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第一章

第13話 前世の記憶と《ヒットマン》

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 時刻は午前4時27分。
 今日は調べたいことがあったので、いつもの二倍早い時間に起きた。

「すぅ……すぅ…………」

 規則的なリズムで寝息を立てる弟子くん。
 調べるというのは、この少年について。

 彼は結局、自分の名前を言わなかった。
 確かに自分の名前を安易に漏らすのはいいことではない。

 私たちがやり取りしている名前には意味がある。
 生まれたときにつけられた名前や、特別な縁をもってつけられた名前などは「真名」と呼ばれ、重要な役割を担っている。

 私が気になっているのは、彼がことだ。

 その意味は確かに伝わった。


 その男の名は、誰も知らない。


 とりあえず《ヒットマン》としておこう。彼が眠っている間にしかできない調査をしようと思う。


 人間は生まれたときからスキルを一つしか持たないが、魔族は二つだ。
 私だってそうだ。……今からそれらのうち一つを使おうと思う。

 
「『スクリーン』」


 瞼を閉じなかったためか、一瞬、ズキッと頭痛がした。
 そして、目を閉じて真っ暗な視界が、段々と明るく鮮明な景色になるのを感じる。


 そう。
 これが私のスキル「スクリーン」、他人の夢を覗き見る能力だ。夢を見ている本人には何も干渉せずにその夢の内容を見ることができる。


 よし、早速見てみよう。


 ◆◆◆



 はあ……。
 小学校の下校用チャイムが鳴り、俺はため息をついた。

 このまま家に帰れば、抗えない苦痛が待っている。しかし寄り道などしようものなら、それはそれで別の苦痛が待っている。

 思えば痛みと苦しみに満ちた人生であった。──




 ──だがそれも、今日までである。

 校門を出るとともに周りに見つからないよう、いつも持ち歩いている手鏡をポケットから取り出す。

 そして、何事もなかったかのように帰路につく。







 横目で鏡を見た。

 一見すると、車がゆっくり走るような閑静な住宅街。

 しかし。

 ……やはり、つけられている。
 俺のおよそ13メートル後方、電柱とブロック塀で微妙に体が隠れてはいるが、その視線は完全にこちらを捉えている。

 遊んでいるのか? それとも俺の正体を知っているのだろうか。
 ……少なくとも、あれで上手くできているとでも思っているのだろうか。

 ……いや、こんな状況に俺が慣れていなければ、実際上手くいっていたのだろう。手鏡で周囲を機にする小学生が、ここ以外にどこにいるというのだ。

 三十代前半くらいの、無地のパーカーとジーパンにマスクをした、細い長身の男。

 その右手にはハンカチが握られている。眠らせるつもりだろうか。


 とりあえず、相手の様子を伺うことにした。
 俺が立ち止まって靴紐を直していると、チャンスと言わんばかりに距離を詰めてきた。

 足取りを見ればわかる。
 あれはだ。

 正攻法じゃなくても、なんだったら遊んでやっても、俺は無事でいられるだろう。

 プロが相手だとこちらも本気で対応する必要があるが、足音さえ気にしないアマチュアごときに手を下す俺ではない。


 徐々に迫ってくる
 どうしたものか。


 ……少しだけ、頭が痒くなった。
 掻くうちにどんどん思考がまとまって、気づけば不敵な笑みを浮かべていた。


 明日は本番だ。
 こいつで予行演習といこうじゃないか!


