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23 ミン一族と「学者」大隊の進軍
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先に海軍の海兵隊が占領した、南に突き出た半島の付け根の街ゾマとナイグンとを結ぶ直線を正三角形の直角を作る一辺だとすれば、もう一辺の先がこの一帯を治めるミン一族の館のある村落だった。
村落というよりは、領主ミンの館というより城と呼ぶのが相応しい拠点を中心とした城下町と言ってもいいほどの規模がある。ミン一族と彼らに連なる主だった血縁親族たちや、ゾマからナイグンに至る広大な領地を治める代官たちや役人たちの家や出張所も備えた一つの小さな王国の観さえあった。
その城は小高い山の上に建ち天守閣すら持っていた。何重もの廓と深い空堀水堀とに守られ、天守や各郭の建物を葺く瓦がキラキラと輝き、晴天のチンメイ山を背景にここを訪れる者にその威容を誇っていた。
先に王国の首都ピングーに軍勢を率いて出向いていた領主のミンは、その軍勢の七割をすでにナイグンやアイホー、ゾマ防衛に送り出しており、東から迫りくる帝国軍に対して防備を固めつつあった。
ミン自身は、居城の最も広い「三の廓」の中に建てられた御殿の彼の居室で歯噛みしていた。
返す返すもこの半月ほどの空費が恨めしかった。帝国の戦艦一隻を強奪し損ねたことからその報復はいずれあるものと覚悟はしていた。だが、これほど早く、そしてスピーディーにしかも広範囲に帝国が侵襲してくるとは予想の他であった。しかも全国境に渡るほどの広範囲で大規模な侵攻。その総兵力はもしかすると20万はあるのではないか。少なくとも15万は下らないだろう。帝国は、本気だ。本気でこのチナを潰しにかかってきている、と思わざるを得なかった。
まず一日に南に突き出た半島の先とその南のハイナン諸島が突如奪われた。救援部隊を差し向けようと思っていたところにチナ王国最北方のドン一味の領地に帝国軍が侵攻してきた。そのために王都から召喚命令が出た。無視することもできたが、あの幼い王がドン一味の口車に乗って王党軍の大部分を北上させることだけは阻止せねばならなかった。
北などどうでもいいし、どうなってもいい。
大切なのは南であり、自分の、このミン一族の領地なのだ。
ミンは知らなかったが、帝国が総力上げて計画した北方の第二軍の牽制行動は、このようなチナの豪族同士のエゴイズム丸出しの思惑によってその効果が失われたのだった。
ミンがこの非常時に敢えて軍勢を引き連れて王都まで行ったのには訳があった。
幼い国王と国王を口先三寸で騙して威勢を欲しいままにする大臣どもに睨みを利かせるためにはどうしても軍勢の力を背景にするよりほかなかった。だから、この肝心な時に多額の経費をさいてムダな王都への「上洛」をしたのだ。
それから半月も経たないうちにすぐミンの領地の東の国境も侵された。帝国の最先鋒が国境にほど近いアイエン川を越え、すでにゾマに迫っているとの知らせをたった今受けたばかりだったのである。敵は歩兵や騎兵だけではない、チナがまだ持っていない装甲車両を中核とした高速機動部隊で攻めて来ていた。
「もし、ピングーまで軍勢を率いていなければ、この帝国の脅威に対してより早く手当てができたものを!」
廓の向こう、眼下はるか南に広がる広大な領地を睨み、拳を固めてドンッ、と柱に八つ当たりした。
老齢ではあったが、ミンはこの豪族同士のせめぎ合うなか、巧みにチナの政界を泳ぎ強かに勢力を拡大していた雄だった。これしきの事で終わらせるわけには絶対に行かないのだ。過去数百年の間に次々と帝国に取り込まれて行った東の天領や豪族たちのようには絶対にならない。そのような歴史は、自分の代で終わりにせねば。
だが「ムダなピングー詣」のおかげでいいこともあった。先に王党軍に「忠誠の証」として無理やり取り上げられていた兵2万がわが手に戻って来たのだ。しかも帝国から盗んだ情報によって最新式に武装した強兵が、だ。
これでミン一党の勢力はすでに各拠点に置いてある1万と「ピングー詣」に連れて行った3万、それに返してもらった2万とで合計6万となった。
さて、それをどう使うか。
ミンは居室の奥に入り、卓の上に広げた地図に見入った。そして、閉じた扇子の先で東と南を交互に指し、思案を詰めていった。
帝国は最初に南に、次いで東に現れた。主力は東から来るのか、はたまた南から来るのか。
ゾマも惜しいが東と南に兵力を分散するの愚は冒せない。ここはアイホーの線を堅持してゾマとその南は捨てるか・・・。
帝国は強大で強力だ。その軍勢を撃ち滅ぼしきるのは至難であろう。
肝心なのは帝国の侵攻を防ぎ、押し返すことだ。
幸いにもゾマには堅固な要塞がありすでにそこに五千の兵を詰めさせてある。それらを捨て石にして時間を稼ぎ、その間にアイホーの線に注力して防備を固める一手だな・・・。
伝令ーっ!
