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03 御前会議と首実検
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軍服に着替えて馬を飛ばした。人使いの荒い上司の悪口を口ごもりながら。
「命からがら帰って来たのに。『大変だったなあ』とか、『ご苦労だった』の一言もないんだから!」
丘を降りると急に人通りが多くなった。ギャロップはできず、次第に速歩に、そして並足になったので馬を降りて引いた。とっぷりと陽が暮れた都心は西部国境の緊張などとは別世界の賑わいの中にあった。
ヤヨイが向かう「統合参謀本部」については多少の説明が要る。
あの「ミカサ事件」のあと、政府の中枢や軍の中で裏切り者の摘発が相次ぎ、人事も大幅に刷新された。それと同時に「機構改革」も大胆に行われた。
陸軍省と海軍省が統合され新たに「国防省」となり、陸軍参謀本部と海軍軍令部もまた「統合参謀本部」として再編成された。軍がチナへの多数の内通者を出したという不名誉は、一面で組織の在り方を再考させる絶好の機会を与えもしたのだった。この改革によって無駄な部局が廃止され、特に予算編成での陸海の競合や、軍令における重複や齟齬が劇的に減った。
国を挙げての大規模な軍事作戦である今回のチナ侵攻を遂行するにあたり、
「是非とも成し遂げておかねば」
と、元老院の重鎮たちを説得して回った、例のヤン議員の大きな功績だった。
統幕会議の議長は慣例として陸軍から出すことも決まった。海軍はその性質上政治にはあまり関わらない。それに比べ陸軍は時に交戦国の有力者と直接交渉したりする機会も多い。しかも帝国は元々が内陸国家である性格が強かったし、海軍の歴史が浅かったこともあった。その一件、つまり統幕議長を陸軍から、という話はむしろ海軍から申し入れた。陸軍に否応のあるはずがなかった。その点では帝国軍の組織改革は大規模な割に非常にスムーズに済んだ。
そしてもう一つ、大きな改革があった。
陸軍の編成について、である。
それまでは、
軍団→旅団→連隊、であったのが、
軍→軍団→師団→旅団→連隊、に変わった。
より有機的に軍を活用し兵力の投入削減を容易にするための配慮だった。陸軍は、北の野蛮人相手には旅団の指揮で中隊や小隊規模で動き、今回のように西の大国チナを相手にするような場合は軍団をいくつも束ねて「軍」とし、他の軍団からも連隊大隊規模で容易に戦力を融通し適材適所の巨大な力を結集することもできる、極めてフレキシブルな組織になっていた。
それまで「馬と人間の脚」のみであった陸軍は、「機械化」によって大きく変わりつつあったのだった。
元老院を訪れたのは、あの「鉄十字章」授章以来だった。
他国の王侯貴族を招待する格式の緋毛氈などはもうなかった。その代わりに本会議場のある巨大なドーム前のエンタシスを見上げる広場にはいくつもの松明が灯され、そこを埋め尽くしていた多数のカーキ色の馬車を照らしていた。軍の高官の使用する馬車であることはすぐにわかったが、通常は馬車の側面に書いてあるはずの所属軍団を示すローマ数字が全て消されていた。ミカサ事件で帝国内部に深く浸透していたスパイ網が一斉摘発されたが、その影響であろうことはヤヨイにも想像できた。
馬を曳いた彼女を目ざとく見つけ、儀仗兵を兼ねる元老院の警備兵がキンキラのヘルメットの代わりに普通の野戦用のヘルメットを被ってつかつか近づいて来た。
「Ave CAESAR!(アヴェ・カエザル! 敬愛なる皇帝陛下!)」
彼はヤヨイの少尉の階級章と黒い月桂樹の略章を目にとめるや、たぶん帝国一華麗ではないかと思われるような敬礼をした。
「少尉殿、馬はこちらでお預かりいたします」
「・・・ありがとうございます。あのう・・・」
馬を連れて行こうとした警備兵を呼び止めた。
「なんでしょうか」
「統合参謀本部に届けものがあるのですが」
警備兵は元老院本会議場の地下への入り口まで案内してくれた。ここにも入り口を警戒する警備兵がいた。所属姓名階級を申告すると、なんと詰所の中にミカサで何度も見たあの伝声管があり、それを使ってどこかに問い合わせを始めた。懐かしさに少し和んだ。
「ヴァインライヒ少尉。確認できました。どうぞお通り下さい」
厳重な管制だ。ウリル少将が電話でアポイントメントを入れてくれたお陰だった。ここにもミカサ事件の余波が来ているのを思わざるを得なかった。
緊張を増幅しながら、ヤヨイはちょうど本会議場の真下にある新設の統合参謀本部までの石段を降りていった。
降りてすぐに事務局があった。その窓口の女性兵に来意を告げ携えてきた写真を手渡して帰ろうとすると、
「ヴァインライヒ少尉!」
すぐに呼び止められた。
同じ事務方の金髪の大尉が事務室の奥からやってきたので右手を上げて敬礼し、
「なんでしょうか」
その赤い頬をしたつぶらな瞳の大尉に尋ねた。真面目だけが取り柄。そんな人柄を思わせる人だ。
「貴官が来たら案内しろと言われている。来たまえ」
彼は届けたばかりの写真を手にヤヨイをさらに奥に誘った。
どこかに発電機があるのだろう。そのクィリナリスの外壁と同じ黒御影石の壁の地下の通路は海軍の軍艦のように淡い照明で照らされていた。茶色や灰色のマントのニ三の将官が立ち話しているそこに、大きな扉があった。
「少尉。ここではいちいち敬礼しなくてもいい。閣下方も答礼が面倒なのでな」
目が合った時だけ目礼でいいと言われた。
「あの、大尉。小官は何をするんでしょうか」
「後ろで控えていればいい。質問があったら答えるように。もう少し早く来てくれていれば我々が説明を代行できたんだが、時間がない。もう会議が始まる」
遅刻の代償というわけか。
わたしのせいじゃ、ないのにな・・・。
大尉が扉を開いた。彼が扉を開けてくれるのを待っていたように灰色や茶色の閣下方が扉の中に入って行った。大尉に促され、ヤヨイも扉の中に足を踏み入れた。
入り口すぐの壁際の粗末な椅子を勧められた。座る前に、その会議場を見渡した。
そこには地下に設けられたとは思えないほどの広大な空間があった。
廊下と同じ黒御影石の壁。はるか正面には一段高い演壇があり、その背後に帝国全土の地図と西部戦線とチナの領土をトリミングした部隊配置図とが左右に大きく掲げられているのが照明で浮き上がって見えた。そして何よりも壮観だったのは演壇を挟んで両側に居並んだ大勢のカーキ色の、黄色、灰色、茶色のマントの群れ。
陸軍の野戦部隊でも、バカロレアでも、海軍でも、スブッラの繁華街でもそうだったが、この将官の見本市のような閣下方の群れを眺めても、帝国の様々な人種が見て取れた。帝国はその軍隊の指導部を構成する人選でも人種や肌の色で差別したりはしないのだと感得することが出来た。それは帝国の人種比率とほぼ同じように、そこにあった。
最も多いのはヨーロッパ系でその中でもヤヨイと同じドイツ系が多い。次いで多いのは南の国出身の将官。帝国皇帝がそうだから、これは頷ける。それにヨーロッパ系の黒人の将官やチナ系もいる。
女性の比率だけが全体の十分の一ほどで一般の部隊とは違って少ない。だがそれはヤヨイにも頷ける理由によるものだった。それは単純に性の違いだと。
ヤヨイの母、「レディー・マリコ・フォン・シュトックハウゼン」もそうだが、女性には「国母貴族」となる道が開かれているのだった。帝国が指定する夫を受け入れ12人の子をなした女は、帝国から十分な額の養育費を受けられる他に、その余生を何不自由なく暮らせるだけの「慰労金」を受け取ることが出来る。しかも「国母貴族」の名の通り、一代に限って貴族の称号まで手にすることが出来るのだ。女として生まれた利点を存分に生かそうと考える女性は多かった。それが領土に比べて人口の少ない帝国の人的資源の供給元となっていたのだ。
