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36 もう一つの工作と交渉
しおりを挟むヤーノフとアレックスは小学校の教室の後ろに立って、授業を参観していた。
「その昔、人々は高い文明を愉しみ平和に暮らしていました。
ところがある日突然、空が暗くなりました。大地が揺れ、大津波が襲い、地が火を噴きました。温暖だった土地は急激に冷え、街も野も山も海も瞬く間に凍り付いてゆきました。
人々は恐れおののき、自らの行いを悔い改め始めました。
『最後の審判だ!』
人々の多くは聖書を、イエス・キリストを信じていました。その聖書に謳われた「最後の審判」が来たのだ。誰もがそう思いました。
しかし、神を信じている者もそうでない者も、皆凄まじい寒波に耐えきれずバタバタと倒れ死んでゆきました。
このままでは皆死んでしまう。
そう思った祖先たちは住み慣れた土地を捨て、それまでと違う道を辿るようになった太陽の示す南に向かって歩き始めました。
南への道は困難を極めました。
それまでの地図はまったく役に立ちませんでした。山は裂け、湖は干上がり、平野は海に沈み、海は火を噴いてドロドロに煮えたぎった溶岩を噴き出していました。土地は荒れ、食べ物も飲み水もありませんでした。やっとたどり着いたと思った土地も暴徒や野蛮人に襲撃され、再び安息の地を探さして歩き出す。人々は何度となく同じことを繰り返しつつ、団結して南を目指し、歩き続けました。
長い間、困難な道を歩き続けた人々の前に、ある日緑の平原が現れました。そこは野生の馬や羊たちが溢れ、大地は命の輝きに満ちていました。
ここが安息の地だ。我々はここに国をつくり、命を育むことにしよう。
その地がやがて帝都となり、誰言うこともなく『世界の首都』カプトゥ・ムンディーと言い慣わされるようになってゆきました」
その女の子は朗読を終えると席に着いた。
「これが何年生だって?」
傍らで朗読の内容を小声で訳していたアレックスに、ヤーノフもまた小声で訊いた。
「3年生。みな八つか九つの子たちだ」
ヤーノフは驚きの目で教室の子供たちを見回した。
一番後ろの席の女の子がヤーノフを振り返って奇妙な笑顔を作り、肩を竦めた。隣の男の子がその子のテキストになにやら鉛筆で落書きをしているのに気づくといきなり彼の頭をひっぱたいた。
「そこっ! ジェシカ! 授業中ですよ」
教壇の女性教師が注意した。
「だって、先生! マルコがあたしの本に落書きをするんです!」
「ぼくはジェシカがよそ見をしているので注意したんです」
男の子は悪びれるでもなく、そう嘯いた。
「二人とも、お客様の前で恥ずかしいと思いなさい。罰として放課後のお掃除当番は二人に命じます。いいですね」
そのやりとりをアレックスに通訳してもらい、何故かホッとするヤーノフだった。
小学校を辞すると、マギーの待つ馬車に戻った。
「どうだった? 小学校の授業は」
ガムをにちゃにちゃさせながら問いかけるマギーに、ヤーノフはまだ驚きから覚めやらぬ体で答えた。
「来年12になり初陣を迎えるオレの息子たちよりも小さな子供たちが文字を読み、この国の歴史を学んでいる。しかも、オレの子どもたちよりも伸び伸びと、学校と生活を楽しんでいる。しかも、いくさの最中に、だ。これが帝国の力の源だと、思った。
こうあるべきだ、と思った」
マギーは頷き、言った。
「次はどこに行きたい? どこでもいいわよ」
ヤーノフとアレックスの二人の肌の青い男と、謎の中年女マギーを乗せた馬車は元老院前の広場に着いた。馬車は広場に乗り入れ、巨大なエンタシスの立ち並ぶ石段の前に着けた。すぐに普通のヘルメットを被った衛兵がやってきた。
マギーはここでも顔だった。小学校の事務室でやったように二言三言のやりとりだけで、ヤーノフは見学を許された。
「あいにく議会は閉会中なの。議員は誰もいないけど議場は見られるわ」
「かまわん。それでもいい」
一行は石段を登りエンタシスの中央に立った。すると議場の奥から息子のボリスやミハイルほどの白いテュニカを着た男の子がやってきて一行に挨拶した。
「ようこそ帝国元老院へ。廷吏のジョン・ケネディと申します。わたしがご案内します」
彼の存在はまたもヤーノフを驚かせた。
「ジョン、きみはまだ子供だよな」
アレックスの通訳で少年は答えた。
「わたしは帝国立第一小学校の六年生です。校長から推薦されてこの仕事をしています。他の十一人の廷吏と同じで学校と掛け持ちなので、ちょっとキツイですけど」
そう言ってジョンは栗色の髪の下のソバカスだらけの顔をクシャクシャにした。
