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第3章 月の里
3-2 水の知らせ
しおりを挟む「良いお天気ですな、コルリ様」
「ちょうど酪を分けとるんだ。持っていくかね」
作業していた者たちに声をかけられ、発酵乳飲料の入っていると思しき竹筒を振られる。
「有り難いけど、泉の見回りに行くところでね。あとで寄るよ」
この手の誘いに全部乗っていると目的地へ着く前に両手がいっぱいになってしまう。集落に三箇所有る泉を見回り水量や水質を確認、汚れたり壊れたりしていれば整備を行うのだが持ち物が多いと不便なのだ。集落の者もそこは承知で、後ほど屋敷に届けてくれると返答された。
「ありがとう。でもこの前みたいに沢山でなくていい。私とケラだけでは飲みきれないから」
世話係ケラは酪を好むが多く飲むわけではなく、イスカは酪を飲まない。
「イスカ様はまだ酪がお嫌いかねぇ」
「……すまない」
「コルリ様が謝ることじゃありませんや。なぁ、爺さん。醍醐ができたらまた声かければいい。イスカ様もそっちならお好きだ」
竹筒の量を見るに、この家で世話されている山羊はすこぶる元気なようだ。乳も多く出すのだろう。再度礼を述べると良い笑顔が返ってきた。先日の高波は飛沫が岩壁を超えて見えていたから岩肌を好む山羊たちに影響が出ないかと心配したが、岩肌でのんびりと苔を食む山羊たちを見る限り杞憂だったらしい。仔山羊の数も多く元気そうだ。
踏み固められた道に戻ればすれ違った女性たちに手を振られる。女性たちは花でいっぱいになった籠を各々抱えていた。これから集会所で花の下処理をするのだろう。この時期だと香水の仕込みだろうか。
少し歩を進めれば竹を切る者が、畑の手入れをする者が見える。
広場を通れば幼い少女たちが更に幼い子供たちに何かを語って聞かせていた。小さな手に握られたものを見れば岩壁近くに自生する長い草だ。もう実が付いている。その実には果肉が無く食用には向かないが、硬い外皮はひとつひとつ違う模様を持ち艶やかで美しい。その実で装飾品や飛礫を作るのは子供たちが好む遊びの一つだった。
今日も、集落は平和だ。
岩壁に囲まれて外界との接触は殆ど無いが、決まった時期に商人が来ることもあって概ね不自由も無い。難を言えば湧き水が少なく真水の確保に少々苦心するのでもう少し泉が欲しいところだ……まぁ、仕事は増えてしまうが。
涼やかな風を楽しみながら更に歩を進めると、浜洞窟への降り口にイスカを見つけた。集落の浜は人々の住むこの地域から階段を下った洞窟の中に有る。唯一の砂浜は採光をほぼ岩の裂け目に頼っているから昼間でも薄暗く、一日のうちでも賑わうのは太陽が天頂を過ぎて漁船が帰ってくる時間だけ。煮炊きに使う潮水は各々ばらばらと汲みに来るので今は概ね閑散としているはずだった。
「イスカ様、最近よく浜に降りるんだ」
「貝で髪留め作ってもらったの!」
いつのまにか集落の子供たちが寄ってきていたらしい。薄紅色の貝殻を髪に付けた少女の頭を撫でてやる。
この辺りでは少々珍しい貝だ。
「貝が見つかったら順番に作ってくれるんだって!」
「そうか」
おそらく先日の高潮で運ばれてきたのだろう。公平に行き渡れば良いのだが。
それにしても、気になるのはイスカの行き先だ。単に高潮で流れ着いた宝物を集めているだけなら良いのだが、それだけではあるまい。
後ほど浜を歩いてみるか。
いつしか先へ走り去ってしまった子供たちを見送り、泉へ向かう。
集落の泉は三つ有った。龍から賜ったという泉が二つ、集落ができたときにはもう存在していたという岩壁からの湧き水が一つ。
最初は湧くに任せた水溜りだったそうだが世代を重ねるごとに石を積み壁を設け、今では共同水場の水槽として堂々とその佇まいを披露しているのであった。
そんな石を積み上げた水槽壁の隙間には黄色い花弁の中心に銀の粒を抱いた小さな花が咲いている。集落でも泉の周囲にしか咲かないその花を、人々は水呼草と呼んだ。
コルリは水槽に溜まる水の量を確認し、掌に掬って一口含む。岩壁の山羊たち同様に高潮の影響は無く、いつも通りの冷たさと清涼な水の味が口腔を通り抜け喉を滑り落ちてゆく。何も問題は無いようだ。
水槽周囲に吹き溜まった枯葉を片付け、水を司る龍の神に祈りを捧げた。湧き水が尽きぬよう、濁らぬように。この手順で三つの泉を回るのが神官の主な仕事なのだ──
──幼少期から神官として鍛えられた舌が微かな異常を訴えたのは三つ目の泉、最も古い岩壁の湧き水だった。
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