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第八章 危機 米国軍事費
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過去の事を想い出して、佑一は懐かしいような、胸の痛みを感じていた。
(子供だったんだ、オレも青葉も……ほんの少しの時間が待てなかった。あの時は、自分の事だけに夢中だった)
佑一は、一つ息をついた。
(オレは、自分で何一つ決める事が出来ない弱さを変えようとしていた。けどそれが結果的に、青葉を傷つけたんだ……)
佑一は、苦い痛みを噛みしめた。
やがて電車を降りて向かったのは、渡されたメモの場所、矢崎徳重の住居だった。
それは四階建てのコンクリート造のマンションで、矢崎は302号室に住んでいた。呼び鈴を鳴らすと、チェーンをかけたドアの隙間から、黒縁眼鏡の男の顔が覗いた。
「どちらさんです?」
「桜木課長に言われて来た――ハムです」
ハムとは公安の隠語である。矢崎の顔が、少し変わった。
「入って下さい」
一端、ドアを閉めると、矢崎は佑一を招き入れた。
中は少し薄暗い部屋である。矢崎は独り暮らしのようだった。
促されるまま、コタツの対角線上に腰を下ろした。
「――で、君が新しいマル自ってわけかい?」
「そういうわけでは、ないと思います」
佑一は矢崎にそう答えた。矢崎は40代くらいに見えるが、年齢不詳の風貌であった。髪が海苔のように頭部に張り付いていて、前髪は短く額が広い。顔は縦長で目が小さく、そこに黒縁の眼鏡をかけている。そのぶ厚そうな眼鏡の奥の眼は、眠たそうに瞼が半分降りているように見えた。およそ鋭さや生気、というものを感じさせない、ある種の不気味さをもった風貌であった。
(これが公安を長く務めた人の姿か)
佑一は、秘匿任務を続ける者の、真の姿を見た気がした。
「名前は?」
「国枝佑一です」
感情の無い眼で、じろりと佑一を一瞥する。少し不満げな様子で、矢崎は言った。
「急に任務を外されて、僕はどうやらお役御免らしい。どうするつもりかな、僕を? 交番にでも戻すか」
矢崎は意味ありげな含み笑いを浮かべた。佑一は言い添える。
「今追ってる事案が、上の方針で中止になっただけです。矢崎さんは、別の任務に就くかもしれない」
「今のって…宗方のかい?」
佑一は頷いた。矢崎は目を細める。
「そりゃあ、ちょっと――キナくさい話だね」
矢崎はコタツの上にあったPCを引き寄せると、電源を入れた。
「僕は元、外事一課なんだ。ロシア海軍と海自は96年以降、交流が続いている。親善レセプションやパーティーといったものが開かれ、招待客が出入りする。そいつらをマークするのが僕の役目だった。その中に通訳をやっていた海自の自衛官がいた。それが向うの大佐と『親しく』なりすぎたんだ。そいつが機密漏えいしてる事を突きとめ、自衛隊法違反で懲役十ヶ月の実刑判決が下った。それ以降、僕はマル自として活動することになったんだ」
矢崎はPCをいじりながら、そんな話しをした。話の最中に、幾つもパスワードを打ち込んでいる。何重ものセキュリティをかけている事だけは窺い知れた。
「しかしね――今のヤマはそんな安い話じゃ済まないかもしれない」
矢崎は画面に現れた写真を佑一に見せた。そこには、宗方弦と白人の中年男性が、夜の街を背景にして写っている。
「これは、誰ですか?」
「日本に来たのは一度きりだけどね。こいつは米国軍事企業、ブラック・ストリーム社の副社長ジョセフ・ジャクソンだ。ブラック・ストリーム社は軍産複合体と呼ばれるアメリカの軍事企業群の一角を占める企業だ。が、ロッキード・マーティンやレイセオン、ノースロップ・グラマンといった巨大企業に比べれば、まだまだ駆け出しの新興企業だ。――アメリカが、年にどれくらい軍事費用をかけてるか知ってるかい?」
「いいえ」
佑一は首を振った。矢崎は話しを続ける。
「2021年で日本円にして言うと、約102兆円だ。無論、これは今のところ世界一だが……桁が大きすぎて実感が沸かないだろう? これに対して日本は、約7兆円。それでも世界で9位の額だ。日本の防衛費はGDP費で約1%。これを2%にまで上げろ、とアメリカは要求し、与党の自政党でも防衛費の増額をあげる声があった。そして現首相の江波は、かねてより憲法改正とともに軍事力拡大を熱心に唱えていた男なんだ」
