レディバグの改変<L>

乱 江梨

文字の大きさ
上 下
89 / 100
第三章 神界編

87、神1

しおりを挟む
 林とその弟妹たちは、レディバグ一行より一足先に亜人の国から旅立ったのだが、林は彼らと別れる際、約束していた〝ダンジョンへの地図〟をアデルに手渡してくれていた。

 その地図を頼りに、アデルたちは天界に通ずるダンジョンへ向かうことになった。地図によると、ワゴン車ではとても通れないような細い道も道中あったので、アデルたちは徒歩で向かうことにした。

 歩きながらの移動はどうしても時間がかかってしまうので、アデルは道すがら全員が入れる家を作って、夜はそこで寝泊まりをした。

 その繰り返しで少しずつ進んで行ったレディバグ一行は、数日で目的地に到着するのだった。


「それにしてもこの地図……孫林様が作ったとは思えない程丁寧な作りですね。少々感心してしまいました」


 件のダンジョンに辿り着く直前、地図をまじまじと観察していたルークはそう呟いた。地図を渡されたはいいものの、それを正確に読み解く自信のある者があまりいなかったので、満場一致で道案内はルークに任せようという結論に至ったのだ。

 林のことを褒めているようで若干貶しているルークに、各々苦笑いを浮かべてしまうが、彼女の作った地図の出来が優れているというのは間違いなかった。


「林はしっかりしているのでな……もしかするとルークと気が合うかもしれぬぞ?」
「そうですか…………あ……アデル様」
「ん?」


 突如その足を止めたルークに全員が首を傾げるが、彼の視線を追うとその理由を悟る。


「どうやらここのようです……目的のダンジョンは」
「「っ!」」


 アデルたちの視界に映るのは、生い茂った枝葉に囲まれながら、大きく聳え立つ一つの門。随分と古びたその門に光が差し込むことは無く、暗く物々しい雰囲気を放っている。
 ダンジョンの入り口と思われるその門の向こう側は、真っ暗で一切様子を窺うことが出来ない。

 そんな中。リオはとある違和感に気づいて門へと歩み寄る。

 その違和感は、暗然とした門には似つかわしくない、キラキラとした装飾が施されたボードが原因で引き起こされていた。カラフルな色合いで目がチカチカしてしまいそうなそのボードは、門の取っ手部分にかけられており、色とりどりのインクで何やら文字が書かれていた。


「Welcome to Mikoto’s Dungeon……?」
「「?」」


 そのボードに書かれた文を読み上げたリオは、その衝撃に思わず声を震わせた。一方のアデルたちは、リオが何と言ったのかまるで理解できず、ポカンと首を傾げている。

 リオはこの世界に生を享けて以来の衝撃を受けており、目を見開いたまま、指一本動かすことも儘ならない。リオが硬直している理由すら分からないアデルたちは当惑しつつも、心配そうに彼の様子を窺っている。


「……何でこの世界に英語があるのよ……これ書いた奴、何者?」
「リオ?大丈夫であるか?」
「……確認だけどさ。この文章読めちゃう人なんていないよね?」


 念の為リオは尋ねるが、全員首を横に振って否定を示した。この世界に存在しない言語なので当然だが、目の前のボードに記されている文章は確かに存在しているので、一体誰がこれを書いたのかという問題が残ってしまう。


「リオには読めるのか?」
「うん……これ、俺が前世で生きてた世界の言語だから」
「っ!それは本当であるか?」
「うん……母国語はこれじゃないけど、この文章読めない馬鹿はそうそういないし…………にしてもこれ、どういうこと?俺みたいな転生者が他にもいるってこと?」


 アデルに尋ねられてもどこか上の空なリオは、悩ましそうな声を上げて頭を抱えた。この無駄に派手なボード――恐らくウェルカムボードは、確実に英語という言語の存在を知っている者によって作られたものだ。ということは、リオと同じように前世の記憶を保持したまま、この世界に転生した人物が存在する可能性が高くなってくる。


「あの……因みに、何と書かれているのですか?」
「〝ミコトのダンジョンへようこそ〟って書いてあるから……多分これ、このダンジョンを作った、ミコトっていう人が書いたのかも」