そしてヤーノフはジョンの案内で議事堂の中央、演壇に立った。そこから議場を見渡した。演壇を中心に扇状に広がる長椅子。それは荘厳ではあったが、予想外に簡素な眺めだった。あのクーロン飯店のインペリアル・スイートの調度に比べれば、はるかに質素だ。
「ここが帝国の、政治の中心なのか・・・」
ヤーノフは、呟いた。
「皇帝の玉座はどこにあるのだ」
周囲をキョロキョロ見回しつつ尋ねた。強大な帝国の皇帝ならばさぞ絢爛豪華な玉座に座るのだろうと勝手に思っていた。
「そこです」
アレックスの通訳を聞いたジョンは、中央の通路で分けられた最前列、向かって右の長椅子の端を指した。
「え? そこ?」
そこは何の変哲もない、ただの木の長椅子でしかなかった。しかもその端っことは。
「やんごとなき帝国皇帝陛下であっても、他の議員の演説を他の議員と同じように見上げて聞くのです」
ジョンは説明した。
「でも王冠とかは着けるのだろう。豪華なローブとか、杓とか・・・」
「いいえ、何も。皇帝陛下も他の議員と同じ白いトーガだけで着席なさいます。ただし、議場に入るときと出るときは僕たち廷吏が付き従います。他の議員と違うのは、それだけですかね」
演壇で驚き呆れるヤーノフを、マギーは最前列のベンチから微笑ましく見上げた。
「驚いた?」
「驚いた」
ヤーノフは皇帝の座席に座り、演壇を見上げた。そこからの眺めはけっして気持ちのいいものではなかった。演説する者からは見下ろされる位置にある。むしろ、圧迫感さえも感じる、どちらかと言えば居心地の悪い場所だった。
「この強大な帝国の支配者の座が、こんな場所とはな・・・」
「でもね、」
隣に座ったマギーはヤーノフにガムを勧めつつ、説明した。
「帝国皇帝には様々な特権があるの。
皇帝であると同時に元老院の第一人者として、議事の最初と最後に発言する権利がある。議決に対してのVETO、拒否権もある。その二つの権利だけで、この帝国最高の議決機関である元老院を支配できる。国家の祭儀を執り行う最高神祇官も兼ねているし、身体不可侵の特権も持っている。
そして陸海の帝国軍の最高司令官でもある。帝国の総兵力は約30万。その頂点が帝国皇帝なの。
今、あんたが座っている席に座る皇帝陛下は、間違いなくこの世界の最高の権力者よ」
ヤーノフは演壇の背後にある鷲の紋章のレリーフを見上げた。
「帝国皇帝とは、どのような血筋なのだ。きっと神の末裔とかではないのか」
アレックスの通訳を受けたマギーは穏やかに首を振った。
「今の陛下は浅黒い肌に黒い髪の、痩せぎすだけどがっしりした体躯のお方よ。陛下が即位されてから七年になる。その前の金髪の、ちょっと太り気味の白人の陛下よりもいい男であることは間違いないわ」
「・・・ということは何か? 帝国の皇帝とは、世襲ではないのか」
「全然。帝国皇帝は元老院議員の中から選挙で選ばれる。あるいは、元老院議員の中の一人が皇帝の養子になる。その承認を元老院が行うの。皇帝の拒否権はその時だけは行使できない。そういう意味では、皇帝よりも権力のあるのは元老院かも知れないわね」
「会ってみたい」
ヤーノフは言った。
「帝国皇帝に会えるか?」
マギーはまたもや首を振った。
「ごめんね。それだけは、無理だわ。でも・・・」
彼女はバッグから懐紙を取り出して噛んでいたガムを包んだ。
「皇帝の息子には会えるかもね」
「皇帝の、息子?」
「事実上のこの帝国の今の支配者よ。あたしは彼の指示であんたを案内してるの。あんたが望むものを全て見せるように、ってね。彼なら、あんたに会いたがると思うわ」
そう言って懐紙を差し出した。
「ガム、その辺に捨てないでね」
彼女のドスの利いた声に、青い大男は思わず噛んでいたガムを呑み込んでしまった。
リュッツオーに移乗する前に、ヤンは第三軍の司令部とアイホーの最前線にいるフロックス少将に連絡をした。交渉決裂の可能性が大きいことを伝え、再進撃に備えるよう警告するためである。
「渡河の算段はつきましたか、オーバー」
「『無法者(バンディット)』の猟犬ですから、万難を排して何が何でも遮二無二突破するでしょう」
フロックス少将のユーモアは交渉に疲れたヤンを励ました。
「アルムに対する補給は今もはかばかしく行っていないようですね。閣下の奮闘が頼りです。ご武運を祈ります。アウト」
クィリナリスにも連絡した。
「『マーキュリー』は発ちましたか? 」
「彼はすでにチンメイの北に到着しているはずです」
ウリル少将が直接出てくれた。
「やはり、手配をお願いしておいて正解のようでした。娘は先が見えているようですが、父親の方はどうも頑なのようです」
「そうですか。止むを得ませんな」
「これから戻ります。万事、よしなに」
通信を終えたヤンは先刻まで交渉の舞台に使われていた幕僚室を借りて飛行服に着替えた。暖かい南の海の上で着るには暑苦しい服だったが、あの緊張でカチコチになっていたリュッツオーのヘイグ艦長の居室を再び借りるのは気の毒に思えた。
