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第七章 風子と小さな暮らし
私の暮らし
しおりを挟む底冷えの二月の昼前。ワンルームのキッチンで、私は鍋をかき回していた。一日前からしっかり時間をかけたデミグラスソースを弱火でことこと煮込んでいる。
今日のお昼は、このデミグラスソースをオムライスにかけるのだ。
煮込むのは気の長い作業なので、お気に入りのずんぐりマグに入れた熱々のルイボスティーがお供だ。キッチンの端っこ置いたラジオから軽やかな声が流れる。
『本日はバレンタインデーの水曜日!』
少し元気過ぎる男性の声で今日のメインイベントを告げられる。私は冷蔵庫の中で出番を待っているチョコを想う。先日、海街メゾンで莉乃ちゃんと一緒に手作りしたチョコレートが冷蔵庫に入っていた。
莉乃ちゃんは初めて倉田君にプレゼントするのだと緊張して作って、何度もラッピングをやり直していた。ぜひ倉田君に見せてあげたいくらい可愛かった。
達也さんは失敗チョコを食べさせられていたが、美味しいよ!莉乃天才!と莉乃ちゃんを褒め称えた。だが宗一郎さんは「美味しいで、普通に」と言って莉乃ちゃんを怒らせた。
いつも通り楽しい時間だった。
デミグラスソースをかき混ぜる手を止めてマグカップに手をかけると、耳半分でしか聞いていないラジオからニュースが流れる。
「熱ッ!」
『多くの被害を出したロマンス詐欺グループが一斉検挙され』
熱すぎたルイボスティーが舌先を痺れさせた。真剣に息を吹きかけて冷まし、鼻をふっと通る爽快な香りに深く息をする。
ルイボスティーと向き合っているうちにニュースは終わってしまっていた。ラジオは天気予報に変わる。
『気温は穏やかで、久しぶりに青空が見えるでしょう。散歩日和です』
「達也さんの夜歩き、今日は行けそう」
水曜の今日、海街メゾンはイベントデーだ。寒さが和らいだなら、夜歩きが楽しみだ。
私は今、海街メゾンから徒歩10分のワンルームに住んでいる。宗一郎さんが価格交渉してくれて安くなった物件に、そのまま決めた。海街メゾンに近いので、夜歩きへの参加も続けている。
鍋の火を消した私は次に、ソーダの色配合を始めた。
「真冬の白良浜 風花クリームソーダの準備しまーす」
一人で暮らすと独り言が増えてしまう。
みぞれシロップと、カルピス原液を計量して下準備にとりかかった。純白ソーダにバニラアイス、銀色のアラザンをトッピング予定だ。
さっと準備を終えて、ラジオを聞きながら藍色のワンピースに袖を通す。ちょうどラジオから星座占いが流れ、私の星座の番だ。
『今日のラッキーカラーは、赤!赤い小物を身に付けたら好きな人に想いが届くかも!』
私は洗面台へ向かい、鏡に映った自分が着ている藍色のワンピースを見つめた。
「うーん……赤?」
普段は気にならないのに、どうしてこういう日だけ占いが耳に入ってしまうのか。私はしばらく考えてから鏡の中の自分に言った。
「でも今日は青が良いと思う。だって……青の方がなんか、しっくりくる」
私は星占いを振り切って、私の気持ち良いを選ぶことにした。私は財布から100円を取り出してカフェ貯金封筒に入れ、ベッドに置きっぱなしだった図書館の本を本棚に並べた。
軽く部屋を片付けて、ラジオを消し、時計を確認するともうすぐ正午。再び鏡の前にたって、前髪を整えておかしなところがないか再確認する。
「よし、ばっちり」
私の声と重なるようにちょうどインターホンが鳴った。
私はぱたぱたと廊下を駆けて行き、ゆっくりドアを開けた。冬の冷たい風が流れ込み、ドア向こうにはコートをまとった宗一郎さんが立っていた。宗一郎さんの鼻先はほんのり赤かった。
「時間早かったか?」
「いえ、大丈夫ですよ」
一人暮らしになっても、海街メゾンでのルールはできるだけ引き継いで暮らしている。
一日2000円の生活費、カフェ貯金、月曜日は海鮮丼の日、スマホは毎日二時間。
もちろん、変わったこともある。
毎月のカフェ開業貯金に、クリームソーダ研究費に、写真の勉強のために習い事費用の枠も設立した。毎月小さく、私は夢への一枚を重ね続けている。
けれど、海街メゾンにいたころと、一番変わったところは水曜日の過ごし方だ。
宗一郎さんは水曜日の正午に、私の部屋にやってくる。
私が作るランチとクリームソーダを飲みに来てくれるのだ。そうして今日は、チョコレートを渡したりする予定も、私の中にはある。
水曜日は「宗一郎さんとご飯の日」改め「宗一郎さんが私の部屋に来る日」になった。
玄関前で、寒そうにコートに両手を突っ込んだ宗一郎さんが微笑む。
「ええ匂いやな。入ってええか」
「はい、もちろんです。水曜日を楽しみにしてますから」
「奇遇やな。俺もや」
私は温かい部屋に彼を招き入れて笑いながら、そっとドアを閉めた。
いくつかの決まり事を守って。
毎週のお楽しみをつくって。
小さな気持ち良いを見逃さず。
働いて、食べて、寝る。
ずっと、誠実に繰り返す。
そうやって暮らしさえ守り続けていれば、私は何があっても、立ち直っていける。
そしてそんな暮らしはいつだって小さく──幸せだ。
〈了〉
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最後まで拝読しました!
めっっっちゃくちゃよかったですーー!
文章が巧みなのはもちろんのこと、海街メゾンのアイデアや宗一郎さんのキャラ、風子の成長……すべてが愛おしく、心に残るお話でした。
特に最後の風子と宗一郎さんにきゅんとし、二人の未来が幸せであることを願わずにはいられませんでした。
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葉方さーん!完走していただいて、さらに感想までー!ありがとうございます!
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