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58話 鎧熊 その4
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バルディオは団員に向かって、鼓舞するように声を張り上げた。
そんなバルディオに応えるように、団員たちの地を揺るがさんばかりの鬨の声が響き渡る……ことは、残念ながらなかった。
それも無理からぬことなのだろう。
皆、恐怖で足が竦んでしまっていたのだ。
いくら鎧熊に対する訓練はしている、とはいってもそれはあくまで反撃をしてこない木偶相手の話しだ。
長年自警団に勤めているバルディオでさえ、生きた鎧熊と遭遇し、ましてや戦う事などこれが初めてなのだ。
普段、中型の獣の相手しかしたことがない彼らが、自身より遥かに大きな獣と対峙することの精神的負担は計り知れないものがあった。
彼らは辺境の戦士ではあったが、戦うことを本職としている本物の戦士ではない。
その本質は、多少戦い方を心得ている農夫でしかないのだ。
目の前で仲間が無残にやられて、それでも尚戦意を高揚させていられるほど戦い慣れしてはいない。
それでも、いく人かは辛うじてバルディオの指示に反応し、攻勢へと出るがそれも鎧熊の腕の一振りで吹き飛ばされてしまった。
その現状を目の当たりにして、更に団員たちは二の足を踏む……
「くっ……」
こういう事体を想定していなかった訳ではないが、さすがにタイミングが悪すぎた。
バルディオの口からも、ついいら立ちの声がもれる。
「うおおぉぉぉ!!」
そんな中、迅雷の気迫を纏って、鎧熊に一撃を入れんとその背後から攻め入る者の姿があった。
それは、巨大な戦斧を手にしたフェオドルだった。
フェオドルは戦斧を振り上げると、渾身の力を込めて振り下ろす。
しかし……
どっ! と肉を打つ鈍い音がしたのみで、その刃が鎧熊の肉を切り裂くことはなかった。
フェオドルとて、この一撃が鎧熊に効くなどと露ほども思っていない。
だからといって、何もせず見ているだけなど彼の性分ではなかった。
「臆するなとは言わんっ!
だが、その足を止めるなっ! その腕を止めるなっ!
考えることを手放すなっ! 勝つことを諦めるなっ!
どれか一つでも捨て去れば、待っているのは死だけだぞっ!
それは自分のことだけではないっ!
そこには守る者たちも含まれていることを忘れるなっ!」
フェオドルの激昂にも似た一喝が響く。
それを耳にした者たちは、己の手足の震えを押さえこみ代わりに心を奮い起こさせその得物の切っ先を鎧熊へと向けた。
前後をバルディオとフェオドルに挟まれ、更に自警団員たちで囲む。
そこに、隊列だの隊形だのといったものはなかった。
鎧熊に隊列を突き崩されたときから、どちらが先に倒れるかの総力戦となってしまっていた。
それは狩る者と狩る者との、意地のぶつかり合いだった。
バルディオの、そしてフェオドルの手にした得物が唸りを上げて鎧熊を襲い、お返しとばかりにその狂腕が振り回された。
そして、僅かにできた間隙を、透かさず他の団員が執拗に攻めたてる。
その中には、鎧熊の狂腕に薙ぎ払われる者、体当たりで吹き飛ばされる者、少なくない団員たちが次々と鎧熊の餌食となり戦線を離脱していった……
怖くない訳がなかった……それでも、自分たちには背負うもの、守るべき者たちがいるのだと自分で自分を焚きつけて、次の一歩を踏み出したのだ。
………
……
…
それが何人目の犠牲者なのか、もうバルディオは数えてはいなかった。
周囲に横たわる同胞の姿には目もくれず、バルディオは眼前の鎧熊を睨み据えていた。
現状、軽い被害だといえる状態では決してなかったが、しかし、出た被害に見合う成果は一目で分かるほどに鎧熊の体に現れていた。
鎧熊のその背に突き刺さるは無数の剣と槍。
その姿は、宛ら巨大なハリ鼠のようである。
それは団員たちが鎧熊に吹き飛ばされながらも、報いた一矢であった。
鎧熊の体から得物を伝い、鮮血がポタリポタリと大地を濡らす。
まさに満身創痍。
とはいえ、それはバルディオを始めとした自警団員も同じことだった。
無傷の者など誰一人としてなく、立っていられる団員も数える程度と残り僅かになてしまっていた。
特に、前衛で防御を担っていたバルディオとフェオドルの負傷は取り分け酷く、身に着けている鎧が、手にした武器が欠けたり、変形してしまっていることから、その激しさが窺い知れた。
そんな時……
向かい合っていた鎧熊の視線が、ふとバルディオから逸らされた。
何に気を取られたのか知らないが、戦場で敵から目を逸らすなど愚の骨頂。
これは千載一遇のチャンスだと、バルディオがそう思った時……
一体どこにそんな力が残っていたのか、鎧熊はあらぬ方へと向かって突然猛進しだしたのだった。
手薄となった穴だらけの包囲網を、鎧熊は容易に突破してみせる。
目の前のバルディオも他の団員たちも、全て無視して……何かを目指すように鎧熊は走った。
(逃げた? このタイミングで? なぜ?)
