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02 ヤヨイ、叱られる。コードネームは「マルス」
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大きな山脈の裾野、小川が流れるほとりに野営した。
アランが馬を引いて川に水を飲ませに行っている間に、適当に木の枝を切り取り、それを立てかけてシートを被せ簡易のテントを作った。この辺りはカプトゥ・ムンディーよりも緯度は低いが標高が高い。それに季節は冬に向かっていた。
馬を引いて戻ったアランに礼を言った。
「ありがとう。だいぶ慣れたわね」
「そうかな、アハハ・・・」
「馬が、あなたにね」
「・・・」
ヤヨイが起こした火にも馬はあまり驚かなかった。草を食ませた馬を立ち木に繋いだアランも火の傍に寄った。川の水を汲んだ水筒をヤヨイに差し出す。一口含み、水筒を返した。二人は、火の温もりを分け合った。
「思い出すなア、あの雨の夜・・・」
「ほんとうね。でも、干し肉はないの」
二人はレオン事件の時、雨のそぼ降る夜に敵地の真っ只中の前哨陣地のタコツボの中でわずかな干し肉を分け合って肩を寄せ合いながら寒さと飢えをしのいだ仲だった。
背嚢を探って硬いパンの包みを取り出し、アランに勧めた。
「こんなのしかないけど」
「いやあ、不時着してこれだけあれば上出来さ。スブッラのドイツ料理のフルコースみたいなもんだよ。あたたかい焚火にパンだもの。ありがたいなあ・・・」
固いパンを千切りモグモグしているアランを見ていると、しばし和んだ。
「でも、ヤヨイは強くなったな。女の子に言う言葉じゃないけど、前よりずっと、逞しくなったような気がする」
「・・・そお?」
「そうさ」
アランはパンの残りをヤヨイに勧めた。
そこでヤヨイはふと、感じていた疑問を口にした。
「前から気になっていたのだけれど、どうして資源調査院はこの偵察にあなたを派遣したのかしら」
水筒の水でパンを飲み下すと、アランは意外な顔をした。
「げっ! 知らなかったの?・・・」
そう言って傍らの小枝を取り上げると焚火の傍の土の上に絵を描き始めた。それは地図だった。
「これ、今日飛んだルートな」
南に大きく張り出したチナの領土である半島。その縁をなぞるように今日の飛行ルートは指示されていた。彼の枝はそのルートを描き、半島の中ほどに小さな円を描いた。
「ここにさ、実は、油田があるんだ。チナはたぶん、まだ知らないと思う」
そう言ってその小さな円から帝国の西の方まで線を引きそれをまた折り返して長い楕円を描いた。
「このチナの油田は帝国の西にあるこの油井と繋がってる。帝国の産出量にくらべ、はるかに大きな埋蔵量であることが、もうわかってるんだ」
彼は枝を二つに折り、火にくべた。
「帝国は、ただ情報が盗まれたからとか、気が合わないからとか、命とか子供を粗末にするとか、そんな青臭い人道的とか政治的理由だけでチナにいくさを仕掛けるんじゃないんだよ。
経済なんだ。ほとんど戦争のため、だけどね。その理由の少なくない部分が、この油田を手に入れるためなんだよ」
「そうだったの・・・」
うわっつらの清い思いだけでチナと戦うと思っている若い兵もいるだろうに。子供を盾にしたチナ兵のあまりにも汚いやりくち。ミカサ事件の概要が帝国に広まって以降は特にそのイメージが広がっていた。が、事の真相とか現実というやつは、いつもどす黒い。
「考えてもみろよ。帝国はつい昨日までは大砲だって馬で牽いてた。だけど今朝出がけに国境に集結してる軍を見たろう? あの戦車やらトラックやらはガソリンで動くんだぜ。さっきキミが吹っ飛ばした飛行機だってそうさ。ガソリンは採掘した原油を加熱精製してできる。
今まであり得なかったいくさのやり方がこれから始まるんだよ。だから、オレたち資源調査院が動いているんだ。それに、軍隊が集結したままなかなか動きださない理由も、そこにあるのさ」
「・・・もしかして、燃料が溜まるのを待っているとか」
「そういうこと!」
アランはパチンと指を鳴らしてヤヨイを指さした。
「まさに、その通りなんだ。・・・みみっちいだろ?」
「でも、チナはまだ、それを知らない」
「そういうこと」
二人は焚火で温めた身体を簡易テントの中に横たえた。
軍服のテュニカなら震えあがるような寒さだが、厚い飛行服を着ているからか、多少はしのげた。
「寒っ・・・」
アランは震えていた。ヤヨイは彼の背中にそっと寄り添った。
「あの丘の上でもこんなふうにして過ごしたわね」
帝国の掃討部隊を躱して、同志たちの部隊に合流し抗戦しようとするレオン少尉を待ち伏せるために、北の国境を越えた丘の上でそぼ降る冷たい雨に耐えながら、寒さを凌ぐためにアランと射撃の名手リーズルと三人で抱き合い温めあって過ごした夜。
「・・・ねえ、ガマンできる?」
寒さとか、ムラムラとか、をである。
帝国の他の平民の子たちと同じ、12歳で実の母の元を離れリセで男女一緒の寄宿舎に寝起きしていた頃から男の子の生理は知っていた。
