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第一話 転生なんか望んでない! 1 能なし転生者
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…いつもの事だ。
「なあ、千藤、ちょっと頼むぜ」
そう言いながら、狩谷が馴れ馴れしく肩を組んできた。電子タバコ臭い息が、僕の顔にかかる。
「ちょっとって……何を?」
「判ってんだろ? ちょっと小遣いに困ってるんだよ。頼むよ、貸してくれよ、少しでいいからさ」
何が貸す、だ。返したことなどないじゃないか。
「今日は……持ってない」
「んなワケねえだろ? ほら、見せろよ」
狩谷は僕の鞄を取り上げると、勝手に中から財布を取り出した。
「ん? なんだこりゃ、2千円しかねえじゃねえか!」
「…だから、それだけなんだ」
バカじゃないのか。今時、現金なんか持ち歩くか。お前用に2千円だけ入れといてやったんだ、ありがたく思えよ。
狩谷は僕の財布から2千円を取ると、鞄を放りすてた。
「チッ、しけてやがんなあ。おい、千藤、明日は1万円持ってこいよ」
「もう、やめてくれよ。…学生じゃないんだぞ」
僕がそう口にした途端、狩谷が眼をひん剥いた。
「あぁ? なんか言ったか、千藤!」
「嫌だと言ったんだ」
そう口にした途端、僕はいきなり頬を殴られた。
「おいおい、狩谷ぁ、そんな暴力ふるって大丈夫なの? そいつ、何者?」
狩谷の連れの男が可笑しそうに声をあげる。何がおかしい? 人が殴られるのが、そんなに可笑しいか?
「こいつは千藤(ちとう)久遠(くおん)って言って、小・中・高と一緒だった奴さ。一年前に今の会社に入ったら、そこにいやがんの。お前、オレのストーカーだろ? 恵んでくれよ」
狩谷平太――僕にいつもつきまとっていた奴が、薄笑いを浮かべる。僕は言った。
「いい加減、大人になれよ狩谷くん。…もう一度殴ったら、傷害罪で君を警察に訴える」
僕がそう言うと、狩谷は一瞬、顔色を変えた。
が、すぐに憤怒丸出しの表情を露わにした。
「ンだとぉ、コラぁ! 警察だぁ? やれるもんなら、やってみろ!」
狩谷が殴ってきた。僕は痛みに耐えきれず、地面に倒れる。その脇腹を狩谷が蹴る。
「ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな! 大体、てめえみたいなカス野郎が、同じ会社にいるのがムカつくんだよ! オレとてめえが同格みてぇだろうが!」
狩谷が僕を蹴る。
丸くなれ。頭を抑えて、肘を脇腹につける。
石のように堅くなれ、僕の身体。どれだけ蹴られても、痛みなど一切感じないくらいに堅くなれ。蹴った相手の足が痛くなるくらいに――堅くなれ。
僕はそう祈りながら、狩谷の蹴りに耐える。
慣れている。学生時代から、こいつはバカみたいに――いや、本当のバカだから僕に何度もカラんできた。その度に、僕は石のように身体を丸くして耐えたんだ。
声を上げるな。石のように黙り込め。そうすれば、飽きてこいつは消える。堅くなって――それを待つんだ。
「おい、狩谷、もういいいだろ。行こうぜ」
「……チッ、ふざけんなよ! てめえなんか、消えちまえ!」
それはこっちのセリフだ。
二人の足音が去っても、僕はしばらく石のように丸くなっていた。
…堅くなるんだ。堅く。石は泣いたりしない。
しばらくして、僕は帰路についた。
電車を降りて、夜道のなか、いつもの橋を渡る。
不意に、目の前に人影が現れた。
狩谷だ。
通り過ぎる車のライトが、交互に狩谷の顔を照らしては消える。
雰囲気が変だ。
狩谷は突然、僕の方に走って来た。
「なにが警察だ!」
そう叫ぶなり、僕の頬を殴った。
「てめえなんぞのために、ムショに行ってたまるか!」
バカだこいつ、真に受けやがったのか。けど、狩谷は逆上して、僕をさらに殴ろうとする。
「や、やめろ! 警察になんか言わない! ただ、もう金は出したくないんだ!」
「うるせえっ! てめえなんざ、消えちまえ!」
狩谷は突然、僕の身体を抱え上げると、橋から落とそうとした。
暗い中で、橋の上から川の流れが見える。
高さは10m以上ある。水流も早い。
「やめろ! 死んじゃうだろ!」
「死ね! てめえなんか死ね!」
狩谷は僕の身体を、橋から落とした。
が、僕は欄干にギリギリで捕まる。それに気付いた狩谷が、僕の手を引きはがそうとした。
「落ちろ! 死ね!」
「やめろっ!」
僕は夢中で手を伸ばして、何かを掴んだ。それは狩谷の髪だった。
「離せ!」
離すものか。離したら落ちる。こんなところで死にたくない。生きて、こいつを殺人未遂で訴えてやる。
そう思った瞬間、狩谷の身体がグラついた。
「え」
落ちた。僕の身体が。
狩谷と一緒に。
*
目が覚めると――床の上だ。
何処だ、ここは?
