遠すぎた橋 【『軍神マルスの娘と呼ばれた女』 3】 -初めての負け戦 マーケットガーデン作戦ー

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30 11月21日 交渉

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 11月21日。

 帝国がチナ王国に宣戦を布告してから三週間が経った。

 開戦初日に海軍と海兵隊によって占領された、ハイナン諸島の最大の島に急遽造成された滑走路。そこに偵察機が一機、着陸した。

 滑走路わきにタクシングしてきた偵察機の後部座席から、ダブダブの飛行服にゴーグルを着けた男が一人、降りて来た。

「キャプテン、ありがとう。ちょっと寒かったけどいいフライトだったよ。カプトゥ・ムンディーからここまでたったの3時間。悪くないね」

 機長はその乗客に敬礼し、謝辞に応えた。

 乗客は副操縦士の助けを借りて偵察機の腹から大きなバッグを取り出し、ちょうど迎えに来ていた海軍の四輪駆動車に荷物を載せた。

 その助手席で、乗客はゴーグルを外した。

「港までは10分ほどです、閣下」

「そうかい」

 車を運転しているのは、開戦と同時に軍務に復帰を志願した予備役海軍曹長の大男だった。彼は乗せている賓客が誰かは知っていた。たった二か月半前にこの島と半島との間の海峡で乗っていた戦艦が拿捕されかかった。その場所で、このような帝国の顕官の運転手を務めることになろうとは夢にも思わなかった。

 占領したばかりで桟橋も建設途中だし浚渫も未だ完了していない。そこかしこで重機や浚渫船が忙しく立ち働いている入り江の、浮桟橋の先まで車は走った。そこに帝国海軍第一艦隊の通報艦リュッツオーが舫を繋いでいたのである。

 車は通報艦の横に停まった。帝国の顕官は礼を言った。

「ありがとう、曹長」

「どういたしまして、議員閣下!」

 賓客は大きなバッグを抱えて車を降りていった。

 ヨードル予備役曹長は長い艦隊勤務で見慣れた快速の帝国軍艦に乗り込んでゆく皇帝陛下の子息、元老院議員の後姿に海軍式の右手を額に翳す敬礼を送り、リュッツオーの乗組員たちが同じ敬礼で彼を迎えるのを見守った。

 思えば二か月前、元老院であの子に鉄十字章を授けたのは、今助手席に乗せて送り届けたこのヤン閣下であった。ヨードルもまた帝国中に伝わったそのニュースに接し、まるで自分の娘が褒章を受けたように思え、大いに誇らしい気持ちになったものだ。

 あの子は、ヤヨイは今どこで何をしているのだろう。

 そんなことを思いつつ、ヨードルは車をバックさせてその大きな島に設けられた海軍の詰所に戻って行った。


 

「舫解け! 機関後進微速、取り舵!」

 ヤンを乗せたリュッツオーは直ちに出港した。

 艦長のヘイグ海軍大尉はひげ剃り跡の濃いマッチョな男だった。彼だけではない、この男だらけの小さな艦の全員がみなきれいに髭を剃っていて、それが妙にヨレヨレのネイビーブルーの軍服にミスマッチしていた。ヤンは知らなかったが、今朝急遽元老院議員を乗艦させることが伝えられ、誰言うこともなく皆一斉に居住区や甲板に出て髭を剃っていたのだった。艦長だけでなくみなやたら威勢がよかった。それだけで困難な交渉に臨む彼の励みになった。

 小さな通報艦だから会議室とか貴賓室のようなものはない。ヤンは艦長室に案内され、着替えを始めた。

 ドアがノックされた。

「閣下、よろしいでしょうか」

 マッチョの艦長がドアの外から何やら言っている。だがエンジンがうるさくてよく聞こえなかった。

「どうぞ」

 ヤンはドアを開けて彼を迎えた。

「ああ、か、閣下。只今旗艦ミカサより、つ、通信が、入っておりますっ!」

 ミカサ事件の折には八面六臂の活躍をし、艦隊司令にさえ時として不遜な態度をとることもあるヘイグだったが、帝国皇帝の子息にして元老院議員をも務める顕官を乗艦させるという一事に一気に舞い上がって緊張してしまい、一水兵のようにカチカチになってしまっていた。

