紅き鬣と真珠の鱗

緋宮閑流

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第2章 出逢い

2-4 龍の祠3

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よもや他種族相手に手当てなどという言葉が出てくるとは思わなかった。傲慢にも程がある──いや、種族によらず他種族の幼生を育てたり助けたりする例は多少有ったか。このニンゲンもその類だろうか。
深く考えるのはやめた。
「酔狂なこったな」
頭を下ろす。
「スイ……なに?」
「……なんでもねぇよ」
龍族は概ね殆どの生物と意思疎通ができるが、今の言葉は上手く翻訳されなかったらしい。まぁ、このニンゲンが理解力の乏しい個体である可能性もあるのだが。
「……じっとしててね」
「……もう好きにしろ」
尾に触れてきた指を、不思議と嫌だとは思わなかった。相変わらず熱いが最初ほどは気にならない……
─────って……
「……っ……痛ってえぇぇぇ?!」
「きゃ?!」
ぬめる何かが傷口に触れた瞬間、ビリビリとした刺激が走り反射的に尾が跳ね上がった。
「急に動かないでよ……びっくりするじゃない」
「びっくりしたのはこっちだ!何だそれ手当てじゃねぇのかよ?!何がしたいんだお前は?!」
「お薬塗ってるだけよ!じっとしてて!」
普通、手当てといったら舐めたり撫でたりするものじゃないのか。傷口を洗うために砂に潜ったり湧き湯に沿って泳いだりするヤツもいるが、他の個体に対して砂や湧き湯をかけたりはしない。
そもそも、海底で他者の手当てなどする者は殆どいないのだ。弱った個体は割と容赦無く他生物の糧となる。海上と海底を行き来する自分でさえ、陸の生き物が弱った個体を守り手当てするのが理解しがたい永遠の謎として脳の片隅に残っているというのに。
「『オクスリ』って何だよ痛ぇんだよ!」
「あー!もう!最初はちょっとしみるけどすぐ痛くなくなるからじっとしてってば!」
そんなことを言われても痛いものは痛い。
また騙されてしまったのか、自分は何度このニンゲンに騙されたら気が済むのか。
尾の一箇所のみを雷で焼かれたようなビリビリ感がすぐ収まるとも思えず暫く転げ回っていたが、いつしかその部分だけが麻痺していることに気付く。確かに痛くない。痛くはないが。
鱗が剥がれ赤黒く擦れたその傷に触れてみる。透明なぬめりが傷口を覆い、血を堰き止めて鱗の代わりに傷を守っていた。
「お魚に効くかどうかは判らないけど」
他の傷にも『オクスリ』が塗られる。再びビリビリとした刺激が走るけれど、今度は身構えていたせいかいくらかマシなうちに痛みがおさまった。
「……なンだコレ」
指先についたぬめりを伸ばしてみる。身を守るために粘液を放射する種は知っているが、その粘液とは違いすぐに切れてしまった。奇妙なニオイもする。少なくとも食欲をそそるニオイではない。
「海藻と薬草を煮出した塗り薬よ」
もう何を言っているか判らない。
とりあえずは少しだけ我慢をすれば痛みは引くので大人しく目を閉じる。
憎いニンゲンの筈なのに、ついつい目を合わせてしまう。言葉を交わしてしまう。少々うとうとしつつその理由を考えて、そしてそれに気が付いた。
瘴気を、感じないのだ。
全くといえば嘘になるが、ニンゲン以外の種族と殆ど変わらなく感じた。世に蔓延るニンゲンどもの吐く瘴気が個々この程度だったならば処理が可能だったのに。
「……なぁ」
眠気に負けてぼんやりと呟く。
「……さっきからさぁ……お魚お魚って……やめてくんねぇ……?……オレ……龍だから魚じゃねぇンだ……」
一瞬、尾に『オクスリ』を塗る手が止まった。
「……名前……………ツミ……」
なんだか眠くてもう駄目だった。痛みが軽くなって身体が休息を始めたのだろう。
眠りに落ちる寸前の朧げな意識にするりと滑り込んできた言葉を復唱する。
「……イスカ……」
多分これが、彼女の名前だ。満足して意識を手放した。
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