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第三章
第29話 ヴィクトリアチャームの二人
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面接に向かうに際してどんな格好がいいのかわからないというので、沙也加はモスグリーンのストレートパンツに白の長袖シャツ、上にはベージュのカーディガンとショート丈のデニムジャケットを用意した。
足元は黒のローファーで上品にまとめると、小ぶりのピアスと胸元に細いシルバーのチェーン、ベージュのレザーバッグを手渡して、玲とともに家を出た。
ヴィクトリアチャームまでは数駅の距離だ。
玲は履歴書が必要だと求人サイトを検索して知っていたが、それは不要だという。このバイトは事務所からの紹介なので、必要な書類はすでに送られているのだと、沙也加は説明した。
「あなたが愛川さんね、恋水さんから聞いているわ」
「愛川玲です。本日はアルバイトの面接の御時間をとっていただき、ありがとうございます。よろしくお願いします!」
オルス時代、仮の人物となって敵の組織や会社に潜入する際、自分を偽り相手の望むように振る舞うことには慣れている。
「あら、丁寧なごあいさつ、ありがとう」といい、緑川は沙也加のほうをみてクスリ、と笑った。
「ボク、ちゃんとしてますよお!」
「そうだったわね。いまは、仕事もきちんとこなしてくれて助かってるわ」
「そうなんですか! 沙也加が役に立っていて何よりです。それで、私は何をしたらいいですか?」
玲はホールで接客、としか聞いていない。
オルスでイベント会場やレストランでの要人警護と会場の安全確保のために、スタッフとして短期間働いた経験があるだけで、接客業は基本的に専門外だ。
緑川から業務に関して簡単な説明があり、玲は私でもできそうだ、と安心する。
そのまま仕事で着用するメイド服のサイズ合わせをすることなった。
ヴィクトリアチャームの衣装は装飾が多い。
伝統的なメイド服は装飾が控えめでシンプルだと玲は思うのだが、この店の衣装はフリル、リボン、レースなど装飾的要素が多い。
ロングワンピースにフリルのエプロン、白いヘッドドレスをまとう。髪形は三つ編みでいいと言われた。
「うわあ、素敵なドレスですね」
「愛川さんは素地がいいのね。これで化粧までしたら美人さんになるわ」
「そんな褒めないでください。恥ずかしい……どう、沙也加?」
愛川玲の容姿は可愛らしさと繊細な美しさが同居する。そこにシックなメイド服が重なって謙虚さと儚さまでが垣間見えるようだ。
沙也加は活動的な明るさと目鼻立ちがいい顔立ちが魅力だが、玲の美しさの前ではかすんでしまうと思ったのか、参ったなという顔をしていた。
「とっても似合ってるよ、玲。お客様たちが接客してもらいたいって感じるとボクは思う。人気ナンバー1になる日も近いかもね」
「まあ、その前に恋水さんのように失敗をしなければ、ですけどね」
「うっ、すいません……」
「あとは靴とシフトね」
メイド服が決まるとロッカーが割り当てられ、靴は黒のオックスフォードシューズが用意される。
早朝のシフトに人が足りないということで、玲は翌日のモーニングから勤務することが決まった。
「玲、起きないと寝坊しちゃうぞ。ほら、起きて!」
「うう……ん、うん。沙也加、もう少し……」
まだ朝陽が昇りきらない東の空が紫色にかすんだころ、いつもと違う光景が室内で起こっていた。
責任感が強く約束事には厳しい玲が、目覚ましが鳴っても起きないのだ。
いつもなら玲が起き、眠いと甘える沙也加に仕度をさせて出勤させるのに、今日は真逆だ。
沙也加は玲が女性独特の問題で体調が悪いのかと心配する。
しかし、玲は違うの、と小さく呟き、眠たそうな目をこすってまた布団にもぐろうとする。
沙也加は慌てて、玲の布団をもぎとった。
「なに言ってんのさ! いつもと真逆じゃん! こら、起きろ! キスしちゃうぞ?」
「してもいいから寝たい」
「じゃあ、遠慮なくー」
チュっ、と音がして唇に柔らくて湿ったなにかが触れる。
玲は独特の感触に一瞬で目が覚めてしまった。
「むぐっ? むっ、むうっ――、なっ、なにするのよ、沙也加のバカ! あーあ、いい夢だったのに」
