80 / 100
第二章 仲間探求編
79、戦場の再会3
しおりを挟む
アデルは監獄の中を覗こうと目を凝らすが、兵士たちが邪魔で中の様子を窺うことが出来ない。だが十中八九、その中に林の家族が囚われているのは明らかだった。
アデルは兵士たちにバレないよう頭を引っ込めると、静かに後ろを振り向く。
『兵士が二人ほどいるのだ』
「「っ……」」
兵士に聞こえない程の小声でアデルが告げると、全員が目を見開き口を噤んだ。もしあのまま林が進んでいれば、最悪兵士に家族が殺されてしまったかもしれない。
そこまでの判断能力と素早い対応が出来る兵士とも思えないが、警戒するに越したことは無い。
その兵士たちにはフェイントが効かなかったらしく、メイリーンは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
『申し訳ありません。この城に地下があることを想定していなかったので、フェイントの有効範囲に含まれなかったのかもしれません』
『構わぬ。ここまで辿り着けたのはメイリーンのおかげなのだからな』
フェイントという神の力を行使する際重要になるのは想像と認識である。効力を発揮する範囲をイメージさえ出来ていれば良いのだが、逆にそれが出来ていないと力が反映されないのだ。メイリーンはこの城に地下があると知らず、範囲に含んでいなかったので問題の兵士たちも気絶しなかったのだろう。
メイリーンに非は無いと励ますと、アデルは再び曲がり角から少しだけ顔を覗かせる。
『……眠れ』
自身の背中で眠っているアマノに代わり、アデルはジルの込められた声を発する。その声で命令された兵士二人は抗う暇もないまま意識を手放し、その場に倒れ込んだ。
相変わらず常人離れしているその力を前に、林はどこか遠い目をしている。
「よし。行くぞ」
「おう」
早速アデルたちは曲がり角を曲がると、目的地である監獄へと歩み寄った。林は少し早歩きで監獄の目の前まで進むと、その目を大きく見開く。何故なら思い浮かべない日は無かった彼らの姿が、鮮烈に視界に飛び込んできたから。
『っ!おめぇらっ……!』
『『っ……姉ちゃんっ……』』
愛する家族を再びその目に映した林は思わずガシャン!と檻にしがみつき、絞りだした声で語りかける。再会を渇望してやまなかった林にとって、小さな彼らが再びそう呼んでくれる事実がどれ程の歓喜か、完全に理解できる者など一人たりともいないだろう。
一方、かすれた声で林を呼んだ弟妹は助けが来たことを理解したのか、堪え切れなくなったように涙を浮かべている。十代前半ぐらいの男児、十歳に満たない程度の女児、五歳ぐらいの男児の三人である。彼らは特段怪我をしている様子は無かったが、頬は痩せこけ、身体中汚れており、真面な環境下にいなかったことは一目瞭然であった。
愛する弟妹をこんな監獄に追いやった華位道国に対する怒りで林はどうにかなりそうだったが、グッと歯を食いしばってその感情を抑え込む。今は怒り狂うよりも、彼らを救出することが先決だと考えたからだ。
『待ってろお前ら。すぐ出してやるっ』
『『うん……』』
そう言った林は檻の隙間に両手を滑り込ませガシッと掴むと、思いきり力を入れ始めた。リオやアデルが剣で壊してしまえば良かったのだが、林の迫力が凄まじすぎて、誰一人として手を挙げることが出来なかったのだ。
「っ……」
とは言っても林の怪力も凄まじいので、彼女はものの十数秒でその檻をぐにゃりと変形させてしまった。ぽっかりと、子供一人であれば難なくすり抜けられる程の穴を作った林は檻から手を離すと、腕を休ませるようにプラプラと振る。
『ほら。もう出てきて大丈夫だぞ』
『うんっ……』
林が手を差し出すと、まず最初に妹がその手を取って檻から出てきた。妹が泣きながら林にしがみつくと、彼女は安心させるように頭を撫でてやる。
