前世の職業で異世界無双~生前SEやってた俺は、異世界で天才魔道士と呼ばれています~(原文版)

大樹寺(だいじゅうじ) ひばごん

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ターニング・ポイント スレーベン領 その1

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「これは一体、なんだプギっ!!」

 バサリッ!!

 と、短躯たんくでまるまると太った中年男は、手にした書類の束を激情のおもむくままに床へと叩きつけた。
 綺麗に整えられていた書類はものの見事に散らばり、血をしたたらせた様な真紅の絨毯の上に白い花を咲かせていた。
 この脂ぎった中年男こそ、ここスレーベン領を治める領主プギャール・スレーベン伯爵その人であり、ここは彼の住まう屋敷の執務室であった。
 数日を掛けて仕上げた自分の仕事の成果が、無残に散らばるのを見て執事然とした六十路むそじに差しかかろうかと言う白髪の男は内心でため息を吐いた。
 彼の名は、グリエルム・シュタイン。
 先代の領主であるプリギウス・スレーベンが存命の頃からスレーベン家に仕える忠実な家臣の一人だった。
 ……とは言え、今となってはプリギウスの代からの家臣はグリエルム一人となってしまっていたが。
 それもこれも全ての問題は、目の前の現当主にある訳なのだが……

「……御覧になった通り、今年の貢租こうそ状の草案ですが、それがどうか致しましたか?」

 グリエルムは主の怒りなどどこ吹く風と、散らばった書類を拾い集めた。

「“どうした”だと……?
 よくそんな事が言えるプギ!
 なんなのだこの徴税額は! いつもの半分・・も無いプギッ!!
 貴様はを、飢え死にさせるつもりプギかぁ!!」

 プギャールは憤懣遣る方無いと言った様子で、床に散らばった書類をダンダンッと踏みつけていた。
 その姿は、駄々をねる子供が地団駄を踏むが如くであり、領主としての威厳など微塵も感じられない無様なものだった。
 今この男が踏んでいる書類は、領内の町や村が領主に収めるべき租税額をまとめ概算を記したものだった。
 この短躯たんくな男は、そこに記されている額面が例年の半分もない、と憤っていたのだ。
 正確には例年のきっちり3分の1なのだが、ろくに算術も出来ないプギャールでは、“半分より少ない”と分かるのがやっとだった。
 グリエルムはそんなプギャールを尻目に、タイミングを見計らってはプギャールの足元にあった書類を器用に回収していった。

「お言葉ではありますが閣下……」

 グリエルムは散らばった書類を全て拾い集めると、丁寧に調え執務机の上へと置いた。

「今年は過去に類を見ない大旱魃かんばつであり、わたくしの調べによれば、その被害は甚大との事です。
 特に農村部への被害は著しく……」
「それがどうしたプギ?」

 プギャールは、グリエルムの言葉をそれが当然と言うわんばかりの態度で遮った。

彼奴等きゃつらは、余の温情によって余の領地に住まうことを許されている身プギ。
 なら、その温情に報いるべく領主である余に税を支払うのは、彼奴等きゃつらにとって至極当然の義務プギ。
 貴様は、そんな簡単な事も分からないプギか? グリエルム」

 短躯たんくであるが故に、足が短いプギャールはよちよちとした足取りで執務机へと向かうと、先ほどグリエルムが乗せた書類を、掴み上げポイッと屑篭へと放り込んだ。
 その書類を作る為に、グリエルムがどれ程の苦労と気苦労を重ねたのかも知らず……

「しかし閣下、現状まさに“実らぬ麦は刈れぬ”の諺にあるように……」
「グリエルム……貴様、何か勘違いをしていなかプギ?」

 またしても、プギャールはグリエルムの発言を遮ると、よちよちとした足取りで彼へと近づいて来たのだった。

「いいプギか? グリエルム……」

 プギャールはグリエルムの前で足を止めると、持っていた豪奢なステッキでグリエルムの頬を数度ペシペシと軽く叩いた。
 このステッキ、別に飾りでもなんでもない。
 プギャールはこのステッキがないと、ろくに歩く事すらままならぬのである。痛風の所為で……

