妻のち愛人。

ひろか

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「――――、――」

 食事の用意をした人が何か言ってるけど、何も頭に入らなかった。
 しばらくして、冷めた食事は片付けられ、枕元の棚にカットされた果物と飲み物が置かれた。

 でも、何も欲しくない。

「…………」

 村の味である冷めると渋くなるお茶も、よく食べたお菓子も、何も口に入らなかった。


 エンリに子供ができた。


 これはキツイ……。結婚してたった二ヶ月で子供を授かったって。
 自分の何もない腹を撫でてみて、なんで、四ヶ月と十二日、夫婦だったのにできなかったんだろうと、涙が止まらなかった。
 もう愛人の立場では、エンリの子供を望むことも許されないというのに……。

「ふぅっ」

 ――エンリの子供は正統な血筋から。

「うっ……うっ」

 エンリは来ないのに、私はなんでここにいるんだろう……。

「エンリ……、助けて……」

 食べることを拒否した身体は、簡単に病に侵されてしまった。





『だめだよ、ロナぁ……飲んで? これ飲まないと元気になれないよぉ』
 エンリが差し出すのは薬液の入ったスプーン。

『お願いだよ、ロナ、もう少しだけ、ね?』

 ……すごいね、夢だってわかる夢見てる。

『ロナぁー……』

 ふふ、泣きそうなエンリの顔、嬉しいなぁ。心配してくれてるの?

『当然じゃないかー……』
 泣きそうなエンリの顔が、本当に泣き顔になってしまった。

 エンリはもう私のこと、いらないはずなのに。

『いらなくないよ!』
 ポタポタ止まらない涙、泣き虫エンリだ。

 ほら、泣かないで、エンリはお父さんになるんでしょ?

『僕はあきらめられないから、ロナを愛人にしたんだよ!』

 愛人になんかなりたくなかった、エンリと家族になりたかった……。

『なら待っててよ!』

 何を……?

『お願いだよ、ロナ、待っててよ、僕が終わるまで』

 待っててよぉーと泣くエンリの柔らかい髪を撫でた、そんな夢を見た。



 私が病に倒れてから、次に目を覚ますと、ひと月も経っていた。



 自分でも驚くほど細く白い腕に点滴がつけられていた。
 医者が呼ばれて診察後、あなたも診察受けた方がいいんじゃない? と思うほど、青い顔したハイヤードさんが入ってきた。

「この場からは動けないあなたに、聞かせる話ではありませんでした……、不安にさせて申し訳ありません」

 えーと……、なんの話だっけ?

「気をしっかり持ってください。あなたに何かあれば、全て……終わりなのです」

 跪き両手を組むその姿は、まるで神に祈るようで、震える手が何かに怯えているようにも見えた。
 動かない脳ミソには、ハイヤードさんの言葉は理解できないものだったけど。

「待っていてください」
『待っててよぉー』

 ハイヤードさんの言葉が、夢の中のエンリの声と重なった。

 あれは現実? 夢? 夢でも嬉しかったなぁ。
 私がエンリを看病した回数の方が、ずっと多いのに、私がたまに風邪を引くと、涙いっぱいで看病してくれたっけ。
 手にはエンリの柔らかな髪の感触が残ってるようで、不思議な感じがする。夢でも、私の身体がエンリの髪の感触を覚えているのかもしれない。
 もしかしたら、夢じゃなかったのかもしれない。……夢であって欲しくないなぁ。

 目の端に入った色に目を向ければ、枕元の棚には水差しと、小瓶に差された花の枝。名前なんて知らない黄色の花。私たちは“チッコイ花”と呼んでた。

『見てみてぇ、ロナぁ、チッコイの咲いたねー、これ庭で育てたいねー』
『食べられない草に用はないわよ』
『ふふ、ロナならそう言うと思ったぁー』
『あら、イチゴなら花も好きよ』
『ロナのイチゴジャム大好きぃー!』

 そんなやり取りを思い出してしまう。

 アレは夢じゃなかったんだろうか……。
 信じてみようか……、信じて待ってみようか……。

『僕はあきらめられないから、ロナを愛人にしたんだよ!』
『お願いだよ、ロナ、待っててよ』

 待っててと、泣くエンリが夢じゃないなら。
 待ってみよう。
 ここで、何もすることがないのだから、夢でもいい、私が勝手に信じて、待つだけ。いいじゃない、それで。信じてみよう。


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