「雨が降ってないだけマシだよ。それに、ヤヨイ・・・」
口ごもった彼の言葉の続きを無言で促した。
「キミはとても魅力的な女のコだと思う。だけど、誰かさんに心を奪われてるままのコは、オレ、ダメなんだ・・・」
彼の飛行服の背中に置いた手を、離した。
「あの時のキミは、普通じゃなかった」
と、アランは言った。ヤヨイが、自ら撃ち殺してしまった最愛の男の亡骸に縋り半狂乱になって泣きわめいていたことを言っているのだろう。
初めてを捧げヤヨイを夢見る少女から大人の女へ誘ってくれたのは、リセでカラテを伝授してくれたイマム先生だった。だが今にして思えばそれは大人の恋愛への憧れのようなものだったかもしれない。
あの、第十三軍団の偵察部隊でレオン少尉の部下の分隊長だったジョー。彼と出会って、それがわかった。初めて心の底から男を愛した。女として愛される喜びを教えてくれたのは、彼だった。
その愛すべき男を自分の手で撃ち殺してしまったことが、ずっとヤヨイを責め苛んでいたのだった。
「でもさ、誤解しないでくれよ。オレ、感謝してるんだ。あの時キミがああしてくれなかったら、オレもリーズルも死んでた。それにさ・・・」
アランはくるりと寝返り、ヤヨイと向き合った。彼の瞳と彼の息遣いを感じた。
「ちょっとだけだけど、羨ましいと思った」
「羨ましい?」
「アイツが。あの、男がさ」
そう言ってヤヨイの手を取り、両手で包んで擦ってくれた。
「詳しくは知らないよ。あの時のことは誰にも話してはいけないし、追及してもいけないって誓約したからね。それを破るつもりはないんだ。
だけど、あれから何度もあの時のことを思いだしてた。
あの男はきっと、キミに殺されるために、キミに殺されたくて丘の上に登って来たんだろうなって。本当に愛しあっていたんだなって。愛してる女に殺されて死ねるなんて、死に方としてサイコーじゃないかな、なんてさ・・・」
「アラン・・・」
「あれはキミの任務だった。
アイツがどんな考えでレオン少尉と行動を共にしていたのかは知らない。だけど、アイツなりの信念を貫いて死ねたんだろうからねえ。しかも、多くの人を巻き添えにする前に、キミみたいな素敵な女のコの胸に抱かれて死ねたんだからさ。
ま、オレ、アイツほどピュアじゃないしな。他の多くのヤツらと同じように、徴兵終わったら何して食ってこうかなって悩んでるような、ごくフツーの人間だから。あの任務のおかげで人並み以上の給料も貰えてるし。それでそこそこシアワセを感じてるようなヤツだからさ。
・・・まいったな。ごめんな。オレって、調子に乗るといつも余計な事を言っちまう。要は、温めあうだけだから、大丈夫だよ、って言いたかったんだ」
エヘ。
彼は笑った。
「・・・ありがとう。アランて、優しいのね」
と、ヤヨイは言った。
「でも、もういいの。
あのあとすぐにミカサの任務があって、いろんな人と出会って、ごちゃごちゃいろんなことがあって、ヒコーキぶっ飛ばしてたら、いつの間にか整理がついてた。
しばらくは誰かを好きになったりは出来ないと思うけど、でも・・・、もういいの」
「そうか・・・」
と、アランは言った。
「じゃあ、そういうことにしてそろそろ眠ろう。とにかく、目を瞑ろう。夜が明けたら、あと100キロは走らなきゃならないんだろ」
ミカサ事件では一躍有名になってしまったヤヨイだったが、レオン少尉の反乱事件に関わったことはウリル少将以外には一切誰にも話していない。関わりのあった者は皆アランのように軍の第一線から遠ざけられ、秘密を守る誓約を強制された。レオン少尉の一件は、死ぬまで他人に話してはならない、と。ヤヨイもアランも、レオン少尉は生きて逮捕され、今は治る見込みのない傷病兵をケアする「アンヴァリッド」で終身の看護に当たっているというのが替え玉によるフェイクであり、本当のレオン少尉は雷に撃たれて消滅してしまったことを知っていた。
それだけに、アランと話せたことは良かった。ずっと感じていた心のしこりが少しほぐれたような気がして、いつしかアランの身体を抱いて眠りについていた。
が、幾ばくもしないうちに、起こされた。
「ヤヨイ! ヤヨイ!」
彼はヤヨイの耳元に口をつけて囁いていた。寝惚けていたこともあり、誤解してしまった。
「え、なあに、アラン・・・。どうしたの。あ、いやん・・・」
「なに、気分出してんの! 勘違いするな。誰かが近づいて来てる!」
思い切り赤面した後、すぐにアサシンの自分を取り戻した。
「軍隊? それとも・・・」
「シッ! ・・・足音は複数。・・・だけど、軍人じゃないような気がする。・・・話し声も聞こえるし。歩幅が一定していない。・・・もしかして、馬を盗まれた農家の人じゃないかな」
「すごいね。そんなことまでわかるの?」
「声が大きい! ・・・うん、たぶん、そうだと思う。もしそうだとしたら、スゴイ執念だとおもうけどね」
「じゃあ、逃げるが勝ちね。無駄な争いは、損だわ」