それから長男が末っ子を抱き上げ、そのまま林に手渡して檻から出してやり、最後にその長男が自身の力だけで脱出した。
こうして無事林の弟妹は監獄から抜け出せたのだが、メイリーンには気掛かりなことがある。
「怪我は無いようですけど……少しやつれていますね。私が治療します」
「怪我もねぇのに治療できるのか?」
「私の行使する力は病を治すことも可能です。衰弱は病に分類されますから」
何でも無い様にメイリーンが答えると、林は酷く感心したように「ほう」と声を漏らす。神の力の一つである〝ヒーリング〟はどんな不治の病も、治療不可能な大怪我でも、対象が死んでさえいなければ完治させることが出来る当に神業なので、林が感心してしまうのも無理はない。
『姉ちゃん……この人たち、だれ?』
メイリーンが治療する前にそんな疑問を零したのは、林のスカートをぎゅっと握っている妹だ。彼女の問いで我に返ったのか、弟妹たちは見知らぬレディバグ一行に警戒心を覗かせる。
『お前らを助け出すのに協力してくれた奴らだ……あぁ、悪魔の愛し子とかもいるけど気にすんな』
『え……うわっ!ホントだ!』
「…………」
林がシレっと言ってのけたことで、弟妹たちは漸くこの場に悪魔の愛し子がいることに気づき、驚きで目を見開いた。特に長男は一番驚いており、林とアデルに交互に視線を送っている。
悪魔の愛し子に対する興味を抱くのと同時に、その事実をついでの様に知らせた林の感覚が信じられないのだろう。驚いてはいるのだが、そこに憎悪や恐怖といった嫌な感情は窺えられず、林との血の繋がりを感じざるを得なかった。
「んな大袈裟に驚くなよ。馬鹿だけど悪い奴では無いぞ」
「姉ちゃんがそう言うなら別にいいけどよ」
「ていうかアデルん、割と酷いこと言われてるんだから少しは怒りなよ」
「?」
林に好き勝手言われているというのに、否定も肯定もしないアデルにリオは思わずツッコみを入れた。それでもキョトンと首を傾げているアデルを目の当たりにした弟妹たちは、そのつぶらな表情だけで彼が悪では無いことを本能的に感じ取った。
弟妹たちがアデルたちに対する警戒心を解いたことを悟ると、メイリーンは本題に入るように口を開く。
「治療をする前に、少し歌を歌っても良いですか?」
「歌?」
「メイリーンは歌を歌わないと力を使えないのだ」
「なんだそのクソ面倒なシステム」
「まぁそう言うでない。メイリーンはとても歌が上手いのでな、聴いて損は無いのだ」
メイリーンが力を借り受けている存在――神アポロンが音楽好きという事情を知らない林は腑に落ちないように首を傾げた。そんな林を宥めるアデルは困ったように眉を下げている。
『お歌、歌ってくれるの?』
「?」
「妹が、歌ってくれるのかって聞いてる」
「あぁ……はい。残念ながら華位道国の歌は歌ってさしあげられませんが――」
林の妹に尋ねられ、メイリーンは視線を合わせるようにしゃがみ込む。その際、美しい所作でスカートの裾を膝の裏に折り込んだメイリーンに、彼女は目を奪われる。
メイリーンはそのまま深呼吸すると、緩やかに歌い始めた。初めて彼女の歌を聴いた林たちはその美声に思わず目を見開き、しばらくは硬直した状態で聴き入っていた。だがその歌の一番が終わる頃には慣れてきたのか、純粋に彼女の歌を楽しみ、酔いしれていた。
特に弟妹たちはキラキラと瞳を輝かせながら、リズムに合わせて身体を揺らしており、歌という一種の娯楽を前に興奮を隠しきれずにいるようだ。長いこと監獄に囚われていた彼らにとって久方ぶりの娯楽が、世界一の歌姫による極上の音楽なのだから、その喜びは一言では言い表せるものでは無いだろう。
