アクトコーナー

乱 江梨

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第一章 学園改革のメソッド

学園改革のメソッド23

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 赤松ささの朝は早い。親が神主を務めている神社で手伝いをしているささは、自宅から徒歩数分の仕事場に早朝向かうと、本格的な仕事の前に神社の清掃を行う。

 巫女服に着替え、いつも通り本日も鳥居前の枯葉などを竹箒で掃除している。因みに本日というのは明日歌たちが緊急会議を開いてから二日後のことである。

 朝の涼しい空気と暖かな朝日を浴びたささはふと、良く知っている人物の気配を感じ取り箒の動きを止める。


「あ、おはようございます。薔弥さん」
「おはようさん」


 ささは珍しく朝早くから薔弥と会うことが出来たので少々目を見開きつつ、美しい所作で挨拶をした。一方の薔弥は呑気に大きな欠伸をしつつ、神社に住み着いている野良猫を撫でている。


「……」
「あ、薔弥さん。まぁた悪巧みしようとしてる」
「毎度毎度どないして見抜くんねん、自分」


 猫が大して好きな訳でもないのに楽し気に野良猫と戯れる薔弥の相好を覗いたささは、窘めるような声で言った。
 ささの予測は図星だったのか、薔弥は感心した様にため息をついた。


「もう、駄目ですよ。薔弥さん。人様にご迷惑をおかけしたら、めっ!」
「大丈夫やって。今回はちょっと展開用意してやるだけやから」
「ほんとですか?」


 少し頬を膨らませて可愛らしく薔弥を叱ったささに、薔弥はまるで反省していないような態度で軽く返した。だが青ノ宮薔弥という人間のことをよく知っているささは怪訝そうな瞳をしていて、全く彼の言葉を信じていない。


「あ、そうや。ささ、この間えらい美丈夫な男子高校生と話さへんかったか?」


 ささは日常的に男子高校生と会う機会があるので一瞬当惑した。薔弥の言う男子高校生がどの人物を指しているか分からなかったからだ。だがささが普段から会話する男子高校生など、薔弥と百弥ぐらいなのですぐにどの人物を指しているのか特定できた。


「あぁ……もしかして、猫好きの人ですか?」
「せやせや。あの子神坂透巳っちゅうんやけど、ささから見てどない思うた?」


 以前透巳がささのことを〝猫好き同志〟と呼んでいたのを知っているので、薔弥はささの問いに首肯した。
 薔弥が透巳の印象をささに尋ねたのにはそれなりの理由があり、その理由から薔弥は彼女の意見を聞きたいと思ったのだ。


「どない……?うーん…………猫が、すごく、好き?」
「なんやそれ」


 深く考え込み、ポツリポツリと語ったささに、薔弥は拍子抜けしたような声を出す。薔弥が期待していた返答とは少し違ったようで、彼は思わず落胆してしまったのだ。


「ささ、俺のことも百弥のことも初対面の時に本質見抜いとったやないか。何で今回はそれだけやねん」


 これが薔弥がささに頼った理由だった。赤松ささという少女は薔弥が知りうる人間の中で最も無害でありながら、脅威的な存在なのだ。

 ささは特別頭がいい訳でも、才能に恵まれている訳でも、運動神経抜群な訳でもない。どこにでもいる普通の少女だ。だがささをよく知る人間は、彼女が誰よりも強い存在であることを知っている。

 そんな彼女の強さの一つに、相手の本質を無意識に見抜くというものがある。いくら取り繕っている相手でも、その人がどんな人間性で、何を考えているのかなんとなく分かってしまうのだ。要は嘘が通じない相手。そんなもの、薔弥にとって苦手以外の何者でもないのだ。

 そんなささが透巳のことをただの猫好きとしか認識していないことに、薔弥は落胆よりも大きな衝撃を受けた。


「……薔弥さん。私が言っている〝好き〟っていうのは、道端に咲いている花を愛でる様な生易しいものじゃないんですよ」
「……どういうことや?」


 いつものふんわりとした優しい雰囲気とは少し違う、どこか芯の強さを感じるささの言葉に、薔弥は息を呑みながら尋ねた。


「あの人の〝好き〟はもっと強くて、怖くて、揺るがない……不変的な〝好き〟なんです」
「不変的、ねぇ」


 ささの言葉の意味を全て理解することは出来なかったが、薔弥はそれが普通とは一線を画していることを察知し、深く思案するように呟いた。


「私からはっきり言えるのは一つだけです…………あの人は、怖い人です」
「怖い、か」
「はい。例えば、人を殺そうと思えば、息をするように……いとも簡単に殺せてしまうタイプの人です……ま、出来るのと本当にしてしまうのとでは、大きな違いがありますけど」


