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夢の続き

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「結局、今日は何も勉強できなかったな……。げ、明日模試だ……。」

帰宅して、自分のスケジュール帳を見てみると明日は早朝から全国模試があることに気付き、ますます憂鬱な気分になってしまった。思えば、ここ最近あの悪夢を見るようになってから勉強にも集中できていない。
普段はきっちりスケジュールを組んで、今日はここまでの範囲を勉強しようとか、何ページまでやろうとかを計画し、遂行するタイプであり、自分で言うのも何だが勉強の仕方だけは優等生のそれである。まあ、実際に出ている成績は、置いておいて……。

だが、最近はあの繰り返される悪夢のせいで、まずまともに睡眠をとれているのかすら怪しい。時間はしっかり6時間程度は毎日とるようにはしているが、精神的なしんどさや、起きた直後の何とも言えない倦怠感を振り返ると質の良い睡眠がとれているとは到底思えないのである。集中力もいつもの受験勉強には持続していない気がするし……。

まったくもって、迷惑な悪夢である。

しかし、本当に何なのだろう。実在しない戦争であるならば、なぜ僕の夢に毎日現れるのだろう。実在する戦争であったとするならば、まあ非科学的な話ではあるがなくはない。
例えば、僕の先祖、ひいじいちゃんやひいばあちゃんなどが戦争時代に何かあって、それをなぜか僕に伝えに来ているのかもしれない。

なぜ僕なのかは、もしこの説が本当ならば、僕が現代人であるからだろう。戦後からもう何十年も経って、戦争経験者はどんどんこの世から消えていく。語り継ぐ者がいるとはいえ、実際に経験した人間と、経験者から話を聴いてそれをさらに伝えていく人とでは言葉の重みや迫力が全く違う。
かくいう僕も、中学時代に沢山の戦争に関する資料や資料館の人から話を聴いたことはあったが、その後講演に来た元ひめゆり学徒隊の方の話に、思わず涙をこぼしたのを覚えている。

今となってはすっかり物に溢れ、情報に溢れ、流行なんてものはすぐに代替わりし、インターネットが普及され人間同士の繋がりが希薄化した現代社会において、本当に先祖霊というものがあるならば、警告をしに来ていると考えるのもまあ無理のない話かもしれない。

でも、それを僕一人に伝え続けると言うのは、あまりにも酷ではないだろうか。会った事はないけれど、僕の先祖達はそんなに厳しい人達だったのだろうか。確かに僕は一人っ子だけれど、そんな警告を僕だけにされても、正直何もできない。
しかもよりによってこの忙しい時期に何てことをし続けてくれるんだと、不条理に対する多少の怒りさえ覚えるレベルである。
無論、これはあくまで僕の仮説、謂わば妄想に過ぎないため、その怒りもぐっと堪えた。
そして冷静になった頃には、無実の罪を被せてしまったかもしれない先祖達に対し罪悪感を抱き、慌てて手を合わせた。
これで受験も落ちたらどうしよう。そんな恐怖も少しあったのかもしれない。


「本当にあった戦争かどうかも分からなかったけど、調べるだけのことはした。何も動かないよりかはいいだろう、頼むから今日はあんなの見せないでくれよ……」

そうして僕は、もうあの鮮やかすぎるほどの悪夢を見ないことを期待して、眠りについた。




青い空、本当に綺麗な、雲一つない晴天。葉っぱの擦れる音が、さらさらと流れていく。
夏だろうか、少し暑い。そして砂の匂いと、

―――硝煙の、匂い。ほんの微かだが、鼻腔をくすぐる、血の臭い。

ああ……。希望が、打ち砕かれた。僕はもう、この夢の続きが嫌というほどよく分かっている。

やめてくれ……。僕が一体何をしたというのだ。

「ヘルス、ワールドエンドなんて言うもんじゃない」

あなたはジャン、頼りがいのありそうな、そして強くて優しい眼をしたあなたは、この後……。


「待てジャン、そっちは―――!!」

耳をつんざくような爆発音。酷く濃い、人間の血の臭い。視界の一部に入り込んでくる鮮やかすぎる赤と、その直後に聞こえる咆哮。

(こんな凄惨な世界を、僕にどうしろというんだ……)

眼を覆いたくても覆えない、ここだけは自由の利かない僕の身体。もう何度も見た、人の死を。
だが、その苦痛もここで終わる。もうじき僕は目が覚める。

―――はずだった。

救世主メシアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ―――!!!!居るのか、本当に居るのか……!!?居るのなら早く来てくれ、もう沢山だ……!!俺はあと何人仲間を死なせればいい……。早く、早くに気付いてくれ……!!」

