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第5章
#03
しおりを挟むくんっ、と紅い頭が傾いだ。
翠の瞳と視線は繋がったままだったが、少年が傾げた首に追従した紅い色は立派に暴走者を止める役割を果たしたらしい。翠以外の色と心音以外の音が急速に取り戻された世界はいつも通り、あまりにもいつも通りに穏やかで。
小川の流れる音と梢の擦れる音がさらさらと耳を撫でる。
「……ああ、すまない」
細い肩から手を離し掌底で額を擦りつつ詫びれば、どう勘違いされたのか果実の残りが差し出された。
心なしか曇りを帯びた翠の視線に苦笑する。
「……あー、うん、ゴメンゴメン。奪られて怒ったわけじゃないんだ。でも、有難うな」
ぐいぐいと押しつけられる果実を受け取り啜って見せると、少年の口角が少しだけ上がった。
表情のほとんど変わらなかった少年が数日前から見せるようになった、未だ笑顔になりきれていない笑顔──
ぐりぐりと頭を撫で回してやる。
人は、独りでは笑えないのだ。笑顔を知らない少年がどれほどの期間、森中に生成されたこの窪みで孤独な生活を続けていたのかと考えると、胸の奥がきゅっと縮むような気がした。
ここに慣れた本人にとっては無責任に憐れまれるほうが心外かも知れないが。
「よーし、残りはまだ冷やしといて今度こそジャムで食べような。つまみ食いはナシだ」
ジャムという言葉を覚えたのか、キラキラした目で両手を差し出してくる少年の手をぺちんとはたく。再び苦笑が漏れた。
「晩飯の後だ晩飯の。先ずメシをちゃんと食え」
果皮だけになった果実をぶらぶらと振りながら立ち上がる。
「デカい種が入った柔らかい木の実とシャキシャキする酸っぱい葉っぱも採ってこようぜ。さっき採った塩をかけたら多分美味いと思うんだよな」
果実を割って種を抉り出す手振りをしてやればその意図は通じたようで、少年は少々不服そうな雰囲気を醸し出しながらも『デカい種が入った柔らかい木の実』が実る果樹へと駆け出した。指示された通りにすれば美味しい食事が提供されると学習したのだろう。まるで動物の餌付けだ。
それにしても。
手にぶら下げた果皮を眺める。まさかあんな少年に、突発的にとはいえ劣情をもよおすことになろうとは思わなかった。というか、完全に庇護対象だと思っていた、その筈なのに。
うっかり手を出してしまわないよう、自分自身の処理はちゃんとしよう……
未だぶら下げっぱなしだった果皮を手近な木の根元に投げた。自分は『シャキシャキする酸っぱい葉っぱ』を採りに行かなければ。それが群生する茂みは少年の去った先と反対方向だ。
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