バルディオは鎧熊の行く先へと視線を滑らせる。
そして、その先にあったもの……いや、いた者の姿を捉えてバルディオは言葉を失った……
「っ!?」
バルディオが見たのは、置き去りにされた荷車の前で膝を抱えてうずくまる、一人の子どもの姿だった。
一瞬、なぜ? とも思ったが自分達は鎧熊と闘っているうちに知らず知らず避難途中の子どもたちの方へと近づいてしまっていたのだと、バルディオは理解した。
「しまったっ……!
逃げろおおぉぉぉ!!」
肺腑が張り裂けんばかりの声量で、バルディオは叫んだ。
それは警告でも勧告でもなく、ただ“助かって欲しい”という彼の願いの叫びだった。
-------------------------------------
鎧熊が姿を現して、十分くらいは経っただろうか……
思いの外自力で動ける子たちが少なかった所為で、避難行動は難航していた。
自警団のにーちゃんたちや、神父様やシスターたちが必死で誘導しているが、その成果はあまり芳しい様子ではない。
村で育った奴らはまだいい、自警団のにーちゃんたちや神父様の言う事をよく聞いている。
しかし、外から来た子たちは皆酷いものだった。
何処でもいいので逃げてくれればいのだが、最悪うずくまったまま動かなくなってしまう子が何人もいたのだ。
無理もないことだというのは分かる。
なにせ、ここに来る以前は町やラッセ村よりは内陸の比較的大きな村から来た子たちばかりだ。
獣に襲われる、なんて経験自体今までしたことはないだろうからな……
まぁ、かく言う俺たち村のガキだってこんな形で獣に、それも鎧熊に襲われたのなんて初めてな訳だが、そこは辺境住まいの子どもだ。
日ごろから親や神父様、それに自警団の連中から散々脅されているので、多少なりとも覚悟は出来ているし、いざという時のために剣術の稽古の時間に非常時において“どう対処するべきか、どうすれば助かるか”ということは先生たちからみっちり教え込まれている。
俺たちは戦いに加勢することは出来ないが、少なくとも邪魔になったり、足手まといにならないための行動は皆心得ているはずだ。
それが、実践できるかどうかは難しいところではあると思うが……
周囲を見渡せば、未だに人の姿が目に付いた。決して多くはなかったが、だからといって少ない訳でもない。
そのほとんどが自警団のにーちゃんたちだ。
皆、動けなくなってしまった子どもたちを抱えて、少しでも離れた場所へと移送している最中だった。
中には、一人で三人もの子どもを担いでいる兵もいた。
彼らはそうして子どもたちをある程度離れた場所まで移動させると、そうして運んだ子どもたちを別の団員に預けてはまた戻り、他に残っているの子たちの移送をする、というピストン輸送を繰り返していた。
今の俺に、子どもを担ぎあげて運ぶなんて力はない。
それでも、動けないでいる子を見つけて、自警団のにーちゃんたちの所へ連れていくなり、逆ににーちゃんたちへ知らせて連れて来てやる事くらいなら出来る。
俺とて、今、この子たちがここにいる事に、少なからず責任は感じているのだ。
本を正せば、俺が“銭湯を作ろう!”なんて言い出した事で集まった人たちの子どもなのだ。
これでも、一応社会人として働いていた身だ。
俺には関係ない、知らぬ存ぜぬで通してしまうほど無責任ではいたくはないし、恩を仇で返すようなまねもしたくはない。
