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第二章 聖女と黒狼
第16話 思い出の君
「だから、どうしたと? それは普通だろ?」
「普通でも人を殺してきた経験が多いのは異常だ。それほどあいつからは他の人間の血の匂いがした。生臭い匂いだ。ひとりじゃない、数十人かそれとも百人を超えてるかもしれない。そんな香りだった」
危険なダークエルフ。
その言葉はキースの背筋を凍らせた。
「それで。そいつはなんて言ったんだ」
「お前を殺せと。バクスターの影を私も見た。迷宮の中で随分とたくさんの隠し部屋を知っているらしいな? 不正を疑われたとか。そんなことで職場をクビになるなんて愚かしい」
「俺は俺の職務を果たしただけだ」
ふっと、ライシャはそれを鼻先で笑った。
「会社が望むことをしないのに、自分が好きなことをするのはお前のエゴだろう」
「だが生還率は高い」
「そうだな。戻る命は多ければ多いほど良い。無事ならば無事なほどに。そうでなければあの娘……ケリーのような親子が増える」
いきなり出た生徒の名前に、キースの瞳が険しくなる。
教師という立場に立ち返った彼は、もう恐怖を忘れかけていた。
「あいつの影も、詠んだのか?」
「私は見た、と称するが、詠んだ。けれど忘れた、どうでもいいことの忘れるに限る。その方が人生は長く楽しめる」
「ギルドは生還率よりも達成率を選んだ。生きることより、死ぬリスクの高いルートを冒険者たちに提供した。俺にとってそれは許せないことだ」
「まあ。もう辞めた。人間の社会ではクビになった、というのが正しいのか? それになったのだから今更こだわることもないだろう。お前がしたいことをすればいい」
「昨日の話か。酒に溺れると余計なことを話す」
「私は好きだ」
「は?」
ライシャは真っ直ぐな視線で、キースの瞳の奥をのぞき込むように、じっと見つめて来る。
好き。その言葉が表すものは、彼が数週間前から経営を始めた冒険者養成学校ことだろう。
「資金がない。金を手に入れようとしても日雇いでしか働けない、大した賃金にはならない。理想と現実があまりにもかけ離れている。だから引き受けた」
「その話は、ここではしたくない」
「昨日大声で喋ってたのをもう忘れたのか? まあ、あの」
と、カウンター奥のバーテンダーを見遣る。
視線を戻して、気にする必要はない、とライシャは言った。
「どういうことだ?」
「昨夜我々がここにいた間の会話を知る者の記憶、ほとんど全て消したからな。どこに滞在した時間だけ」
「また無茶なことをする……。人間の脳はそうそう都合よくできてないんだぞ」
「そんなことはない。うまく帳尻を合わせてやればいいだけだ。酒に酔ってしまったと思えば、大抵の人間は納得する」
「なんて失礼なダークエルフだ」
「褒め言葉だと受け取っておこう。私に感謝の言葉はないのか?」
一般的に闇の妖精と呼ばれている彼らは、邪悪な存在だとも言われている。
ライシャの口角が上がったのを見て、キースはその表現もまんざら間違っていないな、と感じた。
「どんな感謝をしたらいいんだ。今酒おごってもらっていることか? 酔えない体質にされたことか? それとも?」
「ダークスターの影を見て、彼が本当に待っていた人物になりすまし、その依頼を受けたことにして、本来の刺客を無力化してやったことだ」
「無力化って」
「探し出すのに三日ほどかかった。だからお前に会いに行くのが昨日になった。何、心配はいらん。その女ダークエルフも、随分と人を殺しすぎていた。それらの怨念を寝ている間にしがみつかせてやっただけだ。心の中にな。恐怖と狂気に錯乱して、自分から飛び降りた。確か彼女のアパートは四階だったか」
「何て酷いことを」
「通行人のふりをして生きているかどうかを確かめた。死んでいた。お前はそれで助かった」
「だけど」
声を潜めてキースは言う。
一度失敗したからといって、二度目がないとは限らない。
「二度目はない」
「なぜそう言い切れるんだ」
「昨日お前が言っていたではないか。新しい仕事が決まった。これを達成すれば、棄民から抜け出ることができると」
「……勇者パーティの案内か」
「そうだ。もっともそれは私が手配したものじゃない。私も昨日お前に聞いて初めて知った。こんなこともあろうかと、バクスターには監視の妖精を張り付けておいた」
「ギルドが命令を取り消した?」
「一時的に停止したようなものだ。だが、任務を達成すればそれは永久に凍結される。そういうことだと言っていた」
ラモスとバクスターが。
思いもしなかった人物の名前が飛び出して、キースはワインを吹き出しそうになる。
俺を追い出した元上司と刺客の手配人が繋がっていた。
二度とあそこには戻れない。
そんな気がした。
肩を落とすキースに追い打ちをかけるように、ライシャは言う。
「キース。とりあえず就職おめでとう。戻ってきたら、私をそこに案内してくれ。私はそれまでゆっくりとこの地下世界を堪能することにしよう。ああ、それから」
「なんだよ!」
「もう少し、影を操ることを覚えた方がいい。他人に考える読まれるなんて愚の骨頂だ」
「もう帰れ! お前だけ酔っ払ってるんじゃないか!」
「ははは。かもな? 今夜の酒はうまい。他人と交わす杯なんて数年ぶりだ」
酔っ払って上機嫌になったダークエルフはそう言うとバシバシと手のひらでキースの背中を叩きまくった。
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