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序章 その男

第5話 本物の天才①

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「……ということだ。ここまでに間違いや質問等あれば、少々重いだろうが挙手で教えてくれ。その時はくつわを外す」

 とはいえ、おおよそ合っているはずだ。
 ……その場合、とある人物には退場してもらうことになるが。


「ふがぁっ! うがあああ!!」


 何かを必死に叫ぶ男が一人。そう、この男だ。
 他の三人はまだまともらしいが、こいつはもうダメそうだ。

「……はあ」

 ため息の一つも出てしまう。
 極限状態になると叫ぶのは、地球も異世界も同じようだ。
 幸い、今回殺すのはではない。普通にやれば問題ないはずだ。


「俺はさっきも、返答以外の行動は認めない、と言ったはずだが?」
「ゔあ゛あ゛あ゛!!」
「お前は無駄だ。俺に無駄は必要ない、なぜなら無駄だからだ」


 目は血走り、噛まされているくつわはすでに元の形が変形しつつあった。

 やはりか。

 俺の見立ては正しかった。


「ふごっ! ふがああ!! うごぉあああ!!」

 思わず顔をしかめる。こんな雑音は聞きたくない。

 少しは静かにしてほしいものだ。
 こんな声を聞いても、耳が腐る。

「無駄は省く。決定事項だ」

 こいつはもう使えない。
 生きていても時間を無駄に浪費するだけだ。

 だが、死んでからは意外と早い。

「ふんぐっ! うがあああ!!」
「最初は怖いし、かなり痛い。だが、転生後の人生をぜひ楽しんでくれ」

「うがああああああ!!」





「死ね」





 パアン!

 自作の拳銃が弾丸を吐き出し、男の頭を貫いて壁に穴があく。銃声が倉庫内を駆け巡る。

 設計図がなくて記憶頼りだったが、うまく作動したようだ。

「……………………」


 そして、長い沈黙。

 男から溢れた血が、俺の革靴の先スレスレまで流れてくる。

について何か一つでも聞き出せればよかったが……収穫は0か。…………当たり前だな」


 おっと、手が汚れてしまった。
 頬にも返り血がついている。不愉快だ。

「誰か、ハンカチ貸してもらっていいか?」

 この人数なら一人くらいは持っていそうだ。
 今度からは常にセットで持ち歩くようにしよう。

 ……つい日本の感覚で頼んでしまったが、ここは略さずにハンケチーフと言ったほうが伝わるだろうか。


「うっ、うぁぁ」
「そうか。ありがとう」

 すると、たった今殺された男の隣にいた少女が、上等なハンカチを渡してくれた。
 彼女の体は震えている。寒いのだろうか。

「助かったよ。寒いならこれを使うといい」

 そういって着ていた上着を着せる。

 本来ならこの男を始末するだけでいい。
 彼女らには、使えるようなら使うくらいしか考えていない。


 そして。
 いまハンカチを俺に渡したこの少女は、直接的には関係のない、全くの被害者である。

 見られた以上は消すしかない。
 とはいえ、多少は見逃してやろうかとも思った。


「……では、常識をきちんと弁えているお前たちにはチャンスを与えよう」

 全員の視線が俺の目に集まる。
 なに、大したことではない。


「各自、命乞いは一回までだ」
「鎖もくつわも外してやる。時間は五分。気に入った者は生かしてやろう」



「いいスピーチを期待してるよ」


 緊張をほぐそうと、ふっ、とはにかむ。

 しかし、この状況では逆効果だったようだ。

 俺が一通ひととおりの説明を終えると、壁に打ち付けられた鎖とくつわに繋がれた男女らは、絶望に染まりきった表情をしていた。



 ◆◆◆



 三日前の朝である。



「師匠。便箋かなにかを使ってもいいですか?」
「便箋かあ……」

 《シルビア》は微妙な顔をしている。

「紙は高価だし、もちろんお金は払います」

 この世界、紙はあまり普及していない。
 というより、使い勝手がいい上に生産方法が職人によって異なるのだ。

 普通は貴族がお抱えの職人を雇って余った紙が市場に回る。A4サイズの紙一枚で、日本円では700円に相当する。

「いや、お金とかはいいよ。そうじゃなくて、便箋は何に使うのか聞いてもいい?」

 身元……俺は特殊だし、多分バレるな。


 


