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乱 江梨

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第二章 能ある鷹は完全犯罪を隠す

能ある鷹は完全犯罪を隠す13

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 薔弥から峰崎と対面した際の話を聞いた明日歌は、彼が何を言わんとしているのか理解できなかった。

 透巳のことを苛めろとメールで指示した峰崎は何故か現在の彼の写真を見た途端怯え、そしてメールを送った覚えがあると言う。何故貶めようとした人物の写真を見た途端怯えたのかは不明だが、明日歌にはその答えが分からなかったのだ。


「……それで、どういうことなのよ?」
『前置きで悪いんやが、これはあくまで俺の推測や。証拠はなぁんにもあらへん。
……まず、透巳くんは何らかの理由で大前たちに恨みを持ったんや。せやけど自分で手を下すのはリスクがあると考えたんやろうな。そこでや……透巳くんは百弥を利用して復讐するっちゅう計画を思いついた。せやけど百弥に裁かせるんには、あの三人を悪人やと証明せなあかん。せやから透巳くんは峰崎の携帯から自分を苛めるように促すメールを送ったんや。透巳くんの計画通り、あの三人はいじめっ子に成り下がって百弥にボコボコにされてもうた。そんでこれを証明する方法は一個だけや……』
「……峰崎の証言」
『せや』


 全てを把握したわけでは無いが、明日歌は薔弥の推測に関する嫌な予感を抱き、そう呟いた。薔弥の推測通りだと仮定した場合、透巳が行ったことはこの時点で峰崎の携帯でメールを送ったことだけ。行動が少ないので、当然それに比例するように証拠も限られる。

 それが唯一が峰崎の証言。峰崎自身にそんなメールを送った記憶が無ければ、透巳の計画を証明する僅かで弱い証拠になりうるのだ。


『こっからが問題や。透巳くんは神社荒らしの現場を目撃した時、たまたまそこに峰崎がおるんのに気づいたんやないかなぁ……これも透巳くんの計画の内やとしたら鳥肌もんやが、まぁそれは一旦置いとこか。
神社を荒らしとる峰崎を見つけた透巳くんはその様子を映像に記録した。警察に提供するためと、脅迫材料を作るためにや』
「まさか……!」


 薔弥は神社荒らし事件そのものが透巳の手の内という最悪の可能性も考慮に入れているようだったが、明日歌はそれはないと考える。透巳は百弥のことを友人として好いているように見受けられた上、百弥が容疑者となった際の彼の怒りは嘘では無いように思えたのだ。
 だが明日歌に透巳の本心を知ることは出来ないので、これは彼女の願望に近い。


『ご明察や。透巳くんは唯一の証拠になりうる峰崎の証言を封じるために、その映像をネタにして強請ったんや』
「「……!」」


 薔弥の辿り着いた結論に、明日歌たちは思わず言葉を失くしてしまう。

 峰崎は既に逮捕されているが、今の世の中そんな事実よりも恐ろしいものが存在する。それがコンピュータネットワークというこの社会の基盤にもなっている存在。

 透巳が峰崎に犯行現場を捉えた映像をネット上にアップすると脅したのなら、峰崎が透巳の言いなりになる可能性は十分にある。

 逮捕されたと言っても、峰崎のことはネットニュースで調べても名前と年齢が漸く知れる程度だ。顔は分からない上、死傷者の出ていない事件に関する大衆の関心はそう高くない。だがもし犯行中の映像をネットに晒された場合、批難されるうえ全世界の人間に顔が知られてしまう。そうなってくると峰崎の個人情報を調べ上げて公開する様な輩まで出かねない。それはただ逮捕されることよりも更に恐ろしい事態なのだ。