「なに? 何故、二人一緒なのだ?」
男の声がして、僕はそっちを見た。何か、鎧を着た格好の男がいる。
と、傍に狩谷がいるのに気が付いた。
「狩谷!」
「千藤! てめぇ――此処は何処だ!」
「僕が知るか!」
殺されかけた事で、狩谷に対する遠慮の気持ちが消えた。怒りがわいてくる。
「てめぇ、誰にそんな口きいてるんだ?」
「お前こそ、狂ってるのか! 死にかけたんだぞ!」
僕がそう言うと、別の声が響いてきた。
「――いや、君たちは正確には死んだのだよ」
僕は驚いて、声の主を見た。
黒い、長いコートのような服を着ている。そして灰色の髪をオールバックにして、片方にだけ眼鏡のガラスを嵌めた壮年の男。
「君たちは死んで、このノワルドに転生してきたのだ。そう、転生させたのは我々だ、感謝したまえ。しかし、我々の計画では一人を転生させるはずだった。君らは何か? 心中でもしたのか? それとも同じ場所で事故死したのかね?」
僕と狩谷は眼を合わせた。
不意に、記憶が甦ってきた。そうだ。確かに僕は、狩谷とともに橋の上から川に落ちた。そして速い水流に巻き込まれ、息ができなくなり意識がなくなった。
ウソだろ。これは――異世界転生というやつか?
「ふざけんな! オレが死ぬわけねえだろ! オレは家に帰る!」
狩谷が立ち上がって、出口を探そうとした。が、その瞬間、二本の剣が狩谷の身体の前に十字を作った。
「な……」
「勝手な真似はしないでもらいたい。君らには適正検査を受けてもらう」
片眼鏡はそう言うと、剣を突き出していた兵に目で合図した。
兵は動くと、狩谷の両腕を掴む。
「や、やめろ! 何するんだよ!」
「静かにしたまえ。どうもうるさい男だな、こっちは」
片眼鏡はそう言うと、台の上にある指輪を手に取った。
「これを握りたまえ」
「な、なんだよ、それ」
「いいから。別に危険なものではない」
片眼鏡の言葉に、兵が狩谷の手を無理やり開く。その中に指輪を持たせた瞬間、その指輪の結晶が、いきなり閃光を放ち始めた。
「ほう! これは中々の潜在力だ。おめでとう、君はとりあえず魔力を相当に持ってることが判った。最低でも君は優れた魔導士になれるだろう」
「ま、魔導士?」
狩谷は言ってる意味が判らずに、眼を白黒させている。
「次は君だ」
片眼鏡は僕を見てそう言った。差し出された指輪を、僕は兵に無理強いされる前に手にする。
しかし、何も起きない。
「う~ん、君には魔力の才能がないようだね。じゃあ次だ」
片眼鏡は大きな水晶球を持ちだした。それを狩谷に差し出す。
危険はないと見たのか、狩谷は今度は素直にそれを触れる。何も起きない。
