29 / 49
第三章 ワニと船医と撃癒師
第29話 撃癒師、悪を暴く
しおりを挟む
おじさんと結婚したくない。
その一言ばかりをローゼは口にしていて、まったく状況がつかめないまま、数分が過ぎた。
サティナが支度を整えている間に、カールはローゼに紅茶を淹れてやる。
室内にサービスとして常備されている質素な茶葉だったが、それでも柑橘系の香りを嗅ぐとローゼは幾分、落ち着きを取り戻したらしい。
渡したタオルで拭いた顔は、涙で溢れていた。
「落ち着いた?」
「はい。ごめんなさい。恥ずかしいところを見せてしまって」
「いや、気にしなくていいですよ。それで、何があったのかな、ローゼさん」
カールは優しく語り掛けてやる。
いまのローゼは不安に駆られて焦燥している患者と同じだ。
その扱いには慣れていた。
まずは相手を落ち着かせること。
心はすべての源流だ。
これが穏やかにならなければ、人は平常心を保てない。
カールとサティナは、ローゼに敵対することはないと雰囲気で示さなければいけなかった。
熱い紅茶を飲み、ゆっくりと体が温まると、心にも余裕が出てきたらしい。
ローゼはまだ怯えてはいたものの、室内に流れるそれまでいた場所とは違う和やかさに落ち着いたようで、次第に顔を上げ、言葉を交わし始めた。
「あのヘイステス・アリゲーターが全部、悪いんです」
「ヘイステス・アリゲーター?」
昨日、船を襲った大型魔獣だった。
船の結界の結界を破ろうとして大きな顎で噛みついてきたやつだ。
黒狼の獣人、ケリーが退治し、その魔石を持ち帰ってきた。
中にはどういう経緯でそうなったのかは不明だが、赤い月の女神から遣わされた使者だと名乗る、ワニの精霊のような存在が封印されていた。
そいつは自分都合で話を進めてどこかに消えてしまった。
みんなが被害者だ。
カールはサティナと顔を見合わせ、大きくため息をついた。
またかあれ関連のトラブルか……! そんな感じだった。
「あの魔獣のせいで貴族の方々が、怪我をされたじゃないですか」
「あの寝ていた連中ですか?」
「そうです! カール先生に管理をお願いした、あの連中! 昨日の夜にレストランで騒いで、おまけに廊下でも騒いで! あの連中ですよ!」
おっと。
カール先生に管理をお願いした、と飛び出て来たぞ。
これでは返事を一言でも間違えたら、責任の所在が明らかにある。
火の粉が飛んでこないようにしなければ……。
「医務室をお預かりした際に彼らが負った怪我や病期は【撃癒】ですべて癒しましたよ。その意味では、彼らは現在、すこぶる健康なはずでしょ?」
カールはおそるおそる、そう問いかける。
ローゼは「それはそうなんですけど」、と言葉を濁した。
それとローゼが結婚に至る理由がよく理解できない。
サティナは医療に関しては部外者だが、その彼女でも今一つ分からない、という顔をしている。
他人に分からないなら、カールにローゼの意図が通じるはずもない。
「カール先生が昨夜、廊下のでひと騒動やらかしたじゃないですか!」
「……それは、うん。御迷惑をかけました」
自分が体当たりをぶちかまして廊下の壁に激突したあいつが、打ち所が悪くて死んだとか。そういう話?