 それらを全て理解した上で透巳が脅したのなら、峰崎が彼に対し異様な恐怖を抱いているのも、メールの件を認めたことにも一応の説明はつく。


「……確かにアンタの推理が全部正しいと仮定するなら、矛盾は無いわね……でも、机上の空論にすぎないでしょ?結局証拠は……」
『せや。証拠はなーんにもあらへん。透巳くんが残らず消してもうたからなぁ……せやから俺は逆に嬉しいんやで?透巳くんが自分の計画の証拠を消し去るために、ここまで手を回したっちゅうおもろい真相を知れたんやからな。明日歌たちが信じようが信じまいが関係あらへん。俺が分かっとればそれでええんや』


 薔弥が心底楽し気に語る理由を明日歌は漸く理解できたような気がした。薔弥の推測が正しいのなら、透巳は計画を成功させ、尚且つその証拠を完全に消し去るという完全犯罪を成し得たことになるのだ。薔弥にとってそれがどれだけ鮮烈で、痛快なことか。明日歌に全てを想像することは出来ない。


『ちゅうわけやからもう切るでぇ』
「え、ちょ……」


 薔弥は自身が話したいことを話し終えるとさっさと電話を切ってしまい、明日歌は彼の自己中心的な言動に顔を顰めてしまう。

 同時に明日歌たちはこれから透巳とどう接したらいいのか思い悩んでしまった。薔弥の推測が正しいと決まった訳では無いが、その可能性もあるということ。それを踏まえたうえで何をするべきか、今の彼ら彼女らにとってこれはあまりにも厳しい難問である。

 ********

 電話を切った薔弥は悠々とした笑みを浮かべながら帰路に就く。薔弥は今日随分と早起きをしたので、さっさと帰宅して睡眠をとりたかったのだ。

 まるで物語の重要な登場人物のように飄々としている薔弥を、一瞬にして小さくつまらないものに成り下がらせる程の真っ赤な西日が街を包み込んでいる。

 人も建物も街も世界も。その掴めもしない夕日に飲み込まれていて、例え何が起きようと誰も気にせず、大した問題にもならない程広大である。

 だからきっと――。

 この唐突で、驚天動地な出来事だって誰も気づかないまま、風化してしまうのかもしれない。


「ぐっ…………あ?……なんや、これ」


 薔弥は、自身の背後に走る異質な感覚に顔を歪める。経験したことの無いような衝撃、感触、痛み、熱さ、それら全てを感じられるような、全く感じられないような異質な感覚。

 その正体を捕らえようと、痛覚の走る右側を振り返った薔弥。そこに存在するものに薔弥は思わず目を見開き、破顔一笑する。

 薔弥にとって右腹部を後ろから貫くナイフなど、もはや大した驚異では無かった。そんなもの、自身に走る感覚を踏まえて考えれば容易に想像できたからだ。冷たく無機質なそのちんけな武器も、それを伝って流れ落ちる熱い鮮血もどうでも良いとさえ思える。

 寧ろ薔弥はそのちんけな武器で自分を攻撃してきた人物に、込み上げてくる笑いを堪えることが出来ない。


「ははっ……あぁ……なるほどなぁ……おもろいわぁ、アンタ。くくっ…………」
「……アンタさえいなければ……私は…………」


 くつくつと、腹の底から湧いてくる笑いを隠さない薔弥と、今にも泣きそうな相好でそんな彼を睨みつける少女。立場的には本来その態度は逆であるはずなのだが、彼らにその常識は通用しない。

 フードを目深に被っていても薔弥には分かった。そしてこれが、因果応報というものであることも。

 今にも慟哭しそうな少女のことを、薔弥は知っていた。

 木藤友里。薔弥がささに興味を持った際利用し、どん底へと叩き落とした彼女の親友である。

 友里の恨み言を全て聞く前に、薔弥はアスファルトに倒れこんでしまい、彼女がやがて立ち去ったことも気配などでしか感知できなかった。

 朦朧とする意識の中、薔弥は刺されてからどれくらいの時間が経ったのか思考しつつ、一つの結論に辿り着いていた。それはあの神社荒らしの首謀者であり、百弥に濡れ衣を着せた張本人が友里であるという真実である。