だから、今、自分が出来る事の全部を全力でやる! ただそれだけだ。
「うおおぉぉぉ!!」
突然轟いた雄たけびに、一瞬体がビクッとした。
声のした方へと顔を向ければ、自警団の連中が鎧熊相手に必死に戦っているところだった。
俺のいる所からは見えなかったが、今のは声の調子からしてクマのおっさんだな……
熊みたいなおっさんが、ほんまもんの熊と戦ってんのか……なんて、くだらない事を考える場合じゃないな。
なんだか団員さんたちの人数が、最初よりずいぶん減っているような気がするが皆大丈夫だろうか……
戦線も初めに鎧熊がいた場所より、こっちに近づいてきているようだし、ここいるのもそろそろ限界かもしれない。
さっさと残っている子がいないか確認して、俺もとっととずらかろう。
俺は置き去りにされている数台の荷車の影を、一つ一つ見て回った。
これは、本来なら俺たちが引き上げる段階で、一緒に村へと持って帰るはずだった本日の戦利品の数々だ。
戦利品は、荷車にまとめて自警団が連れてい数頭の牛で引っ張って帰る手はずになっていたのだが、牛と荷車を繋ぐ前に鎧熊が現れてしまったので、肝心の牛さんは何処かへと逃げてしまっていた。
まぁ、繋げられたままだったら確実に鎧熊のエサになっていただろうから良かったといえば良かったのだろう。
村の牛はよく飼いならされているので、たとえ逃げたとしても数日もしないうちに勝手に村へと帰ってくるのだ。
彼らだって、村の外で自由気ままに生きていくより、村の中で働きながら生活した方が安全だということを理解しているらしい。
と、牛のことはさておき、今は取り残された子がいなかの確認が先だ。
………
……
…
ここまで数台見て回ったが、人影なし。
いいことだ。このまま誰もなければ俺も早々に逃げよう。
自警団の旗色もよろしくないようだし、なんだか雰囲気もヤバい。
子どもたちの避難が完了すれば、ディムリオ先生を始めとした若い団員も加勢に回れるだろうから、それまでもう少しの間なんとか持ちこたえて欲しい。
村長の話だと、神父様も昔はかなりのやり手の魔術師だったといことなので戦力としては十分に期待出来ると思うしな。
俺は、そんな事を考えながら残された最後の荷車へと向かった。
と、
……いた。
少し離れた所からではあったが、確かにそこには荷車の影に隠れるようにして、じっとうずくまってすすり泣く小さな子どもの姿があった。
年は俺と同じくらいだろうか……
見に来て本当によかった。
俺が来なければこの子は助からなかった、などと決めつけるつもりはないが、それでももしこれで、誰かに任せきりにして大けがや、最悪助からなかったなんて事になったら、寝覚めが悪すぎる。
ほっと、安堵の息を一つ。
「おーいっ! そこにいると危ないからこっちに……」
俺は声を掛けつつ、その子へと近づくために駆け出そうと足を踏み出したその時、
「逃げろおおぉぉぉ!!」
「へっ?」
悲鳴にも似た絶叫。
あまりに声がひび割れていた所為で、それが誰のものであるのか分からないほど、その叫びは悲痛に満ちていた。
声に引かれて顔を向ければ、そこにはこちらに向かって猛然と突き進んでくる鎧熊の姿が見えた。
正確には“こちら”ではなく“目の前の子ども”に向かって、だ。
なんでそこにお前がいるんだよっ!? さっきまでもっと遠くに居たはずなのにっ!?