カールの隣で、サティナがまずいのでは? とあわあわとなっている。
妻の肩に手を置いて、大丈夫だからとほほ笑んで見せた。
「その騒動の前に、大量の水が貴族室のさまざまな場所で溢れていたんですよ。みんな、それに触れて溺れてしまいそうになった人もいるんです。彼もあの後にまた似たような幻覚を見るようになって。これは船の責任だ。貴族たる自分の健康を害したのだから責任を取れ、とそう言いだしてるんですよ!」
「あのね、ローゼさん。まったく要領を得ないんだけど。彼はどこの誰で、どの部分でどう責任を取れ、と?」
「だからあ! あのダレネ侯爵だってば!」
「……まったく事情が理解できません」
カールはこの泣きながら、自分の首を掴んでくるローゼをうまく交わそうとする。
「あんたのせいよ、責任取りなさいよ、どうしてくれんのよ!」
「いやだから、あの時。医務室に侯爵はいなかったでしょ! それことお門違いだってば!」
「冗談じゃないわよ、あんなジジいとなんか。誰が結婚してたまるもんですか! 私、まだ若いんですからね! 二十一なんですよ」
と、凄んでくる女船医に【撃癒】を施した方が静かになるんじゃないかな、と真剣に考え始めていた。
サティナが夫の危機と見て間に割って入る。
「いい加減にしてください! ローゼさん、夫をなんだと思っているんですか! ご自分の都合で人の部屋に押しかけておいて、無礼にもほどがありますよ!」
「……サティナ」
「カール! あなたもきちんと関係ないなら関係ないと言えばいいじゃないですか! そんな曖昧な態度を取っていたら、いつまでも問題が解決しません! ローゼさんも!」
サティナは本気になって、夫に難癖をつけにきたローゼを引きはがしにかかった。
こうなるとローゼはサティナに敵わない。
男性並みに鍛えているサティナは、驚くほどあっさりとローゼとカールを引き離してしまった。
「ごめんなさい……。私ったら、つい……」
「いえ、僕も。ごめん、サティナ」
「謝罪など要りません。それよりも、この問題。どう解決するんですか。こちらに非が無いように思えますが、ローゼさん」
筋違いの濡れ衣だと、サティナは女船医に怒っていた。
ローゼは顔に陰鬱な表情を作っている。
俯いた彼女は、本人が言う程には、落ち込んで見えた。
「幻覚……。それをみんなが見るようになった、って。そう言うのです。でもそれは私の治療のせいだ、と」
「それこそまさに濡れ衣じゃないですか」
主導権はカールからサティナに移っていた。
ローゼから夫を取り戻した妻は、その胸の中に彼を守るようにして抱いている。
それ以上近づくと噛む、と牙をむいて威嚇しつつ、子供をまもる母猫のようだった。
「うちの夫が無関係なら出て行ってください。それはローゼさんの問題です」
「でも、だって。あの医務室で寝ていた連中に症状が重く見られるのに……。カールさんの処置だって間違いがあったとしか」
「侯爵はいなかったでしょ!」
カールはそこ、大事! と指摘する。
第一、あの男爵だと名乗るチンピラどもにどう侯爵が関わるのか、線が繋がらない。
「侯爵様は男爵の……。オルスタイン男爵とダレネ侯爵は甥、叔父の関係らしくて」
「えー……それで、レストランの時にあんな拍手したのか」
あれはカールの武勇を讃えるためのものではなく、単に甥の立場をこれ以上、悪くしないための方便だったのだ。
と、カールは思い知らされる。
人の良さそうな老紳士に見えたのに、さすが、貴族。
社交界のどろどろとした世界で生き抜いてきた老獪さを思わせた。
けれどそうなってくると、幻覚を今でも見ているのかどうか、そこも気になるところだ。
「まだ見えている、と。彼らはそう言っているのですか?」
「え? いえ、それはもう治まったと。でも、それを見るようになったのは……」
「ローゼさんの治療が悪いからそうなった、と」
そう言ったら、ローゼはふるふると頭を振って拒絶した。
え、また話が別の方向性に振られるの?
