Blue RainyDay Blue

宇佐見うさ

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遺されたモノ(へ)のブルース

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 村に“雨”が降ったのは、その翌日のことだった。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 私は、昔から雨が嫌い。
 なぜなら、ばたばたと騒がしい水音のなかで、独りっきりの誕生日を迎えなければいけなかったから。
 毎年、毎年。きっと今年も、そう。

 梅雨の始まる頃に、決まってママの帰りは遅くなる。
 今日もテーブルのうえには、ラップに包まれた皿と書き置き。
 内容は、読まなくたってわかってる。

 料理をレンジで温めているあいだに、タオルで髪についた水滴をぬぐってから、もう一度戸締りの確認へ向かう。
 この狭い村で、誰かが盗みに入るなんて思えないけれども、念のために。

 チンと音が鳴ったから、料理を取り出そうとしたけれど。
 想像よりも温めすぎてしまった皿の熱に驚いて、取り落としてしまう。
 リビングの床に撒けられたドリアと、放射状にひびわれて砕けた皿の破片。
 外から聞こえる雨音の強くなるのもあいまって、暗澹とした気持ちになる。
 片付けなくちゃ。手を伸ばすけれど、破片に触れて指を傷つけてしまった。
 切り跡から血がにじむけれど、問題ない。
 これくらいなら、すぐに治るから。

 昔、ママが言っていた。
 パパは、実は吸血鬼なんだって。

 二人がどんな出会い方をしたのかはわからない。
 いつの間にかいなくなっていたパパが、何処へ行ったのかも。
 ただ、たしかに残されているものは、あった。

 ティッシュで血を拭き取ったあとには、傷など残っていない。
 私の身体は、どういうことか再生力が異常に高いんだ。
 たぶん、パパの血筋の影響だと思う。
 もっとも、痛いものは痛いんだけどね。

 皿の破片をぜんぶ片付けたら、こぼしてしまったドリアも綺麗にして。
 ママが帰ってきたら、割っちゃったこと謝らなきゃ。
 おなか、空いたなぁ。

◇◆◇◆◇

「大丈夫? 怪我はなかったの?」

 夜遅く帰ってきたママに、夕方のことを伝える。
 それまでは、私がまだ寝ていないことに怒っていたのに。話を聞いたとたんに、顔色を変えて無事かと問うてくるんだから、なんか可笑しくなっちゃった。

 ママは、体質のことを知らない。
 伝えるつもりもないし。だって、帰ってこないパパのことを思い出しちゃうかもだから。
 それに、いろんな人に知られたら、実験のために連れてかれてしまうかもしれない。
 きっと。この特別な身体のことは、あんまり言いふらしちゃいけないんだろなって。そのくらい、私にもわかってる。
 だから、ママが慌てる気持ちもまた、わかるんだ。

「なんもなかったよ」

 ひらひらと両手を振って、無事だと示す。
 安心したのか、ママはほっと息をついて。

「よかった。次にやったら私が片付けておくから、莉桜りおは危ないことしないでね」
「うん、わかった」
「よろしい。……もうお風呂は入ったの?」

 頷いて、くるくると白い髪の端を指で巻く。

「じゃ、お風呂入ってくるから。莉桜は明日も学校なんだし、そろそろ寝なさいよ」
「うん。おやすみ」

 ママの横をすり抜けて、自分の部屋へと向かいながら。
 ひとたび足を止め、振り返ることなく問いかける。

「明日は私の誕生日だけど。今年も、帰ってくるのは遅くなりそう?」
「……そうね。なるべく早くに帰ってくるようにはするけれど、冷蔵庫のなかにケーキしまっておいたから先に食べてて」

 ごめんね、の言葉を背中越しに聞き。

「ママは忙しいんでしょ。私は、大丈夫だから」

 一拍遅れて、そう残し立ち去る。
 雨は、嫌いだ。
 今年もまた、ひとりぼっち。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 その夜、夢をみた。

 辺りを眺めてみれば、真っ白な壁とソファやテーブル。
 目の前には、椅子に座っているママの後頭部があって。
 正面の鏡越しに顔が見える。しっかりと化粧のされた、若くて綺麗な顔。

 思い出してきた。ここには、前に連れてきてもらったことがある。
 ママが働く、結婚式場の一室だ。

「メイクさん」

 突然、声をかけられてうろたえる。
 この部屋には、ほかに誰かがいるでもなし。
 つまりは、私に話しかけているのだろう。

「えっと。なんでしょう、か?」

 驚いて、変な受け答えになっちゃった。

「続けて、ドレスの着付けもお願いします」
「あっ、うん」

 そんなことを言われても、着せ方なんてわからない。
 右往左往しながら、ドレスを探していると。

「メイクさん」

 あわてて振りかえり、声の主に視線を向ける。
 ママが、穏やかな表情でこちらを見つめてきていた。

「まだ時間も早いですし、ちょっとだけ話をしてもいいですか?」
「……うん、大丈夫だよ」
「ありがとうございます。……ふふっ」

 急に笑いだしたりして、どうしたんだろ。
 真意をはかりたくて、じっと瞳を覗きこむ。

「ごめんなさい。いまになって、こんなことを言うのも可笑しくって」

 一呼吸おいて、言葉は継がれ。

「まだ、現実でないような気がするんです」

 ふっ、とメイクルームの空気が浮いてゆく。

「今日ここで見る景色が、夢のようで。幻のようで」
「目を閉じたら。ふわふわしたこの気分も、白亜のチャペルも、消えてしまう気がするんです」
「メイクさん。私は、幸せになってもいいのでしょうか」