 強烈的な言葉で断言したささ。彼女が語った透巳の印象に薔弥は目を見開いたが、薄々そうじゃないかと感じていたのでそこまで驚いている訳ではない。

 百弥が暴走した際、彼を説得するために透巳が言ったあの言葉。もちろん百弥のために発した言葉だが、薔弥は透巳がやれと言えば本当にやりそうな、そんな危うさを感じ取っていた。

 だがささの言う様に、それがのとのでは大きな違いがある。実際、やろうと思えばやれる人間など往々にしているのかもしれない。だがその中には本当に実行してしまう者と、死ぬまで実行しない者と二つに分類される。この二つは似ているようで、全く違うのだ。


「それにあの人は割といい人だと思いますよ」
「ささ、毎度のことやが、矛盾っちゅう言葉知っとるか?」


 透巳のことを怖いだのと散々なことを言っていたささの最終評価とは思えないそれに、薔弥は思わず苦笑いを浮かべる。だが薔弥はささが誰彼構わず〝いい人〟だと認識するわけでは無いことも知っているので、はっきりと否定が出来ないのだ。


「この世は矛盾だらけですよ。……薔弥さんだって、良い人です」


 やわらかく吹いた風に結わいた髪を揺らしながら、目を細めてささはそう呟いた。その優しい笑顔を見れば、それがささの本心であることは明らかで、このことは薔弥が一番理解している。


「はぁ……どこをどないして見ればそうなるんや。このクズに対してそないなこと言うんのはささだけやで?」
「そんなことないですよ。優しくはありませんが、いい人です」


 相変わらず自分を過大評価してくるささに薔弥は思わず深いため息をついてしまう。

 薔弥がそんな反応をしてしまうのには過去のある出来事が起因していた。薔弥は昔、ささに恨まれても仕方のない様なことを興味本位で行ったことがあった。にも拘らず、彼女は叱るばかりで薔弥を恨んだりはしなかった。

 その経験から薔弥は赤松ささという人間のことを、生涯理解することのできない唯一の存在だと判断したのだ。

 ********

「あ、ねこちゃん?今日用事で遅くなっちゃうから先に帰ってて……うん、気をつけてね」


 火曜日。この日の授業を終わらせた透巳は小麦に連絡をし、一緒に帰れないことを電話越しに伝えた。今日は青ノ宮邸に伺う約束の日だからだ。

 電話を切った透巳はすぐ近くにいた明日歌たちと共に早速青ノ宮邸へ向かうことになった。

 ********

 百弥の自宅は先日訪問した結城邸に負けず劣らずの豪邸だった。だが遥音の家よりは少しだけ小規模だったので、透巳の衝撃は若干薄れている。

 百弥の案内で家の中に上がった透巳たちは、キョロキョロと家の中を観察しながら、一直線に金庫のある和室へ向かう。

 普通の一軒家ではありえない程大きな和室に到着すると、透巳たちの目には奥の方に聳え立っている金庫が映った。

 金庫は遥音の推測した通り、テンキー錠とシリンダー錠のダブルロックタイプで、鍵は既に刺さっている状態である。


「これだ」
「金庫って初めて見たかも……うーん、それにしても暗証番号って何なんだろうね?」


 興味津々という感じで百弥に紹介された金庫を観察した明日歌は、眉間に皺を寄せつつ首を傾げた。だがふと何かに気づいたように顔を上げると、恐る恐るといった感じで百弥の方を振り返る。


「ねぇ、百弥。今日から三日間理事長帰ってこないって言ってたけど、それ本人から聞いたんだよね?」
「ん?いや、薔弥からそう聞いたぞ」


 明日歌の問いにキョトンとした相好で百弥がそう答えた瞬間、F組生徒たちの顔が刹那の内に真っ青になる。一方の透巳は一切動揺していなかったが、彼らが表情を変えた理由なら見当がついていた。


「どうかしたのか?」
「あのさ……百弥。あんたは青ノ宮弟なんだよ?」
「それがなんだよ」


 唯一この不穏な状況についていけていない百弥が当惑気味に尋ねると、明日歌は両手を彼の肩においてしっかりと目を合わせた。

 そんな明日歌が今更過ぎる事実を確認してきたので、百弥は増々首を傾げてしまう。


「あの薔弥の弟で、薔弥がいかに底意地の悪い奴か一番知っていて、奴の一番の被害者なんだよ……なのに……なのに…………どうしてこうも毎度毎度奴の思惑に嵌っちゃうのかなぁ?」
「え…………まさか、アイツ……また?」