そう思い、カールは思わず、身構えてしまう。
「自分たちがこれほどの幻覚に襲われたのはお前の治療が悪いからだ。俺たちはこの先も幻覚に際悩まされるかもしれない。だから、慰謝料を用意しろ、と」
「まるで追い剥ぎの手口じゃないですか」
そんなもの、話しを蹴ってしまったらいいんですよ! と妻は強気に叫ぶ。
カールにはダレネ侯爵とその一派が、何を求めているのかが、何となく理解できていた。
「……分かりました」
「カール!?」
「サティナは落ち着いて。ローゼ、案内してください。ダレネ侯爵と僕が直接、話をします」
「本当? カール先生! 本当に?」
カールは静かに肯いた。
一度、ローゼに自室に戻り、ぼろぼろの外観を整えて来るように申し付ける。
このままでは侯爵の前に出るのは、ちょっと問題があった。
彼女が出て行くと、サティナは不満そうな顔をして膨れている。それはそうだ。夫が明らかに冤罪をおしつけられて、人の良さにつけこまれ、のこのこと自分からトラブルに飛び込んでいこうとしているのだから。
妻として、不機嫌にならないはずがなかった。
「サティナ」
「……カール。どういうこと? 私はあなたに関わって欲しくないって言いました!」
それは妻として最初の選択だったかもしれない。
夫婦間に関わる大事な選択だ。
「うん。君は正しいと思う」
「馬鹿にしているんですか!」
お前は何もわかっていない。そうからかわれている気がした。
サティナは顔を真っ赤にして気分の上気を抑えている。
いまはまだ結婚したばかりだから控えめにしてくれているが、これがもっと時間をかけて仲を深めて行けば、彼女の性格はより苛烈になるだろうとも思えた。
互いに線引きが必要だ。
野生動物の夫婦じゃないのだから。
喧嘩ばかりしていたのでは、互いが傷つくばかり。
カールは声の抑揚を下げて妻を諭した。
「最初に言っておくけど」
「何……ですか」
「僕は別に君のことをないがしろにして、ローゼを助けたいとか思ってないから。彼女よりも君を選ぶ」
「じゃあ、なんで。あんなことを?」
「侯爵の目的がよく分かったから」
「……え?」
あれだよ、とカールは浴室に鎮座させているままの、ヘイステス・アリゲーターから取り出した巨大な魔石のことだよ、と言った。
「あんな巨大で中に魔獣が入っている魔石なんて僕は見たことがない。それだけ価値が高いものなんだ。侯爵はそういうものが好きなんだろうね」
「本当に……?」
「持っていけば分かると思うよ。それで話がつかなかったら、僕は僕が担当した治癒だけの責任を取る」
「それは、だめ!」
「いや、撃癒で治らないものなんてないから。それでさらに病気になったって訴えるんだったら、今度は裁判になる。法廷で争うことになる」
「それはつまり、あなたの評判が悪くなる……」
「そうとも限らない。法廷で争うには多額の資金が必要なんだ。侯爵がそれを望むなら、こっちはあの魔石を売って、その資金で争うまで。買ったら、僕の名声は高まる。ついでに言うと負けることがない」
負けることがない。
その一言だけは途方もない確信があるかのようにサティナには聞こえた。
どうしてそう言えるのか、夫の確信する根拠を知りたかった。
「撃癒は王族の治療すら行う、神聖魔法の対極にある国が認めた最高位の治癒方法だよ。それが効かないとか、これまで撃癒で完治してきた人たち、このスキルを用いて最高位の治癒方法だと宣伝している宮廷治癒師連盟もそう。神殿だって撃癒を最高位の治癒スキルと認めている」
「ごめんなさい、待って。それはつまりどういうことなの」
「この王国において、撃癒を効力のない無能な治癒方法だと言うことは、神殿や王族。ひいては神様の神託を敵に回すってこと」
ここまで言い切ったら彼女は安心してくれるかなとカールは思った。