「うん、霊力はなしか。次」
僕の番。僕にも何の変化もない。
「じゃあ、最後に気力の検査だ。まず、充気相伝してもらう」
そう言った途端、一人の兵が狩谷を背後から羽交い絞めにした。
「な、何するんだよ!」
狩谷の問いには答えず、前にいた兵が狩谷の腹を殴る。
「うっ」
狩谷が呻く。その後に、殴った兵士が言った。
「深呼吸してみろ」
狩谷が言われた通り、深呼吸した。と、狩谷の周囲に、熱風のようなものが起きる。
「気力潜在量、相当クラスです」
「ふむ、魔力に加えて気力も相当か。君は勇者になれるな」
片眼鏡はそう言うと、狩谷に微笑んで見せた。
「次はお前だ」
兵士が僕の前に立つ。
殴られる。石になるんだ。僕は思わず、身を固くした。
腹に一発、重いのをもらう。思わず呻き声をあげた。
「深呼吸してみろ」
言われた通りにするが、何も変化が起きない。片眼鏡は僕の方を見て言った。
「どうやら君には、何の才能もない――能無しのようだ。そうだな、もしかしたら二人一緒に転生したことで、こちらの彼に才能を持っていかれたのかもしれない」
「ど…どうしたら……」
「うむ。三力以外の異能が発動する可能性もあるにはあるが……。しかし、基本の三力が皆無ときては、役には立たないだろう。君は不要品だ。処分させてもらう」
片眼鏡が頷くと、二人の兵士が僕の両腕を掴む。
「え」
そのまま持ち上げられ、僕は何処かに運ばれようとしている。
「ま、待ってくれ! 僕はどうなるんだ?」
「まあ、君は元々、死んだ身なのだから――本来の場所に行くだけだよ」
ウソだろ。僕は片眼鏡の言葉を聞いて、震えた。
ウソだろ? 異世界に転生してきたのに、僕はまた此処でも殺されるのか?
そんな理不尽な話あるか?
「狩谷! 狩谷! 助けてくれ!」
僕は恥も外聞もかなぐり捨てて、狩谷に助けを求めた。
しかし、その瞬間、狩谷が僕を見て、喜色満面の笑みを浮かべた。
「情けない姿だな、千藤! やっぱりお前はカス野郎なんだよ! 何の役にも立たないお前は、ここでサヨナラだ。せいせいするぜ、千藤! ――オレの前から消えろ!」
勝ち誇ったような狩谷の声に、僕は絶望した。
その狩谷の隣にいる片眼鏡が、狩谷に問う。
「なんだね、君たちは友人ではなかったのかね?」
「あいつが? バカいっちゃいけねえよ、あんなカス野郎! オレの前にちょろちょろする、目障りなクズ野郎さ!」
思わず…涙が出た。判ってはいたが、狩谷には情も心もなかったんだ。
あんな最低な奴に助けを求めた僕がバカだった。
けど……あいつは助かって、チートの才能でこの異世界で生きていくのか。そして僕は――?