 つまり真犯人が自分に恨みを持つ人間だという薔弥の推測は当たっていたのだ。友里は薔弥に復讐するために百弥を罠に嵌めようとした。だがそれが失敗に終わったので、直接的な方法で薔弥への復讐を実行したのだ。

 まさかあの友里がここまで行動力のある人間だとは想定外で、薔弥は思わず嬉々とした気持ちを拭うことが出来ない。

 とは言っても、薔弥だって死ぬのは真っ平御免である。だが薔弥には携帯を取り出して救急車を呼ぶほどの体力さえも残っておらず、出来るのは磁石のように引き寄せ合う瞼を何とか閉じないようにすることだけだ。

 アスファルトのじんわりと熱い温度を肌で感じていると、彼の耳にはコツコツという耳障りのいい足音が聞こえてきた。


「薔弥さん、自業自得ですね。いっつも悪さばかりするから、こんな目に遭ってしまうんですよ?反省してください」


 いよいよ意識を手放しかけたその時、薔弥は今一番聞きたくない様な、聞きたかったようなその声を耳にし目を見開く。

 目線を上に、声の主を捉えた薔弥は乾いた笑みを零してしまう。心配しているような、どこか怒っているような相好で薔弥を見下ろすのはささだった。

 いつもの巫女服姿のささが何故こんなところにいるのか、どこまで今の状況を把握しているのか。薔弥にはそのどちらも知る術はないが、最早思考できるほどの余裕は薔弥には残されていない。


「救急車は呼びましたから、もう大丈夫ですよ。薔弥さん」
「……ささ。こないな状況でも、いつも……通りって、割と、ひくで……」


 冷や汗をかく薔弥の額をハンカチで拭ってやったささに、薔弥は精一杯の苦笑いを浮かべた。だがすぐに薔弥は自身の発言が誤りであることを思い知らされる。
 ハンカチを握りしめるささの手は酷く震えていて、彼女はそこに大粒の涙を零していたのだから。


「っ……馬鹿なんですか、薔弥さんは。……いつも通りな訳、ないじゃないですか…………心配、させないでください」
「……すまん」
「薔弥さんは、私の大事な人なんです。こんな、血をいっぱい流して……平然と、していられる訳、ないじゃないですか。もっと、考えてください!薔弥さんは、やっぱり……。やっぱり、お馬鹿さんですよ……」


 薔弥は泣きながら自分に説教をするささを目の当たりにして、やはり自分はこの存在が心底怖いと感じた。ささの気持ちは嘘偽りのない本物だ。だからこそ薔弥は怖い。何故彼女がこんな自分にここまでの感情を傾けてくれるのかが到底理解できないからこそ、怖い。

 そして同時に、自分がささに対してあっさりと謝罪の言葉を口にしたことが薔弥にとっては想定外だった。人は死の淵に立たされるとここまで素直になれるものかと、自嘲じみた笑みさえ零れてしまう程に。


「……さっき、友里ちゃんに会いました」
「っ……!」
「いつの間に友里ちゃん、薔弥さんが犯人だって気づいたんでしょう?私に……謝ってきましたよ」
「……そうか」


 ささが薔弥を見つけた理由を彼は何となく察した。返り血を浴びたであろう友里に会ったのなら、誰かと何かがあったことぐらい簡単に予想がついてしまう。だからささはすぐに傷ついた薔弥を見つけることが出来たのだ。

 友里はあの頃、自分の秘密をバラしたのがささであると勘違いしていた。にも拘らず薔弥への復讐を決意し、ささに謝ったということは何かのきっかけで真実を知ったということだ。薔弥はささが友里と何を話したのかほんの少し気になったが、そこは追及しないでおいた。


「薔弥さん。これに懲りたら、誰彼構わずちょっかいかけるの、自重してくださいね」
「……善処だけはしとこかな」


 どう考えても善処する気のない薔弥の返答にささは頬を膨らませて抗議する。ささは涙を浮かべたまま顔を真っ赤にしているので、その姿はまるで拗ねた子供のようで薔弥は思わずクスリと笑った。