 深すぎるため息をつきたいのを必死の思いで踏みとどまった明日歌は、百弥でも分かるように説明した。そんな明日歌の言葉で漸く自分が犯した失態に気づいた百弥は、その場にいない薔弥を恨みつつ顔を同じく青くしてしまう。

 このように何度騙されても馬鹿正直に信じてしまうせいで、百弥は薔弥に悪い意味で気に入られているのだ。

 百弥が現在の最悪な状況を把握したところで、玄関の扉が何者かにとって開けられる音が家中に鳴り響いた。不気味なほど鼓膜に届くその音を耳にしただけで、明日歌たちの心臓は跳ね上がる。

 明日歌が感じた嫌な予感が、どんどんと近づいてくる音に彼女たちは息を呑む。


「そこで、何をしている?」


 低く、貫禄のあるその声は酷く冷たく、それでいて明日歌たちにとっては聞き馴染みのあるものだった。明日歌は揺れる精神を落ち着かせるためにゆっくりと呼吸を整えると、声の主の姿を確認する。

 一八〇センチの高身長。白髪交じりの頭はオールバックにしている。透巳たちを見下ろす瞳は鋭く、身体から発しているオーラも冷徹だ。きっちりとしたスーツに身を纏っていることもあって、その威圧感はすさまじい。

 声の主はこの家の主であり、青ノ宮学園の理事長――青ノ宮伸弥あおのみやしんやだった。


「金庫を開けようとしてます」
「なに?」

((ちょ……コイツ何言ってんのぉぉ??))


 伸弥の問いに正直すぎる程ありのままに答えた透巳に伸弥は眼光を更に鋭くし、同時に明日歌たちの思考はその瞬間面白いぐらいにリンクしていた。

 普通なら何とかして言い訳を作り誤魔化すところなのだが、透巳の爆弾発言のせいで明日歌たちは強張った表情で全身から汗を噴き出すことしかできない。


「百弥。友人を家に呼ぶのは良いが、その金庫に近づくなといるも言っているだろう」
「……っ」
「あのぉ……」


 その冷たい視線を透巳から百弥に向けた伸弥。彼のそれは、とても自分の息子に向けられたものとは思えず、明日歌たちは鳥肌を立たせる。

 そんな悪い空気を壊すようにおずおずと手を挙げた透巳に、伸弥はまたしても視線を向ける。


「なんだ?」
「俺、この金庫の暗証番号の目途がついているんですが……開けます?」


 透巳のその言葉に、伸弥だけではなく明日歌たちも目を見開いてしまう。同時に伸弥は怪訝そうな相好になるが、明日歌たちは透巳がそんな嘘をつくとも思えず増々驚愕している。


「戯言も大概にしろ。澪のことを大して知りもしないお前に何が分かると言うんだ」


 怒気を孕んだその声で伸弥は尋ねた。伸弥の人生において最も必要であり、愛した存在を初対面の学生に分かったような顔をされては堪ったものではないと、伸弥は憤慨しているのだ。

 自身が長年試して、未だに正解に辿り着けていない六桁の数字。それが今日解けるだなんて伸弥は微塵も思っていない。


「確かに俺はその澪先生を知りません。会ったことないですし。でも推測ならできます。
この金庫の中に保管されている日記。こんな立派な金庫に入れるぐらいですから、大事な家族にも……いや、大事な家族だからこそ相当見られたくなかったんでしょう」


 透巳の語った内容はとても納得できるものであり、この場にいる全員が理解していることだ。日記なんてものは自分の心の内を吐き出すための道具の様なものである。それを他人に見られるより、親しい者に見られる方が人は嫌がるだろう。

 相手が知らない自分の深い闇を覗かれ、軽蔑されたり過度な心配をされるのが苦痛だからだ。


「要するにこの暗証番号はありがちな生年月日や、澪先生の好きなものに関連するものではないということです。そんな数字にしたらすぐ開けられちゃいますから」
「……」


 透巳の推測が的を得ていることを伸弥は知っていた。何故なら、自身がそのことを実際に体験したからである。

 伸弥は当初、妻が暗証番号にしそうな数字を片っ端から試したが、金庫を開けることは出来なかった。だからこそ一から順番に、地道にここまでやってきたのだ。


「つまりこの金庫の暗証番号は、澪先生が絶対に選ぶはずの無いもの。尚且つそれを解き明かそうとするあなたが、最も辿り着くのに時間を要する数字というわけです」


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