遠すぎた橋 【『軍神マルスの娘と呼ばれた女』 3】 -初めての負け戦 マーケットガーデン作戦ー

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37 墜ちた舟

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 日暮れ前にミンの里に着いた。

 城郭のそこかしこには既に軍装を整え終わった兵たちが出発の号令を待っていた。アイホーの増援として出向く兵たちは一万余り。ミンの最精鋭にして、なけなしの予備軍だった。これが出払ってしまうと、もう後がなかった。

 父は常の三の廓の屋敷でなく、幹部の兵たちが出入りする二の廓で軍装を整えているところだった。恐らくはレイを待たずに自ら増援を率いて出陣するつもりだったのに違いない。

「遅いぞ、レイ!」

 仁王立ちしていくさ装束を身に着けさせている父の前に膝をついた。

「はっ! 帰着が遅れまして。父上、しばしお時間を」

「構わぬ。ここで聞く。首尾を申せ」

「帝国と妥結に至りましてございます」

「して、どのようにまとめたのだ」

「我がミンは帝国がアルム攻略後にアルムの統治権を得、その周辺の地を所領に加える旨約定を交わしてございます」

「アイエンからゾマの地はどうなった」

「・・・父上。そこは考えようでございます。その地を帝国に与えたとてそれ以上の利が得られるのでございます」

「わしの問いに答えよ、レイ! 」

 ミンの統領は居丈高に声を張り上げた。声が裏返り、唾が飛んだ。かつて一族を率いていた頃のあの野太い声は既に消えていた。老いて自制の利かない老人の醜い咆哮がそこにあった。

「今帝国の者どもが居座っているアイエンからゾマの地は、戻って来るのか来ないのか!」

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、でございます父上。今の我らにはそれを取り戻す術はござらん。今は帝国に実を食らわせ、後にそれを上回る利を得る道理でございます!」

「もうよい、下がれ」

「よくはありません! 目をお覚ましなさいませ、父上。今は帝国につき、帝国の力を持って長年の宿痾であるチナとの関係を清算すべきなのです!」

「下がれと言っておる! アイホーにはわし自ら望む。お前はどこへなりと行くがよい」

「父上!」

 レイは左手で半月刀を抜き、構えた。

「こやつ・・・。実の父に向かって謀反を起そうとてか。皆の者、出会えっ!」

 周囲の兵たちがぞろぞろと集まって来た。

「お前たち、レイをひっ捕らえろ。この父に、ミンにたてつく謀反人であるっ!」

 兵たちはレイの背後から間合いを詰めた。一触即発の張りつめた空気が漂った。

 もはやこれまで。そう思った。

 だがその張りつめた空気はすぐに消えた。

「お前たちっ! 何をしておる、捕縛するのはこやつぞっ!」

 兵たちはレイを過ぎてミンの老いた統領を取り囲んだ。

「お屋形様。我らレイ様を頭と頂きお下知賜りたくありますれば、お屋形様には心安く置かせられ、この里にて吉報をお持ち下されたく・・・」

 兵たちを指図したのは長年ミンに仕える馬(マー)という老いた家老だった。彼はレイが苦労して帝国と話をしに行ったのを知ってくれていたのだ。兵たちをしてレイの父を取り囲ませ、片膝ついて礼をとった。

「レイ様、今のうちに。お屋形様に代わって兵をお率い下され!」

「マー! 出過ぎた真似をっ!」

「心得た、マー。父を頼む」

「畏まってございます! ご存分にお働きを!」

「待て、レイっ! 待たぬかっ!」

 兵たちに取り押さえられる老いた父を尻目に、レイは館を出た。

 レイにはマーの気持ちが良く分かった。彼は決して父を裏切ったのではなかった。長年仕えた主人であるレイの父の老醜を家の内外に晒したくなかったのだ。これもまた忠義であると。