もちろん、職業の選択は自由だから、ここに居並ぶ女性将官のように軍で実績を積んで頭角を現し出世の道を選ぶ女性もいる。だが、それはやはり少数派なのだということを改めて思わされる情景ではあった。そもそも、士官学校を志望する女性が少ないのだと、いつだったか聞いたことがある。
将官の列には少ないながらもネービーブルーの軍服もあった。見ればフレッチャー中将ではないか。ラカ中佐の顔も見える。幕僚と共にこの会議に参加しているのだろう。彼にはミカサ事件でだいぶ世話になった。そして将官の列の壁際には平服の人々もいた。その中に見覚えのあるバカロレアの先生を見つけたから、このチナに対するいくさは、まさに「軍・官・産・学」、帝国の、文字通りの総力上げた一大イベントなのだと感じられた。
呆然と立っていると聴き馴染みのある声を掛けられた。
「すごいだろ。もし今ミカサを爆破した爆弾がここで炸裂したら、今回の戦争は無理だな」
何を不謹慎なことをと思い振り返ると、やっぱりリヨン中尉だった。
「そろそろ始まる。座れよ」
「マーキュリー」は澄ました顔で金髪を掻き上げるとヤヨイの袖を引いた。
「それでは、皇帝陛下、最高司令官がまだであるが、定刻となったので会議を始める」
統合幕僚会議議長を兼ねる統合幕僚本部長の黄色いマント、誰だか知らない陸軍大将が席を立ち、宣言した。
「まず、今回のチナへの侵攻について、本会議に先立ち、皇帝陛下の御前で行われた予備会議で承認された作戦案の概要を説明する。シュタイン作戦部長!」
ファイルを持った灰色のマント、陸軍中将が席を立ってつかつか演壇に上がった。この人も、誰だかわかんない。
「レディース・アンド・ジェントルメン。それでは、この度のチナ侵攻計画について、まず部隊配置からご説明させていただきます」
そして、あのバカロレアの、気持ちよく眠りを誘うナガオカ教授の「人類史概論Ⅰ」を彷彿とさせるような、長い、退屈な説明が始まり、疲れ切っていたヤヨイは自動的に眠りを誘われた。
「すでに諸官ご承知の通り、北の国境の牽制として行われた、東から第七、第十五、第十三、第四の各軍団の作戦は予定通りに終了し、現在各部隊は宿営地に帰還して防衛体制に入ったと報告を受けています。また、東のノール王国については敬愛なる元老院議員ヤン閣下のご尽力により、厳正中立を守る旨、約定を取り交わしたとのことであります。
しかし、万が一のためにこの国境沿いに、」
そう言って作戦部長は演壇向かって右の帝国全土の地図を長い棒で指し、
「北から第二、第三、第九、第五の各軍団が港町キールまでの国境に展開し、さらに首都防衛のために近衛第一、第二の各軍団が守りについております」
作戦部長はここで演壇に供されたカップの水を含んだ。
「そして今回の作戦主体となる西部戦線の部隊配置がこちらです」
長い棒を向かって左の拡大図に移した。
「すでに諸兄諸姉にご尽力頂いた通り、今回の侵攻を踏まえ陸軍は大規模な戦時編成改革を行いました。この図をご覧いただければわかります通り、」
棒の先が一番上の第二軍を指した。
「北から順に第二軍、中央軍として第一軍。そして南方軍として第三軍という軍単位の配置を行っております。
北方第二軍ハットン中将旗下には北から第十七軍団、第八軍団、第十六軍団がすでに平時の拠点から移動し非武装地帯に近接する陣営地を築いております。現在第二軍に参加する第二十、及び第二十四各軍団が内陸から移動中で、先鋒の三個軍団の後詰に入ります。その下、中央軍として第一軍をホート中将が、第十、第一軍団を率いており、同じく第十九軍団が第一軍の増援に入ります」
最前列に座っている閣下方は自分の名前が出るたびに胸をそびやかし胸の略章を煌めかせた。
「そしてその南、港町マルセイユまでの区域をモンゴメライ大将の第三軍が担当します。
第三軍旗下にはすでに第六、第十一及び第十二軍団が配置しており、さらに増援として第十四、第十八、第二十三各軍団が現在西部国境へ向かっており・・・」
その辺りが限界だった。
それまでの疲れが押し寄せて睡魔に勝てなくなり、ヤヨイの頭は次第に前に垂れ始めた。
十分ほども意識を失っていたろうか。肘をちょんちょんと突かれて、
「ふぁ?」
と、起きた。
「失礼なヤツだな。居眠りしてるのをウリル少将に告げ口されたらどうするんだ。知らんぞ」
隣でリヨン中尉がニヤニヤ笑っていた。
「統合参謀本部の連中がざわめきだしたぞ。いよいよご登場だ」
彼は不遜な言い方で演壇脇に居並んでいる閣下方を呼んだ。
と、脇のドアが開き、
「帝国軍最高司令官、皇帝陛下の臨席を賜る!」
事務方の士官が大声で宣言した。
最高司令官、帝国皇帝がカーキ色の軍服に深紅のマントを身に着けて現れると、その広大な会議室に集まっていた総勢100名ほどの将官全員が一斉に起立し、右手を斜め上に上げて敬礼した。もちろん、ヤヨイも「マーキュリー」も起立し、手を挙げ、唱和した。
「Ave CAESAR!」
「Ave CAESAR!」
石造りの壁に将官たちの皇帝を称える声が反響した。
「コン・ミリーテス(戦友諸君)! どうかそのまま。会議を続けてくれたまえ」
皇帝は、すでに慣例となっている、いにしえのローマ帝国で実質的な最初の皇帝となったユリウス・カエサルが軍団兵に呼びかける時の言葉を使った。この呼びかけが許されるのは帝国全土でただ一人、帝国皇帝、帝国軍最高司令官のみだった。
小学校やリセの教科書の挿絵、そして新兵訓練所にあった壁画でしか知らなかった深紅のマントを着けた帝国皇帝を、ヤヨイは初めてナマで見た。
帝国に生まれた子弟ならば、小学校で、リセで、一度は必ず読修させられる「ガリア戦記」と「内乱記」。人文系の苦手なヤヨイも必修であったために一度は通読した、三千年前のユリウス・カエサルのその著作は、全てではないにしても記憶の片隅に残っていた。
そのハイライトは何といっても「ガリア戦記」の巻末の「アレシア攻防戦」の記述だ。
ユリウス・カエサルは、数年にわたるガリア地方完全制覇のクライマックスを迎えていた。
ガリア人の聖地であるアレシアの丘にガリアの雄であるヴェルチンゲトリクス率いる敵八万を追い込みこれを敵よりも少ない五万の軍勢で包囲陣を作り攻城戦に持ち込んだ。だがガリア全土から増援部隊がやってきて逆に包囲される始末。増援部隊の数、およそ26万。5万対34万。内と外に敵を迎えるという、戦史上も稀な陣形を余儀なくされて絶体絶命の危機を迎えたカエサルだった。並の司令官なら外の包囲網を一点突破で打ち破って退却を図るか、降伏か、あるいは野蛮人におめおめと虜囚の辱めを受けるくらいならと玉砕覚悟で突撃するかするだろう。
だが、カエサルはそのどれでもなかった。
外に対しても陣営地を強化させ、捕虜を詳細に尋問した結果、敵の総攻撃が近いことと攻撃目標地点を知った。そこに十分な手配りをした後、自ら馬を駆って各拠点を回り内と外、腹背に敵を迎えた配下の兵たちを激励した。
「コン・ミリーテス(戦友諸君)! 諸君らのこの数年に及ぶガリア戦役での果実を得る絶好の時がやって来た! 今こそ奮励し、勝って偉大なるローマとカエサルの兵の名を高らしめよ!」
そして敵味方の全てから見えるほど高い櫓を建てさせ、そのてっぺんに登った。
陣営地の兵たちは皆櫓の上の総司令官の深紅のマントを見上げた。
数日間に及ぶ攻防戦は兵たちを疲労困憊の極みに落していたが、その深紅のマントが風に靡き始めるや身体の内から沸々と湧き上がる闘志を抑えきれぬかのように皆剣を取り槍を構え、口々にこう言って敵陣に殺到していった。
「みんな、我らがカエサルが見ているぞ。ローマ軍の精鋭として恥じない働きをするのだ!