二人はごそもそテントを這い出ると、人間より先に気配を察した馬を引いてその場を離れた。
「風下を行こう。馬はクサイからね」
スゴイ。そこまで気が付かなかった。アランが一緒で良かったと思った。
風下を意識して山すそ伝いに歩き、平原に出たところで馬に乗った。下弦の三日月が上がってきていた。
「一気に離れるわよ!」
「ああ、また馬かあ・・・」
木々が無くなり平原にでるところまで来るとヤヨイは馬に跨り、アランは馬の首に抱きついた。そして一路、東を目指した。
飛行機が不時着したお陰で余計な時間を食ったが、良かったことが二つあった。
一つは、半年もの間心の中のシコリだったものが和らいだこと。そしてもう一つが、思いがけなくも国境周辺の敵情偵察が出来たことだった。
チナは、信じられないくらいに無防備だった。
すでに臨戦態勢を整えつつある帝国に比べ、非武装地帯を挟んだこの西側は何の手配りもなかった。
ヤヨイが奮闘した、二か月前のあのミカサ事件。
帝国海軍の象徴ともいえる第一艦隊旗艦の戦艦ミカサを攻撃し、拿捕し、兵を乗り込ませて強奪しようとしたチナ。そのような、そのまま戦争になっても不思議ではないほど大それたことをしておきながら、帝国の報復を全く予想していないと思わざるを得ないような佇まい。さらに二つの集落を通過してはみたものの、人々はのどかに畑を耕し、牛を引き、馬を駆けさせ国境に急ぐヤヨイたちを物珍しそうに傍観しているだけだった。
大胆なこともした。
二三の農家に寄って覚えたてのチナ語を使って話しかけたのだ。
「お腹が空いています。何か食べるものを売ってくれませんか」
おばあさんやおじいさんの言葉は多少方言が入っていたが何とか聞き取れた。
「あんたら見ない顔だね。帝国の人かね。行商の帰りかい?」
そんなことを言いながら、固い餅を焼いたようなものとヤギの乳をタダでくれた。
非武装地帯を一気に駆け抜けようと馬に水を飲ませつつ取った休憩で、感想を言い合った。
「これから戦争になるなんて思ってもいないようね」
「専制国家、だからなのかな。政治のことはよくわからないけど」
陸軍はチナとの国境沿いに北から南までびっしりと兵力を集結しつつあった。
この戦争は案外、簡単に済みそうだわ。
やや疲れを見せてきた馬に跨りながら、ヤヨイはそんな思いを持った。だがそれが全くの見込み違いであったのを知るのは、もう少し後のことになる。
もちろん帝国に通じる街道は取らず、検問などは無視した。荒れ地に逸れてそのまま非武装地帯を横断した。三十分ほどの騎行で中央軍である第一軍第一軍団の、歩兵部隊の宿営地に着いた。長閑(のどか)過ぎるチナとは全く違う、ピリピリ緊張した面持ちの歩哨がこちらを睨んでいた。
「馬を降りて」
アランに言うとともに、ポケットから白いハンカチを出して振りながら歩いて陣営地に近づいた。
「特務機関の者です! 敵情視察から戻りました!」
突然敵地からやって来た者を警戒してのことだろう。なんと旅団司令部まで連れていかれ根掘り葉掘り訊かれたあと電信でクィリナリスまで照会され、やっと信用してくれたようだった。彼らを責めることは出来ない。最前線とは、そうあるべきだ。
駅までの道を蒸気トラックで送ってくれた。道は駅からやって来る長い兵隊の列で埋まっていて運転している伍長が何度も潰れたような音のクラクションを鳴らして道から追い払わねばならなかった。なんだか前線に赴く兵たちに申し訳ないような気がした。
駅はカーキ色の兵隊たちでごった返していたが、上りの列車はガラ空きだった。三等の切符で一等車に乗ったが車掌が来なかったのでそのまま楽しんだ。
コンパートメントではキオスクで買ったシシカバブーのサンドウィッチをつまみにビールを飲みながらとりとめもない話をした。アランは意外におしゃべりだった。お互いの初恋の話。好きな食べ物。カプトゥ・ムンディーで流行っている歌の話。二人とも平民だったから生母や兄弟姉妹の話もした。仕事の話はしなかった。誰が聞いているかわからないし、ましてやレオン少尉の事件のことなどは一切口にしなかった。
やがて話疲れると、頭と頭をくっつきあって寝た。それでもアランは感板の入った背嚢をしっかり抱きしめていたし、ヤヨイはその背嚢のベルトを握りしめていた。二人ともまだ二十代の前半ではあったが立派に社会人を演じ、羽目を外し過ぎて責任を放り出すことはなかった。
資源調査院でアランと別れた。すっかり久闊を取り戻して人心地着いた彼と別れるのは寂しかったが、ヤヨイには任務がある。
「また会おうよ。いろいろ始まっちゃう前にさ」
「そうできればいいわね」
アランの頬にキスして現像終わった写真を手にクィリナリスに辿り着いた時にはすでに陽が落ちかかっていた。本来の帰還予定を48時間も過ぎていた。
正式に士官となったヤヨイは、門番の曹長から略式の敬礼を受けた。
「お帰りなさい、少尉」
「ただいま」
あまりに疲れすぎていて上手く笑顔が作れなかった。