「いやあ、役得やくとく。世界広しといえと、アンジュバールの愛川玲にキスして起こす役目なんて、ボクにしかできない大役だよ!」
「自分で大役だなんて沙也加らしいわ」
「褒めてる? それけなしてない?」
「知らない! 起こしてくれてありがとう! 私は着替えに時間かかるから、開店時間の三十分前にくるように、いわれているの。沙也加となんて行ってやらないんだから!」
「あ、待って玲! ボクも行くよー、おいて行かないで」
ヴィクトリアチャームでの玲の一日が始まった。
メイド姿になった玲は、お盆を片手に空いた席を片づけることから始まった。
大きなお皿を一番下に、割れそうな小物は手元から落ちないように気をつけて、引き上げる。
テーブルの上に皿やカップ、食べ残しが無くなったら、ダスターつかって綺麗に清掃し、次の客を迎える準備をする。
腰程度の高さにあるテーブルから、お盆に載せたカップやお皿を持ち上げて運ぶという仕事は、誰にでもできるようで意外と難しい。
「あっ、とと、危ない」
歩きなれない革靴で樫の木で作られた床上を歩くと、カツン、カツン、と小気味がよい音がして、気分が軽くなる。
お皿を回収している最中に、お盆から皿を落としそうになり、玲は気を引き締めて厨房まで皿を運んだ。
「これ、お願いします」
洗い場にいるスタッフに声をかけて、厨房からホールへと戻ろうとする。
そこにガシャンっ、と派手な音が響いてきて、玲は思わず首を竦めた。
「なに?」
「失礼しましたー!」
聞き覚えのある声が厨房まで響いてくる。
「あーあ、また沙也加だな」
「え、どういうこと?」
厨房のスタッフが苦笑いをして、ホールを見にいくように指で示した。玲はおそるおそるホールと厨房を隔てる扉をあけて、バーに向かった。
ドリンクやお酒などを出すバーに入り、新しいお盆とダスターを手に取ってホールを眺める。
黒光りするオーク材の床には、沙也加が落として割った白いマグカップが散乱していた。
「あーあ、沙也加ったら」
相棒がやらかしたミスに玲の心は穏やかじゃない。
しかし、店内で朝食を楽しんでいるお客様たちは、またか、といった顔をして一瞬だけ視線をやったものの、すぐに会話したり新聞や雑誌に目を落としたりしていた。
「恋水さん、またですか!」
「わーすいません、すいません、全部、ボクが悪いんです! すぐに片づけますから!」
「当り前です! お客様方、お怪我はなさいませんでしたか?」
ホールマネージャーの緑川が品よい声で沙也加を叱責し、割れたカップの周囲に座っている客席、ひとつひとつに声を掛けて回る。
沙也加は「申し訳ございませんでした!」と客達に一礼すると、手慣れた感じでバーの片隅からモップとチリトリを用意して、手早く後始末をする。
玲は「しっかりしなさいよ、先輩」と、沙也加に嫌味をいってやる。すると「そんな、玲待って――」と呆然とし、顔が真っ蒼になっていた。
「私、忙しいの、先輩」
「待って、ちがっ、こんなの本当のボクじゃ――」
チリトリとモップを片づけながら沙也加はあわあわとしていて、言葉が続かないようだった。
「言い訳? 頑張ってよね。」
「わかってるよ!」
むう、と唇をとがらせ「本気になったらこんなもんじゃないんだから」とうめく沙也加を玲は相手にしない。
家であれだけえらそうに仕事をしてきたとのたまっていたのに、実際に働いてるいるところを目の当たりにしてみたら、これだ。
まあ、沙也加はオルスにいたころから後方支援だったし、こういう配膳とか接客には向いてないわよね、と玲も心のなかでは仕方ないな、と感じていた。
しかし、寝込んでいた合間に外食を楽しんだり、金遣いが荒かったり、仕事も丁寧でなかったりと悪いところばかり目立っている。
失敗ばかりしていて使えないという話が派遣してくれた事務所側に伝わったら、一気に職を失うことにもなりかねない。
「私が頑張るから」
「あうううう……玲、ボクも頑張るから見捨てないでー」
新たな料理が出てきて配膳に向かう沙也加と食器類を回収をする玲。たまにホールで交差したらそっとお互いを励まし合ってやっていくしかない、と考えていた矢先、いきなり隣で声がした。
「おい沙也加。なに嘆いてんだ?」
「へ?」
「あ、神大さん! いらっしゃいませ!」
「おう、今朝もきてやったぞ」