 ルークの問いに対し、リオは自身の推測を語った。


「ふむ……疑問は残るが、ここで考えていても埒が明かないのだ。取り敢えずダンジョンに入ってみるとしよう」
「うん……」


 アデルの鶴の一声で、早速ダンジョン攻略に勤しむことになった彼らはそのミスマッチな門を潜り、ダンジョンに足を踏み入れるのだった。

 ********

 ガタン、と。門が完全に閉まった途端、真っ暗で何も見えなかったダンジョンに突如光が灯る。どういう原理で明るくなっているのか全く理解できない上、あまりこの世界には馴染みの無い色をした灯りであった。
 例として挙げるのであれば、メイリーンが力を行使する際に放つあの温かい光だ。白く、温かく、淡いのに存在感のある――神が発するその光に、階層全てが包まれている様な空間であった。

 だが、その神秘的な空間に浸っている暇など、アデルたちには無かった。何故なら――。


「「ぐぎゃあああああああああああああああああああ!!」」
「うわぁ……いきなりじゃん」


 ダンジョンに入って早々、最初の敵――災害級野獣がその姿を露わにしてしまったから。その上、現れた三体の災害級野獣は全てレベル四で、S級冒険者でも一人では倒せないレベルである。半端な戦士であれば、一メートルも進ませる気の無いこのダンジョン制作者に、リオは思わず苦笑いを零してしまう。

 このダンジョンを攻略した先に、天界への道が開かれるという噂が眉唾物で無いのであれば、この難易度も頷けるが、真っ赤な嘘であればただの悪趣味なダンジョンである。

 敵は二メートル越えの鳥類と、五メートル越えの獅子と、人骨の姿をしながら、五メートル弱はあるアンデットだ。アンデットは厳密に言えば災害級野獣には分類されないのだが、その区別が出来ていない一般人は多くいる。

 序盤からかなりの強敵が出現したことで彼らは気を引き締めるが、この間、何か考え込んでいたアデルが不意に口を開く。


『……死ね』
「「…………」」


 アデルが声を発した途端、全員が思わず目を点にしてしまう。何故なら、つい先刻まで目の前にいた敵があっさりとその場に倒れ込み、うんともすんとも言わなくなってしまったから。

 彼らにも理屈は当然理解できていた。アマノ直伝の方法で、声にジルを乗せて〝死ね〟と命令したのだから、それを向けられた災害級野獣が息絶えたのは当然である。アデルはアマノと違い、際限なくジルを生みだすことが出来るので、強い命令をしても命の危険は無い。

 だが彼らが呆然としてしまったのは、アデルの早業に驚いたからではない。かなりの高確率で起きてしまうかもしれない、嫌な予感を覚えたからである。


「ふむ……人間や亜人相手だと使えなかったが、災害級野獣に気を遣う必要は無いので試してみたのだが、意外と上手くいくものであるな。確かにジルはゴッソリと削られたが、事前に溜めておけば問題は無いのだ。何せこの方法はかなり楽である。有効活用しない手は無いのだ…………っと、皆……どうかしたか?」


 一人満足気に、先の攻撃を分析していたアデルだが、彼らの意味深な視線が自身に向けられていることに気づくと、当惑気味に尋ねた。


「これさ……もしかしなくても、俺たち最後までいらないんじゃない?」
「…………………………そんなこと無いのだ」
「信じられないぐらい間があったけど」


 リオに尋ねられ、パチクリと頻りに瞬きしたアデルは数秒間の沈黙の後、何事も無かったかのような声音で言った。キョトンと白を切るアデルに、リオは思わずジト目を向けてしまう。

 リオたちが感じていた嫌な予感というのは、このダンジョンをアデル一人の力で攻略出来てしまうのでは無いかという可能性である。声にジルを乗せて命じるあの力は、強敵であればある程ジルを消費してしまうが、アデルに限って言えばジルの心配をする必要が無い。つまり命令が成功さえすれば、敵はそれに逆らうことが出来ない――絶対不可避の攻撃なのだ。

 要するにどんなに強い敵が相手でも、アデル一人の力で難なく倒せてしまうということである。
 敵が人間か亜人であれば、また話は変わっていただろう。アデルは人間や亜人を殺すことを極力避ける傾向にあり、殺さずして倒す方法を別に考える必要があるからだ。

 今回のことで、殺すことを躊躇わなくなったアデルが如何に脅威的か明らかになったが、今はそのようなことを議論している場合では無かった。


「リオたちがいないと、我が寂しいのでな」
「……」


 恥ずかしそうにはにかんだアデルを前にして、尚も反論できる者などいるはずも無かった。耳障りのいい言葉で誤魔化されたとリオは感じたが、普通に気分が良かったのでアデルを追求したりはしなかった。