「防衛費の増大とともに、米国製の兵器を買う、と」
「そこで売り込みに来たのが、ブラック・ストリームなんだろう。使うのは現場の人間だ、その選定には現場の意見も反映される。首都防衛の一端を担う宗方にも、その影響力があるんだろう。あるいは厚木研究所の研究も、これに関係してるのかもしれない」
矢崎はそこで、画面に順位表を出して見せる。それは2021年の世界の軍事費ランキングであった。
「アメリカの102兆円の軍事費に比べれば、日本の防衛費なんて鼻くそみたいなものなのにな。ちなみに2位の中国で約37兆円、3位のインドで約9兆円だ。アメリカの軍事費が桁違いなのが判るだろ? けど、日本の防衛費が倍の2%になったら、役14兆円で世界で3位の軍事費国家になる。江波首相は、それこそが『世界の中の日本』をアピールするとか、よく言ってるけどね」
矢崎はうろんな眼で佑一を振り返った。
「――まだ君がガキの頃に、湾岸戦争って戦争があった。1990年、イラクがクウェートに侵攻したのを機に始まった戦争だ。これに多国籍軍と言う形で、アメリカも兵を出した。アメリカがこれにかけた戦費は611億ドルと言われてるが、そのうちの130億ドルは日本は出したと言われてる」
「そんなに?」
矢崎は、少し笑ってみせた。
「それでも日本は、軍は出さず金だけ出す、と当時批判されたのさ。この戦争の後、クゥエートは自国の解放に協力してくれた国々に、アメリカの主要新聞を使って感謝の意を伝えた。ここで感謝された国として、30ヵ国の国名が挙げられてる。しかし、ここには金を出した日本の名前はなかった」
「……そうなんですか」
「そう。これ以降、日本は自衛隊を後方支援だけど派遣するPKOに舵を切る。しかし、一方でこの戦争でのアメリカ兵死者は294名にも上る。無論、イラク側はもっと甚大な数で、2万とか2万6千人とか言われてる。ただし、被害というのは、それだけじゃないんだ。戦後、アメリカには30万人ものPTSD患者が産まれた」
「精神外傷後ストレス障害。過度な恐怖に晒された者に、心の傷が残ることで生まれる病ですね?」
「前線では敵がいつ攻めてくるか、何処から狙ってくるか判らない。その恐怖のなかで24時間、何日も過ごすために強いストレスを強いられるんだ。帰還した兵は、既に平和な街に帰ってきてるのに、その恐怖から抜け出せない。物音に驚いたり、ひどく攻撃的になったりする。そういうPTSDになった患者には、当時、一般家庭の母親たちも含まれていたんだ」
「一般家庭の母親? 志願兵ではなくて、ですか?」
「そう。アメリカには州兵という制度があって、これに登録しておくと、いくらか給付金が貰える。州兵は主に災害復旧の際などに活動する、というので、普段は特に任務はない。だから多くの一般家庭の母親が、これに登録していた」
「まさか……その州兵を前線に送った?」
「そうだ。その徴兵を拒否すると罰金が課せられる。だから泣く泣く母親たちは前線に行って、心を病んで帰ってきた。普通の母親が戦争に行き、人が変わったようになって帰ってくる。安心して子供を愛することができず、家の中でも緊張が絶えない。普通の家庭の幸せが、戦地でもない家で破壊されたのさ」
佑一は目を細めた。
「そういう母親たちも含め、多く兵士の心のケアに対する補償費というのが生まれた。またそれ以外に、20万人以上の退役軍人に対して、毎年43億ドルもの補償金、恩給、障害手当てというのをアメリカは支払うようになったんだ。勝った国ですら、戦争の経済的損失というのは莫大だ。それでも何故、アメリカは戦争が止められないのか? それは軍産複合体が、アメリカ政治に強い影響力を持ってるからだ」
矢崎は画面に、次々と中年男性たちを映し出した。