そして我らが総司令官が感謝せずにはいられぬほどの戦果を挙げようではないか! 」
激闘数時間。最後には深紅のマント自らが増援を率いて重点戦場駆けつけ、ついに外の敵は背を見せて退却してゆき、中の敵は降伏した。
分厚いテキストのその部分だけは眠くならずに読み通し、それで今でも覚えていた。
「ユリウス・カエサルという人も、こんな人だったのだろうか」
深紅のマントを揺らしながら颯爽と正面の席に向かう帝国皇帝の後姿を見ながら、ヤヨイは密かな敬意を温めた。
軍装の皇帝陛下は、同じくトーガではなくマントのない軍服のヤン議員を伴っていた。
帝国軍最高司令官はまっすぐ演壇に向かい、統合参謀本部の黄色いマントの大将の隣、最も演壇に近い座席に着席した。ヤン議員はその後ろの席に控えた。一同はやっと歓呼と唱和を終え再び席に着いた。
説明を中断していた作戦部長は最高司令官に一礼し、話を再開した。
「では、大まかな作戦行動の概要に移ります」
作戦部長は棒の先をグッと下げ、チナの大きな半島の南に突き出た先の諸島を指した。
「全ての作戦に先立ち、海軍のフレッチャー中将指揮による第一、第二、第三各艦隊の連合艦隊がこのハイナン諸島を攻撃。海兵隊を上陸させこれを占領します。続く半島の一部にも部隊を上陸させ、ここに補給基地を設けます。
この後に最北方の第二軍が非武装地帯を超えて進軍。この辺りの戦略要地であるクンカーの街を攻略して橋頭堡を築き、ここを軸にして西に進攻し・・・」
まだ若干二十歳にしてすでに百戦錬磨のヤヨイであったが、睡魔という最大の敵に遭遇し、苦戦し始めた。だがなんとか敵を撃退し、無事会議の終幕を迎えた。幸運なことに会議で質問をされることはなかった。
「ううむ、睡魔め。・・・侮れん」
すでに大略は決まっていてここに集う将官らには伝達済みだったのだろう。帝国挙げての大攻勢を前にしてのセレモニー的な位置づけの作戦会議であろうことが感じられた。
登場と同じく敬礼と歓呼に見送られ、まず最高司令官が退席した。出口でリヨン中尉と並んで敬礼し最高司令官の退席を見送った。
下級士官であるヤヨイたちは、皇帝に続き大勢の閣下方が退席し馬車に乗ってそれぞれの司令部に散っていくまで待たねばならなかった。だが、その間に次々と「難敵」を迎えた。
「やあ! ヴァインライヒ少尉ではないか!」
退席する海軍のフレッチャー中将に声を掛けられた。先のミカサ事件の折は彼の協力で無事任務を達成できた。ヤヨイにとって彼は、言わば恩人であった。
「その節はありがとうございました、閣下」
「正式に士官に任官したと聞いた。陸軍にいるのだな。キミのような優秀な人材が軍で活躍してくれるとは頼もしい限りだ!」
フレッチャー中将はエネルギッシュな提督であった。
「今はウリル少将の特務機関に所属しております」
「そうか。頑張ってくれたまえ!」
彼が乗っていたヴィクトリーという艦は隅々まで闘志が漲っていたのを思い出す。今は連合艦隊旗艦となったらしいミカサも新しい司令長官を迎えてさぞ活気ある艦になっていることだろう。
彼を見送ると、数人の閣下たちに囲まれた。
「ミカサの英雄というのはキミか!」
「是非握手させてくれ」
「キミのような手練れを求めていたのだ」
「是非我が軍団に迎え入れたいものだ」
彼女の背後で終始ニヤニヤしているリヨン中尉がウザかった。頼みもしないのに、
「この方は○○軍団長□□中将。この方は△△軍団の参謀長××少将・・・」
次から次へと紹介してくれるものだから余計に手間取った。
先のミカサ事件の功績により、ヤヨイは軍人に与えられる最高の名誉である鉄十字章を授与された。徴兵途中の、しかも下士官だったヤヨイは、通常なら軍団長から授与されるその勲章を元老院という帝国最高の舞台で、しかも帝国皇帝臨席の元に華々しく与えられたものだから、その余波が尾を引いていたのだ。
この胸の鉄十字章の略章のせいか。
つ、疲れる・・・。
北の野蛮人やチナ兵相手に格闘するよりはるかに疲れた。
そんな風にふやけそうなアタマでボーっとしていると、マントだらけのこの場には珍しく、金の月桂樹の階級章を着けた大佐が目の前に立った。
「少尉、この方は近衛第一軍団のグールド大佐。今度新設された第一落下傘連隊の連隊長であられる」
「はじめまして、大佐」
疲れてはいたが、閣下方にしてきたのと同じように略式の敬礼をした。
「貴官がヴァインライヒ少尉か。意外に小さいな」
大佐は見上げるような偉丈夫だった。彼もまた毛むくじゃらの腕を差し出してきて握手を求めてきた。ゴツゴツした岩のような大きな手。ミカサの時の第一艦隊通報艦の艦長ヘイグ大尉を思い出した。あのマッチョな彼を十歳ほどフケさせるとこんな感じではないか・・・。
「貴官は偵察機の操縦もできるそうだな」
大佐は意外な情報通らしかった。
「はい、いちおう・・・」
「チナ語も話せると聞いた」
「はあ・・・」
ウリル少将だな。余計なことを・・・。
「ところで、貴官は高いところが好きか」
「は?」
そのひげ剃り跡の濃い、盛り上がった顎を思わず見つめてしまった。
「高いところが好きなヤツはバカだ。オレは今、そういうバカを探している。貴官は、バカか?」
「はあ・・・」
あまりな質問に、答えに窮した。サラッと受け流すことが出来ずに、素で悩んでしまったのだ。たしかに、大学に帰って研究の道に立ち戻ることもできたのに、士官の道を選んでしまった自分は、バカかもしれない、と。
「そうですね。バカ、かもしれません・・・」
ヤヨイは素直に答えた。
「あっはっはっはっは! いいな、気に入った!」
そう言ってグールド大佐は会議場を去っていった。
「はあ・・・」
それにしてもリヨン中尉の、顔と名前を記憶する能力には脱帽せざるを得ない。彼がウリル少将の副官として重用されているのはこの驚異的な記憶力のゆえなのだろう。
「もしかして中尉は帝国軍中の閣下方を全部記憶してるんですか?」
「ま、仕事だからね」
事も無げに彼は言った。
「あ。ほら、ヤン閣下が来たよ」
「ヴァインライヒ少尉!」
彼のカーキ色の軍服姿の胸元には銀の月桂樹が輝いていた。
「キミも来ていたのか」
ヤヨイは今日何十回目かになる敬礼をした。
「はい。ウリル少将の命令でこの会議のための資料を届けに参りました」
元老院議員が同時に軍にも籍を置くのは珍しいことではなかった。貴族の子弟が陸軍士官になるのは帝国の慣例であり、そこで軍務の経験を積んだものが元老院の議席を得る。議員となった後も軍に残るものは多く、特に将官には顕著だった。
ヤン議員は東洋風のサッパリした顔の持ち主だったが、その額や頬にはどこか疲れが滲んでいた。
「閣下、先日の叙勲の節はありがとうございました」
ヤヨイの鉄十字章受章を推薦してくれたのがこのヤン議員だったのだ。