 その問いに、なぜか答えることができなくて。
 だけど。気持ちを伝えたくて、必死にママの手を掴む。
 ふわりと、光の粒が視界に舞い。次の瞬間には、目の前に、とっても素敵なウェディングドレスをまとった女の人が微笑んでいて……。

「ありがとうございます。私、幸せになってきます」

 夢の溶ける音が、耳の奥で聞こえる。
 ぼんやりとしたもやがかかって、世界は遠ざかってゆき。



 ざぁざぁと鳴る雨音のなかで、ベッドに横たわる私は。
 まだてのひらの中に残っている熱を、忘れることができなくて。
 どことなく泣きたい気分を抱えたまま、朝につつまれて動けないでいた。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 いつも通り、ひとりぼっちの帰路。
 あぜ道の土を長靴で踏みしめ。
 レインコートの透明な輪郭を、降りしきる水滴が伝ってゆく。
 見あげた空は灰色。雨の雫で頬を濡らした。

 化け物の子供。

 先ほど、かけられた言葉がリフレインする。
 私を取り囲んで、はやし立てる男子たち。
 いとも明るい調子で、笑いながら。

 ──お前のその白い髪は普通じゃないんだ。お前は化け物の子供だ!

 周りのみんなは、遠巻きにこちらを見るだけで。
 誰も救ってなどくれない。
 教室には、居所なんてないのだ。

 私の容姿は、ママに似ていない。
 艶のある黒髪も。茶色の瞳も受け継いでいなくて。
 漂白されたような髪や、眼や、肌が。
 もうひとつ、パパが残していったもの。

 異常な身体と、不気味な見た目。
 たしかに、私は“化け物の子供”なのかもしれない。

「こんなもの、望んでなかった」

 ただ、普通でいたかった。
 ありのままの私を、受け止めてくれる相手がいるのなら。

 ……虚しい想像。

 大人たちですら、気味の悪いものを見る目を向けてくる。
 子供たちなんて言わずもがな。
 たったひとりの家族だって、雨にさらわれて。

 孤独。
 無性に叫びだしたくて。うずくまっていたくて。あてもなく走りだす。

 目指す方向は家ではなく、街のほうへ。結婚式場へと。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 何時間走っていたのか、わからない。

 レインコートは泥にまみれた。
 一面の田んぼのなかで、方向感覚は失われ。
 灰色の空は黒が混ざって、だんだんと闇が迫ってくる。

 もうすぐ夏が来るというのに、寒くて震える。
 立ち止まっていても、足もとに水たまりができるばかり。

 笑えるくらい、本当に独りだった。

 誕生日なのに、どうしてこんなことをしているのだろう。
 悲しくて、惨めで。
 きっと、これが“化け物の子供”に相応しい──。

「……莉桜!?」

 ヘッドライトの光が、黄昏を切り裂いた。
 目の前で停まった車の、運転席側ドアが開かれ。
 驚いた様子で駆け寄ってきたママの、腕のなかへと飛び込んでゆく。

 雨音が、ばたばたと遠ざかっていった。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 座席が、心地よい揺れを刻む。
 曇った窓ガラスから視線を外し、前方でハンドルを握るママを眺めながら。
 ずぶ濡れになったレインコートを脱ぎ、隣の椅子へ置く。

 暖房で暑いくらいの車内には、ゆるやかな時間が流れていた。

「くしゅんっ」

 ひとたびくしゃみをして、ガラスのくもりを指先でぬぐいとり。
 外側に伝う水滴を眺め、ほうとため息をつく。

「やっぱり、雨は嫌い」

 ぽそり。独りごちて。
 窓から顔を背ける。

「莉桜は、雨は好きじゃない?」
「うん」

 もう、降らなければいいのに。
 堰を切ったように、言葉が溢れだす。

「寒いし、うるさいし。いいところなんてひとつもない」
「せっかくの誕生日なのに、いつもこうなんだから」
「泣き出したいのは、こっちのほう」

 ずび、と鼻をすすって。
 ぐるぐると複雑に混ざりゆく心中は、ぐずついた空模様みたい。

「そっか。……ママは、好きだけどな。雨」
「どうして?」
「莉桜は、ジューンブライドって知ってる?」

 ママが、教えてくれる。
 “ジューンブライド”。六月に結婚すると、幸せになれるっていうお話。

「この時期になると、いっぱい式を挙げることになるから忙しくなっちゃうけど。でも、みんな幸せそうなんだ」
「……」
「毎年、梅雨はやってくるけれど。ママは思うんだ」