蹄の音がした。それも一騎ではなく複数の。
屋敷の庭に面した戸口に立ってみると、斥候たちがぞろぞろと三の廓の御殿の庭先に入ってきて、中の一人が彼らを代表して、報告した。
「も、申し上げますっ。帝国の部隊が、そ、空から降ってきてゾマ、アイホー、ナイグン、アルムの各街道の橋が奪われましたっ」
「なんと・・・」
さすがのミンも斥候の言葉を疑わねばならなかった。
「帝国の兵が空から舞い降りたというのか」
「左様です、お屋形様。帝国の兵は各地点に傘のようなもので舞い降り、あっという間にその付近の一帯を制圧し、どうやら、橋を占拠するもののようであります」
帝国が「飛行機」を飛ばして我がチナの動静を探っているのは知っていた。だがそれで多数の兵を送り込んできたというのか。
「帝国は、この城ほどもある大きな『飛ぶ船』から多数の『ヒコーキ』をばらまき、兵を送り込んできたのでございます」
ミンが言葉を失っているうちにさらに再び外で声が上がった。
伝令ーっ!
斥候は早馬を飛ばし続けて来たのか、汗まみれ泥まみれの姿のままレイに連れられて庭先に現れた。
「お屋形様に、も、申し上げますっ! ナイグンの橋を探っていた帝国の間諜らしき男を捕らえたとの報告を受け、お知らせに上がりましたっ!」
「ナイグンの、橋?」
ミンはその斥候に問い直した。
「はい」
「して、その間諜は今どこにおるのだ」
「ナイグンの関守の一隊に。こちらに連行しますか?」
「いや、それには及ばん。今からそちが取って返しここまで連れてくるまでには二日はかかろう。それにナイグンには今帝国の兵が現れたらしい。時が惜しいのだ。レイ!」
ははっ!
右手の無い愛娘は庭に片膝をついて父の言葉を待った。
「行って、かの帝国の間諜の意図と帝国の侵攻計画を聞き出せ。委細そちに任すがその結果は必ず報告せよ。それ次第では増援の兵を送る先も考えねばならぬでな。空から降って来たという帝国の兵に気を付けろ。敵の意図が明白になるまで、下手に手出しするでない」
「かしこまりました、父上!」
「では、行け!」
ははっ!
斥候たちとレイが行ってしまうと、ミンは再び沈思黙考した。
アルムまで兵を下ろしたとあれば、敵の目的はチナ全土の占領にあるのは疑いない。
さすれば・・・。
もしかして帝国と手を握り、このミンの領地を安堵できる可能性もあるのではないか。
ミンは戦場の雄であるとともに老練な政治家でもあった。まだ周囲には絶対に口には出来ないが、彼の本音はチナ王国など実はどうでもいいのだ。彼の本領の安堵とレイに首領の座を円滑に譲ること。あわよくば、チナの現在の幼王を廃してレイをその座に据えること。それが出来れば・・・。
そうすれば、今帝国に頑強に抵抗せずとも、大切な彼の私兵たちを損耗させずとも「濡れ手で粟」を期待することが出来るやもしれぬ・・・。我が帝国と手を握り、逆にチナ王朝に反旗を翻して帝国に恩を売る・・・。
そうだ。そのためにはピングーに王党軍がいない方がいいかもしれぬ。
さすれば・・・。
「誰かある!」
ミンが声を張り上げた。すぐに手下の一人が現れた。
「今出ていったレイを追って申し伝えよ。帝国の間諜は絶対に殺すな、と」
「かしこまってございまする、お屋形様」
手下は風のように去った。
「そうだ・・・」
ミンは独り言ちた。
「片手でいくさをし、もう片方の手で手を握る。それが出来れば、この修羅場は切り抜けられるやもしれぬ」
権謀術数の限りを尽くして生き抜いてきたミンは、己が皺の寄った両の掌を広げ、いつまでもそれに見入り続けた。
11月15日、チナ現地時間午後一時。
短い休息と昼食を摂ったナイグン攻略部隊である「学者」大隊は、小高い丘の上からの大隊長の指示の元、橋の北にある浅瀬を渡って「東」中隊4個小隊が、丘の西をそのまま南下して「西」中隊6個小隊が、それぞれナイグンの橋の両岸の拠点確保を行うべく前進を開始していた。
まずは、「東」中隊。
臨時中隊長フリードリヒ・オットー少尉は卒なく部隊を指揮した。
まず一隊が他の隊の援護の下土手の上にぴょこぴょこと頭を出した。河原の安全を確認すると、ぴょこぴょこたちの援護の下、続く一隊が全ての火器と荷物を引っ提げて土手を乗り越え河原に降り、そこに散開して後背を除く三方を警戒した。その安全を確保しつつ、さらにもう一帯が河原を超えて渡河を開始し、対岸の土手の上にぴょこぴょこと頭を出して伏せた。彼らの合図でさらに一帯が渡河して土手を登りぴょこぴょこ隊を追い越して・・・。という具合。
そのようにして対岸の土手を乗り越えて東岸の市街地の北方に無事全小隊が移動した。そして市街戦演習でやった通り、セオリー通りに進軍し、市街の端まできたところで中隊は停止。そこからほぼ2キロ半ほどになる橋東岸の拠点の周囲にグラナトヴェルファーの擲弾を送るべく、擲弾筒を据えた。