受付の准尉のオバちゃんはそれまでの噛みタバコから宗旨替えしていた。今首都の若者の間で流行っているメープルシロップで作られたガムを噛んでいた。「ヒコージョー」の合宿授業から帰った折にヤヨイがあげたものだったが、気に入ったようだった。そのせいか、少し彼女の覚えが良くなった。
「閣下、いるわよ」
と彼女は言った。
ゲッ! ・・・こりゃあ、叱られるな。
オバちゃんは両手の人差し指を頭の上に生やしていた。彼は怒っていてオニになっているというのだった。
やはりか・・・。
そりゃ、そうだろうな。二日も遅刻して、しかもヒコーキ壊しちゃったし。
でも、ヤヨイのせいではない。
諦めて階下の閣下のオフィスに降りた。
案の定、怒られた。
「丸二日も、いったいどこで何をしておったのだっ!」
徴兵途中の、言わば「お手伝い」のような中途半端な立場の時は「食えないオヤジだな」程度だったウリル少将は、ヤヨイが正式に任官してこの「ウリル機関」の一員になるや、すぐに本性を現した。彼は、
「せっかちで怒りっぽい、食えないオヤジ」だった。
今日の少将はいつもの白いトーガではなく、陸軍のカーキ色の軍服を着ていた。准尉のオバちゃんが教えてくれた通り、彼の機嫌はすこぶる悪かった。
資源調査院で現像してもらった写真を袋ごと彼のデスクに置いた。
「遅れて申し訳ありませんでしたっ!」
疲れているのにいきなり頭ごなしで叱られて、いささか頭に来ていた。逆ギレ気味に、少し語尾が荒かった。
「写真撮影を終えて帰投する途中、エンジントラブルを起こして不時着しました。第一軍団の西200キロ付近です。ついでに機長までエンジントラブルを起こしたので機体と一緒に始末しました」
袋の中の写真を取り出して仔細にチェックしていた少将はその褐色の顔をあげて、は? というふうにヤヨイを睨んだ。
「何を思ったのか急に銃を向けて来て『チナに売り飛ばしてやる』と脅されたので。資源調査院のフリードマン調査官が証人です!」
「あの、750万マルクを壊したというのか!」
「あれ、そんなにするんですか。駆逐艦より高いじゃないですか。それじゃ巡洋艦並だわ・・・」
「バカ者! 開発費用も合わせればそれぐらいはする!」
その存在がこの三次元世界から消滅してしまったレオン少尉に落ちた以上のカミナリがヤヨイに落ちた。できることならレオン少尉と同じように、異次元に消えてしまいたかった。
ウリル少将はカミナリを落として力尽きたのか、ドカッと椅子に沈んだ。
「で、敵情はどうだったのだ? 200キロを踏破してきたのだろう」
「それが・・・」
これでお小言は終わりか。
少しホッとして椅子に掛けた。まあ、あれだけの損害をカミナリ一つで許してもらえるのならば、安いものだ。
「不時着地点から第一軍団正面の非武装地帯までは一兵も見ませんでした。通常の国境管理の兵だけで、無人の荒野でした。閣下、これなら初戦は楽勝ではありませんか!」
ウリル少将の顔に、(甘いなあ・・・)とでも言いたげな表情が浮かんでいた。
「で、この、アルムの村の写真だが・・・」
今回最も敵地の奥深くある港町だった。
「この大屋根の建物を横から撮ったものは、なかろうな・・・」
その写真を取り上げた少将の指がある一点を指していた。
「はい。それが全てです」
「そこが写真偵察の限界だな。・・・だが、気になる」
「何がですか」
「わからんか。見てみろ。他の家屋の屋根に比べ、異常に大きい。それに全部で十以上ある。この大きさからいって小学校のギムナジウム(体育館)ほどもありそうだ。それがなぜ、この港町にあるのか」
「・・・さあ」
ウリル少将はしばらく写真と睨めっこしていたが掻き集めてトントン端を揃えると再び袋に入れてヤヨイに返して寄越した。
「それをすぐに統合参謀本部に届けるのだ」
「え、今からですか」
「当たり前だ!」
また落ちたカミナリに首をすくめた。
「本来なら二日前に手に入っていたものだ。その写真を首を長くして待っている者がいるのだ。届けて来い! その帰りにヒコージョーに寄って壊した偵察機の弁解をして来い。それが終わったら、帰ってよろしい」
そう言って少将はデスクの袖の引き出しを開け、中から見慣れない黒いものを取り出し、片手に持って耳と口に当てた。
「閣下、もしかしてそれ、『電話』ですか?」
電信はもう軍事用や鉄道駅間の連絡用には設置されていた。いつかは実現するだろうと思ってはいたが、それがこんなに早くしかも目の前にあるのを見て驚いた。
閣下が本体横のハンドルをクルクル回すと、
「・・・ああ、わたしだ。統合参謀本部に繋いでくれ」
そう言ってヤヨイをギロ、と睨んだ。
「・・・ウリルだ。マルスが戻った。今からそちらに行かせる」
それだけ言うと、その黒い送受話器を置き、再び引き出しに仕舞った。
「マルスとは、わたしのことですか」
「そうだ。お前の符牒だ。今後部外の者と接触する機会が増える。部外の者と機密に関わる話をするときはこの符牒を使え」
「リヨン中尉にもあるのですか?」
「ある」
と少将は言った。
「彼は、『マーキュリー』だ」
「で、閣下は?」
すると少将はバン、とデスクを叩いた。
