イグニッション

佐藤遼空

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終章  エピローグ

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 黒岩謙吾と王世凱は、まず和真と佑一に対する殺人未遂で逮捕された。宗方弦は、その殺人教唆で捕まった。そして西村孝義は脅迫に基づく自殺として発表され、事件は首謀者の宗方弦の逮捕で終幕を迎えた。王世凱は麻薬取締の件でも逮捕されたが、外国人であるという事の難しさで決着には時間がかかりそうだった。また自衛隊員の井口良純の死は、黒岩謙吾による史上初めての自衛隊内部の殺人事件として公表された。
「――警務隊の加山一尉が言ってました。『我々にも、プライドがあるからな』と」
 佑一はデスクの前に立ち、桜木課長にそう報告した。フン、と桜木課長は小馬鹿にしたように鼻息を吹いた。
 結局、『イグニッション計画』は、世間に公表されることはなかった。

「――事件を公表すれば、新型弾道ミサイルの存在を明かし、隣国にいたずらな不安を煽ることになる。それは我が国の安全保障のためにならない、という判断だ」
 桜木成賢課長は、佑一に向かってそう言った。
「事件自体が特定機密になった。そして関わった自衛官、警察官はそれを秘匿する義務がある。そうして事件を裏で認可していた首相は不問にされた。…そういう政治的決着ですね」
「不満か?」
 桜木の問いに、佑一はその問いの相手への凝視で返した。実は武衛大臣は内輪の会合での差別発言が週刊誌で報道され、宮下西邦は引責辞任している。その記事を書いたのは賀川新平だった。
「…いいえ」
 公安部では急な人事異動が行われた。高坂敦班長は公安から出され、またゼロに属する数名が移動になっていた。そして安積殺しも、黒岩が認めていた。
 佑一は、事件の終幕にそれなりに納得していた。。

「一つ、聞いておきたい事があるのですが」
「なんだ?」
「桜木課長は、西村が保護を求めてくる事まで予期してたのですか? 西村が計画を明かす。その事実をもって揺さぶりをかけ、内密に計画を阻止することが課長の狙いだったのでは?」
 桜木課長はデスクの上で腕を組み、じっと佑一を見つめた。やがて、その口が開く。
「計画の全貌を把握していたわけではない。ただ、自衛隊内部と公安に不穏な動きがあると認識していただけだ」
 そう言うと桜木課長は、デスクの上に写真を出した。
 料亭に入る江波首相と、その腹心である防衛大臣の宮下西邦、そして時間を置いて宗方弦が料亭に入る写真であった。
「総理と陸佐なら密会する必要はない。正式な手続きで会えばよかろう」
「……やはり、今回の事は総理も関知していた」
「憲法改正が、江波首相の悲願だからな」
 桜木課長は二枚の写真を傍らの灰皿に入れると、おもむろにライターで火をつけた。炎が上がり、写真が燃えていく。

「独裁者が何故、戦争を始めるか判るか?」
 不意に、桜木課長がそう問うた。少し考えたが、佑一は小さく、いいえ、とだけ答えた。
「戦争は非常事態だ。戦争になれば、独裁者は全てを戦争のため、国のためと理由をつけて取り締まることができる。これは力学的な問題だ。独裁者は内政の不安を抑え込むために、外部に戦争を始めるのだ。戦争を始めると、独裁者に反対する者を、戦争に反対し国家に反逆する者として取り締まることができる。そして独裁者は、取り締まる組織を自分の手足として使うようになる」
 灰皿の中の写真が燃え尽き、白い灰となった。
「公安の前身は、特高警察だ。共産主義者、戦争反対者、政権反対者を逮捕し、拷問し、獄中死させてきた組織だ。今、戦争が起きたら、独裁者のために民間人を監視し、逮捕するのは我々、公安の仕事となる。…お前は、そういう仕事がしたいか?」
「いいえ」
 佑一は迷わずに、そう答えた。桜木課長は、じろりと上目で佑一を見ると、スマホを取り出しボタンを押した。