「いいか。目標の拠点には絶対に当てるな。その周囲の家を掃除するように、まんべんなく弾をプレゼントしてやれ」
オットー少尉はそのように兵たちに指示した。
「でも、家の中に人がいたら?」
ある兵が不安げな顔を上げた。
「これ、一応戦争だから」
「あの、もし目標の拠点に弾着したらどうしますか」
「バカだなー、お前。その屋根に穴の開いた部屋がお前の部屋になるだけだろうが」
兵の質問は全て兵たちが答えてくれた。
オットー少尉は、攻撃開始を命じた。
先に丘にお見舞いしたように、8基の擲弾筒が咆哮し、目標拠点の周囲に大爆発を起こして火の手が上がった。風は北風。チンメイ山脈から吹き下ろした風が市街を通り抜けて海に向かって吹いていた。三連の一斉攻撃で延焼は三件幅ほどで止まった。
小一時間ほど成り行きを見守り、やがておもむろに発射地点を撤収し4小隊は占拠すべき数軒の家々に移るべく、敵の狙撃を警戒しながら移動を始めた。
それから二時間後。丘の上のカーツはオットー少尉からの無線を聞いた。
「『フェット』以下全小隊、予定通り東岸拠点を占拠しました!」
渡河が無く兵力も大きな西側拠点を目指す「西」中隊もほぼ同時に東と同じようにして西側拠点を制圧した。兵たちはグライダーから運んだようにして二人一組で重火器と荷物と、木の枝とグライダーの骨組みで作った即席の担架に足を骨折した負傷兵を載せて西の拠点に移動していった。
「よし。まず第一段階は終わった。『マルス』は撤収準備にかかれ。『覗き魔』はどうだ? 穴は掘れたか?」
カーツは「覗き魔」の面々に丘の上の陣地構築を命じた。
「ウェーゲナー中尉。貴官の任務は『学者』大隊中最も重要になる。橋の両岸の拠点を見晴るかせる絶好の位置にあるこの丘を死守し、敵に渡さないことだ。特に北西方向から来るものと予想される増援部隊をここで支える。連絡は絶やすな。質問は?」
「・・・ありません」
ラインハルト・ウェーゲナー中尉は敬礼の代わりに顎をしゃくって答えた。ヤヨイが進言した「偵察部隊式」敬礼がすでに浸透していた。このほうが、するほうもされるほうもみんなラクだった。
彼は小隊を二つに分けた。分隊の片方をもう一度グライダーの墓場に行かせ、穴を掘る道具になりそうな軽金属の骨材と掩体壕の覆いになりそうなグライダーの胴体や翼を持って来させた。残りの分隊は荷物運びである。
マルス達も穴掘りを手伝った。日が暮れるまでに掘らねば今夜の「覗き魔」たちの寝床がなかった。
「ちっくしょー! なんでオレらがこんなとこでドカタしてんだっつーの!」
「いいじゃないか。お前らが民家に行くとチナの女の部屋を覗きたくなっちまうだろう?」
マルスのヴォルフガングが荒野の訓練所で同室だった気安い兵に軽口を叩いたのをウェーゲナー中尉が耳聡く聞きつけてまた気分を暗くした。
カーツの見立ては正しかった。
その丘はやはり古代の古墳だったのか、頂上付近に平たい石碑が立っていた。掩体壕の屋根としてお誂え向きだったので数十人がかりでそれを倒し、掘った穴の上に被せた。
さらにお誂え向きだったのは、掘り進んだところ、石を積み上げた石室があったことだった。中身はすでに盗掘されていたらしく何もなかったが、1個小隊どころか五十名ほどが余裕で寝起きできるほどの空間があった。多少カビ臭いのが珠に瑕だったが。
「へえ。なかなかいい居場所が出来たな」
フリッツが、やはり訓練所で同室だった「覗き魔」の一兵を捕まえて賛辞を贈っているのをヤヨイは耳にした。
「まったくだね。オレ、こういう『秘密基地』みたいなところに住むのが夢だったんだ」
やっぱり空挺部隊は一般の兵たちに比べ、どこか変わっていた。
穴掘りが一通り済んだところで陽が落ちた。
「では、神々のご加護を、な」
カーツ大尉にウェーゲナー中尉は無言で敬礼した。
マルス達は「東」の拠点に向かうべく、丘を降り夜影に乗じて橋を渡った。
そうして、「デブ」たちが特に大隊本部用にと確保してくれた東側で唯一の二階家に落ち着いた。
「いろいろご苦労だった。敵情はどうか」
大隊長は出迎えたオットー少尉に尋ねた。
「今のところ敵影皆無です。懸案のゲリラらしき跳梁の兆候も見受けられません。静かなものです」
「住民たちは見なかったか」
「到着した時はすでにどの家ももぬけの殻でした。グラナトヴェルファーの爆撃を受けて逃げてしまったのでしょう」
「それは良かった。夜警時はマニュアル通りにな」
「心得ております」
「わかった。先は長そうだ。とにかく、第一日目がおおむね何事もなく済んだことを神々に感謝しようじゃないか」
各小隊はそれぞれ橋のたもとの民家に分駐して塒にしていた。その周りはグラナトヴェルファーの爆撃できれいに廃墟となっており、住民に紛れてやってくるかもしれないゲリラ勢力の寄る辺はなくなっていた。ただ、火事の後の強烈な異臭が残っていてそれがいささか鼻をついた。