「詰まる所、“税”とは感謝の表れプギ。
 領民の余への感謝の気持ちの表れが、つまり“税”プギ。
 賢き領民たちは、常々、この地に住まわせてやっている余に感謝をしているはずプギ。
 その感謝を表すために、彼奴等きゃつらは余に税を納めたいんだプギ。
 この偉大なる余の為にっ! この聡明なる余の為にっ!
 その為なら、自分たちが食べる分さえ差し出すのが賢き領民と言うものプギ。
 ……その感謝の表れである税を減らすと言う事はプギね……グリエルム。
 領民の思いを踏みにじる行為だと思わないプギか?
 余にはそんな惨たらしいことは出来ないプギ……
 だから、“あんなふざけたもの”は認めないプギっ!
 今年も例年通りに徴税するプギッ! 異論は認めないプギッ!」
「しかし閣下、今年は麦の不作から領民の生活は逼迫……」

 バシンッ!!

 三度目にグリエルムの言葉を遮ったのは、プギャールの言葉ではなく、鈍く響く打音だった。
 グリエルムの口の端からは、一筋の鮮血が流れ落ち、同色の絨毯へと吸い込まれて消えた。
 プギャールが手にしたステッキでグリエルムの頬を打ったのだ。

「うるさいプギっ!! 異論は認めないと言ったはずプギッ!!
 貴様はいつもいつもいつもいつもいつもいつもっ!!
 余の言う事に反対ばかりするプギっ!
 この領地の領主は余プギッ!! 余が領主プギッ!!
 領主である余が法なんだプギッ!
 勘違いするなプギ! グリエルム!
 貴様が仕えていたお父上は死んだプギ!
 ずっと前に死んだプギッ!
 今の貴様の主は余プギッ!!
 本来なら貴様なんぞ、とっとと追い出したいところブギッ!
 でも、お父上の遺言があるから仕方なく置いてやってるだけプギッ!
 それを忘れるなプギッ!!」

 グリエルムにとって、今の腰の入っていないへろへろな打ち込みを避ける事など、造作もない事だったが、避けたら避けたで別の怒りを買うだけなのは先刻承知であった。
 痛くない訳ではないが、“来る”と分かっている痛みなら耐えるのは容易だ。
 調度品などに、不意にくるぶしをぶつける方が余程痛いと言えた。

「申し訳ありません……出過ぎた申し出でした……」

 こうなっては、最早自分の具申ぐしんなど聞き入れてはもらえないだろう……
 と、グリエルムは早々に見限るとプギャールに向かって静かに頭を下げた。
 と……

 パチパチパチパチパチ……

 一瞬静まった執務室に、乾いた音が響いたのは、その時だった。

「まったくもって、その通りでございますっ!!」

 今まで、ただ静かにソファーに腰掛けて、2人の様を見ていた身なりだけ・・は良い男が、拍手と共に突然立ち上がると、プギャールの元へと歩み寄った。
 グリエルムから見たら、“良い”のは質だけでその男のセンスは絶望的なまでに皆無だった。
 無駄に身を飾る宝飾品の数々に、派手な柄の生地をふんだんに使った衣服。
 どれもこれもが自己主張が激しすぎて、それは最早“下品”と評してまだ足りぬ様な出で立ちであった。
 その様を一言で表すなら、まさに“成金趣味”と言う言葉がぴったりだろう。

「いやぁ~、流石はプギャール様です、はい。
 領民のお気持ちをよく分かっておられますなぁ~、いやぁ~、真に領主の鏡です。
 そうっ!!
 この地に住む者全てがっ!! 日々、プギャール様のその温情に、敬愛と畏怖の念を持って暮らしているのですっ!
 そんな敬愛すべきプギャール様へ収める税とあらば、たとえ自身の血肉を削ぎ落してでも収めたいと思うのが、真の領民と言うものです、はい」
「うむうむ。
 サンチョは分かっているプギねぇ。
 それに引き換え貴様は……
 余は、貴様の様な家臣がいる事を恥ずかしく思うプギ」