身支度を終え取り交わした覚書をバッグに詰め、しばし舷窓からの北の眺めに魅入った。
レイはもう上陸しただろうか。
覚書を取り交わすことが出来たのは上々と言えた。この場で決裂してもおかしくなかった。あのレイという女はよく自制した。自ら提案してきただけのことはあったと思う。
彼女がどこまで父首領を説得できるかはわからない。だが帝国を預かる身としては、そんな不確かなものに国運を掛けるわけには行かないのだ。
あの帝国軍の将官にも匹敵する手腕は惜しいと思う。だからせめてもの餞別代りに通信機を贈った。彼女はその真意を正しく理解してくれただろうか。
この戦役の結果がどうなるかはまだわからないが、レイにはミンの遺領を任せられるだけの器量はあると思った。
ドアがノックされた。
「閣下、リュッツオーの準備が整いました」
先刻まで立会人を務めてくれたフレッチャー中将が入って来た。
「長官、いろいろありがとうございました!」
ヤンはエネルギッシュな提督を労った。
「とんでもございません。閣下こそ、お疲れでしょう」
「いいえ。最前線のアルムの将兵はもっと疲れていると思います。これしきは・・・」
そう言ってバッグを掴んだ。
「長官、お願いした件はいかがですか」
「ご安心を。すでに第七艦隊に手配済みです。命令あり次第、着手します!」
フレッチャー中将はヤンのバッグを取ろうと手を伸ばした。
「どうぞ、お気遣いなく。大切な書類ですので、自分で持ちます。では正式には統合参謀本部を通じて命令を行います」
「心得ました」
そうしてヤンはリュッツオーに移乗し帝都への帰還の途に就いた。
戦闘は再開されるだろう。だが願わくは一日でも長く休戦が維持され、レイが頑迷固陋の父首領を説得し得、アルムへの補給が円滑に為されることを祈るばかりだった。
ヤンの乗ったリュッツオーがハイナン諸島の飛行場のある島に向かっているころ、約二千キロ北のクンカー東方にある第二軍司令部に隣接された滑走路に、「マーキュリー」ことリヨン中尉の乗った偵察機が舞い降りた。早くも落ちかけていた秋の短い陽の下、飛行機はプロペラの逆回転によって滑走路上に薄く積もった雪を舞い上げ、駐機場に止まった。
司令部から迎えに出てきてくれた曹長と握手し、彼に手荷物を預け、曳かれてきた馬に乗った。外したゴーグルの下の顔はまだ壮年のままだった。整形で元に戻す余裕がなかったのだ。一度は覚悟をした命だったし、元より顔などどうでもよかった。
司令部から最前線までが全て地に掘った壕の中に入り、木炭で暖を取っていた。本格的な冬将軍の到来はまだだったが攻守いずれにせよ、いくさが長引けば長引くほど不利な状況になることだけは確かだった。目の前のクンカー市街には目立った敵の勢力がないことはわかっていた。クンカーの東に軸を置き、大きく北西に伸ばした翼である郊外のいくつかの拠点でもそれは同じで、第二軍全軍が大規模な進撃の構えを取ったまま、そこに居座っていた。
チナの部隊はクンカーの南に陣を張り、こちらの出方を伺っているのもわかっていた。それはクンカーを拠点とするドン一家の私兵であり、彼らはチナ本国の増援なしに第二軍と本格的な戦闘に入るのを躊躇っているのだ。自領の民よりも私兵の方が大事なのである。そこは彼らより武闘派であるミン一家よりもこすからかった。
シャルル・リヨンは司令部壕の中に招き入れられ第二軍司令官のハットン中将と幕僚たちにまみえた。
「昨日まで南の果てにいたと聞いた。今度は北の最果てとは。貴官は帝国一忙しい男だな」
シャルルの敬礼に応え、ハットン中将は握手を求めた。
「通達は済んでいると聞きましたが」
「済んでいる。あとは信号弾を上げるだけだ。もう、行くか」
「ええ。一刻の猶予もありませんので」
「ではな。貴官の無事を祈る」
そして飛行服のまま再び馬の背に乗り、司令部の士官に帯同され最前線を目指した。
彼の背負う背嚢にはヤン直筆の親書が訳文と共に入っている。彼のやろうとしていることはそれこそ一か八かのバクチのようなものだったが、やってみる価値はあるものだった。もしそれが成功すれば、アルムの空挺部隊が助かるだけではない。今回の戦役の帰趨が彼にかかっていた。
彼が最前線を超えるとき、背後で信号弾が上がった。帯同の士官の見送りはここまでである。
「貴官の無事と任務の成功を祈る」
見送りの少佐がそう言って馬を止めた。シャルル・リヨン中尉は振り返りもせず、右手をあげて応えた。そして既に陽が落ちて凍てついた道をクンカーの街目指して去っていった。
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