聖女?!」


イブを迎えに舞台に上って来たニナとアーサーを素通りして、イブは平民街の細道へと走り込んでいった。


「「え?」」


ニナとアーサーが呆気に取られているうちにイブはどんどん走って行った。




 
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

迷惑かけない、がモットーの少女と少女が好きすぎる悪魔

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:6

アンリお兄様は度を超えた心配性

恋愛 / 完結 24h.ポイント:35pt お気に入り:57

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:397pt お気に入り:1,036

日本ヤンデレ協会へようこそ!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:6

処理中です...