彼は現皇帝の養子でもある。先ほどの会議でも言及されていたが、彼は皇帝の名代として帝国の外交にも関わっているらしい。
「うむ」
と彼は言った。
「わたしの目論見通り、あの叙勲のおかげで帝国軍の士気も大いに上がったようだ。むしろ、私から礼を言うべき筋かも知れない。・・・疲れたかね?」
今までの閣下方とのやり取りを見られていたのだろう。こんな細やかな心配りのできる人だったのを知り、心が和んだ。
「その疲れたところを申し訳ないが、少し時間を貰えぬだろうか。ついてきたまえ」
「はい、閣下」
「はは。『閣下』はいいよ」
彼が三十年前にチナとのいくさで帝国に保護された「盾の子供たち」の一人であることを、ヤヨイはウリル少将から聞いていた。
「盾の子供たち」
三十年前、チナは帝国にいくさを仕掛けてきた。兵力には勝るが武装と火力に劣るチナはその劣勢を補うため六万の軍勢を帝国に侵攻させるにあたり、兵に特殊な盾を装備させていた。それは卑劣過ぎるやり方だった。
なんとチナは、年端もいかない子供を盾に張り付け、その陰に隠れて弓矢や槍を放ってきたのだ。迎え撃つ帝国軍は二個軍団二万でしかなかったが射程500メートルのライフルと大量の迫撃砲という最新兵器で武装していた。だがこの「盾」の前に為す術もなく、一時は撤退を迫られた。泣き叫ぶ子供たちに銃を向けることが出来る兵は帝国軍には一兵もいなかったのだった。
しかし、司令部の作戦の妙のおかげで戦線崩壊だけは免れた。万が一のためにと高台に伏せてあった騎兵隊が敵の背後から襲い掛かり、盾の無い後方を脅かされたチナの軍勢は総崩れとなって退却した。
この絶好の反転攻勢の機会を、帝国軍は活用することは出来なかった。敵兵が逃げ去った後に大量の「子供を張り付けた盾」が遺棄されていたからだ。
兵たちは構えていた銃を下ろし、皆盾に縛られていた子どもたちの縄を解き腕に背中に抱え背負いその場に捨てられた全ての子供を助けだして陣営地に戻った。
その後子供たちは、帝国の様々な家庭に里子として預けられ、養育された。レオン事件の時のチャン軍曹。ミカサ事件の時のミカサ副長チェン少佐、そして今ヤヨイを案内するヤン議員もまた、その折の「盾の子供たち」だったのだ。
ヤヨイはウリル少将から聞いて初めてそれを知ったが、ヤン閣下が30年前に第十軍団の大隊長だった今の皇帝の家に引き取られた「盾の子供たち」の一人であったことは、帝国中の全ての壮年国民が知っていた。
子供を道具のように使い、捨てる国。
捨てられた子供を拾って大切に育てる国。
どちらの国が人の道と理に叶っているか、言わずもがな、だった。ヤン議員の存在がその答えだった。
地下の会議場を出て燭台が灯された広い回廊を進むと良い匂いの漂い出しているドアがあった。そこは大きな厨房だった。この上の元老院議場の周りには内閣府がありこの度新設された統合幕僚本部があり、内閣府に所属する各省庁のオフィスがあり、帝国皇帝の住まいである皇宮があり、それら政治と軍事の中心地を警護する警備隊の司令部もある。
そこに集い仕事をする文官や武官たちのための昼間の食を提供したり、他国の王族をもてなすための料理を作る施設と職員は当然に必要になる。その厨房もその一つだった。
美味しそうな匂いを嗅げば、当然に腹が鳴る。偵察から戻って今まで、ヤヨイはロクに食べていなかった。腹が鳴ったのをヤン閣下に聞かれたのではないかと、赤面した。
だが、彼はヤヨイとリヨン中尉に何かをごちそうするためにここへ案内したのでは無さそうだった。
すでに厨房の火は消えていて、薄暗いカンテラの下では二三のコックが明日提供する料理の仕込みをしているだけだった。
「シェフ、預けていたものを見に来たのだが」
ヤン閣下は、仕込み中の料理人の中の一番年嵩な男に声をかけた。
「ではどうぞ、これをお使いください」
そう言ってシェフはカンテラの一つを持たせてくれた。
「こっちだ」
閣下はスタスタと編み上げの軍用サンダルを響かせて厨房を通り抜け、その奥にあった暗い階段をさらに地下へと降りていった。
そこは氷室だった。
冬の間に帝国の北から切り出された氷を運び込んで積み上げ、食材の保管庫として利用するのは珍しくはなかった。ある程度の資産を持つ貴族の家や、美食家らしい、ヤヨイの生母レディー・マリコの夫となったあのホモ・ノヴァス(新興成金)のような金持ちの家には備えられているものだった。だが、ヤン閣下に案内されてはいったそこははるかに規模の大きなものだった。
壁に積み上げられた氷は半ば溶けだしてはいたが、地下であるために保温が効いているのか身震いするほどの寒さを感じた。
カンテラを翳すリヨン中尉に、
「こっちだ」
と、声をかけた閣下の足元に灯りを移した。
そこに薄く切った木か竹の板を組んで作ったような、丸い容器が置かれていた。
「まだ国民には知らせていないが、ひと月前、わが帝国はチナに対し断交を通告した。その半月後にチナの特使が持参したのが、これなのだ」
そう言って閣下はその容器の蓋を開けた。
中に、女の生首が入っていた。
「命からがら帰って来たのに。『大変だったなあ』とか、『ご苦労だった』の一言もないんだから!」
丘を降りると急に人通りが多くなった。ギャロップはできず、次第に速歩に、そして並足になったので馬を降りて引いた。とっぷりと陽が暮れた都心は西部国境の緊張などとは別世界の賑わいの中にあった。
ヤヨイが向かう「統合参謀本部」については多少の説明が要る。
あの「ミカサ事件」のあと、政府の中枢や軍の中で裏切り者の摘発が相次ぎ、人事も大幅に刷新された。それと同時に「機構改革」も大胆に行われた。
陸軍省と海軍省が統合され新たに「国防省」となり、陸軍参謀本部と海軍軍令部もまた「統合参謀本部」として再編成された。軍がチナへの多数の内通者を出したという不名誉は、一面で組織の在り方を再考させる絶好の機会を与えもしたのだった。この改革によって無駄な部局が廃止され、特に予算編成での陸海の競合や、軍令における重複や齟齬が劇的に減った。
国を挙げての大規模な軍事作戦である今回のチナ侵攻を遂行するにあたり、
「是非とも成し遂げておかねば」
と、元老院の重鎮たちを説得して回った、例のヤン議員の大きな功績だった。
統幕会議の議長は慣例として陸軍から出すことも決まった。海軍はその性質上政治にはあまり関わらない。それに比べ陸軍は時に交戦国の有力者と直接交渉したりする機会も多い。しかも帝国は元々が内陸国家である性格が強かったし、海軍の歴史が浅かったこともあった。その一件、つまり統幕議長を陸軍から、という話はむしろ海軍から申し入れた。陸軍に否応のあるはずがなかった。その点では帝国軍の組織改革は大規模な割に非常にスムーズに済んだ。