幼い彼らに向けてメイリーンが歌う微笑ましい光景を眺めていたアデルはふと、彼女と出会ったばかりの頃のことを思い出す。かつてメイリーンもサリドによって鳥籠の様な檻に囚われ、その自由を奪われていた。その恐怖のせいで歌えなかった彼女が、今では自身と同じような境遇にいた彼らに歌を送っている。その事実が何とも感慨深く、アデルは思わず破顔する。
「ヒーリング」
歌い終えたメイリーンは静かに詠唱した。すると白く暖かな淡い光がその場を包み込み、林たちは驚きで目を見開く。弟妹たちは怪我をしていなかったので、傍から見るとあまり変化を感じられないが、当人たちはその効果を十分に感じ取っていた。
怠かった身体が監禁される以前と同じぐらいに回復し、痩せこけた頬もふっくらとしたので、弟妹たちは嬉々とした相好を露わにする。
『すごいっ……身体が軽くなった……』
『お姉さん凄いね!』
『すごぉい……』
長男、次女、次男の順に称賛の声を送ると、メイリーンは照れたように頬を染めてしまう。華位道国の言語なので何を言っているのかは分かっていないのだが、その興奮気味な声音で称賛されていることだけは理解できたのだ。一方、手の甲に走っていた痛みが消えていることに気づいた林は、思わず自身の手をまじまじと観察し、扉を破壊した時の傷が完全に塞がっていることを悟った。
「アタシの分までわりぃな」
「いえ……一気に全員を治療する方が楽なので」
「俺たちの分もありがとね、メイメイ」
「はい」
メイリーンはその場にいる全員の治療をしたので、リオたちが負っていた小さな擦り傷や切り傷も治っていたのだ。林やリオから感謝の言葉を受け取ったメイリーンは、少し気恥ずかしそうに破顔した。
「あぁそうだ、お前ら。コイツらのおかげで助かったんだ。ちゃんと礼言えよ」
「そういう姉ちゃんは言ったの?」
「ぐっ……」
長男だけはアンレズナの共通言語を話せるのか、彼はアデルたちにも分かるように尋ねた。長男と言っても、年はかなり離れている弟に言い負かされ、林は思わず言葉を詰まらせる。確かに記憶を思い起こすと、林は兵士を始めとする華位道国の人々を気絶させたメイリーンにしか礼を言っておらず、そもそもの発端であるアデルにはキチンとした感謝を告げていなかったのだ。
「………………おいアデル」
「?」
長い沈黙の後、林は低く唸るような声でアデルを呼んだ。呼ばれた彼はキョトンと首を傾げる。
「あ…………」
「ん?すまぬ、よく聞こえぬのだ」
普段は威勢の良いはきはきとした声で話すというのに、この時ばかりは小さく聞き取り辛い声でごにょごにょと言い淀む林。思わずアデルは当惑気味に聞き返した。
「っ……あんがとよっつったんだよクソが!」
「っ……!」
礼を言いながら罵るという、斬新な感謝の仕方をした林は、顔を茹でダコのように真っ赤に染め上げている。恥ずかしさが限界値を突破したのか、林は込み上げる力のままにアデルを殴ろうとするが、咄嗟にその拳を彼が包んだことで大事には至らなかった。
パシッと心地の良い音が鳴り、アデルは安堵のため息を漏らす。
「急に殴るでない、林」
「けっ……」
「リンリンはツンデレなのね」
「「?」」
そつなく自身の攻撃を受け止められたので、林は悔し気に顔を逸らすとアデルから少し離れた。微笑ましいものを見る様な表情で言ったリオに、全員が首を傾げてしまう。
「すいません。こんな姉で……」
「おい」
「……そんなこと無いのだ」
長男が林に代わって非礼を詫びると、〝こんな姉〟呼ばわりされてしまった彼女は不満気な声を上げた。アデルはそんな彼の発言を否定すると、何を思ったのか弟妹たちの前でしゃがみ込んだ。
アデルが同じ目線の高さに合わせると、弟妹達は当惑気味に首を傾げてしまう。
「三人の名前を教えてくれるか?」
「えっと、俺が皓然で妹が悠然、弟が思然です」
華位道国の言葉が話せない悠然、思然に代わって長男の皓然が三人分の名前を答えてやった。