 プギャールは、サンチョと呼んだ男には満面の笑みを、そしてグリエルムには侮蔑の瞳を向けた。
 この成金趣味の男、名をサンチョ・ホフステンと言い、最近になって屋敷内で見かけるようになった、自称・商人だ。
 いつ、どういった経緯でプギャールに取り入ったのか……グリエルムが気づいた時には、既に屋敷の出入りをプギャールから直々に許可される存在になっていた。
 今、この場にいるのもその為だ。
 本来なら、執務中の謁見は余程の理由が無い限り禁止となっているはずだった。
 それを、事もあろうにプギャールは自分との執務中にこの者を執務室へと招いてしまったのだった。
 本人は“しがない旅商人”と言っていたが、グリエルムは信じてはいなかった。
 商人にしては、サンチョの言動の全てが軽薄に見えたからだ。
 貴族に取り入って甘い蜜を吸おう、そう言う輩と同じ“臭い”をグリエルムはサンチョから感じていた。

「いっそ、サンチョを貴様の代わりに家臣として迎え入れたいくらいだプギ」
「ありがたき御言葉、身に余る光栄に存じます。
 ……して、プギャール様。
 本日はわたくし、そんな偉大なるブギャール様に是非ともお目に掛けたい商品がございまして、馳せ参じた次第にございます……」
「ほぉ~、苦しゅうない。見せるがいいプギ」
「閣下っ! まだ、今年度の貢租こうその話は終わってはっ……」
「うるさいプギッ!!
 その話なら、今、終わったプギッ!!
 税の軽減はないプギッ!!
 いつも通りに徴税するプギッ!!
 領民は大人しく余の為に税を納めて、貴様は余の言う事を聞いて、領民から税金を集めるればいいプギ!!
 それが分かったら、とっととここを出て行くプギッ!!
 ……で、余に見せたい物とは何プギか? サンチョよ」

 グリエルムに向けた厳しい声色とは打って変わって、プギャールは猫を撫でる様な声でサンチョへと語り掛けた。

「はい。プギャール様」

 そう言ってサンチョは、いつ何処から取り出したのか、その両手には一つの古ぼけた兜が抱えられていた。
 一部は凹み、一部は欠け、一見しただけでその兜に防具としての価値が既に無いことが分かる。
 グリエルムの目には、それがどこからどう見ても一山いくらの安物にしか見えなかった。

「ここにあります兜ですが、当然ただの兜ではありません。
 この兜、の英雄王ハリエン・ハリエンが身に着けていた(……と、云われている……)由緒正しき兜にございます」
「おおぉぉ!!
 英雄王ハリエン・ハリエンの兜プギかっ!
 そう言われると、この兜からはそこはかとなく威厳の様なものを感じるブギねぇ~」

 英雄王ハリエン・ハリエンと言えば、アストリアス王国で生まれ育った者なら誰もが御伽噺に一度は聞いた事がある英雄譚の主人公の名だった。
 この噺、作中ではも史実の如く語られているのだが、この“ハリエン・ハリエン”なる人物が存在しない架空の人物であることは、知る者こそ少ないが既に証明されている事実だった。
 そもそも“ハリエン”とは、アストリアス王国建国の祖であるハリオース・エンデュリオ・アストリアス一世の通名であった。
 “英雄王ハリエン・ハリエン”の物語は、ハリオース・エンデュリオ・アストリアス一世の功績を元に作られた創作物なのである。
 故に、“ハリオース”としての遺物が発見される事はあれど“英雄王ハリエン・ハリエン”としての遺物が世に出回る事等決して無いのだ。
 つまりそれが意味する事は……
 この“英雄王ハリエン・ハリエンの兜”と言う代物が真っ赤なニセモノであると言う事実だった。
 そして、その事実を知っているのがこの場においてグリエルムただ一人だったと言うのは、最早悲劇を通り越して喜劇としか言い様がなかった。
 グリエルムはプギャールに真実を告げようかとも思ったが、自分よりもサンチョを信じているプギャールが果たして素直に言う事を聞くだろうか?
 むしろ、よけいに機嫌を損ねて意固地になるのが落ちだ。
 言うに言えず、また黙ったままでは最悪このいくらするのか分からないガラクタを買い取るはめになる。
 グリエルムはそんなジレンマを抱えたまま、ただ見ている事しか出来なかった。