「ありがとう艦長、で、なんだって?」

 ドアを開け放したまま、ヤンは飛行服とブーツを脱いでテュニカだけになり、カバンからきちんと畳まれたトーガを取り出した。

「て、敵の交渉役がミカサに到着したとのことでありますっ!」

「そう。じゃあ、副長の、チェン中佐、だったかな。彼に面通ししてもらってくれればいいと伝えてくれたまえ。彼は以前彼女に会っているからね」

「・・・直接お出にならないので?」

「それで十分だよ。あ、艦長。悪いけどチョットだけこの端っこ持っててくれる? これ着るのがとても面倒なんだ」

 帝国海軍一の快速艦は小一時間ほどで洋上に停泊する帝国最強の海上部隊である第一艦隊四隻の旗艦ミカサに接舷した。

 純白のトーガに身を包んだ帝国の『国務長官』ヤンは、上甲板に整列する紺の軍服たちの敬礼に迎えられた。波は穏やかだが海上は風が強かった。ヤンはせっかく整えたトーガの襞を煽られぬよう左手で抑えつつ、ミカサの艦上に姿を現した。

 連合艦隊司令長官フレッチャー中将が敬礼し、ヤンを出迎えた。

「閣下、ようこそミカサへ」

「フレッチャー長官。先のハイナン諸島の攻略ではご苦労でした」

「いえ。・・・さっそく臨まれますか?」

 交渉の場に、である。

「副長のチェン中佐は、なんと?」

「本人に間違いないそうです」

「ならば、問題ありません。行きましょう。提督、同席を願います」

「かしこまりました」

 交渉の場には艦隊司令部の幕僚室が充てられた。ミカサ事件の折には当時の司令長官ワワン中将やミカサの幹部士官らが監禁されていた部屋である。ヤンは手櫛で海風で乱れた髪を鋤き、幕僚室に入った。

 その大きな海図台の上の海図は取り払われ、右手の側に黒髪をキリリと結い上げ紫の軍装に身を包んだ、ヤンと同じ民族である秀麗な女性と、同じくらいの歳の男が座っていた。彼らはヤンの入室に合わせて席を立った。

 ヤンはフレッチャー中将と並び海図台を挟んでチナ側の交渉役たちと向かい合った。

「帝国皇帝の名代である、元老院議員のヤンという。こちらは帝国海軍連合艦隊司令長官フレッチャー中将。この交渉での我が帝国の立会人である」

 右手の手首の無い、アルカイックで魅惑的な眼差しの女は強かな表情を見せて立っていた。

「ミン・レイだ。アイエンからナイグンまでの長(おさ)を務めるミン家の娘である。こちらはアイホー防衛に当たる頭を務めるクオだ。同じく立会人である」

 交渉中は互いに攻撃を見合わせているとはいえ交戦中の関係である。握手はしなかった。

 両者とも無言のまま席に着いた。

 先に口を開いたのはチナ側からの申し出を受けた帝国側のヤンだった。

「これから交渉に入るわけであるが、それに先立ち、まず申し上げたい。

 本官は、貴殿が交渉のために我が帝国の領土である本艦の艦上にご足労頂けたことに感謝と敬意を表するとともに、本交渉の結果によらず、交渉中はもとより交渉終了後も貴殿の身柄の安全に責任を有し、貴殿方を貴家の地にお送りする意志と義務を有していることをここに申し上げるものである」

「忝(かたじけな)い。ご配慮に感謝する」

 ミン家の娘は簡潔に謝辞を述べた。

 ヤンもまた、ウム、と頷いた。

「さて、本交渉の進め方と前提について我が方の考え方をご確認願いたい。

 条項を分けて申し上げる。

 一点目は、貴殿が帝国語を話すのを知ったので本交渉においては通訳は置かなかった。それをご了承いただきたい。

 二点目。貴殿が我が諜報員に申し出を託されたご本人であるか否かの確認。

 三点目は、本交渉が妥結した場合取り交わされるであろう証書は帝国語とチナ語で正副本各一通ずつを作成し取り交わすものとしたい。

 四点目。現在までのところ停戦に関する協定は順守されていると報告を受けている。そのことについて貴家の側も確認しているとみなしてよいか。また我が帝国は貴家の停戦監視員を受け入れる用意がある。貴家のお考えを伺いたい。

 最後に、五点目。

 アルムのチナ側勢力の停戦効力開始はいつになるのか。それ次第では、この交渉の効力に影響が出て来るが、それは了承しているか。

 まずは以上五点につきご確認、及びご回答願いたい」

 交渉がどちら側の言語で行われるか。またチナ側のいや、ミン側の申し出に基づいての交渉であること。お互いに現時点での協定違反行為がないこと。そして、今だ停戦が確認されておらず、補給も完了していないアルムの空挺部隊に対する手当の目途を交渉前に確認することは後になって問題が起きないようにするための重要な要件だった。いわば交渉の本題に入る前の予備的基礎的な確認だった。