鎧熊も自警団もさっきまではもう少し遠くにいたはずだ。
それがいつの間にかこんなに近くまできていたなんて……
おそらく、戦っているうちにまた場所が移動してしまったのだろう。
「くそっ!!」
兎にも角にも、俺は泣いている子どもに向かって全力で走り出していた。
辿り着いたとして、何が出来るかは分からない。
俺の力では担ぎ上げて逃げるなんてことは出来ないし、鎧熊を何とかするなんてもっと無理だ。
それでま、近づかなければ何も出来ない。
何をするかは、その時考えればいい。
だから、俺は走った。
しかし、こちらは子どもの足、向こうはかなり傷ついているようではあったが……なにせ、背中に剣とか槍とか生やしてたからな、自警団の人たちが頑張った証だろう……それでも獣であることに違いはない。
距離差と速度差を考えて、若干俺の方が早く辿り着くことが出来そうだったが、そこにほとんど差はないように俺には思えた。
傍まで行けたとしても時間がない……か。
だったら出来ることなんて一つしかない……
「うおおおぉぉぉぉ!!!」
俺は限界以上に足の回転速度を上げると、一目散にその子……小さな女の子に向かって走った。
そして……
全力で、渾身の力で、全身全霊の力でもって、俺はその幼女を突き飛ばしたのだった。
突然のことで、悲鳴すら上げずに吹っ飛んでいく幼女……
そして、勢いを殺しきれずにコロコロと転がっていくのが見えた。
……少しかわいそうな事をしたような気もするが、そのままここに残っているよりはずっといいだろう。
下も草なので、大きな怪我はしないと思う。
俺が持っていた運動エネルギーは全て彼女にくれてしまったので、今の俺は速度ゼロ。停止状態だ。
そんな俺にすっと影が差した。
顔を向ければ目の前にはでかくて黒い塊が、その丸太のような腕を振り上げて、振り下ろす……
まさにその瞬間だった。
あかん……これは、あかんやつや……
どっ!
「ごふっ!!」
そんな鈍い音と共に、ダンプカーにでも撥ねられたような衝撃が俺の全身を襲った。
体が引きちぎられるような痛みが奔り、そして世界から上も下も、右も左もなくなった……
あっ、これはたぶん死んだな……
そんなバルディオに応えるように、団員たちの地を揺るがさんばかりの鬨の声が響き渡る……ことは、残念ながらなかった。
それも無理からぬことなのだろう。
皆、恐怖で足が竦んでしまっていたのだ。
いくら鎧熊に対する訓練はしている、とはいってもそれはあくまで反撃をしてこない木偶相手の話しだ。
長年自警団に勤めているバルディオでさえ、生きた鎧熊と遭遇し、ましてや戦う事などこれが初めてなのだ。
普段、中型の獣の相手しかしたことがない彼らが、自身より遥かに大きな獣と対峙することの精神的負担は計り知れないものがあった。
彼らは辺境の戦士ではあったが、戦うことを本職としている本物の戦士ではない。
その本質は、多少戦い方を心得ている農夫でしかないのだ。
目の前で仲間が無残にやられて、それでも尚戦意を高揚させていられるほど戦い慣れしてはいない。
それでも、いく人かは辛うじてバルディオの指示に反応し、攻勢へと出るがそれも鎧熊の腕の一振りで吹き飛ばされてしまった。
その現状を目の当たりにして、更に団員たちは二の足を踏む……
「くっ……」
こういう事体を想定していなかった訳ではないが、さすがにタイミングが悪すぎた。
バルディオの口からも、ついいら立ちの声がもれる。
「うおおぉぉぉ!!」
そんな中、迅雷の気迫を纏って、鎧熊に一撃を入れんとその背後から攻め入る者の姿があった。
それは、巨大な戦斧を手にしたフェオドルだった。
フェオドルは戦斧を振り上げると、渾身の力を込めて振り下ろす。
しかし……
どっ! と肉を打つ鈍い音がしたのみで、その刃が鎧熊の肉を切り裂くことはなかった。
フェオドルとて、この一撃が鎧熊に効くなどと露ほども思っていない。
だからといって、何もせず見ているだけなど彼の性分ではなかった。
「臆するなとは言わんっ!
だが、その足を止めるなっ! その腕を止めるなっ!
考えることを手放すなっ! 勝つことを諦めるなっ!
