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第三章
04 皇帝と皇妃と置物
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部屋に通され、皇帝は勝手知ったる様子で寛ぐ。そして、己からわざわざ離れて座る、全身の毛を逆立てた猫のような皇妃を皇帝は笑う。
「あんな文を寄越すからだ」
「あんな文ごときでお越しになるなんて、お立場をお考え下さい」
「お立場があるから来れたんだ。案外、自由に動けるもんだな」
それなりの術者はかなり使える、と皇帝が言うのに、皇妃はギンと音が立つかと思うほどに侍従筆頭を睨む。
それに筆頭は一礼して控え、あとは心の中でひたすら「私は置物です」と唱えていた。
「睨むな。誰の子だの言い立てる奴がいたら俺が通っていたと言えばいい」
皇妃は呆れながら繰り返す。
「本当にご自分のお立場をお考えください。歴史に残る醜聞となります」
「お前こそ考えろ。皇妃が口出しなんぞ、宰相の立場が悪くなる」
皇帝の目が鋭くなるが、皇妃がそれを構う様子はない。
「立場が悪くなるのを気にされる方ではありません。むしろ、喜んで宮を辞されるでしょう」
「それ、今の俺には禁句な」
じとっとした目で見る皇帝に皇妃が首をかしげる。
「今もよく留まって下さっていることと、私は考えますけれど」
「追い討ちもやめろ」
ため息をつく皇帝に皇妃が言う。
「何を参っておられますか」
「お前が宮に居ないのが悪い。その上、あんな文を寄越すから」
──側にいて欲しい。
そんな音にされない皇帝の声を、皇妃は確かに受け止める。そうして
「喪に服すこの家に今晩皇帝陛下がお泊まりになるお部屋はございません」
と、撥ね付ける。
皇帝は、頑なな皇妃を笑って言う。
「だろうな。親父殿はどうだ?」
いつもの調子に戻る皇帝に、皇妃は一瞬渋面になるが、さっさと話をして皇帝に引き上げてもらうことを選んだらしい。自身もすまして応じる。
「流石に落ち着きました。弟もしっかりやれておりますし、もう心配ないかと。先日宰相殿のお使いがいらっしゃいまして父もお話をしておりました」
「そんであの文かよ」
「そういうことでございます」
「あのおっさんは全く」
空振りに終わることも、他者に咎められることも怖れず、里下がり中の皇妃に使者を出す宰相の図太さに、皇帝は呆れる。
「いいえ、私の方から『何かあればお知らせください』とお願いしていたのです。セラのことはついででございます」
「ほかに何かあったか?」
「関税の引き下げを王が承諾したと。それで昨日、商会の者を王国へ向かわせている、と」
「ああ、そうだった。なるほどな。いい口実になったわけだ。どっちがついでだか」
おのおっさんめ、と繰り返す皇帝を無視して皇妃が言う。
「しかし、彼の王子様はろくな噂がございませんね」
「ロクでもないうわさは?」
「とにかく王宮におらぬ、遊び歩いている」
「 ふん。しかし『誰に迷惑をかけているわけでもない』ってな」
「そうなのです。本人がロクでもないと言うよりは、『悪意を持って低く見られている』あるいは『見られるように仕向けられている』。宰相殿のお見立ては確かでしょう」
「しかし、残念ながら、本人も噂とそう変わらんな」
皇帝はうんざりとため息をつきながら言う。先日の宮での第四王子の覇気の無い様子は、従わせた皇帝であっても気分がいいものではなかった。
「まあ、そうなのですか。それではますます、セラをやるわけには参りません」
「何でだ」
一応は聞いてやる、という態度の皇帝に皇妃はきっぱりという。
「おもいもしないお相手に嫁がせるなんて、それは酷いことです」
「ああ、そうかよ覚えがあるだけにな」
「ええ、そうです覚えがあるだけに」