 やがてけたたましいサイレンの音と共に救急車が到着し、薔弥はそのまま病院へと運ばれた。薔弥の命に別状はなく、彼が目を覚ますまでささがずっと看病をしてやった。

 薔弥が友里に襲われたという事実は明日歌たちだけではなく、百弥のことも十分に驚愕させた。だが百弥は自業自得だと突き放し、薔弥が退院するまで一度も見舞いには訪れなかった。

 そして神社荒らしの首謀者であり、薔弥に傷害を負わせた友里は現在警察が追っているが未だに行方知れずである。

 薔弥が大怪我を負い、入院することになってから約二週間。その間明日歌たちF組や、父親である伸弥が見舞いに来ていたが、そこに透巳の姿は無かった。百弥同様、見舞いに来る価値が無いと判断されたのかと薔弥は考えたが、どうやらそれは間違いであることに気づかされる。


「お久しぶり……ですかね?」
「透巳くん……一人か」


 病室の扉を静かに開けたのは透巳で、薔弥は少々当惑しつつ返事をした。透巳は来客用の椅子に腰掛けると感情の読めない笑みを薔弥に向けた。

 一向に話そうとしない透巳に痺れを切らし、薔弥は先にその口を開く。


「……透巳くん。木藤友里が犯人って、分かっとったやろ?」
「はい。彼女の話はさささんから聞いたことがあったので何となく。それがどうかしましたか?」
「ははっ……」


 天井を見つめたまま問い詰めた薔弥は、透巳が何でもないようにあっさりと肯定したことで毒気を抜かれてしまう。透巳にとってそれがいかにどうでもいいことかを見せつけられているようで、自分の愚かさが心底嫌になってしまったのだ。

 透巳は神社荒らしの首謀者が友里だろうが、彼女が薔弥に復讐を果たそうがどうでも良かった。だからこそ何もしなかった。透巳が本気になれば薔弥に被害が及ぶのを防ぐことだってできたはずだが、透巳は薔弥をそこまでの労力をかけるに値する存在だと認識していないのだ。


「なんで、すぐ警察に知らせなかったんや?」
「は?頼まれてもいないのに何で俺がそんなことしなくちゃならないんですか?それは警察の仕事でしょう?俺は百弥くんの無実を証明できればそれで良かったんですよ。別に首謀者がどうなろうと知ったこっちゃないです」


 この時初めて、薔弥は神坂透巳という人間のことを少しだけ理解できたような気がした。透巳にとって人間は二種類しか存在しない。大事な者か、それ以外か。それ以外は心底どうでもいい。薔弥も友里も、透巳にとって大した違いはないのだ。

 透巳の目的は復讐計画の証拠を消し去ることと、百弥の無実を証明すること。百弥に濡れ衣を着せた友里を罰するために、警察に彼女が首謀者であることを知らせても良いところだが、元はと言えば彼女を貶めた薔弥のせいなので復讐するならそちらの方が適切である。

 だから透巳は何もしなかった。何もしなければ勝手に友里が薔弥に復讐することは目に見えていたからだ。

 
「……すごいなぁ、透巳くん。完全犯罪成立させてもうた」
「……すごいでしょ?」


 透巳が一体どんな反応をするのか気になった薔弥は、唐突に透巳の計画について感嘆の声を漏らした。すると透巳は動じることなく子供のような無邪気な笑みを浮かべ、悪びれることもなくそういい放った。

 ささの件で嫌という程思い知らされたはずなのに、またしても相手の反応に鳥肌が立つほどの恐怖を覚えた薔弥は、乾いた笑みと共にため息を漏らす。


「毎度毎度……俺も学習せぇへんな」


 自嘲する薔弥の声は、二人きりの病室に木霊するにはあまりにも空虚なもので。それでも薔弥にとってそれは、彼が囚われ続けるであろう人生そのものの様でもあった。


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