どれか一つでも捨て去れば、待っているのは死だけだぞっ!
それは自分のことだけではないっ!
そこには守る者たちも含まれていることを忘れるなっ!」
フェオドルの激昂にも似た一喝が響く。
それを耳にした者たちは、己の手足の震えを押さえこみ代わりに心を奮い起こさせその得物の切っ先を鎧熊へと向けた。
前後をバルディオとフェオドルに挟まれ、更に自警団員たちで囲む。
そこに、隊列だの隊形だのといったものはなかった。
鎧熊に隊列を突き崩されたときから、どちらが先に倒れるかの総力戦となってしまっていた。
それは狩る者と狩る者との、意地のぶつかり合いだった。
バルディオの、そしてフェオドルの手にした得物が唸りを上げて鎧熊を襲い、お返しとばかりにその狂腕が振り回された。
そして、僅かにできた間隙を、透かさず他の団員が執拗に攻めたてる。
その中には、鎧熊の狂腕に薙ぎ払われる者、体当たりで吹き飛ばされる者、少なくない団員たちが次々と鎧熊の餌食となり戦線を離脱していった……
怖くない訳がなかった……それでも、自分たちには背負うもの、守るべき者たちがいるのだと自分で自分を焚きつけて、次の一歩を踏み出したのだ。
………
……
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それが何人目の犠牲者なのか、もうバルディオは数えてはいなかった。
周囲に横たわる同胞の姿には目もくれず、バルディオは眼前の鎧熊を睨み据えていた。
現状、軽い被害だといえる状態では決してなかったが、しかし、出た被害に見合う成果は一目で分かるほどに鎧熊の体に現れていた。
鎧熊のその背に突き刺さるは無数の剣と槍。
その姿は、宛ら巨大なハリ鼠のようである。
それは団員たちが鎧熊に吹き飛ばされながらも、報いた一矢であった。
鎧熊の体から得物を伝い、鮮血がポタリポタリと大地を濡らす。
まさに満身創痍。
とはいえ、それはバルディオを始めとした自警団員も同じことだった。
無傷の者など誰一人としてなく、立っていられる団員も数える程度と残り僅かになてしまっていた。
特に、前衛で防御を担っていたバルディオとフェオドルの負傷は取り分け酷く、身に着けている鎧が、手にした武器が欠けたり、変形してしまっていることから、その激しさが窺い知れた。
そんな時……
向かい合っていた鎧熊の視線が、ふとバルディオから逸らされた。
何に気を取られたのか知らないが、戦場で敵から目を逸らすなど愚の骨頂。
これは千載一遇のチャンスだと、バルディオがそう思った時……
一体どこにそんな力が残っていたのか、鎧熊はあらぬ方へと向かって突然猛進しだしたのだった。
手薄となった穴だらけの包囲網を、鎧熊は容易に突破してみせる。
目の前のバルディオも他の団員たちも、全て無視して……何かを目指すように鎧熊は走った。
(逃げた? このタイミングで? なぜ?)
バルディオは鎧熊の行く先へと視線を滑らせる。
そして、その先にあったもの……いや、いた者の姿を捉えてバルディオは言葉を失った……
「っ!?」
バルディオが見たのは、置き去りにされた荷車の前で膝を抱えてうずくまる、一人の子どもの姿だった。
一瞬、なぜ? とも思ったが自分達は鎧熊と闘っているうちに知らず知らず避難途中の子どもたちの方へと近づいてしまっていたのだと、バルディオは理解した。
「しまったっ……!