「このブラック・ストリームの創業者、エリック・キングは元ネイビーシールズ――特殊部隊の出身だ。副社長のジョセフは元CIAの副本部長。経営陣の中には他にも、元ペンタゴンだとか、元司法長官なんてのがいる。日本で言えば、官僚の天下り先みたいなものか。新興企業のブラック・ストリームでこれだ。もっと巨大な軍事企業は言うに及ばずだ。ちなみに2022年には、アメリカの防衛予算は歳出総額約1兆7千億ドルのうち、前年比約4%増の8580億ドルにまで上げた。GDP比では3.5%くらいだったが、予算比という事では、歳出の50%以上が軍事費という事になる。114兆円もの巨大な予算を食いものにするために、軍事企業は政治的影響力を使って、世界各地で戦争を起こすのさ」
矢崎は眼鏡の眼を佑一に向けた。
「言っておくけど、他人事じゃあない。アメリカは韓国やイスラエルのように徴兵制をしいてない。じゃあ、どうやって必要な兵士を確保するのか? アメリカでは数年の兵役に就くことを条件に、大学の学費補助をしてる。優秀だが学費を払えない階層の子供たちが、学費補助のために兵役に就く。つまり社会格差を利用して、兵士を確保してるのさ。問題はその若者たちが、送られた先でPTSDになって帰還し、心を病んだ学生は進学どころかまともな就職すらできないような状態になって帰って来る、という事だ。こういう行き場所が無くなった若者が、犯罪に手を染めるケースも多い。――で、日本もアメリカ式に見習おうと、自衛隊入隊を条件に学費助成をしたらどうかという案が、一時期だが浮上した。…一歩手前なんだよ。日本もね」
矢崎はそう言った後に、不意に佑一に向き直って歯を見せた。
「さて、ここで君に質問だ。江波首相は『戦争できる普通の国』が、強くて美しい国だと言ってる。『強い』はともかく、『美しい』だろうか。君はどう思う? この国の防衛予算を増やして、軍産複合体とずぶずぶの関係になるのが、国益になると思うか?」
矢崎の突然の問いに、佑一は戸惑った。佑一は答えを出せずに、ただ黙っていた。すると不意に、矢崎が笑った。
「正解。黙ってる、それが正解だ。あるいはな、『自分はただ、上の命令に従うのみです』とか答えるのが正解だよ」
矢崎はそう言いながら、PCを閉じる。そして佑一に言った。
「今日な、実はSと接触する」
「S――自衛隊内にスパイがいるんですか?」
「そうだ。僕はもうしばらくしたら、マル自から外されるだろう。Sはコードネームで『アリ』と呼ばれている。『アリ』の運営は、君に任す。引継ぎをしよう」
矢崎はそう言って笑ったが、佑一は矢崎の真意が判らず笑うことはできなかった。
(子供だったんだ、オレも青葉も……ほんの少しの時間が待てなかった。あの時は、自分の事だけに夢中だった)
佑一は、一つ息をついた。
(オレは、自分で何一つ決める事が出来ない弱さを変えようとしていた。けどそれが結果的に、青葉を傷つけたんだ……)
佑一は、苦い痛みを噛みしめた。
やがて電車を降りて向かったのは、渡されたメモの場所、矢崎徳重の住居だった。
それは四階建てのコンクリート造のマンションで、矢崎は302号室に住んでいた。呼び鈴を鳴らすと、チェーンをかけたドアの隙間から、黒縁眼鏡の男の顔が覗いた。
「どちらさんです?」
「桜木課長に言われて来た――ハムです」
ハムとは公安の隠語である。矢崎の顔が、少し変わった。
「入って下さい」
一端、ドアを閉めると、矢崎は佑一を招き入れた。
中は少し薄暗い部屋である。矢崎は独り暮らしのようだった。
促されるまま、コタツの対角線上に腰を下ろした。
「――で、君が新しいマル自ってわけかい?」
「そういうわけでは、ないと思います」
佑一は矢崎にそう答えた。矢崎は40代くらいに見えるが、年齢不詳の風貌であった。髪が海苔のように頭部に張り付いていて、前髪は短く額が広い。顔は縦長で目が小さく、そこに黒縁の眼鏡をかけている。そのぶ厚そうな眼鏡の奥の眼は、眠たそうに瞼が半分降りているように見えた。およそ鋭さや生気、というものを感じさせない、ある種の不気味さをもった風貌であった。
(これが公安を長く務めた人の姿か)
佑一は、秘匿任務を続ける者の、真の姿を見た気がした。
「名前は?」
「国枝佑一です」
感情の無い眼で、じろりと佑一を一瞥する。少し不満げな様子で、矢崎は言った。
「急に任務を外されて、僕はどうやらお役御免らしい。どうするつもりかな、僕を? 交番にでも戻すか」
矢崎は意味ありげな含み笑いを浮かべた。佑一は言い添える。
「今追ってる事案が、上の方針で中止になっただけです。矢崎さんは、別の任務に就くかもしれない」