「ねえ、そこのボク」

 男は早速声をかけてきた。
 ハンカチは手を後ろに回して隠している。

「はい、どうしました?」

 年相応の声音と柔らかい態度で返す。

「いやぁ、おじさん道に迷っちゃってさ。ちょっと案内してもらってもいい?」
「いいですよ。どこに行くんですか?」

 こいつ、マジの初心者だ。
 きっと自分の中でシミュレーションしてきたのだろう、これでは拐うどころか、眠らせることさえ難しくなってくる。

「ああっと、それがさあ、その……あはは、どこだっけ。ちょっと確認するから待っててね」
「はい」

 男はスマホを取り出した。
 こいつの脳みそはヘビ未満だな。

 再び鏡を覗くと、誰かとやり取りをしているようだった。
 なるほどな。

「そうそう、ここなんだけど……」

 男はスマホの画面を見せてきた。
 表示された場所は、人通りの少ない場所にある一軒のラーメン屋。

「そこなら知ってますよ」

 そう言って俺はスマホを強引に取り、男の仲間に一斉にを送った。

 そして、そのままスマホを狭い十字路の真ん中まで投げ。

「あっ!」

 とっさに取りに行く男。
 一瞬クラクションが鳴る音がしたあと──

 ──そのまま男は戻ってこなかった。




「この世界で人を殺すのも、明日が最後かぁ」


 ◆◆◆



「う、うわあああ!!」

 俺は足の装具でバランスを崩し、そのまま線路に転落した。

 周囲からは悲鳴も聞こえた。

「「伊吹!!」」


 母はすぐさま駆けつけた。
 周囲には早速、少ないが見物人が湧いてくる。

 父はそんな周りを一瞥してから、俺を助けようと駆け寄り、手を伸ばした。


「ヒデオお父さん!!」


 俺のその言葉に、誰かが気づいた。


「ねえ、あの子……ピアノとか将棋で有名な、石堂伊吹じゃない?」

「ああ、そうかも。確か今日って、将棋のほうの本番よね」


「じゃあ、あの二人ってもしかして……」
「ああ、間違いない。ピアニストの石堂薫と、楽器メーカー社長の石堂秀雄だ!」

 ひそひそと、しかし確実に、俺たちの身元は知れ渡ったように感じた。

「掴まれ、手は届くか?」

 言葉ではいい表せぬが染み付いた父の手。
 俺はそれに掴まり、ロッククライミングの要領でホームの壁を登っていき――


 ――あらゆる思いを両足に込め、思いっきり父を線路に引きずり下ろした。

「う、うん。ありがと……うわあ!?」

「うおっ!?」


 結果として、俺はとっさにホームに掴まり、父は線路の真ん中に転げ落ちた。

 殺した後は子役デビューもいいかもしれない。なんせ6年以上も全てを偽って演技していたのだ。それに、今後もメディア界とはコネクションを作っておくべきだろう。

「カオルお母さん!!」
「なんてこと……お母さんの手に掴まって! 踏ん張るから、はやく!」
「う、うん!!」

 同じことを繰り返す。





 さあ立ち上がれ、《ヒットマン暗殺者》。

 最終決戦の始まりだ。





「きゃああああ!?」
「お母さん!」
「カオル!!」

 ここまでくれば俺の勝ちだ。ドローはない。敗北もない。必然的に、俺の勝ちだ。

 滑稽だった。無様だった。
 一人だったら笑いすぎてお腹を痛めているころだろう。父がホームから転げ落ち、しかし周囲を気にして俺を殴ることもできない。


 ……さすがにそんなわけにもいかないので、上半身だけホームに乗り上げてこう言った。

「お父さんお母さん、すぐに電車を停めてもらうから、少し待……」


「……お父、さん……?」


 言い終わる前に、右足が掴まれた――

 ――父は、いいや、は俺の右足を掴んできた。

「お前のせいで死んでなどッ……やるものかぁっ!!」


 ──それは執念だった。

 凄まじい執念が、俺の足にしがみついてきた。
 位置の問題で、のセリフは周囲には聞き取れなかったようだ。


 せっかく最期なので、本音で吐き捨てることにした。

 俺は這いあがろうとする男に視線をやって、こう言った。


「その手を放せ。この俺を、誰だと思っている」

「ふざけるな……!!」

 この言葉は、なにもこいつを殺そうとしていることに対して発せられたものではない。
 奴にに対してである。それはつまり、二度と社会に戻ることが出来なくなるということだ。

 いいや、それだけではない。
 ……だが、俺はやる。悪を裁くためだ。

 父はそれほど高い地位を築いている。その実態はもはや一つの財閥と変わらない。
 実際、そういう家系だ。


 だが、俺は気づいた。
 が間違っていることに。

「たった今、俺のこの右足にしがみついている時点で、お前は俺より下なのだ。身の程を知れ!!」


 相手に何もさせずに殺す。抵抗も、反撃も、暗殺の予兆さえ感じとらせず殺す。
 それこそが、俺が生き残る最適解。

 
 俺は奴の手を振り払い、その顔に正面から思い切り蹴りを入れてやった。
 それも、金属製の装具を着けた右足で、何度も何度も、ミシンのように素早く正確に蹴り続けた。


「ぐあああっ!!」

 ただ効率的に相手を無力化するための位置を、機械の如く蹴り続ける。

「今、俺をここから落として自分だけ助かったら、このあとどうなると思う?」


 奴はなにも答えなかった。
 しかし、数秒の沈黙のあと、心底絶望したように目を見開いた。


「失うんだよ」

 言いながら笑みが浮かぶ。

「お前が何年も何十年もかけて、汚い犯罪に手を染めてまで勝ち取った『名誉』を失うんだ。……それだけじゃない、するぞ」


 俺としても、それは避けたい。
 なぜなら、俺たちの死は次のステージへと繋がっているからだ。



 現在だけではない。過去も、未来も、異なる世界も、全てを繋げるのが石堂家の人間の役目だ。



「メディアはお前を追うだろう、そのための根回しは既に済ませた。確かにお前は恐ろしい権力を持っているが、それはお前でなくとも構わない。石堂家の人間として力を持つのは、今やお前と俺だけだ」