てっきり笑顔になって頑張って行ってらっしゃいと送り出してくれるものだと思った。
ところが戻ってきた返事は全く別物で。
「……そんなにすごいスキルを持って、人々を救っているあなたを尊敬するわ。けれど……どうして終わりの極みなんて……」
「ああ、そこ……っ? 撃癒を体得するには人によっては何十年もかかって、ようやくって人もいるから。これは究極の絶対無敗を極めようとした人間がたまたま編み出した治癒方法だから。なかなか後継者がいないんだよね」
なるほど、と納得したのか妻は何度か感心したように首を縦にする。
どうにか夫婦喧嘩は回避できたようだ。
それからローゼがやってきてまた扉を叩くまで、サティナは励ますように抱きしめ、また熱いキスを応援にくれた。
その一言ばかりをローゼは口にしていて、まったく状況がつかめないまま、数分が過ぎた。
サティナが支度を整えている間に、カールはローゼに紅茶を淹れてやる。
室内にサービスとして常備されている質素な茶葉だったが、それでも柑橘系の香りを嗅ぐとローゼは幾分、落ち着きを取り戻したらしい。
渡したタオルで拭いた顔は、涙で溢れていた。
「落ち着いた?」
「はい。ごめんなさい。恥ずかしいところを見せてしまって」
「いや、気にしなくていいですよ。それで、何があったのかな、ローゼさん」
カールは優しく語り掛けてやる。
いまのローゼは不安に駆られて焦燥している患者と同じだ。
その扱いには慣れていた。
まずは相手を落ち着かせること。
心はすべての源流だ。
これが穏やかにならなければ、人は平常心を保てない。
カールとサティナは、ローゼに敵対することはないと雰囲気で示さなければいけなかった。
熱い紅茶を飲み、ゆっくりと体が温まると、心にも余裕が出てきたらしい。
ローゼはまだ怯えてはいたものの、室内に流れるそれまでいた場所とは違う和やかさに落ち着いたようで、次第に顔を上げ、言葉を交わし始めた。
「あのヘイステス・アリゲーターが全部、悪いんです」
「ヘイステス・アリゲーター?」
昨日、船を襲った大型魔獣だった。
船の結界の結界を破ろうとして大きな顎で噛みついてきたやつだ。
黒狼の獣人、ケリーが退治し、その魔石を持ち帰ってきた。
中にはどういう経緯でそうなったのかは不明だが、赤い月の女神から遣わされた使者だと名乗る、ワニの精霊のような存在が封印されていた。
そいつは自分都合で話を進めてどこかに消えてしまった。
みんなが被害者だ。
カールはサティナと顔を見合わせ、大きくため息をついた。
またかあれ関連のトラブルか……! そんな感じだった。
「あの魔獣のせいで貴族の方々が、怪我をされたじゃないですか」
「あの寝ていた連中ですか?」
「そうです! カール先生に管理をお願いした、あの連中! 昨日の夜にレストランで騒いで、おまけに廊下でも騒いで! あの連中ですよ!」
おっと。
カール先生に管理をお願いした、と飛び出て来たぞ。
これでは返事を一言でも間違えたら、責任の所在が明らかにある。
火の粉が飛んでこないようにしなければ……。
「医務室をお預かりした際に彼らが負った怪我や病期は【撃癒】ですべて癒しましたよ。その意味では、彼らは現在、すこぶる健康なはずでしょ?」
カールはおそるおそる、そう問いかける。
ローゼは「それはそうなんですけど」、と言葉を濁した。
それとローゼが結婚に至る理由がよく理解できない。
サティナは医療に関しては部外者だが、その彼女でも今一つ分からない、という顔をしている。
他人に分からないなら、カールにローゼの意図が通じるはずもない。
「カール先生が昨夜、廊下のでひと騒動やらかしたじゃないですか!」
「……それは、うん。御迷惑をかけました」
自分が体当たりをぶちかまして廊下の壁に激突したあいつが、打ち所が悪くて死んだとか。そういう話?