 こうして、独走態勢に入ったアデルによるダンジョン攻略は、平和的な雰囲気のままどんどん進められていくのだった。

 ********

 それから、三日が経過した。

 ダンジョンは彼らの想像よりも遥かに深く、一体いくつの階層を渡ったのか記憶できない程であった。そんな長い長い道のりの合間に遭遇する敵はどれも、普通であれば一筋縄で勝てる相手ではなく、彼らで無ければダンジョンの半分も攻略することは不可能だっただろう。

 そして――。


『死ね』


 リオたちの嫌な予感はまんまと的中し、アデルは最深部の最終ボスと思われる敵でさえも、一言発しただけで倒してしまった。

 最終ボスは災害級野獣ではなく、何者かに造られた戦闘人形だったのか、倒した途端に跡形もなくその姿を消してしまった。まるでそんな存在、最初からいなかったように。


「…………何も、起こらないであるな」
「そう、ね……」


 ダンジョンに潜む敵を全て倒したはいいものの、一向に変化が起きないせいでアデルたちは八方塞がりに陥ってしまう。勝手な思い込みで、敵を倒しきれば天界への道が開かれると彼らは想定していたので、倒した後のことを特に考えていなかったのだ。

 或いは、やはり噂は噂でしか無く、都市伝説は都市伝説でしか無かったという可能性だが、これしきでそれを決定づけることはアデルたちには出来なかった。


「何か手掛かりを探すしか無さそうね」
「では手分けして……」


 リオの呟きに逸早く反応したナギカは、手分けしてダンジョン内を探索することを提案しようとするが、その声は遮られた。
 遮られた、というのには語弊がある。何故ならナギカは、自分の意思で口を噤んだからだ。

 そして、ナギカの言葉が途切れて以降、彼らは微かな物音を立てることさえも出来なくなってしまう。

 唐突に現れた、得体の知れない存在に気づいてしまったからだ。

 気づいたと言っても、彼らの視界にその存在が収まっている訳では無い。その存在は彼らの背中側――真後ろで、途轍もないオーラを放っていたのだ。

 見えずとも、その存在が発している雰囲気、威圧感、絶対的なオーラだけで彼らは悟った。それがこの世ならざる者――絶対に敵に回してはいけない強者であることを。


 ゾクリ――。ゾクリ――。ドクン――。ドクン――。

 あのアデルでさえも、恐ろしさのあまり大量の冷や汗を流している。経験したことの無いほど全身は粟立ち、呼吸は荒く、仲間の鼓動が聞こえてくる程、心臓は力強く波打っている。ガクガクと足は震えているというのに、自分の意思で身体を動かすことは一切できない。

 そのせいなのか、慄然とするあまり振り返る勇気が出ないのか。アデルたちは誰一人として、突如現れた謎の存在を、その目で確かめることが出来ずにいた。

 すると――。


「あのさぁ……困るんだよね……」
「「っ……!」」


 その存在が、見兼ねた様に口を開いた。思わず、彼らはビクリと肩を震わせる。低い男性の声で、のんびりとした口調が印象的であった。だが、その言葉一つ一つにも、身震いする様な威圧感を彼らは感じ取ってしまう。

 そんな中、アデルだけは声のする方をゆっくりと振り向き、その存在を目に焼き付けようと試みる。


「……」
「……?あぁ……悪魔の愛し子……」


 アデルの赤い瞳と、彼の青く澄んだ瞳が交錯する。アデルは情報を整理するのに必死で、一方の彼は納得したような声を上げていた。

 コノハよりも高い背丈に、ヒョロヒョロとした身体つき。曇り空のような灰色の髪はうなじが隠れる程伸ばしている。長い前髪で左目を隠しているので、顔の全体像を窺うことは出来ない。その姿はどこからどう見ても人間であったが、彼が人ならざる存在であることはアデルの本能が察知していた。

 アデルが先陣を切ったことで他の面々も一人、また一人と。固まっていた身体を動かして、同じようにその存在を視界に収める。

 人間の姿をしているというのに、人知を超えた存在としか思えない彼を前に、アデルたちが当惑する中。たった一人、全く別の視点で驚きを露わにしている者がいた。


「…………なんで、ジャージに白衣……?」
「「?」」


 謎の存在に対する恐怖と、目の前の光景に対する困惑がリオの中で渦巻く。この世界には存在しないはずの衣服を前に、リオは震える声で素朴な疑問を零すのだった。

 ********

 神琲の拙作「さよなら世界、ようこそ世界」を読んだことのある方であれば、気づけたでしょうか?何をとは、敢えて言わないでおきます。
しおりを挟む

処理中です...