「だって、そうだろう?」



「俺の祖父母は、実の母は────」


「──妹は、お前が殺したんだから!!」


 そう、俺は気づいたのだ。
 何もかも、前提が間違っている、と。



 奴の眼光がさらに鋭いものになる。
 俺が気づかないとでも思ったか。

祖父じいさんの遺書を読んだ。。祖母さんの死因を調べた。やったのはお前の部下だった……!」


 なぜ石堂家が、日本の企業の中で最も成功しているのか。
 それは、極めて単純な話だったのだ。


「身内同士の派閥争いで石堂家のを分散させないためには、そもそも家の人間を父と息子の二人だけにだけだからな!!!」

 母数が少なければ、力が分散することはない。
 ましてや、何が起きても常に父親は優位に立つ。

 当たり前だ。働いているのも金を稼ぐのも、全て父親だけで事足りる。よって、なにも貢献することができない子供には、親が死ぬまで従うしかない。


 そして。


「石堂家の子は、いつの日か自分で稼げるようになったとき、。そして常に石堂家の人間を当主のみに調整する」


 これこそが、真実。


 そして同時に「なぜ親は殺されることを良しとするのか」という問題が発生する。
 そしてそれこそが、石堂家の者が例外なく人間離れしたように賢い理由なのだ。

 最初に話を聞いたときはまるで信じられなかったが、この家の起源を辿ればそれも納得した。


 周りには十分な目撃者がいる。
 奴がこれまでしてきたように、本当に起こった出来事を「周知の事実」によって掻き消す役目は、近年のSNSが俺の代わりに務めてくれる。

 ああいう、真偽も定かでないインターネットの記事を調べただけで我が物顔できる、頭の足りない連中は、本当に使いやすい。……実際に関わりたくはないが。こっちまで頭が悪くなりそうだ。


「だから俺は、お前と同じことをする。これが石堂家ののように続いていることは、お前の書斎の仕掛けで知った。だから俺は繰り返す」


「最高のジョークだよな。自分の名誉のために、息子を利用して有名にしたってのに」

 さあ、言ってやれ!

「全てを利用されてたのはお前だったわけだ! それも、ただお前を殺すためだけに利用された!! 結局のところ、俺たちは祖先たちと同じ結末を辿るだけだったんだ!」

 ハッハッハ!!
 フハハハハッハッハ!!

「ふざけるなアアア!! に牙を向けておいて、タダで済むとは思っているのか!!」
「思っているとも! 俺の予想では、向こうの惑星は文明レベルが低いはず。俺にかかれば国家だって三日で滅ぶ」


「戦略において、俺がお前や他人に一度でも負けたことがあったか?! そんなこと、生まれて一度もないのだよ! ハッハッハ!!」

 滑稽だ!
 笑いが止まらない!