 雨は、きっと恋人たちを祝ってくれてるんだろなって。
 その言葉が。私の心のなかに何かを投げかけて、波紋をつくった。

「……ママは」
「ん?」
「パパと結婚して、幸せになれた?」

 聞かずには、いられなかった。
 この質問にママは一瞬、きょとんとした様子で。
 それでも。笑って答えは紡がれる。

「うん。ママは幸せだよ」
「パパは! ……もう、いないのに?」

 口走ってしまってから、後悔が渦巻く。
 これだけは言ってはいけないと、ずっと思っていた。
 きっと、みんな悲しい思いをするからって。

 でも。

「それでも。だって、莉桜がいるじゃない」

 後部座席から見るママの横顔は、笑っていて。
 きっと、対称的に私はぐちゃぐちゃの顔をしてるんだろう。

「あなたが生まれて、ここにいてくれること。それが一番の幸せなんだよ」

 あぁ、ダメだ。
 熱い雫が、ひとつぶふたつぶ、こぼれてゆく。

 私は、独りなんかじゃなかったんだって。

 嬉しいはずなのに。幸せのはずなのに。
 涙が止まらないんだ。

「……今日は、莉桜の誕生日だから。ちょっと頑張って、早めに帰ってきちゃった」

 ママは、太陽のように優しく微笑んで。

「家で、いっしょにケーキを食べようね」
「……んっ、うん!」

 ぐしぐしと、袖で顔をぬぐう。
 雨が、好きになれるような気がした。
 でも。



 “雨”が降ったのは、その翌日のことだった。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 目が覚めたときは、熱っぽくて気だるくて。
 ああ、風邪をひいたんだ。と、ぼんやりする頭で考えながら、自室を出てリビングに。

 とっくにママは出てるし、学校なんか当然遅刻。
 休みの連絡だけ、入れておかなくちゃ。

 なんの気なしにテレビを点けてから、スマホを取りだして。
 電話をかけるも……通じない。

 テレビのなかの、ニュースキャスターが告げる。
 降り注いだ“雨”による、生物のゲル化が発生。無事な方は、外に出ないようにお気をつけください​──。

 繰り返される言葉の意味を、理解できなかった。
 なにか判らないけれど、恐ろしいことが起きている。
 身体から力が抜け、スマホを取り落とした。

「どういうこと……?」

 ゲル化。ゲル状。むかし、科学系の番組で見たことがある。
 どろどろで、ぶよぶよで。
 ……あれになるってこと? 意味がわからない。

 床に落ちたスマホを手にとり、震える指でママへと電話をかける。
 出ない。
 出ない。

「どうして……!」

 おかけになった電話番号は、ただいま電波の届かないところにあるか……。
 感情のない機械音声のアナウンスが、響きわたる。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 それから一日が経ち、二日が経ち。
 ママはまだ、帰ってこない。

 テレビも、なにも映すことはなくなった。
 世界からさまざまな音が消え、いまは雨が地面を打っているだけ。

 レインコートを着て、あの雨のなかに飛びだしてゆけば、私も楽になれるんじゃないか。
 いまでは、そんなことばかり考えている。
 仕方がないじゃない。こんな世界に、救いなんてないんだから。

 くるる、とお腹が鳴る。
 こんな状況でも、空腹は訪れるものなんだ。

 緩慢な歩みで、食卓へと向かう。
 ママが作っていった、料理があるはずだから。

「あった」

 ラップに包まれた料理と、いつもの書き置き。
 薄い、うすいママの面影を探して、文字を目で追う。

 “莉桜へ。今日も遅くなるから、これをあっためて食べててね。ママより”

 視界が、ぼやけていった。
 袖でぬぐっても、ぬぐっても。雨が止まない。
 なるべく、深く考えないようにしてたのに。ふたが開いて、いろんな思い出が溢れてくる。

 一緒に遊んだ記憶。過ごした毎日の記憶。ちょっとしたことで笑いあった記憶。ぶつかって涙した記憶。テーブルを囲んでケーキを食べた記憶。

 幸せな、思い出たち。
 いまはもう、手が届かない。

「うっ、ああぁぁぁ」

 慟哭が洩れる。
 胸が、張り裂けそうに痛い。
 心臓の脈打つ鼓動が聞こえる。
 まるで、熱い涙が血管を走ってるみたいで。

 もう、消えたい気持ちは無くなった。

 遺されたのだから。できる限り抗ってみせる。
 この、不条理で理不尽な世界にも。
 “雨”にも。

 たとえ、救いなんてなくったって。

「生き抜いて、みせるから」

 晴天の下を、歩くために。
 灰色の空を、睨みつけた。

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