そしてもう一つ、大きな改革があった。
陸軍の編成について、である。
それまでは、
軍団→旅団→連隊、であったのが、
軍→軍団→師団→旅団→連隊、に変わった。
より有機的に軍を活用し兵力の投入削減を容易にするための配慮だった。陸軍は、北の野蛮人相手には旅団の指揮で中隊や小隊規模で動き、今回のように西の大国チナを相手にするような場合は軍団をいくつも束ねて「軍」とし、他の軍団からも連隊大隊規模で容易に戦力を融通し適材適所の巨大な力を結集することもできる、極めてフレキシブルな組織になっていた。
それまで「馬と人間の脚」のみであった陸軍は、「機械化」によって大きく変わりつつあったのだった。
元老院を訪れたのは、あの「鉄十字章」授章以来だった。
他国の王侯貴族を招待する格式の緋毛氈などはもうなかった。その代わりに本会議場のある巨大なドーム前のエンタシスを見上げる広場にはいくつもの松明が灯され、そこを埋め尽くしていた多数のカーキ色の馬車を照らしていた。軍の高官の使用する馬車であることはすぐにわかったが、通常は馬車の側面に書いてあるはずの所属軍団を示すローマ数字が全て消されていた。ミカサ事件で帝国内部に深く浸透していたスパイ網が一斉摘発されたが、その影響であろうことはヤヨイにも想像できた。
馬を曳いた彼女を目ざとく見つけ、儀仗兵を兼ねる元老院の警備兵がキンキラのヘルメットの代わりに普通の野戦用のヘルメットを被ってつかつか近づいて来た。
「Ave CAESAR!(アヴェ・カエザル! 敬愛なる皇帝陛下!)」
彼はヤヨイの少尉の階級章と黒い月桂樹の略章を目にとめるや、たぶん帝国一華麗ではないかと思われるような敬礼をした。
「少尉殿、馬はこちらでお預かりいたします」
「・・・ありがとうございます。あのう・・・」
馬を連れて行こうとした警備兵を呼び止めた。
「なんでしょうか」
「統合参謀本部に届けものがあるのですが」
警備兵は元老院本会議場の地下への入り口まで案内してくれた。ここにも入り口を警戒する警備兵がいた。所属姓名階級を申告すると、なんと詰所の中にミカサで何度も見たあの伝声管があり、それを使ってどこかに問い合わせを始めた。懐かしさに少し和んだ。
「ヴァインライヒ少尉。確認できました。どうぞお通り下さい」
厳重な管制だ。ウリル少将が電話でアポイントメントを入れてくれたお陰だった。ここにもミカサ事件の余波が来ているのを思わざるを得なかった。
緊張を増幅しながら、ヤヨイはちょうど本会議場の真下にある新設の統合参謀本部までの石段を降りていった。
降りてすぐに事務局があった。その窓口の女性兵に来意を告げ携えてきた写真を手渡して帰ろうとすると、
「ヴァインライヒ少尉!」
すぐに呼び止められた。
同じ事務方の金髪の大尉が事務室の奥からやってきたので右手を上げて敬礼し、
「なんでしょうか」
その赤い頬をしたつぶらな瞳の大尉に尋ねた。真面目だけが取り柄。そんな人柄を思わせる人だ。
「貴官が来たら案内しろと言われている。来たまえ」
彼は届けたばかりの写真を手にヤヨイをさらに奥に誘った。
どこかに発電機があるのだろう。そのクィリナリスの外壁と同じ黒御影石の壁の地下の通路は海軍の軍艦のように淡い照明で照らされていた。茶色や灰色のマントのニ三の将官が立ち話しているそこに、大きな扉があった。
「少尉。ここではいちいち敬礼しなくてもいい。閣下方も答礼が面倒なのでな」
目が合った時だけ目礼でいいと言われた。
「あの、大尉。小官は何をするんでしょうか」
「後ろで控えていればいい。質問があったら答えるように。もう少し早く来てくれていれば我々が説明を代行できたんだが、時間がない。もう会議が始まる」
遅刻の代償というわけか。
わたしのせいじゃ、ないのにな・・・。
大尉が扉を開いた。彼が扉を開けてくれるのを待っていたように灰色や茶色の閣下方が扉の中に入って行った。大尉に促され、ヤヨイも扉の中に足を踏み入れた。
入り口すぐの壁際の粗末な椅子を勧められた。座る前に、その会議場を見渡した。
そこには地下に設けられたとは思えないほどの広大な空間があった。
廊下と同じ黒御影石の壁。はるか正面には一段高い演壇があり、その背後に帝国全土の地図と西部戦線とチナの領土をトリミングした部隊配置図とが左右に大きく掲げられているのが照明で浮き上がって見えた。そして何よりも壮観だったのは演壇を挟んで両側に居並んだ大勢のカーキ色の、黄色、灰色、茶色のマントの群れ。
陸軍の野戦部隊でも、バカロレアでも、海軍でも、スブッラの繁華街でもそうだったが、この将官の見本市のような閣下方の群れを眺めても、帝国の様々な人種が見て取れた。帝国はその軍隊の指導部を構成する人選でも人種や肌の色で差別したりはしないのだと感得することが出来た。それは帝国の人種比率とほぼ同じように、そこにあった。
最も多いのはヨーロッパ系でその中でもヤヨイと同じドイツ系が多い。次いで多いのは南の国出身の将官。帝国皇帝がそうだから、これは頷ける。それにヨーロッパ系の黒人の将官やチナ系もいる。
女性の比率だけが全体の十分の一ほどで一般の部隊とは違って少ない。だがそれはヤヨイにも頷ける理由によるものだった。それは単純に性の違いだと。
ヤヨイの母、「レディー・マリコ・フォン・シュトックハウゼン」もそうだが、女性には「国母貴族」となる道が開かれているのだった。帝国が指定する夫を受け入れ12人の子をなした女は、帝国から十分な額の養育費を受けられる他に、その余生を何不自由なく暮らせるだけの「慰労金」を受け取ることが出来る。しかも「国母貴族」の名の通り、一代に限って貴族の称号まで手にすることが出来るのだ。女として生まれた利点を存分に生かそうと考える女性は多かった。それが領土に比べて人口の少ない帝国の人的資源の供給元となっていたのだ。
もちろん、職業の選択は自由だから、ここに居並ぶ女性将官のように軍で実績を積んで頭角を現し出世の道を選ぶ女性もいる。だが、それはやはり少数派なのだということを改めて思わされる情景ではあった。そもそも、士官学校を志望する女性が少ないのだと、いつだったか聞いたことがある。
将官の列には少ないながらもネービーブルーの軍服もあった。見ればフレッチャー中将ではないか。ラカ中佐の顔も見える。幕僚と共にこの会議に参加しているのだろう。彼にはミカサ事件でだいぶ世話になった。そして将官の列の壁際には平服の人々もいた。その中に見覚えのあるバカロレアの先生を見つけたから、このチナに対するいくさは、まさに「軍・官・産・学」、帝国の、文字通りの総力上げた一大イベントなのだと感じられた。
呆然と立っていると聴き馴染みのある声を掛けられた。
「すごいだろ。もし今ミカサを爆破した爆弾がここで炸裂したら、今回の戦争は無理だな」