「ここで殺すか? 道連れにでもするか? お前一人生き残ったところで、十分な目撃証言は得られるんだよ!! 既に周りは整えたからな」

 分かっているはずだ。当然、言いたいだけだろう。こいつは決してバカではない。それどころか、俺と同等かそれ以上のキレモノというやつである。

「まあ、お前が積み上げてきた社会のピラミッドから飛び降りたいのなら、止めはしないがね」

 今度は逞しく成長した左足で、奴の顎を蹴り上げた。 

「んぐぅっ!! ……ハァ、ハァ……」


 まだ諦めないようだ。
 その汚れきった目が俺を捉え、憎悪の炎を灯している。

「ィイ伊吹いいいいい!! 図ったのかぁ!!」

 なおも俺を落とそうとしてきたので、敢えて線路に降りてから力いっぱいキックをごちそうしてやった。

 自分のなかで、何かがあふれて無くなる感触がした。
 焦げ付いていて、中身がドロドロした、どこまでも黒い何かが、父を蹴る両足を経由して無くなっていく感触が。


 まさに、快感だった。


「汚れた線路がお似合いだよ、敗北者!!」


 爽快だった。爽やかで、愉快で、とにかく心が浄化されていくように感じた。


「伊吹ィ、お前、今までの恩を仇で返すつもりかあああ!!!」

「恩? 恩だと!? お前が俺にやってきたことが、どれだけ俺を歪めてきたと思ってるんだ!!」


 奴の歯が二、三本飛び散った。
 肘の関節を両方とも破壊した。


 骨が砕ける感触は、やみつきになるくらい、いいものだった。


「だが、俺はお前を殺せて非常に爽やかな気分だ!」

 顎を砕かれて言葉も楽に発せない奴のかわりに、こちらの本心を語る。

「俺の人生において、最大最強のラスボスは石堂家だからな。その勝利で出来た顔を殴るたび、俺の心の黒いものがすっと消えていく感触がするんだ!」

 特急の電車が来るまで、あと13秒。

 目の前に、左目をつぶされて、目と口と鼻から血を流す負け犬がいた。
  両腕が折れている。腰をうったから、体重を支えられずに地面に伏してこちらをにらんでいる。

 母がどうなっているか?
 そんなことはどうでもいい。生かしても殺しても価値のない者だ。

「今の俺は、きっとお前が祖父を殺したときと同じ気分を味わっているよ! お前もきっとそうだろう? 殺された祖父の痛みを味わっている!」


「ずっとお前に膝を屈してきた人生で、一番いい気分だ。こういう瞬間に出逢うために人間は生きているんだと痛感するくらい、生きる喜びを感じている! こんなのは初めてだ!!」

 あと8秒。迫る先頭車両も見えてきた。
 周囲の人間も、運転する車掌も、絶対に止めることはない。


 奴の死は、すでに決定した。

 愉快で愉快で、最高の気分だ!



「非常に気分がいい! 今まで味わったことのないくらい、最高の気分だ!」




「ああ、ほんとうに、右も左も腐りきったこの世界でも、生きていてよかった!!」




 迫り来る特急の電車。
 その鉄の塊は、この駅に停まることなく走り抜けていく。


「……」
「……ぅ……ぁああ…………ハア、ハア……」


 母は声が出ていなかった。父はうずくまって喘いでいる。



 俺は父に一発、万感の思いで渾身の蹴りを入れてから、安全な後ろに下がった。


「さ、二人とも。俺の新しい人生の開幕だ! 息子の門出を祝おうじゃないか!!」

 俺は12にして、生まれ変わるのだ。
 明日から俺の名前は「真藤伊吹」だ。
 
「許さん……許してなど、こんなところでぇ……死んでなど、やるものかあああああ!!」


 最後の力を振り絞って、生きようとしている。

 父は立ち上がろうとしたが、よろけて倒れた。

 まさに絶景だ。
 あの石堂社長が、日本の支配者と恐れられた男が地に伏している。俺と父の、立場が逆転したのだ。


「殺して、やる! お前みたいな落ちこぼれに、こんな……こんな……! 殺してやる!!」

 ほう。
 落ちこぼれ、ねえ。

「じゃあ殺してみろよ。その落ちこぼれとやらを」
「うゔゔ……ころ、ず……!」


「せいぜいで自分の過ちを悔いていることだ」

 母は有象無象の一つだが、この男だけは殺せない。

 気の迷いでもいいから、とにかく生への執着を剥がす必要があった。


 そこで、俺は奴の最大の長所弱点である「名誉」を駆け引きに出すことにした。
 案の定、そのことを口にしただけで、ほんの一瞬俺の足を掴む奴の手の力が緩んだ。

 こいつも、腐っても石堂家の人間だったわけだ。

 俺の半生をかけた計画は、全て「計画通り」になった。

 俺は装具を外して右足をまっすぐ突きだし――

































!」



















 いずれまみえることになる父へ、挨拶を餞別に──


「ガタン、ゴトン……ガタン、ゴトン……ガタン、ゴトン……ガタン、ゴトン…………」




 ──自力で立つこともできない、ただのお飾りと化した片足とともに、俺はその呪いと決別した。


 ◆◆◆


 ふぁ~あ。
 前世のときの夢か。良い夢だったな。
 あのときはどう言語化すればいいのかわからない感情で埋め尽くされていたから、展開に合った口調になってしまった。


 さて、そろそろ起きるか。……ん?
 布団を剥ごうとすると、妙に冷たいような、濡れているような感触がした。

 体を起こして目を開けると、そこには──


 ──大粒の涙を流しながら寝室を出る、《シルビア》の姿があった。
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