カールの隣で、サティナがまずいのでは? とあわあわとなっている。
妻の肩に手を置いて、大丈夫だからとほほ笑んで見せた。
「その騒動の前に、大量の水が貴族室のさまざまな場所で溢れていたんですよ。みんな、それに触れて溺れてしまいそうになった人もいるんです。彼もあの後にまた似たような幻覚を見るようになって。これは船の責任だ。貴族たる自分の健康を害したのだから責任を取れ、とそう言いだしてるんですよ!」
「あのね、ローゼさん。まったく要領を得ないんだけど。彼はどこの誰で、どの部分でどう責任を取れ、と?」
「だからあ! あのダレネ侯爵だってば!」
「……まったく事情が理解できません」
カールはこの泣きながら、自分の首を掴んでくるローゼをうまく交わそうとする。
「あんたのせいよ、責任取りなさいよ、どうしてくれんのよ!」
「いやだから、あの時。医務室に侯爵はいなかったでしょ! それことお門違いだってば!」
「冗談じゃないわよ、あんなジジいとなんか。誰が結婚してたまるもんですか! 私、まだ若いんですからね! 二十一なんですよ」
と、凄んでくる女船医に【撃癒】を施した方が静かになるんじゃないかな、と真剣に考え始めていた。
サティナが夫の危機と見て間に割って入る。
「いい加減にしてください! ローゼさん、夫をなんだと思っているんですか! ご自分の都合で人の部屋に押しかけておいて、無礼にもほどがありますよ!」
「……サティナ」
「カール! あなたもきちんと関係ないなら関係ないと言えばいいじゃないですか! そんな曖昧な態度を取っていたら、いつまでも問題が解決しません! ローゼさんも!」
サティナは本気になって、夫に難癖をつけにきたローゼを引きはがしにかかった。
こうなるとローゼはサティナに敵わない。
男性並みに鍛えているサティナは、驚くほどあっさりとローゼとカールを引き離してしまった。
「ごめんなさい……。私ったら、つい……」
「いえ、僕も。ごめん、サティナ」
「謝罪など要りません。それよりも、この問題。どう解決するんですか。こちらに非が無いように思えますが、ローゼさん」
筋違いの濡れ衣だと、サティナは女船医に怒っていた。
ローゼは顔に陰鬱な表情を作っている。
俯いた彼女は、本人が言う程には、落ち込んで見えた。
「幻覚……。それをみんなが見るようになった、って。そう言うのです。でもそれは私の治療のせいだ、と」
「それこそまさに濡れ衣じゃないですか」
主導権はカールからサティナに移っていた。
ローゼから夫を取り戻した妻は、その胸の中に彼を守るようにして抱いている。
それ以上近づくと噛む、と牙をむいて威嚇しつつ、子供をまもる母猫のようだった。
「うちの夫が無関係なら出て行ってください。それはローゼさんの問題です」
「でも、だって。あの医務室で寝ていた連中に症状が重く見られるのに……。カールさんの処置だって間違いがあったとしか」
「侯爵はいなかったでしょ!」
カールはそこ、大事! と指摘する。
第一、あの男爵だと名乗るチンピラどもにどう侯爵が関わるのか、線が繋がらない。
「侯爵様は男爵の……。オルスタイン男爵とダレネ侯爵は甥、叔父の関係らしくて」
「えー……それで、レストランの時にあんな拍手したのか」
あれはカールの武勇を讃えるためのものではなく、単に甥の立場をこれ以上、悪くしないための方便だったのだ。
と、カールは思い知らされる。
人の良さそうな老紳士に見えたのに、さすが、貴族。
社交界のどろどろとした世界で生き抜いてきた老獪さを思わせた。
けれどそうなってくると、幻覚を今でも見ているのかどうか、そこも気になるところだ。
「まだ見えている、と。彼らはそう言っているのですか?」
「え? いえ、それはもう治まったと。でも、それを見るようになったのは……」
「ローゼさんの治療が悪いからそうなった、と」
そう言ったら、ローゼはふるふると頭を振って拒絶した。
え、また話が別の方向性に振られるの?