「皓然、悠然、思然。よいか?林はお主たちの為、たった一人で戦場に立ち、敵であった我に勇敢に立ち向かってきたのだ。我は林の様に、己の力のみでここまで勇ましく振舞える女性を他に知らぬ。林はとても強い……尊敬に値する女性なのだ。〝こんな姉〟などではない。もっと誇ると良いのだ。自分たちの姉はこんなにも強いのだと」
酷く優しい眼差しを弟妹達に向けながらアデルが言うと、全員が思わず息を呑んだ。悠然と思然はアデルが何を言ったのか聞き取れていないが、それでも彼の真剣な瞳を見れば、大事なことを話していることは理解できていた。
そんな中、誰よりも驚きで目を見開いていたのは林である。アデルからの印象に驚いたのも理由の一つではあるが、彼女が心を動かしたのは彼が称賛の言葉をくれたからではない。
林はこれまでの人生、その底知れない力を称賛されたことは何度かあった。だがその粗暴な振る舞いや、男顔負けの馬鹿力を目の当たりにした者たちは、誰一人として彼女を女性として扱わなかったのだ。
だがアデルははっきりと、尊敬に値する女性と口にした。林の実力を認めて尚、アデルが自身を女性として見てくれることが、林にとっては何よりも衝撃的だったのだ。
「……はいっ!」
「うむ。良い返事である」
皓然が元気よく返事をすると、アデルは満足気に頷きながら彼の頭を優しく撫でた。一方の林はそんなアデルを熱の籠った視線で捉えながら、高鳴る心臓を抑え込もうと奮起するのだった。
アデルは兵士たちにバレないよう頭を引っ込めると、静かに後ろを振り向く。
『兵士が二人ほどいるのだ』
「「っ……」」
兵士に聞こえない程の小声でアデルが告げると、全員が目を見開き口を噤んだ。もしあのまま林が進んでいれば、最悪兵士に家族が殺されてしまったかもしれない。
そこまでの判断能力と素早い対応が出来る兵士とも思えないが、警戒するに越したことは無い。
その兵士たちにはフェイントが効かなかったらしく、メイリーンは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
『申し訳ありません。この城に地下があることを想定していなかったので、フェイントの有効範囲に含まれなかったのかもしれません』
『構わぬ。ここまで辿り着けたのはメイリーンのおかげなのだからな』
フェイントという神の力を行使する際重要になるのは想像と認識である。効力を発揮する範囲をイメージさえ出来ていれば良いのだが、逆にそれが出来ていないと力が反映されないのだ。メイリーンはこの城に地下があると知らず、範囲に含んでいなかったので問題の兵士たちも気絶しなかったのだろう。
メイリーンに非は無いと励ますと、アデルは再び曲がり角から少しだけ顔を覗かせる。
『……眠れ』
自身の背中で眠っているアマノに代わり、アデルはジルの込められた声を発する。その声で命令された兵士二人は抗う暇もないまま意識を手放し、その場に倒れ込んだ。
相変わらず常人離れしているその力を前に、林はどこか遠い目をしている。
「よし。行くぞ」
「おう」
早速アデルたちは曲がり角を曲がると、目的地である監獄へと歩み寄った。林は少し早歩きで監獄の目の前まで進むと、その目を大きく見開く。何故なら思い浮かべない日は無かった彼らの姿が、鮮烈に視界に飛び込んできたから。
『っ!おめぇらっ……!』
『『っ……姉ちゃんっ……』』
愛する家族を再びその目に映した林は思わずガシャン!と檻にしがみつき、絞りだした声で語りかける。再会を渇望してやまなかった林にとって、小さな彼らが再びそう呼んでくれる事実がどれ程の歓喜か、完全に理解できる者など一人たりともいないだろう。
一方、かすれた声で林を呼んだ弟妹は助けが来たことを理解したのか、堪え切れなくなったように涙を浮かべている。十代前半ぐらいの男児、十歳に満たない程度の女児、五歳ぐらいの男児の三人である。彼らは特段怪我をしている様子は無かったが、頬は痩せこけ、身体中汚れており、真面な環境下にいなかったことは一目瞭然であった。