「早く行かんかっ!」
ヤヨイは飛び上がるようにして席を立ち、逃げるようにオフィスを後にした。
アランが馬を引いて川に水を飲ませに行っている間に、適当に木の枝を切り取り、それを立てかけてシートを被せ簡易のテントを作った。この辺りはカプトゥ・ムンディーよりも緯度は低いが標高が高い。それに季節は冬に向かっていた。
馬を引いて戻ったアランに礼を言った。
「ありがとう。だいぶ慣れたわね」
「そうかな、アハハ・・・」
「馬が、あなたにね」
「・・・」
ヤヨイが起こした火にも馬はあまり驚かなかった。草を食ませた馬を立ち木に繋いだアランも火の傍に寄った。川の水を汲んだ水筒をヤヨイに差し出す。一口含み、水筒を返した。二人は、火の温もりを分け合った。
「思い出すなア、あの雨の夜・・・」
「ほんとうね。でも、干し肉はないの」
二人はレオン事件の時、雨のそぼ降る夜に敵地の真っ只中の前哨陣地のタコツボの中でわずかな干し肉を分け合って肩を寄せ合いながら寒さと飢えをしのいだ仲だった。
背嚢を探って硬いパンの包みを取り出し、アランに勧めた。
「こんなのしかないけど」
「いやあ、不時着してこれだけあれば上出来さ。スブッラのドイツ料理のフルコースみたいなもんだよ。あたたかい焚火にパンだもの。ありがたいなあ・・・」
固いパンを千切りモグモグしているアランを見ていると、しばし和んだ。
「でも、ヤヨイは強くなったな。女の子に言う言葉じゃないけど、前よりずっと、逞しくなったような気がする」
「・・・そお?」
「そうさ」
アランはパンの残りをヤヨイに勧めた。
そこでヤヨイはふと、感じていた疑問を口にした。
「前から気になっていたのだけれど、どうして資源調査院はこの偵察にあなたを派遣したのかしら」
水筒の水でパンを飲み下すと、アランは意外な顔をした。
「げっ! 知らなかったの?・・・」
そう言って傍らの小枝を取り上げると焚火の傍の土の上に絵を描き始めた。それは地図だった。
「これ、今日飛んだルートな」
南に大きく張り出したチナの領土である半島。その縁をなぞるように今日の飛行ルートは指示されていた。彼の枝はそのルートを描き、半島の中ほどに小さな円を描いた。
「ここにさ、実は、油田があるんだ。チナはたぶん、まだ知らないと思う」
そう言ってその小さな円から帝国の西の方まで線を引きそれをまた折り返して長い楕円を描いた。
「このチナの油田は帝国の西にあるこの油井と繋がってる。帝国の産出量にくらべ、はるかに大きな埋蔵量であることが、もうわかってるんだ」
彼は枝を二つに折り、火にくべた。
「帝国は、ただ情報が盗まれたからとか、気が合わないからとか、命とか子供を粗末にするとか、そんな青臭い人道的とか政治的理由だけでチナにいくさを仕掛けるんじゃないんだよ。
経済なんだ。ほとんど戦争のため、だけどね。その理由の少なくない部分が、この油田を手に入れるためなんだよ」
「そうだったの・・・」
うわっつらの清い思いだけでチナと戦うと思っている若い兵もいるだろうに。子供を盾にしたチナ兵のあまりにも汚いやりくち。ミカサ事件の概要が帝国に広まって以降は特にそのイメージが広がっていた。が、事の真相とか現実というやつは、いつもどす黒い。
「考えてもみろよ。帝国はつい昨日までは大砲だって馬で牽いてた。だけど今朝出がけに国境に集結してる軍を見たろう? あの戦車やらトラックやらはガソリンで動くんだぜ。さっきキミが吹っ飛ばした飛行機だってそうさ。ガソリンは採掘した原油を加熱精製してできる。
今まであり得なかったいくさのやり方がこれから始まるんだよ。だから、オレたち資源調査院が動いているんだ。それに、軍隊が集結したままなかなか動きださない理由も、そこにあるのさ」
「・・・もしかして、燃料が溜まるのを待っているとか」
「そういうこと!」
アランはパチンと指を鳴らしてヤヨイを指さした。
「まさに、その通りなんだ。・・・みみっちいだろ?」
「でも、チナはまだ、それを知らない」
「そういうこと」
二人は焚火で温めた身体を簡易テントの中に横たえた。
軍服のテュニカなら震えあがるような寒さだが、厚い飛行服を着ているからか、多少はしのげた。
「寒っ・・・」
アランは震えていた。ヤヨイは彼の背中にそっと寄り添った。
「あの丘の上でもこんなふうにして過ごしたわね」
帝国の掃討部隊を躱して、同志たちの部隊に合流し抗戦しようとするレオン少尉を待ち伏せるために、北の国境を越えた丘の上でそぼ降る冷たい雨に耐えながら、寒さを凌ぐためにアランと射撃の名手リーズルと三人で抱き合い温めあって過ごした夜。
「・・・ねえ、ガマンできる?」
寒さとか、ムラムラとか、をである。
帝国の他の平民の子たちと同じ、12歳で実の母の元を離れリセで男女一緒の寄宿舎に寝起きしていた頃から男の子の生理は知っていた。
「雨が降ってないだけマシだよ。それに、ヤヨイ・・・」
口ごもった彼の言葉の続きを無言で促した。
「キミはとても魅力的な女のコだと思う。だけど、誰かさんに心を奪われてるままのコは、オレ、ダメなんだ・・・」