「回答する」

 ミン・レイの反応は早かった。その程度のことは既に考慮済みであると察せられた。

「使用言語は帝国語で構わないし証書の件も了解する。またわたしが貴国の諜報員に申し出を託した本人である。こちらとしても現時点では貴軍の協定違反行為は確認されていない。監視員はお互いに無しとしたい。わが方は主筋であるチナ側に内密でこの交渉に臨んでいる。交渉が不調に終わった場合の手続きが面倒だからだ。

 最後のアルムの件だが、現在我がミン家当主からチナ王国中枢にアルムの王党軍の東への転戦を要請する形での工作を始めているところである。アルムの結果次第でこの交渉結果が左右される件については了承する。

 当家もまた本交渉に誠実に望んでいる。故にチナ本国への工作も偽計ではない。仮に本交渉がお互いの理解を深め実りのあるものになったとしても、アルムの一件が遺憾な結果に終わった場合のリスクは承知する。そのことで、我が方を信用いただきたい」

 もとよりアルムについてはミン一族の管轄外であることは知っていた。だからあまり期待していなかった。

 ミンの側にすれば、今出せるだけの兵を出し切っていて後がない。アイホーが敗れれば残りはナイグンのみ。自領のほとんどを失ってしまうことになる。だから今頑強に抵抗しているのだ。帝国にしても、急がねばアルムの空挺部隊が干上がる。それに国庫ももたない。お互いに交渉妥結を急いでいる。利害が一致しているからこそ成立する交渉だった。

「よろしい」

 と、ヤンは言った。

「それではこれより、貴殿の申し出につき、討議を始めたい」

「同意する」

 ミン側も頷いた。

「だがその前に、」

 とヤンは言った。

「以下をご承知おき頂き、本交渉における土台としたいので申し上げる。

 我が国がチナ王国に対して宣戦を布告した、そもそもの理由についてである。

 過去度重なるチナ国からのサボタージュを受け、さらに貴国による我が帝国の貴重かつ重要な資産である軍事情報の盗奪が横行し、極めつけはわが帝国の一要塞にも等しい最新鋭戦艦を奸計によって拿捕せんとの試みがなされたが故である。我が帝国のチナ王国への宣戦の大義はまず妥当なものであると思う。

 しかも、チナ王国からはそれらの行為に対する謝罪と賠償についての誠実な回答も得られなかったばかりか、またも謀略によって犯跡を眩まそうとの試みまでなされるに至ったのは甚だ遺憾の極みである。よって我が帝国は止むにやまれず貴国に対し膺懲の軍を起こしたものである」

 ヤンは目の前の女がその張本人であることを知っていてワザとミカサ事件に言及した。この挑発ともとれる言葉を敢えて吐いたのは、目の前の女が、一時の感情で激高し大事を誤る人物かどうか、見極めたかったからである。自らの宗主国を裏切って裏交渉しようなどと言う勢力と相対するにはよほど警戒してかからねばと思っていた。だが、その態度によっては手を組める相手かどうかがわかると思ったのだ。

「また、この度は貴家の申し出に基づき本交渉の場に臨んだが、仮に本交渉が不調に終わった場合でもわが帝国の本戦争目的を達成する意志はいささかも変わらないことを特に申し上げたい。

 わが帝国が本戦役に投入した戦力は我が国の持てる全ての戦力のまだごく一部である。本国にはまだ十分な予備兵力があることを申し添えるものである。

 また、交渉条件文にも認めた通り、我が帝国は貴家の領地のみならず、チナ王国の主要都市を全て灰燼に帰することのできる戦略爆撃の意志も能力も有している。その能力の一部を使用して先にわが空挺部隊を貴家やチナ王国の領土内に降下させているから敢えて証明の必要もないことと思う。であるにもかかわらず現在その能力を行使しないのは、この戦争に一般人を巻き込みムダな犠牲を生むことを避け、もって戦後の経営を円滑に行いたい希望が我が帝国にあるからである。不遜に聞こえるかもしれないが、事実である。

 以上をご承知置きいただきたい」

 それは脅しだった。傲岸な言い方であることは承知していた。だが、これを言明しておくことは交渉を有利に進めるうえで是非とも必要なことだと思っていた。

 ミン・レイは、微かではあるが明らかな焦りの色を浮かべていたのを見て取った。だがその声音にはいささかの震えもなく、落ち着いて理性を保っているように見えた。

 これなら話ができる。ヤンは思った。

「貴国の我がチナへの宣戦理由。貴国の戦争継続の意志と能力、そして貴国のご配慮について了承した。

 ご納得いただけたなら、そろそろ本題に入りたいのだが」

 ミン家の娘はさすがに焦れて、言った。

「承知した」

 ヤンも応じた。

 これで戦うリングは整った。
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