何を不謹慎なことをと思い振り返ると、やっぱりリヨン中尉だった。
「そろそろ始まる。座れよ」
「マーキュリー」は澄ました顔で金髪を掻き上げるとヤヨイの袖を引いた。
「それでは、皇帝陛下、最高司令官がまだであるが、定刻となったので会議を始める」
統合幕僚会議議長を兼ねる統合幕僚本部長の黄色いマント、誰だか知らない陸軍大将が席を立ち、宣言した。
「まず、今回のチナへの侵攻について、本会議に先立ち、皇帝陛下の御前で行われた予備会議で承認された作戦案の概要を説明する。シュタイン作戦部長!」
ファイルを持った灰色のマント、陸軍中将が席を立ってつかつか演壇に上がった。この人も、誰だかわかんない。
「レディース・アンド・ジェントルメン。それでは、この度のチナ侵攻計画について、まず部隊配置からご説明させていただきます」
そして、あのバカロレアの、気持ちよく眠りを誘うナガオカ教授の「人類史概論Ⅰ」を彷彿とさせるような、長い、退屈な説明が始まり、疲れ切っていたヤヨイは自動的に眠りを誘われた。
「すでに諸官ご承知の通り、北の国境の牽制として行われた、東から第七、第十五、第十三、第四の各軍団の作戦は予定通りに終了し、現在各部隊は宿営地に帰還して防衛体制に入ったと報告を受けています。また、東のノール王国については敬愛なる元老院議員ヤン閣下のご尽力により、厳正中立を守る旨、約定を取り交わしたとのことであります。
しかし、万が一のためにこの国境沿いに、」
そう言って作戦部長は演壇向かって右の帝国全土の地図を長い棒で指し、
「北から第二、第三、第九、第五の各軍団が港町キールまでの国境に展開し、さらに首都防衛のために近衛第一、第二の各軍団が守りについております」
作戦部長はここで演壇に供されたカップの水を含んだ。
「そして今回の作戦主体となる西部戦線の部隊配置がこちらです」
長い棒を向かって左の拡大図に移した。
「すでに諸兄諸姉にご尽力頂いた通り、今回の侵攻を踏まえ陸軍は大規模な戦時編成改革を行いました。この図をご覧いただければわかります通り、」
棒の先が一番上の第二軍を指した。
「北から順に第二軍、中央軍として第一軍。そして南方軍として第三軍という軍単位の配置を行っております。
北方第二軍ハットン中将旗下には北から第十七軍団、第八軍団、第十六軍団がすでに平時の拠点から移動し非武装地帯に近接する陣営地を築いております。現在第二軍に参加する第二十、及び第二十四各軍団が内陸から移動中で、先鋒の三個軍団の後詰に入ります。その下、中央軍として第一軍をホート中将が、第十、第一軍団を率いており、同じく第十九軍団が第一軍の増援に入ります」
最前列に座っている閣下方は自分の名前が出るたびに胸をそびやかし胸の略章を煌めかせた。
「そしてその南、港町マルセイユまでの区域をモンゴメライ大将の第三軍が担当します。
第三軍旗下にはすでに第六、第十一及び第十二軍団が配置しており、さらに増援として第十四、第十八、第二十三各軍団が現在西部国境へ向かっており・・・」
その辺りが限界だった。
それまでの疲れが押し寄せて睡魔に勝てなくなり、ヤヨイの頭は次第に前に垂れ始めた。
十分ほども意識を失っていたろうか。肘をちょんちょんと突かれて、
「ふぁ?」
と、起きた。
「失礼なヤツだな。居眠りしてるのをウリル少将に告げ口されたらどうするんだ。知らんぞ」
隣でリヨン中尉がニヤニヤ笑っていた。
「統合参謀本部の連中がざわめきだしたぞ。いよいよご登場だ」
彼は不遜な言い方で演壇脇に居並んでいる閣下方を呼んだ。
と、脇のドアが開き、
「帝国軍最高司令官、皇帝陛下の臨席を賜る!」
事務方の士官が大声で宣言した。
最高司令官、帝国皇帝がカーキ色の軍服に深紅のマントを身に着けて現れると、その広大な会議室に集まっていた総勢100名ほどの将官全員が一斉に起立し、右手を斜め上に上げて敬礼した。もちろん、ヤヨイも「マーキュリー」も起立し、手を挙げ、唱和した。
「Ave CAESAR!」
「Ave CAESAR!」
石造りの壁に将官たちの皇帝を称える声が反響した。
「コン・ミリーテス(戦友諸君)! どうかそのまま。会議を続けてくれたまえ」
皇帝は、すでに慣例となっている、いにしえのローマ帝国で実質的な最初の皇帝となったユリウス・カエサルが軍団兵に呼びかける時の言葉を使った。この呼びかけが許されるのは帝国全土でただ一人、帝国皇帝、帝国軍最高司令官のみだった。
小学校やリセの教科書の挿絵、そして新兵訓練所にあった壁画でしか知らなかった深紅のマントを着けた帝国皇帝を、ヤヨイは初めてナマで見た。
帝国に生まれた子弟ならば、小学校で、リセで、一度は必ず読修させられる「ガリア戦記」と「内乱記」。人文系の苦手なヤヨイも必修であったために一度は通読した、三千年前のユリウス・カエサルのその著作は、全てではないにしても記憶の片隅に残っていた。
そのハイライトは何といっても「ガリア戦記」の巻末の「アレシア攻防戦」の記述だ。
ユリウス・カエサルは、数年にわたるガリア地方完全制覇のクライマックスを迎えていた。
ガリア人の聖地であるアレシアの丘にガリアの雄であるヴェルチンゲトリクス率いる敵八万を追い込みこれを敵よりも少ない五万の軍勢で包囲陣を作り攻城戦に持ち込んだ。だがガリア全土から増援部隊がやってきて逆に包囲される始末。増援部隊の数、およそ26万。5万対34万。内と外に敵を迎えるという、戦史上も稀な陣形を余儀なくされて絶体絶命の危機を迎えたカエサルだった。並の司令官なら外の包囲網を一点突破で打ち破って退却を図るか、降伏か、あるいは野蛮人におめおめと虜囚の辱めを受けるくらいならと玉砕覚悟で突撃するかするだろう。
だが、カエサルはそのどれでもなかった。
外に対しても陣営地を強化させ、捕虜を詳細に尋問した結果、敵の総攻撃が近いことと攻撃目標地点を知った。そこに十分な手配りをした後、自ら馬を駆って各拠点を回り内と外、腹背に敵を迎えた配下の兵たちを激励した。
「コン・ミリーテス(戦友諸君)! 諸君らのこの数年に及ぶガリア戦役での果実を得る絶好の時がやって来た! 今こそ奮励し、勝って偉大なるローマとカエサルの兵の名を高らしめよ!」
そして敵味方の全てから見えるほど高い櫓を建てさせ、そのてっぺんに登った。
陣営地の兵たちは皆櫓の上の総司令官の深紅のマントを見上げた。
数日間に及ぶ攻防戦は兵たちを疲労困憊の極みに落していたが、その深紅のマントが風に靡き始めるや身体の内から沸々と湧き上がる闘志を抑えきれぬかのように皆剣を取り槍を構え、口々にこう言って敵陣に殺到していった。
「みんな、我らがカエサルが見ているぞ。ローマ軍の精鋭として恥じない働きをするのだ!