彼の飛行服の背中に置いた手を、離した。
「あの時のキミは、普通じゃなかった」
と、アランは言った。ヤヨイが、自ら撃ち殺してしまった最愛の男の亡骸に縋り半狂乱になって泣きわめいていたことを言っているのだろう。
初めてを捧げヤヨイを夢見る少女から大人の女へ誘ってくれたのは、リセでカラテを伝授してくれたイマム先生だった。だが今にして思えばそれは大人の恋愛への憧れのようなものだったかもしれない。
あの、第十三軍団の偵察部隊でレオン少尉の部下の分隊長だったジョー。彼と出会って、それがわかった。初めて心の底から男を愛した。女として愛される喜びを教えてくれたのは、彼だった。
その愛すべき男を自分の手で撃ち殺してしまったことが、ずっとヤヨイを責め苛んでいたのだった。
「でもさ、誤解しないでくれよ。オレ、感謝してるんだ。あの時キミがああしてくれなかったら、オレもリーズルも死んでた。それにさ・・・」
アランはくるりと寝返り、ヤヨイと向き合った。彼の瞳と彼の息遣いを感じた。
「ちょっとだけだけど、羨ましいと思った」
「羨ましい?」
「アイツが。あの、男がさ」
そう言ってヤヨイの手を取り、両手で包んで擦ってくれた。
「詳しくは知らないよ。あの時のことは誰にも話してはいけないし、追及してもいけないって誓約したからね。それを破るつもりはないんだ。
だけど、あれから何度もあの時のことを思いだしてた。
あの男はきっと、キミに殺されるために、キミに殺されたくて丘の上に登って来たんだろうなって。本当に愛しあっていたんだなって。愛してる女に殺されて死ねるなんて、死に方としてサイコーじゃないかな、なんてさ・・・」
「アラン・・・」
「あれはキミの任務だった。
アイツがどんな考えでレオン少尉と行動を共にしていたのかは知らない。だけど、アイツなりの信念を貫いて死ねたんだろうからねえ。しかも、多くの人を巻き添えにする前に、キミみたいな素敵な女のコの胸に抱かれて死ねたんだからさ。
ま、オレ、アイツほどピュアじゃないしな。他の多くのヤツらと同じように、徴兵終わったら何して食ってこうかなって悩んでるような、ごくフツーの人間だから。あの任務のおかげで人並み以上の給料も貰えてるし。それでそこそこシアワセを感じてるようなヤツだからさ。
・・・まいったな。ごめんな。オレって、調子に乗るといつも余計な事を言っちまう。要は、温めあうだけだから、大丈夫だよ、って言いたかったんだ」
エヘ。
彼は笑った。
「・・・ありがとう。アランて、優しいのね」
と、ヤヨイは言った。
「でも、もういいの。
あのあとすぐにミカサの任務があって、いろんな人と出会って、ごちゃごちゃいろんなことがあって、ヒコーキぶっ飛ばしてたら、いつの間にか整理がついてた。
しばらくは誰かを好きになったりは出来ないと思うけど、でも・・・、もういいの」
「そうか・・・」
と、アランは言った。
「じゃあ、そういうことにしてそろそろ眠ろう。とにかく、目を瞑ろう。夜が明けたら、あと100キロは走らなきゃならないんだろ」
ミカサ事件では一躍有名になってしまったヤヨイだったが、レオン少尉の反乱事件に関わったことはウリル少将以外には一切誰にも話していない。関わりのあった者は皆アランのように軍の第一線から遠ざけられ、秘密を守る誓約を強制された。レオン少尉の一件は、死ぬまで他人に話してはならない、と。ヤヨイもアランも、レオン少尉は生きて逮捕され、今は治る見込みのない傷病兵をケアする「アンヴァリッド」で終身の看護に当たっているというのが替え玉によるフェイクであり、本当のレオン少尉は雷に撃たれて消滅してしまったことを知っていた。
それだけに、アランと話せたことは良かった。ずっと感じていた心のしこりが少しほぐれたような気がして、いつしかアランの身体を抱いて眠りについていた。
が、幾ばくもしないうちに、起こされた。
「ヤヨイ! ヤヨイ!」
彼はヤヨイの耳元に口をつけて囁いていた。寝惚けていたこともあり、誤解してしまった。
「え、なあに、アラン・・・。どうしたの。あ、いやん・・・」
「なに、気分出してんの! 勘違いするな。誰かが近づいて来てる!」
思い切り赤面した後、すぐにアサシンの自分を取り戻した。
「軍隊? それとも・・・」
「シッ! ・・・足音は複数。・・・だけど、軍人じゃないような気がする。・・・話し声も聞こえるし。歩幅が一定していない。・・・もしかして、馬を盗まれた農家の人じゃないかな」
「すごいね。そんなことまでわかるの?」
「声が大きい! ・・・うん、たぶん、そうだと思う。もしそうだとしたら、スゴイ執念だとおもうけどね」
「じゃあ、逃げるが勝ちね。無駄な争いは、損だわ」
二人はごそもそテントを這い出ると、人間より先に気配を察した馬を引いてその場を離れた。
「風下を行こう。馬はクサイからね」
スゴイ。そこまで気が付かなかった。アランが一緒で良かったと思った。