 老いては子に従え、という。ミンの統領は一族で唯一帝国の恐ろしさを肌で知る娘の意見を聞くべきであった。だがすでに命は下された。故にここはレイが父の意を汲み、帝国に対さねばならない。そうでなければここまでミン一族を支えた者達への義が通らぬ。アイエンからゾマの地を故郷とする兵たちの義を喪えばミンは崩壊する。レイはそれを良く知っていた。それらの兵たちが反旗を翻した形での自壊を招くことはレイにはできなかった。

 ミンは親への孝と義のために滅びようとしていた。おおかたこのような仕儀に落ちるだろう。それがわかっていたからこそ、クオを一人アイホーに先行させたのだった。果たしてレイの、そして敵の将であるヤンの予測は当たった。ミン一族は時勢の変化に際し自らを変えることがついに出来なかった。

 廓を出る間際、城の普請を補強しようと杭を打つ人足を目にした。馬の背に載せたままだった、帝国の宰相からの贈り物を取り出し、中の通信機を彼の前に放った。

 ガシャンッ!

 通信機の基盤はそれだけで破損し、中の配線が断たれ、使い物にならなくなった。

「おい。その槌でそれを打ち壊せ」

「はあ・・・」

「もう我には用の無いものだ。その槌で、それを打て」

 何も知らない人足は言われた通りに通信機を打った。最初の一撃でそのカバーはひしゃげ、中の基盤は今度こそ粉々に飛び散った。それを見届け、レイは声を張り上げた。

「皆の者、行くぞ! 向かうはアイホーだ。ミンの底力、帝国の者どもに見せつけてくれようぞ!」

 オーッ、と上がった兵たちの鬨の声を背に、レイは進軍を開始した。

 道すがら、馬を御しつつ組頭の一人を呼び、こう告げた。

「アイホーとナイグンに早馬を出せ。農民兵を落ちのびさせよと。これからのいくさは正念場だ。農民どもは足手まといになる。」

「御意!」

 レイは覚悟を決めた。

 ミカサを巡る戦いでは目的があった。だからその目的達成の望みが絶たれたときは躊躇なく逃げた。

 だがこのいくさには目的がない。勝つ見込みもない。あえて言えば意地を見せるだけ。ただ兵を殺すだけの戦いだ。もう逃げる必要はどこにもなかった。「玉砕」という言葉がかつてヤーパンという国にあったと聞いたことがある。随分と景気のいい言葉だが、自滅の言葉をただ聞こえのいいように言い換えたものに過ぎない。だが今は、あえてその「玉砕」とやらに洒落てみようと思った。そうすれば、そのようにして自分の骸を目にすれば、娘の右手を喪っただけでは覚めなかった父の頑迷な目も覚めることだろう。覚めたところで、もう遅いのだが。

 死を覚悟した兵は強い。

 帝国は、そうした決死の、最強の兵たちを相手にすることになったのだった。


 


 


 

 井戸の傍で自分の服を洗濯していたタオは聞き慣れない空からの音を耳にし、盥から身を起こした。

 ゴォーンッ・・・。

 なんだ、あれは・・・。

「おねえちゃんっ!」

 慌てて家の中に飛び込んでヤヨイに訴えた。

「おねえちゃんっ! 大きな芋虫が飛んでくるっ!」

「なんだなんだ?」

 兵たちが窓の外を見れば、二隻の飛行船が東からゆっくりとやって来るのが見えた

 ヤヨイも船を見上げた。きっとまたアルムに投下する補給品を積んでいるのだろう。停戦してからアルムに向かう飛行船の飛来はこれで二度目だった。

「前回のは風で流されてほとんどがチナ兵側に落ちたらしい。回収しようとした際に少なくない被害も出たと。やはり4000メートルからの落下傘の投下は無理があるな」

 カーツはここのところ頻繁にアルムの通信をモニターしていた。たった一本隣なだけの川なのに、ここナイグンとアルムとでは状況が違い過ぎた。交渉のための停戦がミンの支配地だけに為されていた結果ではあったが、ナイグンだけが潤沢に補給を受けられているのが申し訳ないような気持がしてきた。