「今のって…宗方のかい?」
佑一は頷いた。矢崎は目を細める。
「そりゃあ、ちょっと――キナくさい話だね」
矢崎はコタツの上にあったPCを引き寄せると、電源を入れた。
「僕は元、外事一課なんだ。ロシア海軍と海自は96年以降、交流が続いている。親善レセプションやパーティーといったものが開かれ、招待客が出入りする。そいつらをマークするのが僕の役目だった。その中に通訳をやっていた海自の自衛官がいた。それが向うの大佐と『親しく』なりすぎたんだ。そいつが機密漏えいしてる事を突きとめ、自衛隊法違反で懲役十ヶ月の実刑判決が下った。それ以降、僕はマル自として活動することになったんだ」
矢崎はPCをいじりながら、そんな話しをした。話の最中に、幾つもパスワードを打ち込んでいる。何重ものセキュリティをかけている事だけは窺い知れた。
「しかしね――今のヤマはそんな安い話じゃ済まないかもしれない」
矢崎は画面に現れた写真を佑一に見せた。そこには、宗方弦と白人の中年男性が、夜の街を背景にして写っている。
「これは、誰ですか?」
「日本に来たのは一度きりだけどね。こいつは米国軍事企業、ブラック・ストリーム社の副社長ジョセフ・ジャクソンだ。ブラック・ストリーム社は軍産複合体と呼ばれるアメリカの軍事企業群の一角を占める企業だ。が、ロッキード・マーティンやレイセオン、ノースロップ・グラマンといった巨大企業に比べれば、まだまだ駆け出しの新興企業だ。――アメリカが、年にどれくらい軍事費用をかけてるか知ってるかい?」
「いいえ」
佑一は首を振った。矢崎は話しを続ける。
「2021年で日本円にして言うと、約102兆円だ。無論、これは今のところ世界一だが……桁が大きすぎて実感が沸かないだろう? これに対して日本は、約7兆円。それでも世界で9位の額だ。日本の防衛費はGDP費で約1%。これを2%にまで上げろ、とアメリカは要求し、与党の自政党でも防衛費の増額をあげる声があった。そして現首相の江波は、かねてより憲法改正とともに軍事力拡大を熱心に唱えていた男なんだ」
「防衛費の増大とともに、米国製の兵器を買う、と」
「そこで売り込みに来たのが、ブラック・ストリームなんだろう。使うのは現場の人間だ、その選定には現場の意見も反映される。首都防衛の一端を担う宗方にも、その影響力があるんだろう。あるいは厚木研究所の研究も、これに関係してるのかもしれない」
矢崎はそこで、画面に順位表を出して見せる。それは2021年の世界の軍事費ランキングであった。
「アメリカの102兆円の軍事費に比べれば、日本の防衛費なんて鼻くそみたいなものなのにな。ちなみに2位の中国で約37兆円、3位のインドで約9兆円だ。アメリカの軍事費が桁違いなのが判るだろ? けど、日本の防衛費が倍の2%になったら、役14兆円で世界で3位の軍事費国家になる。江波首相は、それこそが『世界の中の日本』をアピールするとか、よく言ってるけどね」
矢崎はうろんな眼で佑一を振り返った。
「――まだ君がガキの頃に、湾岸戦争って戦争があった。1990年、イラクがクウェートに侵攻したのを機に始まった戦争だ。これに多国籍軍と言う形で、アメリカも兵を出した。アメリカがこれにかけた戦費は611億ドルと言われてるが、そのうちの130億ドルは日本は出したと言われてる」
「そんなに?」
矢崎は、少し笑ってみせた。
「それでも日本は、軍は出さず金だけ出す、と当時批判されたのさ。この戦争の後、クゥエートは自国の解放に協力してくれた国々に、アメリカの主要新聞を使って感謝の意を伝えた。ここで感謝された国として、30ヵ国の国名が挙げられてる。しかし、ここには金を出した日本の名前はなかった」
「……そうなんですか」
「そう。これ以降、日本は自衛隊を後方支援だけど派遣するPKOに舵を切る。しかし、一方でこの戦争でのアメリカ兵死者は294名にも上る。無論、イラク側はもっと甚大な数で、2万とか2万6千人とか言われてる。ただし、被害というのは、それだけじゃないんだ。戦後、アメリカには30万人ものPTSD患者が産まれた」
「精神外傷後ストレス障害。過度な恐怖に晒された者に、心の傷が残ることで生まれる病ですね?」