風下を意識して山すそ伝いに歩き、平原に出たところで馬に乗った。下弦の三日月が上がってきていた。
「一気に離れるわよ!」
「ああ、また馬かあ・・・」
木々が無くなり平原にでるところまで来るとヤヨイは馬に跨り、アランは馬の首に抱きついた。そして一路、東を目指した。
飛行機が不時着したお陰で余計な時間を食ったが、良かったことが二つあった。
一つは、半年もの間心の中のシコリだったものが和らいだこと。そしてもう一つが、思いがけなくも国境周辺の敵情偵察が出来たことだった。
チナは、信じられないくらいに無防備だった。
すでに臨戦態勢を整えつつある帝国に比べ、非武装地帯を挟んだこの西側は何の手配りもなかった。
ヤヨイが奮闘した、二か月前のあのミカサ事件。
帝国海軍の象徴ともいえる第一艦隊旗艦の戦艦ミカサを攻撃し、拿捕し、兵を乗り込ませて強奪しようとしたチナ。そのような、そのまま戦争になっても不思議ではないほど大それたことをしておきながら、帝国の報復を全く予想していないと思わざるを得ないような佇まい。さらに二つの集落を通過してはみたものの、人々はのどかに畑を耕し、牛を引き、馬を駆けさせ国境に急ぐヤヨイたちを物珍しそうに傍観しているだけだった。
大胆なこともした。
二三の農家に寄って覚えたてのチナ語を使って話しかけたのだ。
「お腹が空いています。何か食べるものを売ってくれませんか」
おばあさんやおじいさんの言葉は多少方言が入っていたが何とか聞き取れた。
「あんたら見ない顔だね。帝国の人かね。行商の帰りかい?」
そんなことを言いながら、固い餅を焼いたようなものとヤギの乳をタダでくれた。
非武装地帯を一気に駆け抜けようと馬に水を飲ませつつ取った休憩で、感想を言い合った。
「これから戦争になるなんて思ってもいないようね」
「専制国家、だからなのかな。政治のことはよくわからないけど」
陸軍はチナとの国境沿いに北から南までびっしりと兵力を集結しつつあった。
この戦争は案外、簡単に済みそうだわ。
やや疲れを見せてきた馬に跨りながら、ヤヨイはそんな思いを持った。だがそれが全くの見込み違いであったのを知るのは、もう少し後のことになる。
もちろん帝国に通じる街道は取らず、検問などは無視した。荒れ地に逸れてそのまま非武装地帯を横断した。三十分ほどの騎行で中央軍である第一軍第一軍団の、歩兵部隊の宿営地に着いた。長閑(のどか)過ぎるチナとは全く違う、ピリピリ緊張した面持ちの歩哨がこちらを睨んでいた。
「馬を降りて」
アランに言うとともに、ポケットから白いハンカチを出して振りながら歩いて陣営地に近づいた。
「特務機関の者です! 敵情視察から戻りました!」
突然敵地からやって来た者を警戒してのことだろう。なんと旅団司令部まで連れていかれ根掘り葉掘り訊かれたあと電信でクィリナリスまで照会され、やっと信用してくれたようだった。彼らを責めることは出来ない。最前線とは、そうあるべきだ。
駅までの道を蒸気トラックで送ってくれた。道は駅からやって来る長い兵隊の列で埋まっていて運転している伍長が何度も潰れたような音のクラクションを鳴らして道から追い払わねばならなかった。なんだか前線に赴く兵たちに申し訳ないような気がした。
駅はカーキ色の兵隊たちでごった返していたが、上りの列車はガラ空きだった。三等の切符で一等車に乗ったが車掌が来なかったのでそのまま楽しんだ。
コンパートメントではキオスクで買ったシシカバブーのサンドウィッチをつまみにビールを飲みながらとりとめもない話をした。アランは意外におしゃべりだった。お互いの初恋の話。好きな食べ物。カプトゥ・ムンディーで流行っている歌の話。二人とも平民だったから生母や兄弟姉妹の話もした。仕事の話はしなかった。誰が聞いているかわからないし、ましてやレオン少尉の事件のことなどは一切口にしなかった。
やがて話疲れると、頭と頭をくっつきあって寝た。それでもアランは感板の入った背嚢をしっかり抱きしめていたし、ヤヨイはその背嚢のベルトを握りしめていた。二人ともまだ二十代の前半ではあったが立派に社会人を演じ、羽目を外し過ぎて責任を放り出すことはなかった。
資源調査院でアランと別れた。すっかり久闊を取り戻して人心地着いた彼と別れるのは寂しかったが、ヤヨイには任務がある。
「また会おうよ。いろいろ始まっちゃう前にさ」
「そうできればいいわね」
アランの頬にキスして現像終わった写真を手にクィリナリスに辿り着いた時にはすでに陽が落ちかかっていた。本来の帰還予定を48時間も過ぎていた。
正式に士官となったヤヨイは、門番の曹長から略式の敬礼を受けた。
「お帰りなさい、少尉」
「ただいま」
あまりに疲れすぎていて上手く笑顔が作れなかった。
受付の准尉のオバちゃんはそれまでの噛みタバコから宗旨替えしていた。今首都の若者の間で流行っているメープルシロップで作られたガムを噛んでいた。「ヒコージョー」の合宿授業から帰った折にヤヨイがあげたものだったが、気に入ったようだった。そのせいか、少し彼女の覚えが良くなった。
「閣下、いるわよ」
