黄色い果実の見せる夢

レエ

文字の大きさ
2 / 21
少年の夢

魔獣の王

しおりを挟む
 王女が果実を差しだした。
 少年の方も得意げに手を差しだす。そこには、王女の手にある実の、三分の一くらいの直径の実があった。
「これ……、ベルニルの実?」
「はい! 種から育てて、まだ腰ぐらいの高さなんですが、実が生ったんです」
 王女は実を受けとって、しげしげと見ている。
「すごいわ。本で読んだところでは、もっと乾いた地域の植物だったのに」
「ベルニルの木のことが載っている本があるのですか」
「植物辞典のたった一頁よ。どこの植物か気になったのだけど、意外と広い地域に分布しているようで、あまり絞れなかったわ」
「良かったです。この国では絶対育たないような気難しい植物でなくて」
「……ふふ、そうね。それと、ベルニルの実は体をほぐす効果があるそうよ」
「リラックスするのですか」
「詳しくは載っていなかったけど、そうだと思うわ。鎮静作用より覚醒作用の方がありそうだけど」
 学者の書く本だ。素人には分からない見極め方があるのだろう。
「この実は王女様にプレゼントです」
「ありがとう。久しぶりに食べてみようかしら。子供の時とは味覚が変わったでしょうし」
 王女は一房口に入れ、その酸味に固く目を瞑った。
「やっぱりいらないわ」
 残りは少年に返す。
 少年はがくりと肩を落とした。



 城の使用人は年々減って、少年が城の建物の中に入って掃除することも多くなった。

 偉い人たちの目につかぬように気をつけながら、せっせと箒を動かす。
 掃いたばかりの廊下を、靴音を立てて走りくる女性。
「なぜですか、陛下!」
 すっかり淑女になったはずの王女が、聞いたことないくらい声を荒げている。
 相手はひと際煌びやかな衣装を纏っている。
 王様という、城の一番偉い人だった。
「もう婚礼衣装を作り始めています。それなのに、どうして……」
 婚礼衣装……。
 毎日のように王女と話をしているのに、婚礼衣装の話はまだ聞いてなかった。
「どうして婚約者の名前も、国も知らされないのですか!」
 王女の叫びに、鼓動が高鳴った。
 少年にとっても、とても気になる話だ。
 廊下の隅で頭を下げて縮こまりながら、ドキドキと聞き耳を立てる。
 だが王は歩みを止めず、近くの執務室に入り、扉を閉ざした。
「どうして……」
 ここは城の中。貴族たちの社交場。
 王女の泣きそうな声がしても、奴隷の少年は顔を上げてはいけない。
 ぎゅっと、箒を握りしめた。



「これが最後になると思う」
 王女の部屋の窓越しに、ベルニルの実を受けとった。
「こちらの窓から覗いてごらんなさい。あなたの好きそうなものがあるわ」
 隣の部屋の窓の外に移動すると、中から王女がカーテンを開けてくれた。
「……綺麗……」
 衣裳部屋の真ん中に、純白のドレスが飾られていた。
「そうね。お金持ちの国に嫁ぐから、久しぶりに奮発したみたい」
 少年は目をきらきらさせて、ドレスの眩さにひたすら見蕩れていた。

「……王女様」
「なあに」
「幸せになりますよね」
「…………」
 王女は耳に掛かる髪を手で払った。
「当たり前でしょう」
 ふてぶてしい笑みと共にそう答えた。





 それから数日の間、少年は息つく暇もないほど忙殺されていた。
 城に他国の王が訪れるらしく、歓待の準備に駆り出されたのだ。



 今日が本番。
 歓待の料理のために、朝から晩まで火の番だ。
 その合い間に料理を運ぶ。会場と厨房を往復している時だった。


 人々のざわめく声。
 その中心には、王女がいた。
 純白のドレスの高貴さが、これ以上ないほど似合っている。
 城の人々が溜息をついた。
「王女様方の中で、一番美しいな」
 賛美の声を聞き、少年は鼻高々だった。
「……もったいないことだ」
 賛美の声のはずが、そこには失望があった。
 少年は不思議に思いながら、大広間に向かう王女を見送った。

 少年は昨日、大広間でなにやら式典の準備をさせられた。
 もしかして、あの準備は……。

「どれだけ美しく着飾っても、幸せになどなれようがない」
 不穏な言葉に、少年の思考は途切れた。
 声の主を探す。ああ、あの柱の側でひそひそ話をしている貴族たちだ。
「魔獣王の妃など、人の身から落ちるに等しい」



 少年は無意識のうちに大広間へ向かっていた。
 使用人用のひっそりとした通用口から中に入る。
 見張りはいたが、城で長く働いている少年は一瞥されただけ。
 幾重にも連なる柱の陰から、式典を覗く。