そう思い、カールは思わず、身構えてしまう。
「自分たちがこれほどの幻覚に襲われたのはお前の治療が悪いからだ。俺たちはこの先も幻覚に際悩まされるかもしれない。だから、慰謝料を用意しろ、と」
「まるで追い剥ぎの手口じゃないですか」
そんなもの、話しを蹴ってしまったらいいんですよ! と妻は強気に叫ぶ。
カールにはダレネ侯爵とその一派が、何を求めているのかが、何となく理解できていた。
「……分かりました」
「カール!?」
「サティナは落ち着いて。ローゼ、案内してください。ダレネ侯爵と僕が直接、話をします」
「本当? カール先生! 本当に?」
カールは静かに肯いた。
一度、ローゼに自室に戻り、ぼろぼろの外観を整えて来るように申し付ける。
このままでは侯爵の前に出るのは、ちょっと問題があった。
彼女が出て行くと、サティナは不満そうな顔をして膨れている。それはそうだ。夫が明らかに冤罪をおしつけられて、人の良さにつけこまれ、のこのこと自分からトラブルに飛び込んでいこうとしているのだから。
妻として、不機嫌にならないはずがなかった。
「サティナ」
「……カール。どういうこと? 私はあなたに関わって欲しくないって言いました!」
それは妻として最初の選択だったかもしれない。
夫婦間に関わる大事な選択だ。
「うん。君は正しいと思う」
「馬鹿にしているんですか!」
お前は何もわかっていない。そうからかわれている気がした。
サティナは顔を真っ赤にして気分の上気を抑えている。
いまはまだ結婚したばかりだから控えめにしてくれているが、これがもっと時間をかけて仲を深めて行けば、彼女の性格はより苛烈になるだろうとも思えた。
互いに線引きが必要だ。
野生動物の夫婦じゃないのだから。
喧嘩ばかりしていたのでは、互いが傷つくばかり。
カールは声の抑揚を下げて妻を諭した。
「最初に言っておくけど」
「何……ですか」
「僕は別に君のことをないがしろにして、ローゼを助けたいとか思ってないから。彼女よりも君を選ぶ」
「じゃあ、なんで。あんなことを?」
「侯爵の目的がよく分かったから」
「……え?」
あれだよ、とカールは浴室に鎮座させているままの、ヘイステス・アリゲーターから取り出した巨大な魔石のことだよ、と言った。
「あんな巨大で中に魔獣が入っている魔石なんて僕は見たことがない。それだけ価値が高いものなんだ。侯爵はそういうものが好きなんだろうね」
「本当に……?」
「持っていけば分かると思うよ。それで話がつかなかったら、僕は僕が担当した治癒だけの責任を取る」
「それは、だめ!」
「いや、撃癒で治らないものなんてないから。それでさらに病気になったって訴えるんだったら、今度は裁判になる。法廷で争うことになる」
「それはつまり、あなたの評判が悪くなる……」
「そうとも限らない。法廷で争うには多額の資金が必要なんだ。侯爵がそれを望むなら、こっちはあの魔石を売って、その資金で争うまで。買ったら、僕の名声は高まる。ついでに言うと負けることがない」
負けることがない。
その一言だけは途方もない確信があるかのようにサティナには聞こえた。
どうしてそう言えるのか、夫の確信する根拠を知りたかった。
「撃癒は王族の治療すら行う、神聖魔法の対極にある国が認めた最高位の治癒方法だよ。それが効かないとか、これまで撃癒で完治してきた人たち、このスキルを用いて最高位の治癒方法だと宣伝している宮廷治癒師連盟もそう。神殿だって撃癒を最高位の治癒スキルと認めている」
「ごめんなさい、待って。それはつまりどういうことなの」
「この王国において、撃癒を効力のない無能な治癒方法だと言うことは、神殿や王族。ひいては神様の神託を敵に回すってこと」