逃げろおおぉぉぉ!!」
肺腑が張り裂けんばかりの声量で、バルディオは叫んだ。
それは警告でも勧告でもなく、ただ“助かって欲しい”という彼の願いの叫びだった。
-------------------------------------
鎧熊が姿を現して、十分くらいは経っただろうか……
思いの外自力で動ける子たちが少なかった所為で、避難行動は難航していた。
自警団のにーちゃんたちや、神父様やシスターたちが必死で誘導しているが、その成果はあまり芳しい様子ではない。
村で育った奴らはまだいい、自警団のにーちゃんたちや神父様の言う事をよく聞いている。
しかし、外から来た子たちは皆酷いものだった。
何処でもいいので逃げてくれればいのだが、最悪うずくまったまま動かなくなってしまう子が何人もいたのだ。
無理もないことだというのは分かる。
なにせ、ここに来る以前は町やラッセ村よりは内陸の比較的大きな村から来た子たちばかりだ。
獣に襲われる、なんて経験自体今までしたことはないだろうからな……
まぁ、かく言う俺たち村のガキだってこんな形で獣に、それも鎧熊に襲われたのなんて初めてな訳だが、そこは辺境住まいの子どもだ。
日ごろから親や神父様、それに自警団の連中から散々脅されているので、多少なりとも覚悟は出来ているし、いざという時のために剣術の稽古の時間に非常時において“どう対処するべきか、どうすれば助かるか”ということは先生たちからみっちり教え込まれている。
俺たちは戦いに加勢することは出来ないが、少なくとも邪魔になったり、足手まといにならないための行動は皆心得ているはずだ。
それが、実践できるかどうかは難しいところではあると思うが……
周囲を見渡せば、未だに人の姿が目に付いた。決して多くはなかったが、だからといって少ない訳でもない。
そのほとんどが自警団のにーちゃんたちだ。
皆、動けなくなってしまった子どもたちを抱えて、少しでも離れた場所へと移送している最中だった。
中には、一人で三人もの子どもを担いでいる兵もいた。
彼らはそうして子どもたちをある程度離れた場所まで移動させると、そうして運んだ子どもたちを別の団員に預けてはまた戻り、他に残っているの子たちの移送をする、というピストン輸送を繰り返していた。
今の俺に、子どもを担ぎあげて運ぶなんて力はない。
それでも、動けないでいる子を見つけて、自警団のにーちゃんたちの所へ連れていくなり、逆ににーちゃんたちへ知らせて連れて来てやる事くらいなら出来る。
俺とて、今、この子たちがここにいる事に、少なからず責任は感じているのだ。
本を正せば、俺が“銭湯を作ろう!”なんて言い出した事で集まった人たちの子どもなのだ。
これでも、一応社会人として働いていた身だ。
俺には関係ない、知らぬ存ぜぬで通してしまうほど無責任ではいたくはないし、恩を仇で返すようなまねもしたくはない。
だから、今、自分が出来る事の全部を全力でやる! ただそれだけだ。
「うおおぉぉぉ!!」
突然轟いた雄たけびに、一瞬体がビクッとした。
声のした方へと顔を向ければ、自警団の連中が鎧熊相手に必死に戦っているところだった。
俺のいる所からは見えなかったが、今のは声の調子からしてクマのおっさんだな……
熊みたいなおっさんが、ほんまもんの熊と戦ってんのか……なんて、くだらない事を考える場合じゃないな。
なんだか団員さんたちの人数が、最初よりずいぶん減っているような気がするが皆大丈夫だろうか……
戦線も初めに鎧熊がいた場所より、こっちに近づいてきているようだし、ここいるのもそろそろ限界かもしれない。
さっさと残っている子がいないか確認して、俺もとっととずらかろう。
俺は置き去りにされている数台の荷車の影を、一つ一つ見て回った。
これは、本来なら俺たちが引き上げる段階で、一緒に村へと持って帰るはずだった本日の戦利品の数々だ。
戦利品は、荷車にまとめて自警団が連れてい数頭の牛で引っ張って帰る手はずになっていたのだが、牛と荷車を繋ぐ前に鎧熊が現れてしまったので、肝心の牛さんは何処かへと逃げてしまっていた。
まぁ、繋げられたままだったら確実に鎧熊のエサになっていただろうから良かったといえば良かったのだろう。
村の牛はよく飼いならされているので、たとえ逃げたとしても数日もしないうちに勝手に村へと帰ってくるのだ。
彼らだって、村の外で自由気ままに生きていくより、村の中で働きながら生活した方が安全だということを理解しているらしい。