愛する弟妹をこんな監獄に追いやった華位道国に対する怒りで林はどうにかなりそうだったが、グッと歯を食いしばってその感情を抑え込む。今は怒り狂うよりも、彼らを救出することが先決だと考えたからだ。
『待ってろお前ら。すぐ出してやるっ』
『『うん……』』
そう言った林は檻の隙間に両手を滑り込ませガシッと掴むと、思いきり力を入れ始めた。リオやアデルが剣で壊してしまえば良かったのだが、林の迫力が凄まじすぎて、誰一人として手を挙げることが出来なかったのだ。
「っ……」
とは言っても林の怪力も凄まじいので、彼女はものの十数秒でその檻をぐにゃりと変形させてしまった。ぽっかりと、子供一人であれば難なくすり抜けられる程の穴を作った林は檻から手を離すと、腕を休ませるようにプラプラと振る。
『ほら。もう出てきて大丈夫だぞ』
『うんっ……』
林が手を差し出すと、まず最初に妹がその手を取って檻から出てきた。妹が泣きながら林にしがみつくと、彼女は安心させるように頭を撫でてやる。
それから長男が末っ子を抱き上げ、そのまま林に手渡して檻から出してやり、最後にその長男が自身の力だけで脱出した。
こうして無事林の弟妹は監獄から抜け出せたのだが、メイリーンには気掛かりなことがある。
「怪我は無いようですけど……少しやつれていますね。私が治療します」
「怪我もねぇのに治療できるのか?」
「私の行使する力は病を治すことも可能です。衰弱は病に分類されますから」
何でも無い様にメイリーンが答えると、林は酷く感心したように「ほう」と声を漏らす。神の力の一つである〝ヒーリング〟はどんな不治の病も、治療不可能な大怪我でも、対象が死んでさえいなければ完治させることが出来る当に神業なので、林が感心してしまうのも無理はない。
『姉ちゃん……この人たち、だれ?』
メイリーンが治療する前にそんな疑問を零したのは、林のスカートをぎゅっと握っている妹だ。彼女の問いで我に返ったのか、弟妹たちは見知らぬレディバグ一行に警戒心を覗かせる。
『お前らを助け出すのに協力してくれた奴らだ……あぁ、悪魔の愛し子とかもいるけど気にすんな』
『え……うわっ!ホントだ!』
「…………」
林がシレっと言ってのけたことで、弟妹たちは漸くこの場に悪魔の愛し子がいることに気づき、驚きで目を見開いた。特に長男は一番驚いており、林とアデルに交互に視線を送っている。
悪魔の愛し子に対する興味を抱くのと同時に、その事実をついでの様に知らせた林の感覚が信じられないのだろう。驚いてはいるのだが、そこに憎悪や恐怖といった嫌な感情は窺えられず、林との血の繋がりを感じざるを得なかった。
「んな大袈裟に驚くなよ。馬鹿だけど悪い奴では無いぞ」
「姉ちゃんがそう言うなら別にいいけどよ」
「ていうかアデルん、割と酷いこと言われてるんだから少しは怒りなよ」
「?」
林に好き勝手言われているというのに、否定も肯定もしないアデルにリオは思わずツッコみを入れた。それでもキョトンと首を傾げているアデルを目の当たりにした弟妹たちは、そのつぶらな表情だけで彼が悪では無いことを本能的に感じ取った。
弟妹たちがアデルたちに対する警戒心を解いたことを悟ると、メイリーンは本題に入るように口を開く。
「治療をする前に、少し歌を歌っても良いですか?」
「歌?」
「メイリーンは歌を歌わないと力を使えないのだ」
「なんだそのクソ面倒なシステム」
「まぁそう言うでない。メイリーンはとても歌が上手いのでな、聴いて損は無いのだ」
メイリーンが力を借り受けている存在――神アポロンが音楽好きという事情を知らない林は腑に落ちないように首を傾げた。そんな林を宥めるアデルは困ったように眉を下げている。
『お歌、歌ってくれるの?』
「?」