ここまで言い切ったら彼女は安心してくれるかなとカールは思った。
てっきり笑顔になって頑張って行ってらっしゃいと送り出してくれるものだと思った。
ところが戻ってきた返事は全く別物で。
「……そんなにすごいスキルを持って、人々を救っているあなたを尊敬するわ。けれど……どうして終わりの極みなんて……」
「ああ、そこ……っ? 撃癒を体得するには人によっては何十年もかかって、ようやくって人もいるから。これは究極の絶対無敗を極めようとした人間がたまたま編み出した治癒方法だから。なかなか後継者がいないんだよね」
なるほど、と納得したのか妻は何度か感心したように首を縦にする。
どうにか夫婦喧嘩は回避できたようだ。
それからローゼがやってきてまた扉を叩くまで、サティナは励ますように抱きしめ、また熱いキスを応援にくれた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
チート魔力はお金のために使うもの~守銭奴転移を果たした俺にはチートな仲間が集まるらしい~
桜桃-サクランボ-
ファンタジー
金さえあれば人生はどうにでもなる――そう信じている二十八歳の守銭奴、鏡谷知里。
交通事故で意識が朦朧とする中、目を覚ますと見知らぬ異世界で、目の前には見たことがないドラゴン。
そして、なぜか“チート魔力持ち”になっていた。
その莫大な魔力は、もともと自分が持っていた付与魔力に、封印されていた冒険者の魔力が重なってしまった結果らしい。
だが、それが不幸の始まりだった。
世界を恐怖で支配する集団――「世界を束ねる管理者」。
彼らに目をつけられてしまった知里は、巻き込まれたくないのに狙われる羽目になってしまう。
さらに、人を疑うことを知らない純粋すぎる二人と行動を共にすることになり、望んでもいないのに“冒険者”として動くことになってしまった。
金を稼ごうとすれば邪魔が入り、巻き込まれたくないのに事件に引きずられる。
面倒ごとから逃げたい守銭奴と、世界の頂点に立つ管理者。
本来交わらないはずの二つが、過去の冒険者の残した魔力によってぶつかり合う、異世界ファンタジー。
※小説家になろう・カクヨムでも更新中
※表紙:あニキさん
※ ※がタイトルにある話に挿絵アリ
※月、水、金、更新予定!
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2巻決定しました!
【書籍版 大ヒット御礼!オリコン18位&続刊決定!】
皆様の熱狂的な応援のおかげで、書籍版『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』が、オリコン週間ライトノベルランキング18位、そしてアルファポリス様の書店売上ランキングでトップ10入りを記録しました!
本当に、本当にありがとうございます!
皆様の応援が、最高の形で「続刊(2巻)」へと繋がりました。
市丸きすけ先生による、素晴らしい書影も必見です!
【作品紹介】
欲望に取りつかれた権力者が企んだ「スキル強奪」のための勇者召喚。
だが、その儀式に巻き込まれたのは、どこにでもいる普通のサラリーマン――白河小次郎、45歳。
彼に与えられたのは、派手な攻撃魔法ではない。
【鑑定】【いんたーねっと?】【異世界売買】【テイマー】…etc.
その一つ一つが、世界の理すら書き換えかねない、規格外の「便利スキル」だった。
欲望者から逃げ切るか、それとも、サラリーマンとして培った「知識」と、チート級のスキルを武器に、反撃の狼煙を上げるか。
気のいいおっさんの、優しくて、ずる賢い、まったり異世界サバイバルが、今、始まる!