と、牛のことはさておき、今は取り残された子がいなかの確認が先だ。
………
……
…
ここまで数台見て回ったが、人影なし。
いいことだ。このまま誰もなければ俺も早々に逃げよう。
自警団の旗色もよろしくないようだし、なんだか雰囲気もヤバい。
子どもたちの避難が完了すれば、ディムリオ先生を始めとした若い団員も加勢に回れるだろうから、それまでもう少しの間なんとか持ちこたえて欲しい。
村長の話だと、神父様も昔はかなりのやり手の魔術師だったといことなので戦力としては十分に期待出来ると思うしな。
俺は、そんな事を考えながら残された最後の荷車へと向かった。
と、
……いた。
少し離れた所からではあったが、確かにそこには荷車の影に隠れるようにして、じっとうずくまってすすり泣く小さな子どもの姿があった。
年は俺と同じくらいだろうか……
見に来て本当によかった。
俺が来なければこの子は助からなかった、などと決めつけるつもりはないが、それでももしこれで、誰かに任せきりにして大けがや、最悪助からなかったなんて事になったら、寝覚めが悪すぎる。
ほっと、安堵の息を一つ。
「おーいっ! そこにいると危ないからこっちに……」
俺は声を掛けつつ、その子へと近づくために駆け出そうと足を踏み出したその時、
「逃げろおおぉぉぉ!!」
「へっ?」
悲鳴にも似た絶叫。
あまりに声がひび割れていた所為で、それが誰のものであるのか分からないほど、その叫びは悲痛に満ちていた。
声に引かれて顔を向ければ、そこにはこちらに向かって猛然と突き進んでくる鎧熊の姿が見えた。
正確には“こちら”ではなく“目の前の子ども”に向かって、だ。
なんでそこにお前がいるんだよっ!? さっきまでもっと遠くに居たはずなのにっ!?
鎧熊も自警団もさっきまではもう少し遠くにいたはずだ。
それがいつの間にかこんなに近くまできていたなんて……
おそらく、戦っているうちにまた場所が移動してしまったのだろう。
「くそっ!!」
兎にも角にも、俺は泣いている子どもに向かって全力で走り出していた。
辿り着いたとして、何が出来るかは分からない。
俺の力では担ぎ上げて逃げるなんてことは出来ないし、鎧熊を何とかするなんてもっと無理だ。
それでま、近づかなければ何も出来ない。
何をするかは、その時考えればいい。
だから、俺は走った。
しかし、こちらは子どもの足、向こうはかなり傷ついているようではあったが……なにせ、背中に剣とか槍とか生やしてたからな、自警団の人たちが頑張った証だろう……それでも獣であることに違いはない。
距離差と速度差を考えて、若干俺の方が早く辿り着くことが出来そうだったが、そこにほとんど差はないように俺には思えた。
傍まで行けたとしても時間がない……か。
だったら出来ることなんて一つしかない……
「うおおおぉぉぉぉ!!!」
俺は限界以上に足の回転速度を上げると、一目散にその子……小さな女の子に向かって走った。
そして……
全力で、渾身の力で、全身全霊の力でもって、俺はその幼女を突き飛ばしたのだった。
突然のことで、悲鳴すら上げずに吹っ飛んでいく幼女……
そして、勢いを殺しきれずにコロコロと転がっていくのが見えた。
……少しかわいそうな事をしたような気もするが、そのままここに残っているよりはずっといいだろう。
下も草なので、大きな怪我はしないと思う。
俺が持っていた運動エネルギーは全て彼女にくれてしまったので、今の俺は速度ゼロ。停止状態だ。
そんな俺にすっと影が差した。
顔を向ければ目の前にはでかくて黒い塊が、その丸太のような腕を振り上げて、振り下ろす……
まさにその瞬間だった。
あかん……これは、あかんやつや……
どっ!
「ごふっ!!」
そんな鈍い音と共に、ダンプカーにでも撥ねられたような衝撃が俺の全身を襲った。
体が引きちぎられるような痛みが奔り、そして世界から上も下も、右も左もなくなった……
あっ、これはたぶん死んだな……
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ステータスではなく職業だけを鑑定することで落ち着くも、清泉と女子生徒の1人は職業がクズだから要らないと、王都追放を言い渡されてしまう。
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