「妹が、歌ってくれるのかって聞いてる」
「あぁ……はい。残念ながら華位道国の歌は歌ってさしあげられませんが――」
林の妹に尋ねられ、メイリーンは視線を合わせるようにしゃがみ込む。その際、美しい所作でスカートの裾を膝の裏に折り込んだメイリーンに、彼女は目を奪われる。
メイリーンはそのまま深呼吸すると、緩やかに歌い始めた。初めて彼女の歌を聴いた林たちはその美声に思わず目を見開き、しばらくは硬直した状態で聴き入っていた。だがその歌の一番が終わる頃には慣れてきたのか、純粋に彼女の歌を楽しみ、酔いしれていた。
特に弟妹たちはキラキラと瞳を輝かせながら、リズムに合わせて身体を揺らしており、歌という一種の娯楽を前に興奮を隠しきれずにいるようだ。長いこと監獄に囚われていた彼らにとって久方ぶりの娯楽が、世界一の歌姫による極上の音楽なのだから、その喜びは一言では言い表せるものでは無いだろう。
幼い彼らに向けてメイリーンが歌う微笑ましい光景を眺めていたアデルはふと、彼女と出会ったばかりの頃のことを思い出す。かつてメイリーンもサリドによって鳥籠の様な檻に囚われ、その自由を奪われていた。その恐怖のせいで歌えなかった彼女が、今では自身と同じような境遇にいた彼らに歌を送っている。その事実が何とも感慨深く、アデルは思わず破顔する。
「ヒーリング」
歌い終えたメイリーンは静かに詠唱した。すると白く暖かな淡い光がその場を包み込み、林たちは驚きで目を見開く。弟妹たちは怪我をしていなかったので、傍から見るとあまり変化を感じられないが、当人たちはその効果を十分に感じ取っていた。
怠かった身体が監禁される以前と同じぐらいに回復し、痩せこけた頬もふっくらとしたので、弟妹たちは嬉々とした相好を露わにする。
『すごいっ……身体が軽くなった……』
『お姉さん凄いね!』
『すごぉい……』
長男、次女、次男の順に称賛の声を送ると、メイリーンは照れたように頬を染めてしまう。華位道国の言語なので何を言っているのかは分かっていないのだが、その興奮気味な声音で称賛されていることだけは理解できたのだ。一方、手の甲に走っていた痛みが消えていることに気づいた林は、思わず自身の手をまじまじと観察し、扉を破壊した時の傷が完全に塞がっていることを悟った。
「アタシの分までわりぃな」
「いえ……一気に全員を治療する方が楽なので」
「俺たちの分もありがとね、メイメイ」
「はい」
メイリーンはその場にいる全員の治療をしたので、リオたちが負っていた小さな擦り傷や切り傷も治っていたのだ。林やリオから感謝の言葉を受け取ったメイリーンは、少し気恥ずかしそうに破顔した。
「あぁそうだ、お前ら。コイツらのおかげで助かったんだ。ちゃんと礼言えよ」
「そういう姉ちゃんは言ったの?」
「ぐっ……」
長男だけはアンレズナの共通言語を話せるのか、彼はアデルたちにも分かるように尋ねた。長男と言っても、年はかなり離れている弟に言い負かされ、林は思わず言葉を詰まらせる。確かに記憶を思い起こすと、林は兵士を始めとする華位道国の人々を気絶させたメイリーンにしか礼を言っておらず、そもそもの発端であるアデルにはキチンとした感謝を告げていなかったのだ。
「………………おいアデル」
「?」
長い沈黙の後、林は低く唸るような声でアデルを呼んだ。呼ばれた彼はキョトンと首を傾げる。
「あ…………」
「ん?すまぬ、よく聞こえぬのだ」
普段は威勢の良いはきはきとした声で話すというのに、この時ばかりは小さく聞き取り辛い声でごにょごにょと言い淀む林。思わずアデルは当惑気味に聞き返した。
「っ……あんがとよっつったんだよクソが!」
「っ……!」
礼を言いながら罵るという、斬新な感謝の仕方をした林は、顔を茹でダコのように真っ赤に染め上げている。恥ずかしさが限界値を突破したのか、林は込み上げる力のままにアデルを殴ろうとするが、咄嗟にその拳を彼が包んだことで大事には至らなかった。
