お菓子の船と迷子の鳩

緋宮閑流

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第5章

#01

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プロミネンスウィンディアの歴史は古い。しかし最初から現在のような大国家ではなかった。むしろ辺境の街だった時期のほうが圧倒的に長い。

彼らが信仰していた神は太陽神や月神、大地の神といった当時代表的な神々ではなく、漁村を中心に各地で細々と祀られていた星の神。後に悠星教と呼ばれ広く大陸に鳴り響くその教えは、しかし当時は港町の隅に在る教会で密やかに囁かれるほどのものでしかなかった。
信仰者の大半が船乗りであるという性質により港町から港町へと波及したものの、各地土着の伝え語りが都合良く融合したりもしてその信仰内容は各地で違う曖昧なものと成り果てていた。故に同じ神を信仰しながら仲間意識や使命感は薄く、同教者同士の争いすら起こっていたという。

そんな星の神への信仰を取り纏めたのが当時辺境の一都市であったプロミネンスウィンディアだった。
周辺地域における統治者のお膝元ではあるものの名前ばかり御大層で特に目立った産業も無く、港町らしい雑多な土産物と海に接する山の中腹に並ぶささやかな湯治宿が目玉といえば目玉であった地味な街。そんな街がどうして急激に東方地域と星神の教えを纏めるに至ったのかは神学者も首を捻るばかりだが、悠星教の教典によればこの街に神の遣いが降りたことがきっかけなのだと記されている。

大地に降りた御使は人の子と共に歩むため人として過ごした。正しい教えを説いて回り、奇跡を起こし、ときに戦の前線にすら立った。神の名と信者たちを護り闘うその姿はまさに天の者と呼ぶに相応しい、優美で、苛烈で、尚且つ慈悲深いものであったという。
しかし人の子として生きる以上、御使にも限界は有った。とある戦のさなかに負傷者の集まる教会を護るため御使はその力を使い果たし、御使による悠星教統一期の幕は閉じた。

御使は紅く燃え立つ炎の髪を持った少年の姿をしていたという。


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「……美味いか?」
茹でてアクを抜いた木の実を、潰し、練って、焼いた、ただそれだけの平パンと果実を煮詰めただけのジャム。
最初のうちこそ温かい食事に警戒していた少年も、甘いジャムに絆されたのか調理された食事を少しずつ口にするようになっていた。
火の問題はかまどを岩壁の窪みに組んでやることで一応の解決となった。火が剥き出しにならないことと、上着でバサバサ扇いでもそう簡単には燃え広がらないこと、大きな火でなければ水で消えることを実践してみせたのが功を奏したといえばそうなのかもしれない。
少年はものを知らないだけで馬鹿ではないのだ。
「まだ有るぞ」
手にしてみせたパンに首を振り、少年がカップを差し出す。どうやら花を煮出した茶が気に入ったらしい。
カップに茶を追加してやる。先日見つけた紅い花は、蜜をふんだんに含んでその香りと同じく味も甘酸っぱい。

ここに住まうならと数日間かけてこの場所を巡ってみたが、神々に愛された楽園というものがあるならここがそうなのだろう、という感想しか出なかった。茶に使った紅い花をはじめ生活に有用だと思われる植物ばかりが育ち、危険に思える場所も無い。
湧き水の流れ落ちる滝、膝までの水量も無い緩やかな流れの小川。地面は柔らかな草に覆われ、食用の実をつける樹や灌木がそこかしこに生えている。
──あまりにも豊かだ。どこか人工的なものを感じるほどに。

木の葉を巻いたカップを大切そうに抱えて中身を吹く少年をチラリと見遣る。穏やかな秘密の園に住まう主はカップの中に広がる紅い水面を無邪気な眼差しで見つめていた。


視線の先に揺れる水面と同じ色の髪を背負って。
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