「前線では敵がいつ攻めてくるか、何処から狙ってくるか判らない。その恐怖のなかで24時間、何日も過ごすために強いストレスを強いられるんだ。帰還した兵は、既に平和な街に帰ってきてるのに、その恐怖から抜け出せない。物音に驚いたり、ひどく攻撃的になったりする。そういうPTSDになった患者には、当時、一般家庭の母親たちも含まれていたんだ」
「一般家庭の母親? 志願兵ではなくて、ですか?」
「そう。アメリカには州兵という制度があって、これに登録しておくと、いくらか給付金が貰える。州兵は主に災害復旧の際などに活動する、というので、普段は特に任務はない。だから多くの一般家庭の母親が、これに登録していた」
「まさか……その州兵を前線に送った?」
「そうだ。その徴兵を拒否すると罰金が課せられる。だから泣く泣く母親たちは前線に行って、心を病んで帰ってきた。普通の母親が戦争に行き、人が変わったようになって帰ってくる。安心して子供を愛することができず、家の中でも緊張が絶えない。普通の家庭の幸せが、戦地でもない家で破壊されたのさ」
佑一は目を細めた。
「そういう母親たちも含め、多く兵士の心のケアに対する補償費というのが生まれた。またそれ以外に、20万人以上の退役軍人に対して、毎年43億ドルもの補償金、恩給、障害手当てというのをアメリカは支払うようになったんだ。勝った国ですら、戦争の経済的損失というのは莫大だ。それでも何故、アメリカは戦争が止められないのか? それは軍産複合体が、アメリカ政治に強い影響力を持ってるからだ」
矢崎は画面に、次々と中年男性たちを映し出した。
「このブラック・ストリームの創業者、エリック・キングは元ネイビーシールズ――特殊部隊の出身だ。副社長のジョセフは元CIAの副本部長。経営陣の中には他にも、元ペンタゴンだとか、元司法長官なんてのがいる。日本で言えば、官僚の天下り先みたいなものか。新興企業のブラック・ストリームでこれだ。もっと巨大な軍事企業は言うに及ばずだ。ちなみに2022年には、アメリカの防衛予算は歳出総額約1兆7千億ドルのうち、前年比約4%増の8580億ドルにまで上げた。GDP比では3.5%くらいだったが、予算比という事では、歳出の50%以上が軍事費という事になる。114兆円もの巨大な予算を食いものにするために、軍事企業は政治的影響力を使って、世界各地で戦争を起こすのさ」
矢崎は眼鏡の眼を佑一に向けた。
「言っておくけど、他人事じゃあない。アメリカは韓国やイスラエルのように徴兵制をしいてない。じゃあ、どうやって必要な兵士を確保するのか? アメリカでは数年の兵役に就くことを条件に、大学の学費補助をしてる。優秀だが学費を払えない階層の子供たちが、学費補助のために兵役に就く。つまり社会格差を利用して、兵士を確保してるのさ。問題はその若者たちが、送られた先でPTSDになって帰還し、心を病んだ学生は進学どころかまともな就職すらできないような状態になって帰って来る、という事だ。こういう行き場所が無くなった若者が、犯罪に手を染めるケースも多い。――で、日本もアメリカ式に見習おうと、自衛隊入隊を条件に学費助成をしたらどうかという案が、一時期だが浮上した。…一歩手前なんだよ。日本もね」
矢崎はそう言った後に、不意に佑一に向き直って歯を見せた。
「さて、ここで君に質問だ。江波首相は『戦争できる普通の国』が、強くて美しい国だと言ってる。『強い』はともかく、『美しい』だろうか。君はどう思う? この国の防衛予算を増やして、軍産複合体とずぶずぶの関係になるのが、国益になると思うか?」
矢崎の突然の問いに、佑一は戸惑った。佑一は答えを出せずに、ただ黙っていた。すると不意に、矢崎が笑った。
「正解。黙ってる、それが正解だ。あるいはな、『自分はただ、上の命令に従うのみです』とか答えるのが正解だよ」
矢崎はそう言いながら、PCを閉じる。そして佑一に言った。
「今日な、実はSと接触する」
「S――自衛隊内にスパイがいるんですか?」
「そうだ。僕はもうしばらくしたら、マル自から外されるだろう。Sはコードネームで『アリ』と呼ばれている。『アリ』の運営は、君に任す。引継ぎをしよう」
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