「ありがとうございます! 毎朝、漏れなくきていただいて感謝です!」
神大俊太郎だった。沙也加は調子のいい言葉を並べると、「いつものな」と注文を請け伝票を書き起こして厨房に伝えた。
足元は黒のローファーで上品にまとめると、小ぶりのピアスと胸元に細いシルバーのチェーン、ベージュのレザーバッグを手渡して、玲とともに家を出た。
ヴィクトリアチャームまでは数駅の距離だ。
玲は履歴書が必要だと求人サイトを検索して知っていたが、それは不要だという。このバイトは事務所からの紹介なので、必要な書類はすでに送られているのだと、沙也加は説明した。
「あなたが愛川さんね、恋水さんから聞いているわ」
「愛川玲です。本日はアルバイトの面接の御時間をとっていただき、ありがとうございます。よろしくお願いします!」
オルス時代、仮の人物となって敵の組織や会社に潜入する際、自分を偽り相手の望むように振る舞うことには慣れている。
「あら、丁寧なごあいさつ、ありがとう」といい、緑川は沙也加のほうをみてクスリ、と笑った。
「ボク、ちゃんとしてますよお!」
「そうだったわね。いまは、仕事もきちんとこなしてくれて助かってるわ」
「そうなんですか! 沙也加が役に立っていて何よりです。それで、私は何をしたらいいですか?」
玲はホールで接客、としか聞いていない。
オルスでイベント会場やレストランでの要人警護と会場の安全確保のために、スタッフとして短期間働いた経験があるだけで、接客業は基本的に専門外だ。
緑川から業務に関して簡単な説明があり、玲は私でもできそうだ、と安心する。
そのまま仕事で着用するメイド服のサイズ合わせをすることなった。
ヴィクトリアチャームの衣装は装飾が多い。
伝統的なメイド服は装飾が控えめでシンプルだと玲は思うのだが、この店の衣装はフリル、リボン、レースなど装飾的要素が多い。
ロングワンピースにフリルのエプロン、白いヘッドドレスをまとう。髪形は三つ編みでいいと言われた。
「うわあ、素敵なドレスですね」
「愛川さんは素地がいいのね。これで化粧までしたら美人さんになるわ」
「そんな褒めないでください。恥ずかしい……どう、沙也加?」
愛川玲の容姿は可愛らしさと繊細な美しさが同居する。そこにシックなメイド服が重なって謙虚さと儚さまでが垣間見えるようだ。
沙也加は活動的な明るさと目鼻立ちがいい顔立ちが魅力だが、玲の美しさの前ではかすんでしまうと思ったのか、参ったなという顔をしていた。
「とっても似合ってるよ、玲。お客様たちが接客してもらいたいって感じるとボクは思う。人気ナンバー1になる日も近いかもね」
「まあ、その前に恋水さんのように失敗をしなければ、ですけどね」
「うっ、すいません……」
「あとは靴とシフトね」
メイド服が決まるとロッカーが割り当てられ、靴は黒のオックスフォードシューズが用意される。
早朝のシフトに人が足りないということで、玲は翌日のモーニングから勤務することが決まった。
「玲、起きないと寝坊しちゃうぞ。ほら、起きて!」
「うう……ん、うん。沙也加、もう少し……」
まだ朝陽が昇りきらない東の空が紫色にかすんだころ、いつもと違う光景が室内で起こっていた。
責任感が強く約束事には厳しい玲が、目覚ましが鳴っても起きないのだ。
いつもなら玲が起き、眠いと甘える沙也加に仕度をさせて出勤させるのに、今日は真逆だ。
沙也加は玲が女性独特の問題で体調が悪いのかと心配する。
しかし、玲は違うの、と小さく呟き、眠たそうな目をこすってまた布団にもぐろうとする。
沙也加は慌てて、玲の布団をもぎとった。
「なに言ってんのさ! いつもと真逆じゃん! こら、起きろ! キスしちゃうぞ?」
「してもいいから寝たい」
「じゃあ、遠慮なくー」
チュっ、と音がして唇に柔らくて湿ったなにかが触れる。
玲は独特の感触に一瞬で目が覚めてしまった。
「むぐっ? むっ、むうっ――、なっ、なにするのよ、沙也加のバカ! あーあ、いい夢だったのに」
「いやあ、役得やくとく。世界広しといえと、アンジュバールの愛川玲にキスして起こす役目なんて、ボクにしかできない大役だよ!」
「自分で大役だなんて沙也加らしいわ」
「褒めてる? それけなしてない?」
「知らない! 起こしてくれてありがとう! 私は着替えに時間かかるから、開店時間の三十分前にくるように、いわれているの。沙也加となんて行ってやらないんだから!」