 広間を埋める人の列。
 この国の貴族たちだが、なんだか皆渋い顔だ。

 陽光の差し込む壇上に、王女は跪き、目を瞑っている。
 その側に立つ王が手を上げると、正面の扉が開かれた。



 幾人もの従者を連れて、その中心にいる一際背の高い男性。
 ――あの方が。
 少年は見入った。
 ――あの方が、夢にまで見た婚約者。
 見たこともない容姿が、少年にはとても特別に見えた。
 夜空に星がきらきら輝くようだ。


「遠路遥々、迎えにきていただき感謝いたします。こちらが我が娘。さあ、挨拶を」
「お初にお目に掛かります。私、サンドラと……」
 顔を上げた王女の前には、思わぬ巨体。腰の辺りしか見えなくて、さらに顔を上に向ける。

 王女の悲鳴が聞こえ、少年は思わず身を乗り出した。

 王女は震えながら一歩、また一歩と後ずさる。
「黒い獣毛……、真っ赤な角……四つの目、そんな……」
 二人で何年も待ちわびた相手。
「ガグルエの、魔獣王……」
 王女は目を見開いて、まるで化け物を見るかのような目で見る。

 ガグルエ国。噂で聞いたことがある。
 魔獣族の王が治める国。
 去年はこの国の西の隣国、三年前はさらに西の隣国を落としている。
(魔獣族……。初めて会った)
 凶悪で醜悪な化け物と聞いたけど、
(大きくて、逞しい)
 ここからでは横顔しか見えず、四つの目が珍しくて判断しづらいが、すっと伸びた鼻梁、顎から襟元への引き締まった筋肉は、惚れ惚れするような美しさだ。堂々とした立ち姿からは、王者の風格と気品がただよっている。
 魔獣族の見た目の統一性は薄いと聞くので、彼が特別なのかもしれない。

 彼の赤い目が、老齢の王に向けられる。
「姫君の様子、どうしたことかな。セブ王」
 低く響く声からは、感情は読み取れない。
「サンドラ!」
 セブ王が声を荒げた。
「何をしている。大人しくガグルエ王の手を取るんだ。それが王女の務めだろう!」
「…………ッ」
 王女は口を引き結び、後ずさる足を止める。だが、震える足を前に出せない。
「こんな……、こんなこと……」
「サンドラ!」
「魔獣族なんて無理よ!」

 ガグルエ王は怯える王女を冷めた目で見下ろす。
「私の妃になるということを知らされていなかったようだな」
 ガグルエ王がそう言うと、その横に控えていた男が進み出た。魚の鰭のような耳をしている。
「サンドラ王女は妃になるどころか、我が王を恐れて近づくこともできない様子。これでは盟約は結べませんねえ。オーラリオ国の雪が解け、兵を動かせるようになれば、貴国のみで退けねばなりません」
「それだけは……! ……そうです。侍従を付けましょう。サンドラが逃げぬよう見張らせます」
「それで寝所に侍れるとでも」
「女の細腕など、陛下なら片手で押さえられます。ベルニルの実は毎日食べさせているので、体はいつでも使えます」
「あのまずい実を説明も無しに? よく食べさせましたね」
 鰭型の耳の従者は疑っている。
 王女は首を横に振った。
「私食べていない……もう何年も」
「やはりね」
「な……」
 王女の言葉に、セブ王は顔を引きつらせた。
「なんてことを……!」
 セブ王が手を上げた。少年はハッとして駆け出した。
「王女様!」
 ガグルエの従者は反応したが、少年を止めはしなかった。
 少年は王女とセブ王の間に割り込む。
「!」
 少年と王女は共に剛腕に……、ガグルエ王に引っ張られた。
 セブ王は空振ってよろけた。
「…………」
 少年の体が宙に浮いている。服の背を掴まれ、ガグルエ王の片手で持ち上げられていた。
 すでに離された王女は、さっとガグルエ王から距離を取った。
「ありがとう……」
 殴られそうなところを助けられたと気づき、お礼を言おうとすると、ガグルエ王が少年を持つ手を離した。
「わっ」
 少年は着地した。
(婚約者……様。……ガグルエ王)
 服を引っ張られて胸元が締めつけられたせいか、ドキドキする。
 彼を見ようとして、まだ青い顔の王女が目に入った。
(王女様、どうしよう……)
 よく分からないけど、ベルニルの実を食べなかったことはとてもいけないことのようだ。
「あのっ、僕にくれていたんです! 王女様、お腹を空かせている僕を心配してくれて」
 本当は味が嫌いという理由だけど、少年は王女をかばうために必死だ。
「許してください……。王女様は良い人です! きっと素敵なお妃様になります」
 ガグルエ王の四つの目をまっすぐ見つめ、少年は目を潤ませる。
「…………」
 ガグルエ王は少年をじっと見下ろしている。その手が、少年の顎に触れた。
「エルフ……、いや、ノーム族の血が混じっているな」
「はい」
 顔を覗きこむように見下ろされ、興奮している少年の頬が、さらに赤くなり、その瞳が潤みだす。恐怖ではなく、何か期待を孕んだ瞳。
「……おかしなノームだ」
 ガグルエ王は小さく呟いた。

 そして視線だけセブ王に向ける。
「時間をやろう」
 セブの王侯貴族は緊迫した様子で静まりかえっている。
「一晩だけこの街に滞在する。その間に、私がこの国を助けたくなるような提案を捻りだすといい」
「あ、ありがとうございます! さっそく歓待の宴を」
「いらん」
「あ……ええ、そうですね。長旅でお疲れでしょう。最上の格式の部屋をご用意……」
「それもいらん。今夜はガグルエの駐在館に泊まる」
 取りつく島もない様子に、セブ王とセブ貴族は狼狽える。
「ただひとつ譲ってもらいたいものがある」
「は、はい! いかなるものでもご用意いたします」

 ガグルエ王が少年の肩を掴んだ。
「実を食べていたということは、使えるんだろう」
「え……」
 少年と王女は意味を掴みかねていたが、王女ははっとした。
 セブ王は、その異種族は何だ、と横に控える従者に質問している。従者が耳打ちすると、セブ王はほっとしたようにガグルエ王に向き直った。
「ええ。もちろんどうぞ。城で買った奴隷です。ガグルエ王のお役にたてるなら本望でしょう」
「その子は……何も関係ない……」
 王女は小さな声で抗議する。
「それならあなたが相手を?」
 鰭耳の男の言葉に、王女はびくっと震えた。
「冗談はよせ、フィルド。実を食べていない人族の体では、私が楽しめない。……さあ、行くぞ」
 ガグルエ王が壇上に背を向けて歩き出す。

「…………」
 少年が戸惑っているのに気づき、ガグルエ王は振り向く。
「あの、ガグルエ王、様」
「なんだ」
「僕で、お役に立つのですか?」
 少年が訊ねると、彼は口の端で笑って、
「そうだ」
 と肯定した。
(ついていって、いいんだ……)
 胸の中でうずうずしていたものが、ぱあっと解放されたような気がした。少年は満面の笑顔で、壇上から駆け下りる。
 ガグルエ王のすぐ側まで駆け寄ると、彼はまた歩き出した。
 その一歩後ろを、少年は弾むような足取りでついていく。

「フィルド、お前は残ってセブに”助言”でもするか?」
 ガグルエ王と隣を歩く鰭耳の男が話している。
「いえ、その価値もないでしょう。駐在館でこちら側の準備をした方が有意義です」
 少年には会話の意味が分からない。ガグルエ王の歩幅についていくのに必死だ。

 少年はふと、後ろを振り返った。
 少年と目が合った王女が、目を逸らした。
(……?)
 何だろうと疑問に思ったが、後ろに続くガグルエの従者たちの長身に、視線を遮られていく。
「来い」
 ガグルエ王に片腕で軽々と抱えられた。目の前は彼の胸板で、他のものは見えない。
 熱い体温にドキドキしている間に、少年は広間を後にしていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる

水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。 「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」 過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。 ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。 孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

甘々彼氏

すずかけあおい
BL
15歳の年の差のせいか、敦朗さんは俺をやたら甘やかす。 攻めに甘やかされる受けの話です。 〔攻め〕敦朗(あつろう)34歳・社会人 〔受け〕多希(たき)19歳・大学一年

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

【完結】僕の好きな旦那様

ビーバー父さん
BL
生まれ変わって、旦那様を助けるよ。 いつ死んでもおかしくない状態の子猫を気まぐれに助けたザクロの為に、 その命を差し出したテイトが生まれ変わって大好きなザクロの為にまた生きる話。 風の精霊がテイトを助け、体傷だらけでも頑張ってるテイトが、幸せになる話です。 異世界だと思って下さい。

異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる

七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。 だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。 そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。 唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。 優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。 穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。 ――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。

バイト先に元カレがいるんだが、どうすりゃいい?

cheeery
BL
サークルに一人暮らしと、完璧なキャンパスライフが始まった俺……広瀬 陽(ひろせ あき) ひとつ問題があるとすれば金欠であるということだけ。 「そうだ、バイトをしよう!」 一人暮らしをしている近くのカフェでバイトをすることが決まり、初めてのバイトの日。 教育係として現れたのは……なんと高二の冬に俺を振った元カレ、三上 隼人(みかみ はやと)だった! なんで元カレがここにいるんだよ! 俺の気持ちを弄んでフッた最低な元カレだったのに……。 「あんまり隙見せない方がいいよ。遠慮なくつけこむから」 「ねぇ、今どっちにドキドキしてる?」 なんか、俺……ずっと心臓が落ち着かねぇ! もう一度期待したら、また傷つく? あの時、俺たちが別れた本当の理由は──? 「そろそろ我慢の限界かも」

処理中です...