「この“英雄王ハリエン・ハリエンの兜”、わたくしが信頼を置くとある筋からの流出品でして……
 わたくし無理を言って譲って頂いたのですよ。はい。
 やはり、英雄の品は英雄の下にあるのが相応しいと思いまして……
 そう、プギャール様の様な英雄の下に」
「ブギギギっ!!
 分かっているプギッ! サンチョ、お前は良く分かっているプギッ!!
 その兜買ったプギッ!
 して、いくらプギか?」
「はい。わたくしは6000万RDリルダで譲って頂いたのですが、大恩あるプギャール様の為、断腸に断腸の思いを重ねまして5999万RDリルダで御提供したいと考えております」
「うむ。直ぐに用意させるプギ。
 誰かっ! 誰か金庫から……」
「いけませんっ閣下っ!!
 その様なガラクタに民の血税を使うなど……っ!」

 流石に堪り兼ねたグリエルムが苦言を呈するも、プギャールはそんなグリエルムに一瞥をくれるだけだった。

「貴様まだここにいたプギか……
 さっき余は、出て行けと言ったはずプギ。
 まぁ、貴様如きでは、この兜の素晴らしさなど一欠けらすら理解出来ないプギ……
 誰かっ!! 誰かいないプギかっ!!」

 プギャールは大声を張り上げるが、扉の向こうから誰かがやってくる気配はまるで無かった。
 それは当然だ。
 今や屋敷には数人の使用人しかいないのだ。
 多くのものは、このプギャールの態度に嫌気が差して去ってしまっていた。
 声を張り上げたところで、その声が届くのはグリエルム以外にはいない……

「……っち、どいつもこいつホント使えないプギッ!!
 いいプギ!
 余、自らが、案内してやるプギッ!
 感謝するといいプギッ!!」
「閣下っ!? まだ、話は……っ!」

 バシンッ!!

「っ……」

 プギャールが持っていたステッキが一閃し、乾いた打撃音が響いた。
 グリエルムの頬に、熱いとも痺れるとも似た痛みが奔った。
 今度は、先ほどとは逆の口の端から一筋の鮮血が流れ落ちる。
 そして……

「うるそいプギッ!うるそいプギッ!うるそいプギッ!うるそいプギッ!うるそいプギッ!うるそいプギッ!うるそいプギッ!うるそいプギッ!うるそいプギッ!うるそいプギッ!うるそいプギッ!うるそいプギッ!うるそいプギッ!うるそいプギッ!うるそいプギッ!うるそいプギッ!」

 何度も、何度も、何度も、何度も……
 プギャールのステッキが右へ左へと、グリエルムの頬を打ち据えながら往復した。

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……
 ふんっ!!
 貴様はついて来るなプギッ!
 行くぞ、サンチョよ……」
「はい。プギャール様」

 プギャールは肩で息をしながら、よちよちとステッキを突きながら執務室を出て行った。

「では、失礼いたします。グリエルム殿……」

 すれ違い様に、サンチョの下卑た笑みがグリエルムの視界を掠めていった。
 向かう先は金庫室だろう……
 それを思うと、グリエルムの心境は、重く暗いものがのしかかったような息苦しさを感じた。

「……はぁ~」

 それは、その日グリエルムがこぼしたため息の中で、最も重いものだった。
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