「気の毒です」

 ヤヨイは言った。

「ミンは本気でチナと対する気が無いのかもしれんな。停戦の打ち切りは近いかもしれん」

 と、二階で無線機をモニターしていたグレタが降りて来た。

「大隊長殿、飛行船から通信が」

 カーツの後を追ってヤヨイも二階に上がった。その後をタオも追いかけて昇って来た。ヘッドセットをカーツと分けた。

「五番船より『大工』と『学者』、並びに『渡り鳥』へ」

「こちら『大工』」

「只今より投下を開始するが、つい先ほどチンメイ山脈の南より軍勢が南に向かったのを視認したので通報する。方角からして行く先はアイホーと思われる、総数は約六千から七千」

「『大工』了解した」

「『渡り鳥』了解。『猟犬』と『庭師』にも通報する」

「『学者』了解した」

 ヘッドセットを外したカーツは舌打ちした。

「思った通りだ」

 タオも彼を真似て顎に指を添えチッ、と言った。

「おもった、おもった」

「どうやら交渉は決裂したようだな」

「おもった、おもった」

 カーツとタオはお互いをにらみ合った。


 

 しばらくして再び五番船から通信が入った。

「投下を終えた。これより帰投する」

 ヤヨイは外に遊びに出たタオに声を掛けた。

「タオ。また空飛ぶ芋虫が見られるわよ」

「どこ?」

「西の空よ」

 タオはカーキ色のテュニカがお気に召したようだ。小さな帝国兵は信管と火薬を抜いた50ミリ砲弾で城を作っていた。その手を止めて西の空を仰いだ。

「ねえ、お兄ちゃん(Bruder)、」

 タオはまたもや湯に浸かっているヴォルフガングに窓の外から呼びかけた。利発な子だった。兵たちの使う帝国語の片言を瞬く間に覚えてしまった。

「Was? なんだ、タオ」

「あの芋虫の片方、おかしいよ」

「はあ?」

 ヴォルフガングは素っ裸のまま風呂の窓から首を出し、タオの示す方角を眺めた。二隻の飛行船が西から戻ってくるところだった。

「わかんねえよ。帝国語で言えよ」

 そこまではまだタオの手に余った。

 二隻の飛行船は並んでナイグン上空を通過したが、そのうちの一隻が徐々に高度を落としていた。

「あれ、落ちるよ」

 一隻が次第に高度を下げ、地表に近づいていった。

 二階ではカーツとヤヨイとグレタが飛行船の通信をモニターしていた。

「水素発生装置の異常、修復不能。アイホー付近に不時着する」

「六番船、通信を続けろ! バラストを落とせ!」

「バラストは全て・・・」

 ズズ・・・。

 突然、通信は切れた。

「あ!」

 タオが声を上げるのと飛行船を見上げる彼の顔がまるで夕陽に照らされたように赤く染まるのとが同時だった。

 飛行船六番船は突然真っ赤に炎を上げたかと思うと風がどおーん、という遠い爆発音を運んできた。空飛ぶ巨大な芋虫は船体を二つ折にしてはるか東の地に落ちていった。

「六番船が攻撃を受けた。繰り返す。六番船が地上より攻撃を受け炎上、墜落した!」

 二階の三人も、「覗き魔」の丘でも、「学者」大隊の各小隊の拠点からも多くの兵がその光景を目撃した。

 カーツはすぐさま無線機に取りついた。

「こちら『学者』。各小隊に告ぐ! 敵は停戦を破棄した模様。『覗き魔』、北方への警戒を厳とせよ。各小隊も北方並びに南方への警戒を厳とせよ!」

「タオ!」

 ヤヨイは外に出ているタオに呼びかけた。

「おうちに入りなさい! いくさが始まるよ」

 およそ戸外で遊ぶ子供に掛ける言葉ではなかったが、それが今この場に訪れた現実だった。
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