紅き鬣と真珠の鱗

緋宮閑流

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第2章 出逢い

2-3 龍の祠2

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「何をしているの」
怒気を孕んだ声にぴくりと体が震える。
「そんなに引っ掻いたら痛いじゃない」
「……離せ」
自分をここまで連れてきたニンゲンのメスだ。小さく舌打ちするが胸に食い込んだ自分の指が邪魔をしてうまく振り払えなかった。
「離さないわよ、こんな血だらけにして」
「いいから離せ……熱ぃンだよ!」
今度は前脚を掴む小さな指が震える番だ。しかしその指はしつこく前脚を掴み続けて離さない。
再度振り払おうとして、気付いた。目の前にある蒼い大きな目に水の珠が盛り上がっていることに。
またあの熱い水を流す気だ。目から熱水を零して攻撃する種族は見たことが無いが、どうやらニンゲンはそうらしい。あの熱さを思い出し身構えたが水滴は落ちてこなかった。
「……水を……流さないのか」
「水?」
「諍いのときには熱い水をかけるンじゃねぇの?目から」
目?と重ねて尋ねられる。訊いているのはこちらなのだが。
そのニンゲンは数瞬黙ったあと唐突に笑い出した……笑うという行動の形が自分たちと同じならば、だが。
「それ、涙のことかしら」
また目に水を溜めているけれど、自らの指で拭っている。どうやら本人にとっては熱くないらしい。
「そんなの、大人しく寝ている相手にしか当たらないじゃない。なんの武器にもならないわ」
同族にも効かず飛ばすこともできないとしたら確かにそうだ。しかし。
「……目を守るにしたって流石に量が多すぎンだろ。身体が乾いちまう。何の得があるってんだ……」
地上に棲まう者たちも目だけは乾燥に弱いというし、自分たちもヒトガタのときは地上の生物たちと同じように瞼を生成する。眼球の表面に薄く満遍なく水の膜を張れる便利な器官だ。それがあれば目から水分を垂れ流し続ける必要も無い筈だった。
「それに、お前の水はやたら熱ぃ……まーだ頬がヒリヒリしやがる。コレが武器でなくて何だってンだよ」
時々海底から噴出する湧き湯ほどではないが、少なくとも深海の民が避けて通る温度ではある。龍の鱗が在れば肌も守れようが、生憎と今はヒトガタだった。ヒトガタに合わせた鱗は強度的には殆ど役に立たず、動きにくくもなるため纏っていない。こんな攻撃方法があるなら纏っておくべきだったか。
「とりあえず、もうやらねぇからコレも離せ。火傷する」
胸元から前脚を離し軽く振ってやると絡まっていた指はあっさりと解れた。
「わかったわ、あなたは温かいものが苦手なのね。岩場で会ったときにも熱いと言っていたもの」
そうね、と尾へ視線が移る。鰭は裂け鱗も剥がれ、今もなお滲む血が敗北の醜さを強調するその尾を見られたくなどないのだが。
「お魚の化身なのかしら。確かにお魚はいつも冷たいわ……だったらこっちよりお水のほうがよかったかしらね?」
彼女は気にした様子も無く、何か大きなものを床に広げる。見たことの無いそれに興味を引かれ、つい半身を起こしてしまった。
「……これは……なんだ?」
「おふとん」
「オフトン」
聞きなれない言葉。身体を起こして触れてみるとなんだか柔らかい。微妙な弾力が有り、押すと戻ってくる。
「カイメンみたいなもんか…」
「『カイメン』がよくわからないけれど、布の袋に綿を入れたものよ。怪我してるから床に寝るのは痛いと思って」
ほら、とニンゲンが『オフトン』を叩く。
「『ヌノ』『フクロ』『ワタ』」
同じように唱えながら前脚で叩いてみた。少しだけ鰭に似た手触り。
「布もわからないの?服を着ているじゃない」
『フク』と身体のほうを指差される。
「コレは……余った鰭を巻き付けてっだけだ。邪魔だか……ら……」
ついつい返事をしてしまい、気付く。
目の前にいるのは敵なのだ。否、敵対する意思は感じないが少なくとも瘴気を生む憎むべき生物であり、自分の龍型を封じた相手かもしれないのだ。
『オフトン』から離れてごろりと横になる。
「……オレをどうするつもりだ」
「は?」
「……身柄も龍型もお前に捕まっちまったんだ。なんか目的が有んだろーがよ」
せめて教えろ、と呟く。
うーん、とのんびり唸るニンゲンの声に少々苛立ちを覚えた頃──といっても瞬きするほどの時間しか経っていないだろうが──彼女は宣うた。
「傷を手当てしようと思って?」
「は?」
今度はこちらが聞き返す番だった。
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