そして我らが総司令官が感謝せずにはいられぬほどの戦果を挙げようではないか! 」
激闘数時間。最後には深紅のマント自らが増援を率いて重点戦場駆けつけ、ついに外の敵は背を見せて退却してゆき、中の敵は降伏した。
分厚いテキストのその部分だけは眠くならずに読み通し、それで今でも覚えていた。
「ユリウス・カエサルという人も、こんな人だったのだろうか」
深紅のマントを揺らしながら颯爽と正面の席に向かう帝国皇帝の後姿を見ながら、ヤヨイは密かな敬意を温めた。
軍装の皇帝陛下は、同じくトーガではなくマントのない軍服のヤン議員を伴っていた。
帝国軍最高司令官はまっすぐ演壇に向かい、統合参謀本部の黄色いマントの大将の隣、最も演壇に近い座席に着席した。ヤン議員はその後ろの席に控えた。一同はやっと歓呼と唱和を終え再び席に着いた。
説明を中断していた作戦部長は最高司令官に一礼し、話を再開した。
「では、大まかな作戦行動の概要に移ります」
作戦部長は棒の先をグッと下げ、チナの大きな半島の南に突き出た先の諸島を指した。
「全ての作戦に先立ち、海軍のフレッチャー中将指揮による第一、第二、第三各艦隊の連合艦隊がこのハイナン諸島を攻撃。海兵隊を上陸させこれを占領します。続く半島の一部にも部隊を上陸させ、ここに補給基地を設けます。
この後に最北方の第二軍が非武装地帯を超えて進軍。この辺りの戦略要地であるクンカーの街を攻略して橋頭堡を築き、ここを軸にして西に進攻し・・・」
まだ若干二十歳にしてすでに百戦錬磨のヤヨイであったが、睡魔という最大の敵に遭遇し、苦戦し始めた。だがなんとか敵を撃退し、無事会議の終幕を迎えた。幸運なことに会議で質問をされることはなかった。
「ううむ、睡魔め。・・・侮れん」
すでに大略は決まっていてここに集う将官らには伝達済みだったのだろう。帝国挙げての大攻勢を前にしてのセレモニー的な位置づけの作戦会議であろうことが感じられた。
登場と同じく敬礼と歓呼に見送られ、まず最高司令官が退席した。出口でリヨン中尉と並んで敬礼し最高司令官の退席を見送った。
下級士官であるヤヨイたちは、皇帝に続き大勢の閣下方が退席し馬車に乗ってそれぞれの司令部に散っていくまで待たねばならなかった。だが、その間に次々と「難敵」を迎えた。
「やあ! ヴァインライヒ少尉ではないか!」
退席する海軍のフレッチャー中将に声を掛けられた。先のミカサ事件の折は彼の協力で無事任務を達成できた。ヤヨイにとって彼は、言わば恩人であった。
「その節はありがとうございました、閣下」
「正式に士官に任官したと聞いた。陸軍にいるのだな。キミのような優秀な人材が軍で活躍してくれるとは頼もしい限りだ!」
フレッチャー中将はエネルギッシュな提督であった。
「今はウリル少将の特務機関に所属しております」
「そうか。頑張ってくれたまえ!」
彼が乗っていたヴィクトリーという艦は隅々まで闘志が漲っていたのを思い出す。今は連合艦隊旗艦となったらしいミカサも新しい司令長官を迎えてさぞ活気ある艦になっていることだろう。
彼を見送ると、数人の閣下たちに囲まれた。
「ミカサの英雄というのはキミか!」
「是非握手させてくれ」
「キミのような手練れを求めていたのだ」
「是非我が軍団に迎え入れたいものだ」
彼女の背後で終始ニヤニヤしているリヨン中尉がウザかった。頼みもしないのに、
「この方は○○軍団長□□中将。この方は△△軍団の参謀長××少将・・・」
次から次へと紹介してくれるものだから余計に手間取った。
先のミカサ事件の功績により、ヤヨイは軍人に与えられる最高の名誉である鉄十字章を授与された。徴兵途中の、しかも下士官だったヤヨイは、通常なら軍団長から授与されるその勲章を元老院という帝国最高の舞台で、しかも帝国皇帝臨席の元に華々しく与えられたものだから、その余波が尾を引いていたのだ。
この胸の鉄十字章の略章のせいか。
つ、疲れる・・・。
北の野蛮人やチナ兵相手に格闘するよりはるかに疲れた。
そんな風にふやけそうなアタマでボーっとしていると、マントだらけのこの場には珍しく、金の月桂樹の階級章を着けた大佐が目の前に立った。
「少尉、この方は近衛第一軍団のグールド大佐。今度新設された第一落下傘連隊の連隊長であられる」
「はじめまして、大佐」
疲れてはいたが、閣下方にしてきたのと同じように略式の敬礼をした。
「貴官がヴァインライヒ少尉か。意外に小さいな」
大佐は見上げるような偉丈夫だった。彼もまた毛むくじゃらの腕を差し出してきて握手を求めてきた。ゴツゴツした岩のような大きな手。ミカサの時の第一艦隊通報艦の艦長ヘイグ大尉を思い出した。あのマッチョな彼を十歳ほどフケさせるとこんな感じではないか・・・。
「貴官は偵察機の操縦もできるそうだな」
大佐は意外な情報通らしかった。
「はい、いちおう・・・」
「チナ語も話せると聞いた」
「はあ・・・」
ウリル少将だな。余計なことを・・・。
「ところで、貴官は高いところが好きか」
「は?」
そのひげ剃り跡の濃い、盛り上がった顎を思わず見つめてしまった。
「高いところが好きなヤツはバカだ。オレは今、そういうバカを探している。貴官は、バカか?」
「はあ・・・」
あまりな質問に、答えに窮した。サラッと受け流すことが出来ずに、素で悩んでしまったのだ。たしかに、大学に帰って研究の道に立ち戻ることもできたのに、士官の道を選んでしまった自分は、バカかもしれない、と。
「そうですね。バカ、かもしれません・・・」
ヤヨイは素直に答えた。
「あっはっはっはっは! いいな、気に入った!」
そう言ってグールド大佐は会議場を去っていった。
「はあ・・・」
それにしてもリヨン中尉の、顔と名前を記憶する能力には脱帽せざるを得ない。彼がウリル少将の副官として重用されているのはこの驚異的な記憶力のゆえなのだろう。
「もしかして中尉は帝国軍中の閣下方を全部記憶してるんですか?」
「ま、仕事だからね」
事も無げに彼は言った。
「あ。ほら、ヤン閣下が来たよ」
「ヴァインライヒ少尉!」
彼のカーキ色の軍服姿の胸元には銀の月桂樹が輝いていた。
「キミも来ていたのか」
ヤヨイは今日何十回目かになる敬礼をした。
「はい。ウリル少将の命令でこの会議のための資料を届けに参りました」
元老院議員が同時に軍にも籍を置くのは珍しいことではなかった。貴族の子弟が陸軍士官になるのは帝国の慣例であり、そこで軍務の経験を積んだものが元老院の議席を得る。議員となった後も軍に残るものは多く、特に将官には顕著だった。