と彼女は言った。
ゲッ! ・・・こりゃあ、叱られるな。
オバちゃんは両手の人差し指を頭の上に生やしていた。彼は怒っていてオニになっているというのだった。
やはりか・・・。
そりゃ、そうだろうな。二日も遅刻して、しかもヒコーキ壊しちゃったし。
でも、ヤヨイのせいではない。
諦めて階下の閣下のオフィスに降りた。
案の定、怒られた。
「丸二日も、いったいどこで何をしておったのだっ!」
徴兵途中の、言わば「お手伝い」のような中途半端な立場の時は「食えないオヤジだな」程度だったウリル少将は、ヤヨイが正式に任官してこの「ウリル機関」の一員になるや、すぐに本性を現した。彼は、
「せっかちで怒りっぽい、食えないオヤジ」だった。
今日の少将はいつもの白いトーガではなく、陸軍のカーキ色の軍服を着ていた。准尉のオバちゃんが教えてくれた通り、彼の機嫌はすこぶる悪かった。
資源調査院で現像してもらった写真を袋ごと彼のデスクに置いた。
「遅れて申し訳ありませんでしたっ!」
疲れているのにいきなり頭ごなしで叱られて、いささか頭に来ていた。逆ギレ気味に、少し語尾が荒かった。
「写真撮影を終えて帰投する途中、エンジントラブルを起こして不時着しました。第一軍団の西200キロ付近です。ついでに機長までエンジントラブルを起こしたので機体と一緒に始末しました」
袋の中の写真を取り出して仔細にチェックしていた少将はその褐色の顔をあげて、は? というふうにヤヨイを睨んだ。
「何を思ったのか急に銃を向けて来て『チナに売り飛ばしてやる』と脅されたので。資源調査院のフリードマン調査官が証人です!」
「あの、750万マルクを壊したというのか!」
「あれ、そんなにするんですか。駆逐艦より高いじゃないですか。それじゃ巡洋艦並だわ・・・」
「バカ者! 開発費用も合わせればそれぐらいはする!」
その存在がこの三次元世界から消滅してしまったレオン少尉に落ちた以上のカミナリがヤヨイに落ちた。できることならレオン少尉と同じように、異次元に消えてしまいたかった。
ウリル少将はカミナリを落として力尽きたのか、ドカッと椅子に沈んだ。
「で、敵情はどうだったのだ? 200キロを踏破してきたのだろう」
「それが・・・」
これでお小言は終わりか。
少しホッとして椅子に掛けた。まあ、あれだけの損害をカミナリ一つで許してもらえるのならば、安いものだ。
「不時着地点から第一軍団正面の非武装地帯までは一兵も見ませんでした。通常の国境管理の兵だけで、無人の荒野でした。閣下、これなら初戦は楽勝ではありませんか!」
ウリル少将の顔に、(甘いなあ・・・)とでも言いたげな表情が浮かんでいた。
「で、この、アルムの村の写真だが・・・」
今回最も敵地の奥深くある港町だった。
「この大屋根の建物を横から撮ったものは、なかろうな・・・」
その写真を取り上げた少将の指がある一点を指していた。
「はい。それが全てです」
「そこが写真偵察の限界だな。・・・だが、気になる」
「何がですか」
「わからんか。見てみろ。他の家屋の屋根に比べ、異常に大きい。それに全部で十以上ある。この大きさからいって小学校のギムナジウム(体育館)ほどもありそうだ。それがなぜ、この港町にあるのか」
「・・・さあ」
ウリル少将はしばらく写真と睨めっこしていたが掻き集めてトントン端を揃えると再び袋に入れてヤヨイに返して寄越した。
「それをすぐに統合参謀本部に届けるのだ」
「え、今からですか」
「当たり前だ!」
また落ちたカミナリに首をすくめた。
「本来なら二日前に手に入っていたものだ。その写真を首を長くして待っている者がいるのだ。届けて来い! その帰りにヒコージョーに寄って壊した偵察機の弁解をして来い。それが終わったら、帰ってよろしい」
そう言って少将はデスクの袖の引き出しを開け、中から見慣れない黒いものを取り出し、片手に持って耳と口に当てた。
「閣下、もしかしてそれ、『電話』ですか?」
電信はもう軍事用や鉄道駅間の連絡用には設置されていた。いつかは実現するだろうと思ってはいたが、それがこんなに早くしかも目の前にあるのを見て驚いた。
閣下が本体横のハンドルをクルクル回すと、
「・・・ああ、わたしだ。統合参謀本部に繋いでくれ」
そう言ってヤヨイをギロ、と睨んだ。
「・・・ウリルだ。マルスが戻った。今からそちらに行かせる」
それだけ言うと、その黒い送受話器を置き、再び引き出しに仕舞った。
「マルスとは、わたしのことですか」
「そうだ。お前の符牒だ。今後部外の者と接触する機会が増える。部外の者と機密に関わる話をするときはこの符牒を使え」
「リヨン中尉にもあるのですか?」
「ある」
と少将は言った。
「彼は、『マーキュリー』だ」
「で、閣下は?」
すると少将はバン、とデスクを叩いた。
「早く行かんかっ!」
ヤヨイは飛び上がるようにして席を立ち、逃げるようにオフィスを後にした。
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