 今回に関しては問題なさそうだ。
 正直に答えよう。

「大学に退学届を出すんです」
「そっか、ならその箱の中に……退学?」

「はい。あの子と一緒に通ってたんですが、もう必要がなさそうなので」
「君がいいならいいと思う。でも、あの子と話し合って決めるべきじゃないかな」

「まあ……そうですね」

 幸い今はだ。
 しばらく級友に会えないのは残念だが、先日の大事件はきっと彼らの耳にも届くはず。

 なにより、俺はあいつを信じている。

 スキル大学でも一、二を競う戦闘力をもつ男。前世からの唯一無二の相棒にして、最高の心友。

 あいつの言葉を借りるなら、いわゆる「ダチ公」というやつだ。

 あいつになら、カナを任せられる。


 カナのことをきちんと考えて守れなかった俺が、彼女にできることなど……何もない。
 やはり彼女とは離れるべきだ。他の誰でもない、カナのために。



 ああ。
 ついに別れが来たか。


 俺は……


「《ヒットマン》? どうしたの?」
「どうしたって、何がです?」

 おっと、視界がぼやけてきた。
 呼吸も荒くなる。目頭が熱い。何かが苦しい。


 持病などなかったはず……睡眠不足にしては変な症状だ。

「いや、何がもなにも……」



「どうして泣いてるの?」


 やけに心配そうな師匠の声。

 俺は、泣いてるのか。

 これがみんなの「泣いてる」なのか。だとしたらみんなも普段から辛い目に遭っていたのだろう。

 なにかが面白くて、懐かしくて、つい笑いが込み上げる。
 
 
「ほんとに大丈夫? 私、イヤなこと思い出させちゃったかな……」

 師匠はどうやら「いい人」らしい。

「いえ、久しぶりに自分の涙を見たのが、懐かしくて」


 そう答えると、なにゆえか師匠の目がぱっと見開かれた。

 様々な学問に精通し、常人以上に多くのことを体験し、長きにわたる英才教育を受けた。
 俺に知らないものなど、もうないと思っていた。


 傲慢だった。


 人はどんなに大切なことも、自分の犯した過ちさえも、忘れてしまう生き物なのだ。

 魔族に転生した俺も、その感情は人間だ。


「こんな感情を忘れていたなんて。俺は魔族失格……いや、人間失格かも知れません」




 ◆◆◆

 同日、《ヒットマン》の通ったスキル大学にて。





「教授、これはどういうことですか!?」

「なんであの二人が急に……まさかあの事件に巻き込まれたの!?」

「あいつら、ただ一週間里帰りするだけだって言ってたじゃねーか!」

「まあ待て、落ち着きなさい。……実のところ、私も動揺しているのだ」


「どうやらこの休学届……あの事件が起こる、彼から速達で出されたようなんだ。重い荷物の入った、大量の木箱と一緒にね」


 教室が静まり返る。

 スキル大学。
 そこは日本の大学とは違い、年齢、性別、学歴に関係なく学問を説いている。
 だが、通えるのは貴族と実力を認められた一握りの天才のみ。

「……やっと小汚い下郎が消えましたか……」

 なんて声も、小さいながらしばしば聞こえる。

 以前、その下郎に雇った騎士百人でかかっておいて、負けて顔にドロを被ったことのある貴族は一体どこのどいつだ、と言いたい。


 だが俺はそんなことよりも、もっと大切なことを聞かなければならなかった。


「教授。……その荷物には手紙が同封されてませんでしたか? 荷物も含めて、俺宛ての」

「む? なぜ君がそれを……その通りだが」

 怪訝そうな態度の教授。この様子では、きっと荷物の中身は知らないのだろう。

 ……本当に全て、あいつの計画通りに事が運んでいるらしい。

 恐ろしいやつだ。万に一つの可能性を残さず潰し、人生を計画通りに進める男。

 裏口から入ったボンボン共とも、実力《転生特典》で入った俺たちとも違う、本物の天才。


 それが、あいつだ。



 その男の名は────

 きっと、カナタちゃんさえも。


 そして、俺のやるべきことは一つ。



 そんなあいつの計画を、ことだ。



「教授、『特待生緊急救済制度』を使います」
「……は?」


「今日から長期休学します。といっても、戻ってくれば復学しますが。今までありがとうございました」

 俺は急いで職員室に向かい、手紙と大量の荷物を回収する。
 それらをマジックアイテムで収納し、愛馬に跨って走らせる。



 お前はきっと、カナタちゃんを俺に任せようとするだろう。そういうヤツだからな。
 だが、生憎と俺には女性と関わる資格がない。



 待ってろ、相棒。

 どんなに辛いことがお前を待ち受けていようとも。
 どんなに悲しいことに直面し、お前が涙を流していようとも……。


 その終わりには、必ず俺が笑わせてやる。


 お前、自分が泣くことはあっても、絶対に他人は泣かせなかったよな。


 最期は笑って死なせてやる。俺より先に、くたばらせてやる。
 お前は知らないかも知れないけどよ──親友残して死んでく方が何倍も辛いんだぜ。こっちの身にもなりやがれ。


 かつてお前が、そうさせてくれたように。
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