 すぐに課長室のドアが開き、男が入ってくる。それは名波丈介だった。
「新しい班長の名波だ。次の仕事は、名波から聞け。以上だ」
「判りました」
 佑一は一礼すると、名波とともに退室しようとした。その背中に、桜木課長の声が飛ぶ。
「国枝」
はい、と言って佑一は振り返る。厳しい目つきの桜木の視線を、佑一は正面から見つめた。
「私を信用したりするなよ。必要ならば、部下も使い捨て、斬り捨てる。ただし――命令には従え」
 佑一は、思わず苦笑を浮かべた。
「判りました」
 佑一は踵を返すと、隣の名波を見る。名波も口元に、笑みを浮かべていた。

 警察庁を出ると、佑一は空を見上げた。雲一つない程に、晴れわたった青空である。佑一はスマホを取り出して、連絡をした。
「――今回の一件で、公安内部の強硬派はあぶり出せた。これでよかったですか? ――父さん」
「ご苦労だったな、佑一」
 電話の相手は、父の光佑である。
「けど、桜木成賢という人は、得体が知れない。まだ何か背景にある気がしますね」
「うむ……引き続き探るか……。しかし佑一、キャリアになる道も選べるのだぞ。あの場でお前に言った事は、半分は本音だ」
「あの親子喧嘩の小芝居の時のね。オレも半分は本音ですよ。オレは前にも言ったように、現場で動いてる方がいい。当分は、公安と秘密監察官って事で結構です」
「そうか……しかし、十分に気をつけろよ」
「判りました。そっちこそ、身体に気をつけて」
 佑一はそれだけ言うと、電話を切った。
 風に吹かれながら、佑一は眼鏡を抑え不敵な笑みを浮かべた。



 朝、中条今日子が出勤してくると、すぐに判る。あちこちで元気な声を出してくるからである。
「おはようございます」
 その元気な声に、座っている北山仁司が応えた。
「おはよう、今日子ちゃん。今日も可愛いねえ」
 今日子がピタリと足を止め、北山を指さす。
「仁さん、セクハラ事案です!」
「え、そうなの?」
「とーぜんです」
 今日子は軽やかにそれだけ言うと、自分の席へと向かった。
「え……『ちゃん』づけはよくて、『可愛い』はセクハラ? ――おい、芝、どういう境界線なんだ?」
「オレに判るわけないでしょ」
 首を傾げた北山の問いに、芝浦が口に手を添えて答える。

 二人の様子をよそに、今日子は芝浦の隣の席に座った。
「おはようございます、和真先輩。……なんか、しょぼくれた顔してますね?」
「『しょぼくれた』はないだろ! せめて『疲れた顔』って言えよ」
 寝不足の眼をうっすら開けて、机の上で頬杖をした和真が今日子に言い返す。
「当直だったんですよね。どうかしたんですか?」
「三対三の乱闘騒ぎの後は、酔っぱらいの器物破損。バタバタしてて寝てねえよ」
「ご苦労さまです。――そうだ! じゃあ一緒に珈琲飲みますか? 和真先輩のおごりで」
「俺がおごるのかよ! パワハラで訴えるぞ。――ん…」
 不意に何かに気付いたように、和真は身体を起こした。
「おい、中条、行くぞ。――仁さん、ちょっと出ます」
「はいよ」

 席を立つ和真を追って、今日子も席を立った。
「和真先輩、何処いくんですか?」
「ちょっと休憩だよ」
 突然、今日子が立ち止まり、身体を抑えて顔を赤くする。
「せっ、せくはら事案ですっ!」
「馬鹿! そういう意味じゃねえよ。いいから、行くぞ」
 今日子を車に乗せると、和真はまずコンビニに行った。そこでお菓子を買いこむ。やがて車は中央交番に到着した。
「よう泉、昨夜はご苦労さん」
 和真は交番にいる泉雪乃に声をかける。雪乃が、うさんくさんそうな目を向けた。
「なあに、どうしたの?」
「差し入れだよ。で、珈琲淹れてくれよ」