「あ、待って玲! ボクも行くよー、おいて行かないで」
ヴィクトリアチャームでの玲の一日が始まった。
メイド姿になった玲は、お盆を片手に空いた席を片づけることから始まった。
大きなお皿を一番下に、割れそうな小物は手元から落ちないように気をつけて、引き上げる。
テーブルの上に皿やカップ、食べ残しが無くなったら、ダスターつかって綺麗に清掃し、次の客を迎える準備をする。
腰程度の高さにあるテーブルから、お盆に載せたカップやお皿を持ち上げて運ぶという仕事は、誰にでもできるようで意外と難しい。
「あっ、とと、危ない」
歩きなれない革靴で樫の木で作られた床上を歩くと、カツン、カツン、と小気味がよい音がして、気分が軽くなる。
お皿を回収している最中に、お盆から皿を落としそうになり、玲は気を引き締めて厨房まで皿を運んだ。
「これ、お願いします」
洗い場にいるスタッフに声をかけて、厨房からホールへと戻ろうとする。
そこにガシャンっ、と派手な音が響いてきて、玲は思わず首を竦めた。
「なに?」
「失礼しましたー!」
聞き覚えのある声が厨房まで響いてくる。
「あーあ、また沙也加だな」
「え、どういうこと?」
厨房のスタッフが苦笑いをして、ホールを見にいくように指で示した。玲はおそるおそるホールと厨房を隔てる扉をあけて、バーに向かった。
ドリンクやお酒などを出すバーに入り、新しいお盆とダスターを手に取ってホールを眺める。
黒光りするオーク材の床には、沙也加が落として割った白いマグカップが散乱していた。
「あーあ、沙也加ったら」
相棒がやらかしたミスに玲の心は穏やかじゃない。
しかし、店内で朝食を楽しんでいるお客様たちは、またか、といった顔をして一瞬だけ視線をやったものの、すぐに会話したり新聞や雑誌に目を落としたりしていた。
「恋水さん、またですか!」
「わーすいません、すいません、全部、ボクが悪いんです! すぐに片づけますから!」
「当り前です! お客様方、お怪我はなさいませんでしたか?」
ホールマネージャーの緑川が品よい声で沙也加を叱責し、割れたカップの周囲に座っている客席、ひとつひとつに声を掛けて回る。
沙也加は「申し訳ございませんでした!」と客達に一礼すると、手慣れた感じでバーの片隅からモップとチリトリを用意して、手早く後始末をする。
玲は「しっかりしなさいよ、先輩」と、沙也加に嫌味をいってやる。すると「そんな、玲待って――」と呆然とし、顔が真っ蒼になっていた。
「私、忙しいの、先輩」
「待って、ちがっ、こんなの本当のボクじゃ――」
チリトリとモップを片づけながら沙也加はあわあわとしていて、言葉が続かないようだった。
「言い訳? 頑張ってよね。」
「わかってるよ!」
むう、と唇をとがらせ「本気になったらこんなもんじゃないんだから」とうめく沙也加を玲は相手にしない。
家であれだけえらそうに仕事をしてきたとのたまっていたのに、実際に働いてるいるところを目の当たりにしてみたら、これだ。
まあ、沙也加はオルスにいたころから後方支援だったし、こういう配膳とか接客には向いてないわよね、と玲も心のなかでは仕方ないな、と感じていた。
しかし、寝込んでいた合間に外食を楽しんだり、金遣いが荒かったり、仕事も丁寧でなかったりと悪いところばかり目立っている。
失敗ばかりしていて使えないという話が派遣してくれた事務所側に伝わったら、一気に職を失うことにもなりかねない。
「私が頑張るから」
「あうううう……玲、ボクも頑張るから見捨てないでー」
新たな料理が出てきて配膳に向かう沙也加と食器類を回収をする玲。たまにホールで交差したらそっとお互いを励まし合ってやっていくしかない、と考えていた矢先、いきなり隣で声がした。
「おい沙也加。なに嘆いてんだ?」
「へ?」
「あ、神大さん! いらっしゃいませ!」
「おう、今朝もきてやったぞ」
「ありがとうございます! 毎朝、漏れなくきていただいて感謝です!」
神大俊太郎だった。沙也加は調子のいい言葉を並べると、「いつものな」と注文を請け伝票を書き起こして厨房に伝えた。
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