ヤヨイは拠点となった二階家の二階に登り、その窓から外を警戒しつつ月を眺めた。十五夜のまん丸い明るく光る月が登ってきていた。
カーツ大尉とグレタが二階に上がって来た。
カーツは無線機を起動させ、「渡り鳥」を呼び出した。
「『学者』より『渡り鳥』。『学者』は居場所を確保しました」
「わかった。さきほど『大工』からも無事に拠点を確保した旨連絡があった。万事支障ないか」
グールド大佐の幾分ホッとしたような声がヤヨイにも聞こえた。
にわか作りの空挺部隊がなんとか初降下を果たし、ほぼ無傷で計画通りに各拠点の確保に成功したのである。本当の困難はこれからだとは言え、あのマッチョな大佐にとっても気の張る一日だったのだろう。
「それはよかったです。こちらも現在のところ支障はありません」
とカーツは答えた。
「計画を少し変更しました。橋の北西にある丘の占拠を継続することにし、1個小隊を張り付けました。これにより橋の陣地の複合化を図るものです」
「わかった。君ももう休め。お疲れさん」
カーツは隣にいるヤヨイを顧みて、言った。
「それでは兵たちを休ませます。マルスが傍にいるので心強いです。アウト」
だしぬけにそんなことを言われ、少し顔を赤くした。やはりカーツは並の指揮官ではないと思った。ウリル少将が言っていた「兵を頼れ」とはこういうことを言うのだろう、と。
マルス小隊の第一夜警時担当はクリスティーナとフリッツだった。
「ご苦労様。異状ない?」
「ありません、小隊長殿」
「そう。じゃあ、頼むわね。お疲れ様」
交代で夜間の歩哨に立つ部下たちに声をかけ、すでにシュラフにくるまって寝息を立てている部下たちの寝顔に労いを言い、ヤヨイもまたシュラフに身を横たえた。
そして今日一日を振り返った。初めての飛行船。グライダー、そして初めての実戦降下。冒険はあったが、これで指揮官として務まったのだろうかという懐疑だけがあった。思い返せば何から何までグレイ曹長やリーズルやカールやミシェルに世話になりっぱなしだったような気がする。
そしてもう一つ心にかかったのは、この「東」中隊が渡河した川の浅瀬の水深を誰が確認してくれたのだろうか、という一点だった。ウリル少将からはチナに潜入させた諜報員は、あの『盾の子供たち』のタオという閣下の養子だった人を含め悉く連絡を絶ったと聞いていた。もしかしてその生き残りがいたのだろうか。
まあ、いいや。
作戦はまだ始まったばかりだ。明日はまた別の風が吹く、Tomorrow is another day だ。ヤヨイも少しづつではあるが「バカ」に染まりつつあった。昼間聞いた一つの単語「居場所(Aufenthaltsort)」という言葉を心の中で弄びつつ、自然にやってきた睡魔に身を委ねた。
幸運なことに、そのようにして「学者」大隊は降下第一日目を終えることが出来た。
その夜遅く。
ヤヨイたちが占拠したナイグンの石橋からだいぶ離れた西岸の街はずれの古びた穀物倉庫にやってきたミン・レイは、だいぶ痛めつけられたらしい帝国の捕虜を引見した。
彼は石畳みの床の真ん中に置いた椅子に縛られ、天井の梁からぶら下がったカンテラの灯りに傷ついた顔を浮かび上がらせて、項垂れていた。あまりの苦痛に気絶してしまったらしい。
「おい。この者の縄を解いてやれ。それから水と温かい毛布を。望むなら食事も摂らせろ」
「いいのですか、頭(かしら)」
「大切な人質だ。死なれたりすると困る。どうせ、何も吐かんだろう。これ以上痛めつけるな」
「わかりました、頭」
捕虜の縄を解いた尋問役の兵が出て行くと、レイは改めてこの横たわる帝国の間諜を詳細に見た。薄い野良着の襟首を下げた。顔の浅黒さに比べ予想通り、そこは白かった。それに肌がまだ若い。顔は外科的な施術で変えたのだろうと思われた。
彼から何かを引き出すのは無理があると思った。過去何人もの帝国の間諜を捕らえたが、その度に彼らは自死したり、自ら食事を拒んだりして死んだ。中には何人かチナ人もいた。皆石のように口が堅かった。驚異的な意志の力だ。いったい、彼らのなにがそこまでの意志を貫き通させるのか。
あのミカサで会った、この手首を奪った女アサシンにしても、だ。さすがのレイも、あの冷たい氷のような、硬い意志を宿した瞳を思い出すだけで今でも震えが来るほどだった。
帝国とは、このように強い人間をつくるのか。命を脅かされたり金で釣られれば簡単に口を割り転ぶチナ人とは、全くの別の生き物ではないかとすら思うことがあった。
その違いはいったいどこから来るのか。
手下の一人が持って来た毛布を、老け化粧をほどこした若い男に掛けてやった。
男を殺すなと言った父の意図をレイは正確に把握していた。
ともすれば父はチナを裏切り帝国と手を結ぶ気に違いない、と。
だがそれがそう簡単には行かないだろうとも思っていた。チナ人相手なら、それで十分に通用する。だが、帝国人は違うのだ。このチナに生まれた者でも、帝国で育てられれば帝国人になる。そして彼らは、強い。その強さが、帝国をしてここまで領土と威勢を大きくして来たのだろうということが自然に察せられる。右手を失ってからは、レイは特にその思いが強かった。