【書誌情報】
タイトル: 『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』
著者: よっしぃ
イラスト: 市丸きすけ 先生
出版社: アルファポリス
ご購入はこちらから:
Amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/4434364235/
楽天ブックス: https://books.rakuten.co.jp/rb/18361791/
【作者より、感謝を込めて】
この日を迎えられたのは、長年にわたり、Webで私の拙い物語を応援し続けてくださった、読者の皆様のおかげです。
そして、この物語を見つけ出し、最高の形で世に送り出してくださる、担当編集者様、イラストレーターの市丸きすけ先生、全ての関係者の皆様に、心からの感謝を。
本当に、ありがとうございます。
【これまでの主な実績】
アルファポリス ファンタジー部門 1位獲得
小説家になろう 異世界転移/転移ジャンル(日間) 5位獲得
アルファポリス 第16回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞
第6回カクヨムWeb小説コンテスト 中間選考通過
復活の大カクヨムチャレンジカップ 9位入賞
ファミ通文庫大賞 一次選考通過
クラス全員で転移したけど俺のステータスは使役スキルが異常で出会った人全員を使役してしまいました
髙橋ルイ
ファンタジー
「クラス全員で転移したけど俺のステータスは使役スキルが異常で出会った人全員を使役してしまいました」
気がつけば、クラスごと異世界に転移していた――。
しかし俺のステータスは“雑魚”と判定され、クラスメイトからは置き去りにされる。
「どうせ役立たずだろ」と笑われ、迫害され、孤独になった俺。
だが……一人きりになったとき、俺は気づく。
唯一与えられた“使役スキル”が 異常すぎる力 を秘めていることに。
出会った人間も、魔物も、精霊すら――すべて俺の配下になってしまう。
雑魚と蔑まれたはずの俺は、気づけば誰よりも強大な軍勢を率いる存在へ。
これは、クラスで孤立していた少年が「異常な使役スキル」で異世界を歩む物語。
裏切ったクラスメイトを見返すのか、それとも新たな仲間とスローライフを選ぶのか――
運命を決めるのは、すべて“使役”の先にある。
毎朝7時更新中です。⭐お気に入りで応援いただけると励みになります!
期間限定で10時と17時と21時も投稿予定
※表紙のイラストはAIによるイメージです
家ごと異世界転移〜異世界来ちゃったけど快適に暮らします〜
奥野細道
ファンタジー
都内の2LDKマンションで暮らす30代独身の会社員、田中健太はある夜突然家ごと広大な森と異世界の空が広がるファンタジー世界へと転移してしまう。
パニックに陥りながらも、彼は自身の平凡なマンションが異世界においてとんでもないチート能力を発揮することを発見する。冷蔵庫は地球上のあらゆる食材を無限に生成し、最高の鮮度を保つ「無限の食料庫」となり、リビングのテレビは異世界の情報をリアルタイムで受信・翻訳する「異世界情報端末」として機能。さらに、お風呂の湯はどんな傷も癒す「万能治癒の湯」となり、ベランダは瞬時に植物を成長させる「魔力活性化菜園」に。
健太はこれらの能力を駆使して、食料や情報を確保し、異世界の人たちを助けながら安全な拠点を築いていく。
【改訂版】槍使いのドラゴンテイマー ~邪竜をテイムしたのでついでに魔王も倒しておこうと思う~
こげ丸
ファンタジー
『偶然テイムしたドラゴンは神をも凌駕する邪竜だった』
公開サイト累計1000万pv突破の人気作が改訂版として全編リニューアル!
書籍化作業なみにすべての文章を見直したうえで大幅加筆。
旧版をお読み頂いた方もぜひ改訂版をお楽しみください!
===あらすじ===
異世界にて前世の記憶を取り戻した主人公は、今まで誰も手にしたことのない【ギフト:竜を従えし者】を授かった。
しかしドラゴンをテイムし従えるのは簡単ではなく、たゆまぬ鍛錬を続けていたにもかかわらず、その命を失いかける。
だが……九死に一生を得たそのすぐあと、偶然が重なり、念願のドラゴンテイマーに!
神をも凌駕する力を持つ最強で最凶のドラゴンに、
双子の猫耳獣人や常識を知らないハイエルフの美幼女。
トラブルメーカーの美少女受付嬢までもが加わって、主人公の波乱万丈の物語が始まる!
※以前公開していた旧版とは一部設定や物語の展開などが異なっておりますので改訂版の続きは更新をお待ち下さい
※改訂版の公開方法、ファンタジーカップのエントリーについては運営様に確認し、問題ないであろう方法で公開しております
※小説家になろう様とカクヨム様でも公開しております
異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします
Dakurai
ファンタジー
クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。
相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。
現在、第四章フェレスト王国ドワーフ編
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる