夜伽話 【ぼくのために寝取られる愛しい君】

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第八夜 あなたに謝りたい。門倉医師の治療 一回目

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 そういうプレイによくある主従関係とか奴隷契約だとかそういうのではなくて、峰岸との関係はあくまでもプレイに過ぎなかった。ご主人様と奴隷という役をホテルという舞台で演じて楽しんだ。それだけだった。あんなものは頭の悪い人たちのものだと思った。二人ともそこそこ頭はよかったからフィクションと現実をよく弁えていた。ホテルを一歩出れば日常に戻る。役所に行けばドライな上司と部下。そこに愛もなければ尊敬もない、単なる遊び。お互いに単なる遊び相手に過ぎなかった。

 だから、しばらくすると飽きた。男の方が。

 譲治が紗和に引き合わされたのは、男が紗和を体よく手放したかったからに過ぎなかった。

 初めて譲治に会った時の印象は、凡庸のひとことだった。

 何度かデートはしたが、峰岸とのあまりにもディープな性の交わりを経ている彼女にとっては全てが物足りなさ過ぎた。キャリアも。人間的な魅力も。セックスアピールも、強引さも、彼は何も持っていなかった。こんな人と一生を添い遂げるなんて出来そうもない。それが率直な感想だった。

 ある日スキーに誘われた。これ以上の付き合いは断ろうと思っていたが、最後にスノーリゾートを愉しませてくれるならいいか、と思いスノーボードなら、と返事をした。

 学生時代から親しんでいたからボードはそこそこに滑ることができた。譲治の方もスキーだけはゲレンデの客の中では群を抜いて上手に見えた。へえ、と思った。人間、なにかひとつ取柄はあるものだ、と。でも、それだけだった。

 斜面をライドしていると立ち入り禁止のロープの向こうに新雪を乗せた魅力的な斜面が見えた。前にも経験があったから、少しならいいだろうとその中に入った。それまで滑っていたゲレンデは初心者が多く、あちこち斜面に腰を下ろしていて邪魔で仕方がなかった。それに下手くそが滑ると表面の雪を掻き落としてばかりでアイスバーンが目立つようになる。こんなところではボードも痛むし、せっかくここまで来て満足に滑れないなんて。そう思い安易にそこへ入って行った。

「紗和さん! そこはダメだ。危ない」

 赤いジャケットを着た譲治から呼び止められたが、無視してそこを滑り降りた。この男の小心者で心配性なところが勘に障っていた。こんな男は早く切って、もっと魅力的な男を探そう。そんなことを考えながら、その危険区域でライドを始めた。

 新雪は深くなく、ちょうどいい感じで気持ちよくライディングができた。が、すぐに立ち入り禁止の理由を知ることになった。目の前が突然崖のように急斜面になって落ちていて、上から見るとその先がまるで見えなかった。

「きゃーっ!」

 もうダメだ。

 そういう時、景色がスローモーションのように見えることを初めて知った。その緩慢な風景の中にサッと赤い影が滑り込んできた。

 紗和の身体は赤い影のおかげで滑落を免れた。しかし、彼女のボードのエッジが彼の胸に食い込んだ。譲治は苦痛に顔を歪めながら、笑った。

「よかった。間に合って、本当に、よかった・・・」

 赤い影は紗和の犯した過ちのせいで負傷し、彼は激痛に耐えられず、失神した。

 その夜から、紗和は会社を休んでまで彼の病室のベッドにつきっきりになった。

 肋骨が折れ、もう少しで肺に刺さるところだった、と医者からは言われた。譲治は、ベッドのそばを離れようとしない紗和に、

「もう大丈夫だから」

 何度も言ったが、紗和はきかなかった。

 自らの危険を顧みず、自分を助けてくれた。そのことに衝撃を受け、心を揺さぶられるような感動を覚えていた。そして、

「自分はなんと卑しく醜い人間だったのか」

 今まで自堕落に過ごしてきた時間を深く悔いた。

 鎮痛剤を打たれたにも拘わらず、幾晩も苦し気に唸り続ける彼の顔を見守り続けた。

 

「あの日から、わたしは、変わったんです」

 とめどない絶頂から息を整えつつあった紗和は、そう囁いた。再び汗ばんだ身体を譲治に添わせ、その男根を愛撫しながら。耳に、まだ荒い息を吹き込みながら。

「あなたの、あの、歪んだ痛々しい笑顔を見た時から。それまでの損得だけで生きて来た自分の生き方を、愛の無い、快楽だけのセックスを貪るような生き方を変えたんです。あの笑顔が変えてくれたんです。あなたの、あの苦し気な笑顔が・・・」

 いつの間にか紗和の語りは終わっていた。心地よい疲労に包まれて、安らかな寝顔を浮かべ静かな寝息さえたてて。

 譲治が愛する妻に与えたかったものとは、これだった。愛する女にセックスの快楽を与え、満足の中で眠らせてやりたい。ずっとそう思っていた。これを与えたかったのだ。

 先生の診察を受けてよかったと思った。

 だが、同時に別の疑念もわいた。

 なぜ紗和は話す気になったのか。これまでずっと頑なに隠し、秘していたその事実を。先生はどんな魔術を使ったのだろうか。暗示をかけたというが、それはどのようなものだったのだろうか。あの彼女が飲んだホットショコラに何か自白をさせるような薬剤が入っていたのだろうか・・・。

 一度疑念を持つと、それを深く掘り下げ過ぎてしまうのは譲治の悪い癖だった。そのせいで、これまでずっと妻に疑惑を抱き続けて来たのだから。

 疑惑は当たっていた。だがそのおかげでその夜譲治は愛する妻の手で三度も埒をあけることができた。そのことに複雑な思いを抱いたが、一歩前進したのは確かだと思うことができた。

 それに、愛する妻が他人に抱かれる様を想像することが激しい昂奮を呼ぶことも、知った。


 

 数日後。

 譲治は先生に呼ばれ、クリニックではなく再びあのバーへ行った。

「いらっしゃいませ」

 カウンターにはキョーコではなく、彼女の夫が入っていた。いささか気まずい思いを抱きながら軽く会釈した。彼は無言で目を伏せ、一礼してくれた。

 相変わらず、他に客は一人もいなかった。先生はカウンターではなくボックス席で彼を待っていた。先生は変わらない落ち着いた佇まいで、ゆったりと座っていた。

「その後、如何ですか」

 道楽好きな「先生」だった彼にはさほど緊張はしなかったが、れっきとしたクリニックの「先生」を知ってしまうと、こんなバーの店内で寛いでいるにも拘らず、医療行為としての「いかがですか」に聞こえてしまう。

「お顔の色がよくなりましたね。効果はあったようですね」

 まず患者の顔を見る。それで患者の状態を把握する。瀟洒なバーで、臨床医が診察するような体で、彼はそう言った。

「・・・おかげさまで」

「わかりました。では、早速ですが、こちらに目を通してください」

 先生はテーブルの上に一枚の紙を置いた。

「同意書です。次回からの奥様への『施術』に対するものです。あなたと、奥様の分と、2通あります。それぞれお二方で署名、捺印して、クリニックまで送付いただくか、PDFをメールでお送りいただいても結構です」

 施術の内容に関して医師から納得のいく説明を受けたという内容のものだった。以前スキー場で怪我したことがあるからよく知っていた。

「わかりました」

 と譲治は応えた。

「すでに申し上げておりますように、以降の診察と施術は全て奥様に行います。奥様お一人で来院ください」

「・・・はい」

「それともう一つ」

 先生は、その温和な表情をいささかも崩すことなく、人差し指を立てて、こう言い放った。

「奥様への施術には、性行為を伴う場合があります」

 先生の灰色の目が妖しく光っていた。
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