やっぱり俺はとばっちりだろ、と皇帝はぼやく。
防音結界を張る便利な置物と化していた侍従筆頭は、そんな主人が心底気の毒になってくるのだった。
「あんな文を寄越すからだ」
「あんな文ごときでお越しになるなんて、お立場をお考え下さい」
「お立場があるから来れたんだ。案外、自由に動けるもんだな」
それなりの術者はかなり使える、と皇帝が言うのに、皇妃はギンと音が立つかと思うほどに侍従筆頭を睨む。
それに筆頭は一礼して控え、あとは心の中でひたすら「私は置物です」と唱えていた。
「睨むな。誰の子だの言い立てる奴がいたら俺が通っていたと言えばいい」
皇妃は呆れながら繰り返す。
「本当にご自分のお立場をお考えください。歴史に残る醜聞となります」
「お前こそ考えろ。皇妃が口出しなんぞ、宰相の立場が悪くなる」
皇帝の目が鋭くなるが、皇妃がそれを構う様子はない。
「立場が悪くなるのを気にされる方ではありません。むしろ、喜んで宮を辞されるでしょう」
「それ、今の俺には禁句な」
じとっとした目で見る皇帝に皇妃が首をかしげる。
「今もよく留まって下さっていることと、私は考えますけれど」
「追い討ちもやめろ」
ため息をつく皇帝に皇妃が言う。
「何を参っておられますか」
「お前が宮に居ないのが悪い。その上、あんな文を寄越すから」
──側にいて欲しい。
そんな音にされない皇帝の声を、皇妃は確かに受け止める。そうして
「喪に服すこの家に今晩皇帝陛下がお泊まりになるお部屋はございません」
と、撥ね付ける。
皇帝は、頑なな皇妃を笑って言う。
「だろうな。親父殿はどうだ?」
いつもの調子に戻る皇帝に、皇妃は一瞬渋面になるが、さっさと話をして皇帝に引き上げてもらうことを選んだらしい。自身もすまして応じる。
「流石に落ち着きました。弟もしっかりやれておりますし、もう心配ないかと。先日宰相殿のお使いがいらっしゃいまして父もお話をしておりました」
「そんであの文かよ」
「そういうことでございます」
「あのおっさんは全く」
空振りに終わることも、他者に咎められることも怖れず、里下がり中の皇妃に使者を出す宰相の図太さに、皇帝は呆れる。
「いいえ、私の方から『何かあればお知らせください』とお願いしていたのです。セラのことはついででございます」
「ほかに何かあったか?」
「関税の引き下げを王が承諾したと。それで昨日、商会の者を王国へ向かわせている、と」
「ああ、そうだった。なるほどな。いい口実になったわけだ。どっちがついでだか」
おのおっさんめ、と繰り返す皇帝を無視して皇妃が言う。
「しかし、彼の王子様はろくな噂がございませんね」
「ロクでもないうわさは?」
「とにかく王宮におらぬ、遊び歩いている」
「 ふん。しかし『誰に迷惑をかけているわけでもない』ってな」
「そうなのです。本人がロクでもないと言うよりは、『悪意を持って低く見られている』あるいは『見られるように仕向けられている』。宰相殿のお見立ては確かでしょう」
「しかし、残念ながら、本人も噂とそう変わらんな」
皇帝はうんざりとため息をつきながら言う。先日の宮での第四王子の覇気の無い様子は、従わせた皇帝であっても気分がいいものではなかった。
「まあ、そうなのですか。それではますます、セラをやるわけには参りません」
「何でだ」
一応は聞いてやる、という態度の皇帝に皇妃はきっぱりという。
「おもいもしないお相手に嫁がせるなんて、それは酷いことです」
「ああ、そうかよ覚えがあるだけにな」
「ええ、そうです覚えがあるだけに」
やっぱり俺はとばっちりだろ、と皇帝はぼやく。
防音結界を張る便利な置物と化していた侍従筆頭は、そんな主人が心底気の毒になってくるのだった。
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