ヤン議員は東洋風のサッパリした顔の持ち主だったが、その額や頬にはどこか疲れが滲んでいた。
「閣下、先日の叙勲の節はありがとうございました」
ヤヨイの鉄十字章受章を推薦してくれたのがこのヤン議員だったのだ。
彼は現皇帝の養子でもある。先ほどの会議でも言及されていたが、彼は皇帝の名代として帝国の外交にも関わっているらしい。
「うむ」
と彼は言った。
「わたしの目論見通り、あの叙勲のおかげで帝国軍の士気も大いに上がったようだ。むしろ、私から礼を言うべき筋かも知れない。・・・疲れたかね?」
今までの閣下方とのやり取りを見られていたのだろう。こんな細やかな心配りのできる人だったのを知り、心が和んだ。
「その疲れたところを申し訳ないが、少し時間を貰えぬだろうか。ついてきたまえ」
「はい、閣下」
「はは。『閣下』はいいよ」
彼が三十年前にチナとのいくさで帝国に保護された「盾の子供たち」の一人であることを、ヤヨイはウリル少将から聞いていた。
「盾の子供たち」
三十年前、チナは帝国にいくさを仕掛けてきた。兵力には勝るが武装と火力に劣るチナはその劣勢を補うため六万の軍勢を帝国に侵攻させるにあたり、兵に特殊な盾を装備させていた。それは卑劣過ぎるやり方だった。
なんとチナは、年端もいかない子供を盾に張り付け、その陰に隠れて弓矢や槍を放ってきたのだ。迎え撃つ帝国軍は二個軍団二万でしかなかったが射程500メートルのライフルと大量の迫撃砲という最新兵器で武装していた。だがこの「盾」の前に為す術もなく、一時は撤退を迫られた。泣き叫ぶ子供たちに銃を向けることが出来る兵は帝国軍には一兵もいなかったのだった。
しかし、司令部の作戦の妙のおかげで戦線崩壊だけは免れた。万が一のためにと高台に伏せてあった騎兵隊が敵の背後から襲い掛かり、盾の無い後方を脅かされたチナの軍勢は総崩れとなって退却した。
この絶好の反転攻勢の機会を、帝国軍は活用することは出来なかった。敵兵が逃げ去った後に大量の「子供を張り付けた盾」が遺棄されていたからだ。
兵たちは構えていた銃を下ろし、皆盾に縛られていた子どもたちの縄を解き腕に背中に抱え背負いその場に捨てられた全ての子供を助けだして陣営地に戻った。
その後子供たちは、帝国の様々な家庭に里子として預けられ、養育された。レオン事件の時のチャン軍曹。ミカサ事件の時のミカサ副長チェン少佐、そして今ヤヨイを案内するヤン議員もまた、その折の「盾の子供たち」だったのだ。
ヤヨイはウリル少将から聞いて初めてそれを知ったが、ヤン閣下が30年前に第十軍団の大隊長だった今の皇帝の家に引き取られた「盾の子供たち」の一人であったことは、帝国中の全ての壮年国民が知っていた。
子供を道具のように使い、捨てる国。
捨てられた子供を拾って大切に育てる国。
どちらの国が人の道と理に叶っているか、言わずもがな、だった。ヤン議員の存在がその答えだった。
地下の会議場を出て燭台が灯された広い回廊を進むと良い匂いの漂い出しているドアがあった。そこは大きな厨房だった。この上の元老院議場の周りには内閣府がありこの度新設された統合幕僚本部があり、内閣府に所属する各省庁のオフィスがあり、帝国皇帝の住まいである皇宮があり、それら政治と軍事の中心地を警護する警備隊の司令部もある。
そこに集い仕事をする文官や武官たちのための昼間の食を提供したり、他国の王族をもてなすための料理を作る施設と職員は当然に必要になる。その厨房もその一つだった。
美味しそうな匂いを嗅げば、当然に腹が鳴る。偵察から戻って今まで、ヤヨイはロクに食べていなかった。腹が鳴ったのをヤン閣下に聞かれたのではないかと、赤面した。
だが、彼はヤヨイとリヨン中尉に何かをごちそうするためにここへ案内したのでは無さそうだった。
すでに厨房の火は消えていて、薄暗いカンテラの下では二三のコックが明日提供する料理の仕込みをしているだけだった。
「シェフ、預けていたものを見に来たのだが」
ヤン閣下は、仕込み中の料理人の中の一番年嵩な男に声をかけた。
「ではどうぞ、これをお使いください」
そう言ってシェフはカンテラの一つを持たせてくれた。
「こっちだ」
閣下はスタスタと編み上げの軍用サンダルを響かせて厨房を通り抜け、その奥にあった暗い階段をさらに地下へと降りていった。
そこは氷室だった。
冬の間に帝国の北から切り出された氷を運び込んで積み上げ、食材の保管庫として利用するのは珍しくはなかった。ある程度の資産を持つ貴族の家や、美食家らしい、ヤヨイの生母レディー・マリコの夫となったあのホモ・ノヴァス(新興成金)のような金持ちの家には備えられているものだった。だが、ヤン閣下に案内されてはいったそこははるかに規模の大きなものだった。
壁に積み上げられた氷は半ば溶けだしてはいたが、地下であるために保温が効いているのか身震いするほどの寒さを感じた。
カンテラを翳すリヨン中尉に、
「こっちだ」
と、声をかけた閣下の足元に灯りを移した。
そこに薄く切った木か竹の板を組んで作ったような、丸い容器が置かれていた。
「まだ国民には知らせていないが、ひと月前、わが帝国はチナに対し断交を通告した。その半月後にチナの特使が持参したのが、これなのだ」
そう言って閣下はその容器の蓋を開けた。
中に、女の生首が入っていた。
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鏡に映っていたのは、小太りで口髭の男――歴史の教科書で見た、あの「牟田口廉也」。
しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。
部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。
(……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?)
現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。
すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。
精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。
これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。
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