彼らのその強さとは、いったいどこから来るものなのだろう。
レイは、考えれば考えるほど深い迷いの森に落ちて行く思考をどうすることもできずに、いつまでも暗い倉庫に立ち尽くしていた。
村落というよりは、領主ミンの館というより城と呼ぶのが相応しい拠点を中心とした城下町と言ってもいいほどの規模がある。ミン一族と彼らに連なる主だった血縁親族たちや、ゾマからナイグンに至る広大な領地を治める代官たちや役人たちの家や出張所も備えた一つの小さな王国の観さえあった。
その城は小高い山の上に建ち天守閣すら持っていた。何重もの廓と深い空堀水堀とに守られ、天守や各郭の建物を葺く瓦がキラキラと輝き、晴天のチンメイ山を背景にここを訪れる者にその威容を誇っていた。
先に王国の首都ピングーに軍勢を率いて出向いていた領主のミンは、その軍勢の七割をすでにナイグンやアイホー、ゾマ防衛に送り出しており、東から迫りくる帝国軍に対して防備を固めつつあった。
ミン自身は、居城の最も広い「三の廓」の中に建てられた御殿の彼の居室で歯噛みしていた。
返す返すもこの半月ほどの空費が恨めしかった。帝国の戦艦一隻を強奪し損ねたことからその報復はいずれあるものと覚悟はしていた。だが、これほど早く、そしてスピーディーにしかも広範囲に帝国が侵襲してくるとは予想の他であった。しかも全国境に渡るほどの広範囲で大規模な侵攻。その総兵力はもしかすると20万はあるのではないか。少なくとも15万は下らないだろう。帝国は、本気だ。本気でこのチナを潰しにかかってきている、と思わざるを得なかった。
まず一日に南に突き出た半島の先とその南のハイナン諸島が突如奪われた。救援部隊を差し向けようと思っていたところにチナ王国最北方のドン一味の領地に帝国軍が侵攻してきた。そのために王都から召喚命令が出た。無視することもできたが、あの幼い王がドン一味の口車に乗って王党軍の大部分を北上させることだけは阻止せねばならなかった。
北などどうでもいいし、どうなってもいい。
大切なのは南であり、自分の、このミン一族の領地なのだ。
ミンは知らなかったが、帝国が総力上げて計画した北方の第二軍の牽制行動は、このようなチナの豪族同士のエゴイズム丸出しの思惑によってその効果が失われたのだった。
ミンがこの非常時に敢えて軍勢を引き連れて王都まで行ったのには訳があった。
幼い国王と国王を口先三寸で騙して威勢を欲しいままにする大臣どもに睨みを利かせるためにはどうしても軍勢の力を背景にするよりほかなかった。だから、この肝心な時に多額の経費をさいてムダな王都への「上洛」をしたのだ。
それから半月も経たないうちにすぐミンの領地の東の国境も侵された。帝国の最先鋒が国境にほど近いアイエン川を越え、すでにゾマに迫っているとの知らせをたった今受けたばかりだったのである。敵は歩兵や騎兵だけではない、チナがまだ持っていない装甲車両を中核とした高速機動部隊で攻めて来ていた。
「もし、ピングーまで軍勢を率いていなければ、この帝国の脅威に対してより早く手当てができたものを!」
廓の向こう、眼下はるか南に広がる広大な領地を睨み、拳を固めてドンッ、と柱に八つ当たりした。
老齢ではあったが、ミンはこの豪族同士のせめぎ合うなか、巧みにチナの政界を泳ぎ強かに勢力を拡大していた雄だった。これしきの事で終わらせるわけには絶対に行かないのだ。過去数百年の間に次々と帝国に取り込まれて行った東の天領や豪族たちのようには絶対にならない。そのような歴史は、自分の代で終わりにせねば。
だが「ムダなピングー詣」のおかげでいいこともあった。先に王党軍に「忠誠の証」として無理やり取り上げられていた兵2万がわが手に戻って来たのだ。しかも帝国から盗んだ情報によって最新式に武装した強兵が、だ。
これでミン一党の勢力はすでに各拠点に置いてある1万と「ピングー詣」に連れて行った3万、それに返してもらった2万とで合計6万となった。
さて、それをどう使うか。
ミンは居室の奥に入り、卓の上に広げた地図に見入った。そして、閉じた扇子の先で東と南を交互に指し、思案を詰めていった。
帝国は最初に南に、次いで東に現れた。主力は東から来るのか、はたまた南から来るのか。
ゾマも惜しいが東と南に兵力を分散するの愚は冒せない。ここはアイホーの線を堅持してゾマとその南は捨てるか・・・。
帝国は強大で強力だ。その軍勢を撃ち滅ぼしきるのは至難であろう。
肝心なのは帝国の侵攻を防ぎ、押し返すことだ。
幸いにもゾマには堅固な要塞がありすでにそこに五千の兵を詰めさせてある。それらを捨て石にして時間を稼ぎ、その間にアイホーの線に注力して防備を固める一手だな・・・。
伝令ーっ!
蹄の音がした。それも一騎ではなく複数の。
屋敷の庭に面した戸口に立ってみると、斥候たちがぞろぞろと三の廓の御殿の庭先に入ってきて、中の一人が彼らを代表して、報告した。
「も、申し上げますっ。帝国の部隊が、そ、空から降ってきてゾマ、アイホー、ナイグン、アルムの各街道の橋が奪われましたっ」
「なんと・・・」
さすがのミンも斥候の言葉を疑わねばならなかった。
「帝国の兵が空から舞い降りたというのか」
「左様です、お屋形様。帝国の兵は各地点に傘のようなもので舞い降り、あっという間にその付近の一帯を制圧し、どうやら、橋を占拠するもののようであります」
帝国が「飛行機」を飛ばして我がチナの動静を探っているのは知っていた。だがそれで多数の兵を送り込んできたというのか。
「帝国は、この城ほどもある大きな『飛ぶ船』から多数の『ヒコーキ』をばらまき、兵を送り込んできたのでございます」
ミンが言葉を失っているうちにさらに再び外で声が上がった。
伝令ーっ!
斥候は早馬を飛ばし続けて来たのか、汗まみれ泥まみれの姿のままレイに連れられて庭先に現れた。
「お屋形様に、も、申し上げますっ! ナイグンの橋を探っていた帝国の間諜らしき男を捕らえたとの報告を受け、お知らせに上がりましたっ!」
「ナイグンの、橋?」
ミンはその斥候に問い直した。
「はい」
「して、その間諜は今どこにおるのだ」
「ナイグンの関守の一隊に。こちらに連行しますか?」
「いや、それには及ばん。今からそちが取って返しここまで連れてくるまでには二日はかかろう。それにナイグンには今帝国の兵が現れたらしい。時が惜しいのだ。レイ!」
ははっ!
右手の無い愛娘は庭に片膝をついて父の言葉を待った。
「行って、かの帝国の間諜の意図と帝国の侵攻計画を聞き出せ。委細そちに任すがその結果は必ず報告せよ。それ次第では増援の兵を送る先も考えねばならぬでな。空から降って来たという帝国の兵に気を付けろ。敵の意図が明白になるまで、下手に手出しするでない」
「かしこまりました、父上!」
「では、行け!」
ははっ!
斥候たちとレイが行ってしまうと、ミンは再び沈思黙考した。
アルムまで兵を下ろしたとあれば、敵の目的はチナ全土の占領にあるのは疑いない。
さすれば・・・。
もしかして帝国と手を握り、このミンの領地を安堵できる可能性もあるのではないか。
ミンは戦場の雄であるとともに老練な政治家でもあった。まだ周囲には絶対に口には出来ないが、彼の本音はチナ王国など実はどうでもいいのだ。彼の本領の安堵とレイに首領の座を円滑に譲ること。あわよくば、チナの現在の幼王を廃してレイをその座に据えること。それが出来れば・・・。
そうすれば、今帝国に頑強に抵抗せずとも、大切な彼の私兵たちを損耗させずとも「濡れ手で粟」を期待することが出来るやもしれぬ・・・。我が帝国と手を握り、逆にチナ王朝に反旗を翻して帝国に恩を売る・・・。
そうだ。そのためにはピングーに王党軍がいない方がいいかもしれぬ。
さすれば・・・。
「誰かある!」
ミンが声を張り上げた。すぐに手下の一人が現れた。
「今出ていったレイを追って申し伝えよ。帝国の間諜は絶対に殺すな、と」
「かしこまってございまする、お屋形様」
手下は風のように去った。
「そうだ・・・」
ミンは独り言ちた。
「片手でいくさをし、もう片方の手で手を握る。それが出来れば、この修羅場は切り抜けられるやもしれぬ」
権謀術数の限りを尽くして生き抜いてきたミンは、己が皺の寄った両の掌を広げ、いつまでもそれに見入り続けた。
11月15日、チナ現地時間午後一時。
短い休息と昼食を摂ったナイグン攻略部隊である「学者」大隊は、小高い丘の上からの大隊長の指示の元、橋の北にある浅瀬を渡って「東」中隊4個小隊が、丘の西をそのまま南下して「西」中隊6個小隊が、それぞれナイグンの橋の両岸の拠点確保を行うべく前進を開始していた。
まずは、「東」中隊。
臨時中隊長フリードリヒ・オットー少尉は卒なく部隊を指揮した。
まず一隊が他の隊の援護の下土手の上にぴょこぴょこと頭を出した。河原の安全を確認すると、ぴょこぴょこたちの援護の下、続く一隊が全ての火器と荷物を引っ提げて土手を乗り越え河原に降り、そこに散開して後背を除く三方を警戒した。その安全を確保しつつ、さらにもう一帯が河原を超えて渡河を開始し、対岸の土手の上にぴょこぴょこと頭を出して伏せた。彼らの合図でさらに一帯が渡河して土手を登りぴょこぴょこ隊を追い越して・・・。という具合。
そのようにして対岸の土手を乗り越えて東岸の市街地の北方に無事全小隊が移動した。そして市街戦演習でやった通り、セオリー通りに進軍し、市街の端まできたところで中隊は停止。そこからほぼ2キロ半ほどになる橋東岸の拠点の周囲にグラナトヴェルファーの擲弾を送るべく、擲弾筒を据えた。
「いいか。目標の拠点には絶対に当てるな。その周囲の家を掃除するように、まんべんなく弾をプレゼントしてやれ」
オットー少尉はそのように兵たちに指示した。
「でも、家の中に人がいたら?」
ある兵が不安げな顔を上げた。
「これ、一応戦争だから」
「あの、もし目標の拠点に弾着したらどうしますか」
「バカだなー、お前。その屋根に穴の開いた部屋がお前の部屋になるだけだろうが」
兵の質問は全て兵たちが答えてくれた。
オットー少尉は、攻撃開始を命じた。
先に丘にお見舞いしたように、8基の擲弾筒が咆哮し、目標拠点の周囲に大爆発を起こして火の手が上がった。風は北風。チンメイ山脈から吹き下ろした風が市街を通り抜けて海に向かって吹いていた。三連の一斉攻撃で延焼は三件幅ほどで止まった。
小一時間ほど成り行きを見守り、やがておもむろに発射地点を撤収し4小隊は占拠すべき数軒の家々に移るべく、敵の狙撃を警戒しながら移動を始めた。
それから二時間後。丘の上のカーツはオットー少尉からの無線を聞いた。
「『フェット』以下全小隊、予定通り東岸拠点を占拠しました!」
渡河が無く兵力も大きな西側拠点を目指す「西」中隊もほぼ同時に東と同じようにして西側拠点を制圧した。兵たちはグライダーから運んだようにして二人一組で重火器と荷物と、木の枝とグライダーの骨組みで作った即席の担架に足を骨折した負傷兵を載せて西の拠点に移動していった。
「よし。まず第一段階は終わった。『マルス』は撤収準備にかかれ。『覗き魔』はどうだ? 穴は掘れたか?」
カーツは「覗き魔」の面々に丘の上の陣地構築を命じた。
「ウェーゲナー中尉。貴官の任務は『学者』大隊中最も重要になる。橋の両岸の拠点を見晴るかせる絶好の位置にあるこの丘を死守し、敵に渡さないことだ。特に北西方向から来るものと予想される増援部隊をここで支える。連絡は絶やすな。質問は?」
「・・・ありません」
ラインハルト・ウェーゲナー中尉は敬礼の代わりに顎をしゃくって答えた。ヤヨイが進言した「偵察部隊式」敬礼がすでに浸透していた。このほうが、するほうもされるほうもみんなラクだった。
彼は小隊を二つに分けた。分隊の片方をもう一度グライダーの墓場に行かせ、穴を掘る道具になりそうな軽金属の骨材と掩体壕の覆いになりそうなグライダーの胴体や翼を持って来させた。残りの分隊は荷物運びである。
マルス達も穴掘りを手伝った。日が暮れるまでに掘らねば今夜の「覗き魔」たちの寝床がなかった。
「ちっくしょー! なんでオレらがこんなとこでドカタしてんだっつーの!」
「いいじゃないか。お前らが民家に行くとチナの女の部屋を覗きたくなっちまうだろう?」
マルスのヴォルフガングが荒野の訓練所で同室だった気安い兵に軽口を叩いたのをウェーゲナー中尉が耳聡く聞きつけてまた気分を暗くした。
カーツの見立ては正しかった。
その丘はやはり古代の古墳だったのか、頂上付近に平たい石碑が立っていた。掩体壕の屋根としてお誂え向きだったので数十人がかりでそれを倒し、掘った穴の上に被せた。
さらにお誂え向きだったのは、掘り進んだところ、石を積み上げた石室があったことだった。中身はすでに盗掘されていたらしく何もなかったが、1個小隊どころか五十名ほどが余裕で寝起きできるほどの空間があった。多少カビ臭いのが珠に瑕だったが。
「へえ。なかなかいい居場所が出来たな」
フリッツが、やはり訓練所で同室だった「覗き魔」の一兵を捕まえて賛辞を贈っているのをヤヨイは耳にした。
「まったくだね。オレ、こういう『秘密基地』みたいなところに住むのが夢だったんだ」
やっぱり空挺部隊は一般の兵たちに比べ、どこか変わっていた。
穴掘りが一通り済んだところで陽が落ちた。
「では、神々のご加護を、な」
カーツ大尉にウェーゲナー中尉は無言で敬礼した。
マルス達は「東」の拠点に向かうべく、丘を降り夜影に乗じて橋を渡った。
そうして、「デブ」たちが特に大隊本部用にと確保してくれた東側で唯一の二階家に落ち着いた。
「いろいろご苦労だった。敵情はどうか」
大隊長は出迎えたオットー少尉に尋ねた。
「今のところ敵影皆無です。懸案のゲリラらしき跳梁の兆候も見受けられません。静かなものです」
「住民たちは見なかったか」
「到着した時はすでにどの家ももぬけの殻でした。グラナトヴェルファーの爆撃を受けて逃げてしまったのでしょう」
「それは良かった。夜警時はマニュアル通りにな」
「心得ております」
「わかった。先は長そうだ。とにかく、第一日目がおおむね何事もなく済んだことを神々に感謝しようじゃないか」
各小隊はそれぞれ橋のたもとの民家に分駐して塒にしていた。その周りはグラナトヴェルファーの爆撃できれいに廃墟となっており、住民に紛れてやってくるかもしれないゲリラ勢力の寄る辺はなくなっていた。ただ、火事の後の強烈な異臭が残っていてそれがいささか鼻をついた。
ヤヨイは拠点となった二階家の二階に登り、その窓から外を警戒しつつ月を眺めた。十五夜のまん丸い明るく光る月が登ってきていた。
カーツ大尉とグレタが二階に上がって来た。
カーツは無線機を起動させ、「渡り鳥」を呼び出した。
「『学者』より『渡り鳥』。『学者』は居場所を確保しました」
「わかった。さきほど『大工』からも無事に拠点を確保した旨連絡があった。万事支障ないか」
グールド大佐の幾分ホッとしたような声がヤヨイにも聞こえた。
にわか作りの空挺部隊がなんとか初降下を果たし、ほぼ無傷で計画通りに各拠点の確保に成功したのである。本当の困難はこれからだとは言え、あのマッチョな大佐にとっても気の張る一日だったのだろう。
「それはよかったです。こちらも現在のところ支障はありません」
とカーツは答えた。
「計画を少し変更しました。橋の北西にある丘の占拠を継続することにし、1個小隊を張り付けました。これにより橋の陣地の複合化を図るものです」
「わかった。君ももう休め。お疲れさん」
カーツは隣にいるヤヨイを顧みて、言った。
「それでは兵たちを休ませます。マルスが傍にいるので心強いです。アウト」
だしぬけにそんなことを言われ、少し顔を赤くした。やはりカーツは並の指揮官ではないと思った。ウリル少将が言っていた「兵を頼れ」とはこういうことを言うのだろう、と。
マルス小隊の第一夜警時担当はクリスティーナとフリッツだった。
「ご苦労様。異状ない?」
「ありません、小隊長殿」
「そう。じゃあ、頼むわね。お疲れ様」
交代で夜間の歩哨に立つ部下たちに声をかけ、すでにシュラフにくるまって寝息を立てている部下たちの寝顔に労いを言い、ヤヨイもまたシュラフに身を横たえた。
そして今日一日を振り返った。初めての飛行船。グライダー、そして初めての実戦降下。冒険はあったが、これで指揮官として務まったのだろうかという懐疑だけがあった。思い返せば何から何までグレイ曹長やリーズルやカールやミシェルに世話になりっぱなしだったような気がする。
そしてもう一つ心にかかったのは、この「東」中隊が渡河した川の浅瀬の水深を誰が確認してくれたのだろうか、という一点だった。ウリル少将からはチナに潜入させた諜報員は、あの『盾の子供たち』のタオという閣下の養子だった人を含め悉く連絡を絶ったと聞いていた。もしかしてその生き残りがいたのだろうか。
まあ、いいや。
作戦はまだ始まったばかりだ。明日はまた別の風が吹く、Tomorrow is another day だ。ヤヨイも少しづつではあるが「バカ」に染まりつつあった。昼間聞いた一つの単語「居場所(Aufenthaltsort)」という言葉を心の中で弄びつつ、自然にやってきた睡魔に身を委ねた。
幸運なことに、そのようにして「学者」大隊は降下第一日目を終えることが出来た。
その夜遅く。
ヤヨイたちが占拠したナイグンの石橋からだいぶ離れた西岸の街はずれの古びた穀物倉庫にやってきたミン・レイは、だいぶ痛めつけられたらしい帝国の捕虜を引見した。
彼は石畳みの床の真ん中に置いた椅子に縛られ、天井の梁からぶら下がったカンテラの灯りに傷ついた顔を浮かび上がらせて、項垂れていた。あまりの苦痛に気絶してしまったらしい。
「おい。この者の縄を解いてやれ。それから水と温かい毛布を。望むなら食事も摂らせろ」
「いいのですか、頭(かしら)」
「大切な人質だ。死なれたりすると困る。どうせ、何も吐かんだろう。これ以上痛めつけるな」
「わかりました、頭」
捕虜の縄を解いた尋問役の兵が出て行くと、レイは改めてこの横たわる帝国の間諜を詳細に見た。薄い野良着の襟首を下げた。顔の浅黒さに比べ予想通り、そこは白かった。それに肌がまだ若い。顔は外科的な施術で変えたのだろうと思われた。
彼から何かを引き出すのは無理があると思った。過去何人もの帝国の間諜を捕らえたが、その度に彼らは自死したり、自ら食事を拒んだりして死んだ。中には何人かチナ人もいた。皆石のように口が堅かった。驚異的な意志の力だ。いったい、彼らのなにがそこまでの意志を貫き通させるのか。
あのミカサで会った、この手首を奪った女アサシンにしても、だ。さすがのレイも、あの冷たい氷のような、硬い意志を宿した瞳を思い出すだけで今でも震えが来るほどだった。
帝国とは、このように強い人間をつくるのか。命を脅かされたり金で釣られれば簡単に口を割り転ぶチナ人とは、全くの別の生き物ではないかとすら思うことがあった。
その違いはいったいどこから来るのか。
手下の一人が持って来た毛布を、老け化粧をほどこした若い男に掛けてやった。
男を殺すなと言った父の意図をレイは正確に把握していた。
ともすれば父はチナを裏切り帝国と手を結ぶ気に違いない、と。
だがそれがそう簡単には行かないだろうとも思っていた。チナ人相手なら、それで十分に通用する。だが、帝国人は違うのだ。このチナに生まれた者でも、帝国で育てられれば帝国人になる。そして彼らは、強い。その強さが、帝国をしてここまで領土と威勢を大きくして来たのだろうということが自然に察せられる。右手を失ってからは、レイは特にその思いが強かった。
彼らのその強さとは、いったいどこから来るものなのだろう。
レイは、考えれば考えるほど深い迷いの森に落ちて行く思考をどうすることもできずに、いつまでも暗い倉庫に立ち尽くしていた。
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