「そいつで最後だ。残りも処分しておきなさい」
片眼鏡がそう兵士に命じると、兵士は返事をして僕を運んだ。何処へ行くんだ? そんな疑問を抱いてるうちに、兵士二人は僕をどんどん運ぶ。やがて別の一室にたどり着いた。
部屋の中に、数人の男女がいる。
男の一人が声をあげた。
「おい、此処は何処だ! おれたちを此処から出せ!」
「お願い! 家に帰りたいの、此処から出して!」
それに続いて、女性が泣きながら声をあげた。
兵士たちは何も答えず、無造作にその女性を左右から捕まえた。
「やめて! 何するの!」
その部屋の奥に、石造りの井戸のようなものがある。
「ま――まさか…」
誰かが声を洩らした。が、兵士はなんの躊躇もなく、女性を井戸に放り込んだ。
「な、何てことするんだ!」
「貴様ら、それでも人間か!」
残った男女が声をあげる。が、兵士はその男に近づくと、両方から一人を拘束した。
「は、離せ! やめろっ」
悲鳴を無視して、兵士は男を井戸に捨てる。
「うわあぁっ!」
男が一人、兵士に殴りかかった。が、兵士はなんなく男を取り押さえ、その男を井戸に放り投げた。
兵士は黙々と業務をこなすように、そこにいた男女6人を井戸に捨てた。最後に、部屋の隅で固まっていた僕に近寄って来た。
「や……やめて…助けてください」
僕は泣きながら懇願した。が、予想通り、兵士は僕を井戸に突き落とした。その動きに、なんのためらいもなかった。
落下する。また落下だ。僕はどこまで落ちていくんだ。
やがて、ザブンという水音ともに、全身がずぶぬれになった。
水に落ちたのは判った。が、今度は少し沈んで、足が地面についた。
僕は思わず、思い切り蹴り上げた。
「ぶはぁっ!」
顔が水面に浮かぶ。それでなんとか息をするが、足がつく深さじゃない。
僕はそれで身体を横にして、泳いだ。岸までたどり着き、なんとか身体を上げる。
ふと気づいたが、薄暗いながらも光源がある。よく見ると、場所は人工的に作られていて、どうやら地下水道とか下水道の類のようだった。
そして、先に落とされた人が、やはり岸に上がっていた。
「あ…皆さん、無事だったんですね――」
そう、声をかけた瞬間だった。
振り向いたその女性の顔が、恐怖に歪んでいた。
ゴリ、バキリ、と妙な音がする。
奥の方に、巨大な黒い塊が見える。大きすぎて、何か判らない。
「た……助けて――」
その女性が、恐怖の涙を流しながら、声を洩らした。
その声に、巨大な塊が動く。
口だ。口に、何か加えている。白い――人間の腕だった。
その影が動いて、ようやく僕にも何か判った。
巨大なワニだ。最低でも――10mくらいはある。
「ひ……」
僕の喉から悲鳴が洩れた。
いや、悲鳴を上げたら、それに感づいて、あのワニがこっちに来るんじゃないか?
僕は女性の手を取ると、ワニとは逆の方へ逃げ出した。
だが、凄まじい水音がする。ワニが水道に潜ったのだ。と、いきなり、僕らの目の前にワニが姿を現した。
「ヒッ、ヒッ、ヒィィィ――」
女性が声にならない嗚咽を洩らす。
ワニはのっそりと、余裕を持って近づいてくる。まるで、僕らに逃げ場がないのを知ってるようだ。
僕らは壁に追い詰められた。
突然、僕の身体が突き飛ばされた。振り向くと、女性が泣きながら僕を睨んでいる。
こんな見知らぬ人まで、一緒に逃げようとした僕をゴミのように扱うのか。
そんな事を考えた。もう、僕の人生は、どこまで最悪だったんだろう。
そう、思った瞬間、僕を突き飛ばして逃げようとした女性の身体に、一気にワニが喰らいついた。
悲鳴をあげる暇すらない。肉を噛み砕く音が、薄暗い下水道に響いた。
ワニはゆっくりと、僕の方へ向き直った。
もうダメだ、次は僕の番だ。今までの人のように、肉を噛み砕かれて死ぬのだろう。
痛いだろうか? せめて、痛くなく死にたい。
僕はそう思うと、いつものように身体を丸くした。
石になれ。石になるんだ。堅くなって、少しでも痛みがないように、ギュッと身体を縮めろ。
ワニの気配が近づいてくる。と、ワニが僕に噛みついた。
それは判った。だが、その牙が――喰い込んでこない。
石に…石になるんだ。
僕はひたすら念じた。石のように堅く――石のように堅く……
どのくらいの時間が経ったのか。
ワニが諦めた。ワニは僕を捨てて、水中へと消えていった。
「ど……どういう事なんだ?」
意味が判らない。が、どうやら僕は、自分の身体を堅くして、助かったようだ。
ふと、片眼鏡の言葉が甦って来た。
“三力以外の異能が発動する可能性もあるにはあるが”
異能、と言ったか。それがこれか? 身体を堅くする能力?
ワニに喰われないとして――この地下水道で、僕はどうしたらいい?
* * * * *
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「なあ、千藤、ちょっと頼むぜ」
そう言いながら、狩谷が馴れ馴れしく肩を組んできた。電子タバコ臭い息が、僕の顔にかかる。
「ちょっとって……何を?」
「判ってんだろ? ちょっと小遣いに困ってるんだよ。頼むよ、貸してくれよ、少しでいいからさ」
何が貸す、だ。返したことなどないじゃないか。
「今日は……持ってない」
「んなワケねえだろ? ほら、見せろよ」
狩谷は僕の鞄を取り上げると、勝手に中から財布を取り出した。
「ん? なんだこりゃ、2千円しかねえじゃねえか!」
「…だから、それだけなんだ」
バカじゃないのか。今時、現金なんか持ち歩くか。お前用に2千円だけ入れといてやったんだ、ありがたく思えよ。
狩谷は僕の財布から2千円を取ると、鞄を放りすてた。
「チッ、しけてやがんなあ。おい、千藤、明日は1万円持ってこいよ」
「もう、やめてくれよ。…学生じゃないんだぞ」
僕がそう口にした途端、狩谷が眼をひん剥いた。
「あぁ? なんか言ったか、千藤!」
「嫌だと言ったんだ」
そう口にした途端、僕はいきなり頬を殴られた。
「おいおい、狩谷ぁ、そんな暴力ふるって大丈夫なの? そいつ、何者?」
狩谷の連れの男が可笑しそうに声をあげる。何がおかしい? 人が殴られるのが、そんなに可笑しいか?
「こいつは千藤(ちとう)久遠(くおん)って言って、小・中・高と一緒だった奴さ。一年前に今の会社に入ったら、そこにいやがんの。お前、オレのストーカーだろ? 恵んでくれよ」
狩谷平太――僕にいつもつきまとっていた奴が、薄笑いを浮かべる。僕は言った。
「いい加減、大人になれよ狩谷くん。…もう一度殴ったら、傷害罪で君を警察に訴える」
僕がそう言うと、狩谷は一瞬、顔色を変えた。
が、すぐに憤怒丸出しの表情を露わにした。
「ンだとぉ、コラぁ! 警察だぁ? やれるもんなら、やってみろ!」
狩谷が殴ってきた。僕は痛みに耐えきれず、地面に倒れる。その脇腹を狩谷が蹴る。
「ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな! 大体、てめえみたいなカス野郎が、同じ会社にいるのがムカつくんだよ! オレとてめえが同格みてぇだろうが!」
狩谷が僕を蹴る。
丸くなれ。頭を抑えて、肘を脇腹につける。
石のように堅くなれ、僕の身体。どれだけ蹴られても、痛みなど一切感じないくらいに堅くなれ。蹴った相手の足が痛くなるくらいに――堅くなれ。
僕はそう祈りながら、狩谷の蹴りに耐える。
慣れている。学生時代から、こいつはバカみたいに――いや、本当のバカだから僕に何度もカラんできた。その度に、僕は石のように身体を丸くして耐えたんだ。
声を上げるな。石のように黙り込め。そうすれば、飽きてこいつは消える。堅くなって――それを待つんだ。
「おい、狩谷、もういいいだろ。行こうぜ」
「……チッ、ふざけんなよ! てめえなんか、消えちまえ!」
それはこっちのセリフだ。
二人の足音が去っても、僕はしばらく石のように丸くなっていた。
…堅くなるんだ。堅く。石は泣いたりしない。
しばらくして、僕は帰路についた。
電車を降りて、夜道のなか、いつもの橋を渡る。
不意に、目の前に人影が現れた。
狩谷だ。
通り過ぎる車のライトが、交互に狩谷の顔を照らしては消える。
雰囲気が変だ。
狩谷は突然、僕の方に走って来た。
「なにが警察だ!」
そう叫ぶなり、僕の頬を殴った。
「てめえなんぞのために、ムショに行ってたまるか!」
バカだこいつ、真に受けやがったのか。けど、狩谷は逆上して、僕をさらに殴ろうとする。
「や、やめろ! 警察になんか言わない! ただ、もう金は出したくないんだ!」
「うるせえっ! てめえなんざ、消えちまえ!」
狩谷は突然、僕の身体を抱え上げると、橋から落とそうとした。
暗い中で、橋の上から川の流れが見える。
高さは10m以上ある。水流も早い。
「やめろ! 死んじゃうだろ!」
「死ね! てめえなんか死ね!」
狩谷は僕の身体を、橋から落とした。
が、僕は欄干にギリギリで捕まる。それに気付いた狩谷が、僕の手を引きはがそうとした。
「落ちろ! 死ね!」
「やめろっ!」
僕は夢中で手を伸ばして、何かを掴んだ。それは狩谷の髪だった。
「離せ!」
離すものか。離したら落ちる。こんなところで死にたくない。生きて、こいつを殺人未遂で訴えてやる。
そう思った瞬間、狩谷の身体がグラついた。
「え」
落ちた。僕の身体が。
狩谷と一緒に。
*
目が覚めると――床の上だ。
何処だ、ここは?
「なに? 何故、二人一緒なのだ?」
男の声がして、僕はそっちを見た。何か、鎧を着た格好の男がいる。
と、傍に狩谷がいるのに気が付いた。
「狩谷!」
「千藤! てめぇ――此処は何処だ!」
「僕が知るか!」
殺されかけた事で、狩谷に対する遠慮の気持ちが消えた。怒りがわいてくる。
「てめぇ、誰にそんな口きいてるんだ?」
「お前こそ、狂ってるのか! 死にかけたんだぞ!」
僕がそう言うと、別の声が響いてきた。
「――いや、君たちは正確には死んだのだよ」
僕は驚いて、声の主を見た。
黒い、長いコートのような服を着ている。そして灰色の髪をオールバックにして、片方にだけ眼鏡のガラスを嵌めた壮年の男。
「君たちは死んで、このノワルドに転生してきたのだ。そう、転生させたのは我々だ、感謝したまえ。しかし、我々の計画では一人を転生させるはずだった。君らは何か? 心中でもしたのか? それとも同じ場所で事故死したのかね?」
僕と狩谷は眼を合わせた。
不意に、記憶が甦ってきた。そうだ。確かに僕は、狩谷とともに橋の上から川に落ちた。そして速い水流に巻き込まれ、息ができなくなり意識がなくなった。
ウソだろ。これは――異世界転生というやつか?
「ふざけんな! オレが死ぬわけねえだろ! オレは家に帰る!」
狩谷が立ち上がって、出口を探そうとした。が、その瞬間、二本の剣が狩谷の身体の前に十字を作った。
「な……」
「勝手な真似はしないでもらいたい。君らには適正検査を受けてもらう」
片眼鏡はそう言うと、剣を突き出していた兵に目で合図した。
兵は動くと、狩谷の両腕を掴む。
「や、やめろ! 何するんだよ!」
「静かにしたまえ。どうもうるさい男だな、こっちは」
片眼鏡はそう言うと、台の上にある指輪を手に取った。
「これを握りたまえ」
「な、なんだよ、それ」
「いいから。別に危険なものではない」
片眼鏡の言葉に、兵が狩谷の手を無理やり開く。その中に指輪を持たせた瞬間、その指輪の結晶が、いきなり閃光を放ち始めた。
「ほう! これは中々の潜在力だ。おめでとう、君はとりあえず魔力を相当に持ってることが判った。最低でも君は優れた魔導士になれるだろう」
「ま、魔導士?」
狩谷は言ってる意味が判らずに、眼を白黒させている。
「次は君だ」
片眼鏡は僕を見てそう言った。差し出された指輪を、僕は兵に無理強いされる前に手にする。
しかし、何も起きない。
「う~ん、君には魔力の才能がないようだね。じゃあ次だ」
片眼鏡は大きな水晶球を持ちだした。それを狩谷に差し出す。
危険はないと見たのか、狩谷は今度は素直にそれを触れる。何も起きない。
「うん、霊力はなしか。次」
僕の番。僕にも何の変化もない。
「じゃあ、最後に気力の検査だ。まず、充気相伝してもらう」
そう言った途端、一人の兵が狩谷を背後から羽交い絞めにした。
「な、何するんだよ!」
狩谷の問いには答えず、前にいた兵が狩谷の腹を殴る。
「うっ」
狩谷が呻く。その後に、殴った兵士が言った。
「深呼吸してみろ」
狩谷が言われた通り、深呼吸した。と、狩谷の周囲に、熱風のようなものが起きる。
「気力潜在量、相当クラスです」
「ふむ、魔力に加えて気力も相当か。君は勇者になれるな」
片眼鏡はそう言うと、狩谷に微笑んで見せた。
「次はお前だ」
兵士が僕の前に立つ。
殴られる。石になるんだ。僕は思わず、身を固くした。
腹に一発、重いのをもらう。思わず呻き声をあげた。
「深呼吸してみろ」
言われた通りにするが、何も変化が起きない。片眼鏡は僕の方を見て言った。
「どうやら君には、何の才能もない――能無しのようだ。そうだな、もしかしたら二人一緒に転生したことで、こちらの彼に才能を持っていかれたのかもしれない」
「ど…どうしたら……」
「うむ。三力以外の異能が発動する可能性もあるにはあるが……。しかし、基本の三力が皆無ときては、役には立たないだろう。君は不要品だ。処分させてもらう」
片眼鏡が頷くと、二人の兵士が僕の両腕を掴む。
「え」
そのまま持ち上げられ、僕は何処かに運ばれようとしている。
「ま、待ってくれ! 僕はどうなるんだ?」
「まあ、君は元々、死んだ身なのだから――本来の場所に行くだけだよ」
ウソだろ。僕は片眼鏡の言葉を聞いて、震えた。
ウソだろ? 異世界に転生してきたのに、僕はまた此処でも殺されるのか?
そんな理不尽な話あるか?
「狩谷! 狩谷! 助けてくれ!」
僕は恥も外聞もかなぐり捨てて、狩谷に助けを求めた。
しかし、その瞬間、狩谷が僕を見て、喜色満面の笑みを浮かべた。
「情けない姿だな、千藤! やっぱりお前はカス野郎なんだよ! 何の役にも立たないお前は、ここでサヨナラだ。せいせいするぜ、千藤! ――オレの前から消えろ!」
勝ち誇ったような狩谷の声に、僕は絶望した。
その狩谷の隣にいる片眼鏡が、狩谷に問う。
「なんだね、君たちは友人ではなかったのかね?」
「あいつが? バカいっちゃいけねえよ、あんなカス野郎! オレの前にちょろちょろする、目障りなクズ野郎さ!」
思わず…涙が出た。判ってはいたが、狩谷には情も心もなかったんだ。
あんな最低な奴に助けを求めた僕がバカだった。
けど……あいつは助かって、チートの才能でこの異世界で生きていくのか。そして僕は――?
「そいつで最後だ。残りも処分しておきなさい」
片眼鏡がそう兵士に命じると、兵士は返事をして僕を運んだ。何処へ行くんだ? そんな疑問を抱いてるうちに、兵士二人は僕をどんどん運ぶ。やがて別の一室にたどり着いた。
部屋の中に、数人の男女がいる。
男の一人が声をあげた。
「おい、此処は何処だ! おれたちを此処から出せ!」
「お願い! 家に帰りたいの、此処から出して!」
それに続いて、女性が泣きながら声をあげた。
兵士たちは何も答えず、無造作にその女性を左右から捕まえた。
「やめて! 何するの!」
その部屋の奥に、石造りの井戸のようなものがある。
「ま――まさか…」
誰かが声を洩らした。が、兵士はなんの躊躇もなく、女性を井戸に放り込んだ。
「な、何てことするんだ!」
「貴様ら、それでも人間か!」
残った男女が声をあげる。が、兵士はその男に近づくと、両方から一人を拘束した。
「は、離せ! やめろっ」
悲鳴を無視して、兵士は男を井戸に捨てる。
「うわあぁっ!」
男が一人、兵士に殴りかかった。が、兵士はなんなく男を取り押さえ、その男を井戸に放り投げた。
兵士は黙々と業務をこなすように、そこにいた男女6人を井戸に捨てた。最後に、部屋の隅で固まっていた僕に近寄って来た。
「や……やめて…助けてください」
僕は泣きながら懇願した。が、予想通り、兵士は僕を井戸に突き落とした。その動きに、なんのためらいもなかった。
落下する。また落下だ。僕はどこまで落ちていくんだ。
やがて、ザブンという水音ともに、全身がずぶぬれになった。
水に落ちたのは判った。が、今度は少し沈んで、足が地面についた。
僕は思わず、思い切り蹴り上げた。
「ぶはぁっ!」
顔が水面に浮かぶ。それでなんとか息をするが、足がつく深さじゃない。
僕はそれで身体を横にして、泳いだ。岸までたどり着き、なんとか身体を上げる。
ふと気づいたが、薄暗いながらも光源がある。よく見ると、場所は人工的に作られていて、どうやら地下水道とか下水道の類のようだった。
そして、先に落とされた人が、やはり岸に上がっていた。
「あ…皆さん、無事だったんですね――」
そう、声をかけた瞬間だった。
振り向いたその女性の顔が、恐怖に歪んでいた。
ゴリ、バキリ、と妙な音がする。
奥の方に、巨大な黒い塊が見える。大きすぎて、何か判らない。
「た……助けて――」
その女性が、恐怖の涙を流しながら、声を洩らした。
その声に、巨大な塊が動く。
口だ。口に、何か加えている。白い――人間の腕だった。
その影が動いて、ようやく僕にも何か判った。
巨大なワニだ。最低でも――10mくらいはある。
「ひ……」
僕の喉から悲鳴が洩れた。
いや、悲鳴を上げたら、それに感づいて、あのワニがこっちに来るんじゃないか?
僕は女性の手を取ると、ワニとは逆の方へ逃げ出した。
だが、凄まじい水音がする。ワニが水道に潜ったのだ。と、いきなり、僕らの目の前にワニが姿を現した。
「ヒッ、ヒッ、ヒィィィ――」
女性が声にならない嗚咽を洩らす。
ワニはのっそりと、余裕を持って近づいてくる。まるで、僕らに逃げ場がないのを知ってるようだ。
僕らは壁に追い詰められた。
突然、僕の身体が突き飛ばされた。振り向くと、女性が泣きながら僕を睨んでいる。
こんな見知らぬ人まで、一緒に逃げようとした僕をゴミのように扱うのか。
そんな事を考えた。もう、僕の人生は、どこまで最悪だったんだろう。
そう、思った瞬間、僕を突き飛ばして逃げようとした女性の身体に、一気にワニが喰らいついた。
悲鳴をあげる暇すらない。肉を噛み砕く音が、薄暗い下水道に響いた。
ワニはゆっくりと、僕の方へ向き直った。
もうダメだ、次は僕の番だ。今までの人のように、肉を噛み砕かれて死ぬのだろう。
痛いだろうか? せめて、痛くなく死にたい。
僕はそう思うと、いつものように身体を丸くした。
石になれ。石になるんだ。堅くなって、少しでも痛みがないように、ギュッと身体を縮めろ。
ワニの気配が近づいてくる。と、ワニが僕に噛みついた。
それは判った。だが、その牙が――喰い込んでこない。
石に…石になるんだ。
僕はひたすら念じた。石のように堅く――石のように堅く……
どのくらいの時間が経ったのか。
ワニが諦めた。ワニは僕を捨てて、水中へと消えていった。
「ど……どういう事なんだ?」
意味が判らない。が、どうやら僕は、自分の身体を堅くして、助かったようだ。
ふと、片眼鏡の言葉が甦って来た。
“三力以外の異能が発動する可能性もあるにはあるが”
異能、と言ったか。それがこれか? 身体を堅くする能力?
ワニに喰われないとして――この地下水道で、僕はどうしたらいい?
* * * * *
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