震える声で、悲痛な叫びを漏らしていたのは、ヘルスと呼ばれた男である。おかしい。僕はこの台詞は初めて聴く。普段はこれよりも前で夢は終わるのだ。

何てことだ、繰り返すどころか続きまで見させられているだと……。


ボト、と鈍い音がする。眼をやりたくもないが、見ざるを得ない強制操作。


ヘルスと呼ばれた男が持っていたのは、ジャンのちぎれた右脚だった。


「うぶっ……お、えうああっ……は、はあ、はっ……」

突然の猛烈な吐き気に襲われ、その場で嘔吐してしまった。いくら夢でも、こんな人間の肉片を見たのは初めてだった。さっきの音は、ヘルスがちぎれかけの右脚を付け根から引き抜いたため、身体が地に落ちた瞬間の音だったのだ。

否、胴体。胴体だけである。

転がっている目の前のそれは、胴体だけであった。首も無い。両腕も無い。決して綺麗に残っているわけではない。胸は大きく裂かれ、皮肉にもまるで花が咲いているかのようだった。

ヘルスはただただ、歪んだ表情をしてジャンの右脚を両手で大事そうに持って立ち尽くしていた。涙を流し、憔悴しきった顔で、虚ろというにはあまりに怨恨のこもった眼で空を眺めている。唇からは一筋の血が流れ、おおよそ人間ができる限界の絶望と怒りと苦痛が混じった表情を、しばらくの間少しの変わりもなく晒し続けていた。

この夢の続きは、あまりにも残酷すぎる。あんまりにも、あんまりにも――。


「どうしてこんなことに……」

しばらくの間、歯を食いしばっていただけのヘルスが、絞り出すような声で呟く。
それは僕が一番聞きたいことだった。

ここはそもそもどこなのだ。そしてこれは一体何の戦争なんだ。なぜ僕だけがこんな夢を観させられ続けるのだ。僕に一体どうしてほしいのだ。

精神的ショックも限界を超えると不条理に対する怒りへと変わる。僕が何をしたというのだ。

「僕が何でこんな目に合わなきゃならないんだ!!いい加減にしろ!!夢だからで済む問題だと思っているのか、お前ら一体何なんだ!!」

腹の底から罵声を喰らわせるつもりで叫んだ。


その瞬間、普段は僕の存在に全く気付いていないヘルスが、驚いたような、唖然とした表情で僕の方へ振り向いた。

「お前は……」



「昇!!昇!!」


眼を開けるとそこには、酷く心配した表情で僕の顔を覗きこむ母親の顔があった。

「ああよかった、起きた……。すっごくうなされてたから……何か悪い夢でも見てたの?最近勉強しすぎなんじゃない、まだそこまで焦らなくてもいいんじゃないの?」

「母さん……」

「ふふ、異世界にでも行ってたの?ここはどこなんだ、って散々寝言で喚いてたわよ。」


異世界。存在しない戦争、どこかも分からない場所、なぜか言語は通じる見知らぬ外国人達。


異世界での、戦争?


ぞっとした。僕は毎日異世界での戦争を見させられているとしたら。もしもメシアというのが僕の事だったら。異世界というものが本当にあり、ヘルスという男が異世界には実在し、毎日あんなことが繰り返されているのだとしたら……

つまり、夢の中での出来事が、僕の知らない、いや、殆どの人間が知らない世界での実際の出来事だとしたら。

パラレルワールドが、存在したら。


「ごめん。今日は学校休む。頭が痛いのと、寒気がする……。」

「ちょっと、大丈夫なの?じゃあ今からでも病院行ってきなさいよ、ほら保険証渡すから」

「病院はいい。ちょっと休めばよくなると思うから。」

「もう……。悪化させないようにしなさいよ。じゃあ先生には電話しとくから。」

「うん、ありがとう」


僕はもう一度深く深く頭が隠れるまで布団を被り直した。やっぱり、医者に行くと言えばよかったかな。図書館に行かなきゃ……。絶対に、行かなきゃ。

このままじゃいよいよもってノイローゼになってしまう。


精神科にでも行くべきなのだろうか。図書館で調べようと思う僕はもう既に精神がやられているのだろうか。
色々考えているうちに、また強烈な眠気に襲われて、僕は久々に深い眠りへと落ちていくのを感じながら意識を手放した。

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