 和真はにっかり笑うと、交番の奥へと入っていく。
「ちょっと、此処は喫茶店じゃないんだからね」
「そんな事言ったって――中条が珈琲飲みたい、っつうから、しょうがないだろ」
「わたしのせいですか?」
 今日子が目を丸くして、自分を指さす。雪乃は口を尖らせた。
「今日子ちゃんのせいにして! どうせサボりたいだけでしょ?」
「サボるってお前、人聞きの悪い言葉だな~。もうちょっと言い方ってもんがあるだろ。働きづめの刑事さんに、癒しの時間をくれよ」
「もう…仕方ないわね。――香織、珈琲淹れて!」
 雪乃が奥の休憩室に呼びかけると、襖が開いて中日高香織巡査が顔を出した。
「はい、泉部長」
 すぐに引っ込むと、和真はにっと笑って雪乃を見た。

 四人で奥の休憩室に座り、淹れたての珈琲が小さなテーブルの上に並ぶ。和真はそれをすすると、ふ~っと息をついた。
「いやあ、やっぱり雪乃んとこの珈琲は美味いな」
「ちょっと! いい豆使ってんだからね。がさつにガブガブ飲まないで」
「すいません~、和真先輩が、がさつで」
「ううん、今日子ちゃんのせいじゃないのよ。昔からだから」
「……お前ら、イジメ事案で訴えるぞ」
 和真がじろりと、横に並ぶ今日子と雪乃を一瞥した。が、それを無視して今日子が口を開く。
「そういえば雪乃先輩も、喧嘩の現場に行ったんですか?」
「そ、当直だったからね」
「またそこで、和真先輩が暴れた?」
「それがさ~」

 雪乃はそこで愉快そうに笑みを浮かべ、口を抑えた。
「和真がモタモタしてる間に、香織が全員投げちゃったの」
「えぇっ!」
 今日子は目を丸くして、香織を見る。中日高香織は、大柄な体を縮こませた。
「中日高は柔道で、オリンピック強化選手にまでなったからな。普段は恥ずかしがりやのくせに、怒ると凄いんだよ」
 和真の解説に、今日子が感心した声をあげた。
「香織ちゃん、凄い!」
 香織は顔を赤くして、うつむく。和真はそれを見て、微笑んだ。
 不意に雪乃が珈琲を口にしながら、上目遣いに口を開く。
「そういえばさ、あの…公安の人、どうした?」
「ああ、佑一? なにお前、あいつの事気に入ったの?」
「ちょっと! もうちょっと言い方ってもんがあるでしょ!」
 真っ赤になって怒る雪乃をよそに、和真は答える。

「佑一なら、たまに呑んでるよ。うちにも来るようになったし」
「え、佑一さん、和真先輩のとこに来るんですか? わたしも行こうかな~」
「佑一さんって……え? なに、そういう関係なの?」
 今日子の言葉に、雪乃が驚いた様子で声をあげた。
「そういう関係です♡」
「嘘つくなよ」
 にっこり微笑む今日子を見て、和真は呆れた声を出す。その言葉を受けて、今日子は和真を覗き込んだ。
「なんです? 和真先輩、妬いてるんですかあ?」
「――え? 本当は、そっちがそういう関係なの?」
 雪乃は今度は、和真と今日子を交互に指差す。
「そういう関係です♡」
 今日子はにっこり微笑んだ。
 騒ぎ出す雪乃に、今日子が澄まして答える。騒がしい二人のやりとりを、和真は横目で見ながら珈琲をすすった。
「そういう関係って……どういう関係だよ」
 和真は呆れ顔で、苦笑した。


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