パシッと心地の良い音が鳴り、アデルは安堵のため息を漏らす。
「急に殴るでない、林」
「けっ……」
「リンリンはツンデレなのね」
「「?」」
そつなく自身の攻撃を受け止められたので、林は悔し気に顔を逸らすとアデルから少し離れた。微笑ましいものを見る様な表情で言ったリオに、全員が首を傾げてしまう。
「すいません。こんな姉で……」
「おい」
「……そんなこと無いのだ」
長男が林に代わって非礼を詫びると、〝こんな姉〟呼ばわりされてしまった彼女は不満気な声を上げた。アデルはそんな彼の発言を否定すると、何を思ったのか弟妹たちの前でしゃがみ込んだ。
アデルが同じ目線の高さに合わせると、弟妹達は当惑気味に首を傾げてしまう。
「三人の名前を教えてくれるか?」
「えっと、俺が皓然で妹が悠然、弟が思然です」
華位道国の言葉が話せない悠然、思然に代わって長男の皓然が三人分の名前を答えてやった。
「皓然、悠然、思然。よいか?林はお主たちの為、たった一人で戦場に立ち、敵であった我に勇敢に立ち向かってきたのだ。我は林の様に、己の力のみでここまで勇ましく振舞える女性を他に知らぬ。林はとても強い……尊敬に値する女性なのだ。〝こんな姉〟などではない。もっと誇ると良いのだ。自分たちの姉はこんなにも強いのだと」
酷く優しい眼差しを弟妹達に向けながらアデルが言うと、全員が思わず息を呑んだ。悠然と思然はアデルが何を言ったのか聞き取れていないが、それでも彼の真剣な瞳を見れば、大事なことを話していることは理解できていた。
そんな中、誰よりも驚きで目を見開いていたのは林である。アデルからの印象に驚いたのも理由の一つではあるが、彼女が心を動かしたのは彼が称賛の言葉をくれたからではない。
林はこれまでの人生、その底知れない力を称賛されたことは何度かあった。だがその粗暴な振る舞いや、男顔負けの馬鹿力を目の当たりにした者たちは、誰一人として彼女を女性として扱わなかったのだ。
だがアデルははっきりと、尊敬に値する女性と口にした。林の実力を認めて尚、アデルが自身を女性として見てくれることが、林にとっては何よりも衝撃的だったのだ。
「……はいっ!」
「うむ。良い返事である」
皓然が元気よく返事をすると、アデルは満足気に頷きながら彼の頭を優しく撫でた。一方の林はそんなアデルを熱の籠った視線で捉えながら、高鳴る心臓を抑え込もうと奮起するのだった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……
タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
99歳で亡くなり異世界に転生した老人は7歳の子供に生まれ変わり、召喚魔法でドラゴンや前世の世界の物を召喚して世界を変える
ハーフのクロエ
ファンタジー
夫が病気で長期入院したので夫が途中まで書いていた小説を私なりに書き直して完結まで投稿しますので応援よろしくお願いいたします。
主人公は建築会社を55歳で取り締まり役常務をしていたが惜しげもなく早期退職し田舎で大好きな農業をしていた。99歳で亡くなった老人は前世の記憶を持ったまま7歳の少年マリュウスとして異世界の僻地の男爵家に生まれ変わる。10歳の鑑定の儀で、火、水、風、土、木の5大魔法ではなく、この世界で初めての召喚魔法を授かる。最初に召喚出来たのは弱いスライム、モグラ魔獣でマリウスはガッカリしたが優しい家族に見守られ次第に色んな魔獣や地球の、物などを召喚出来るようになり、僻地の男爵家を発展させ気が付けば大陸一豊かで最強の小さい王国を起こしていた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる