遠すぎた橋 【『軍神マルスの娘と呼ばれた女』 3】 -初めての負け戦 マーケットガーデン作戦ー

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43 別れの盃と無法者の作戦

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 帝都の内閣府の貴賓室からヤーノフがバカロレアのキャンパスを遠望しているころ。


 

 チナ南部沿岸地方は緩やかな前線の通過に伴い海から温かい湿った空気が北上して朝から小雨模様となっていた。

 その篠突く雨の中、アイホーのミン軍では朝から酒盛りが行われていた。

「皆の者! これまでのいくさ、大変にご苦労である。皆の奮闘により我が軍は大きな戦果を挙げることが出来た。さしもの帝国軍も我らに恐れをなして攻めあぐんでおるようにみえる。我も、里のお屋形も皆の奮励に大変満足しておる。

 そこで、お屋形より酒樽の差し入れがあった。せっかくのことゆえ、これより皆の日々の労苦に報いるため酒宴を設ける。皆存分に過ごすがよい!」

 ミン家の娘である一党の頭(かしら)レイが親しくアイホーの前線に現れ、兵たちの前で挨拶をした。雨は冷たかったがそれで大いに兵たちの士気も上がった。その上朝から酒の振る舞いとは。

 各幕舎にコウリャン酒の酒樽が配られ、いつもの糧食であるコウリャンを粉にして焼いたピンイン(ホットケーキのようなもの)の他に鳥やイノシシの肉が配られ、方々からそれらを煮込み焼く炊爨の煙が立ち上った。

 だが、突然の酒宴に大いにはしゃぎ酩酊しているのは若年の兵だけだった。長年ミン家に仕えてきた古参の兵たちはレイの言葉と振る舞い酒の意味がわかっていた。だから彼らは酒はそこそこに、もっぱら若い兵たちに食わせ飲ませる方に専念していた。

 レイは大振りの徳利を片手に方々の幕舎を訪れ、兵たちに手ずから酌をして回った。頭のそのような振る舞いは珍しく、兵たちは喜び、中には感激のあまり泣き出す者もいた。

 兵たちの幕舎を回り自ら酌をして回ることを勧めたのは、今までアイホーのミン軍をまとめていたクオだった。

「いきなり若い兵や古参の兵たちに落ちよというのは止めた方がいいと思います。むしろ頭が自ら兵たちに酌をして回れば、古参の兵たちならその意味を察するでしょう。彼らにも今までミンの家を支えてきたという自負、プライドがあるのです」

 レイは素直にその諫言を受け入れたのだった。

 レイが兵たちの幕舎を回っている賑やかな声を聞きながら、クオは自分の幕舎で酒瓶を二つ用意した。傍には従者がニ三人いたが、最も年嵩の四十がらみの男だけを残して後は席を外させた。

「シャオピン。今から我がすることは生涯他言無用だ。わかったか」

 クオは古参の従者に厳命した。そして酒瓶の片方に懐から取り出した小さな革袋に入った粉薬を振り入れ、蓋をしてシェイクした。

 やがてマントの雫を払いながら、レイが空になった徳利を下げてクオの幕舎に戻って来た。

「やあ。本降りになってきたな」

 レイは濡れたマントを脱いで従者に手渡し、クオのいるテーブルに座った。兵たちからもしたたかに返杯されたらしく、レイはいつになく紅潮し上機嫌でいた。

「いかがでしたか」

「うむ」

 レイは幼馴染の戦友に穏やかに微笑んだ。

「兵たちも喜んでくれた。お前の言った通り古参の者達は皆我との絆を再確認し、今生の別れを惜しんでくれたようだ。クオ、礼を言うぞ。これはいい趣向だった」

「それはよかったです」

 クオは応えた。

「頭、実はとっておきの秘蔵の酒があるのですが、お試しになられますか」

 クオは杯を差し出し、酒瓶から透明な液体を注いだ。

「なんだ、これは」

 訝るレイに、クオは言った。

「北の野蛮人が好む、ウォトカという酒です。北で採れる麦から作られた少しキツい酒ですが、上物です。でも、女性にはちょっとキツ過ぎるかもしれませんけどね」

「なんの、小癪な。ミンの娘を舐めるな」

 レイは気持ちよく酔った勢いで杯を取った。

 一気に煽った。酒精度の高い、火の出るような強い酒がレイの喉を焼いて胃の腑に降りた。

「・・・これは、・・・キクな」

「でしょう。これから始まるミン一族最後の大いくさ。気合が入るというものです。もうひとつ、どうぞ」

「うむ。・・・ありがとう、クオ。お前は我の唯一無二の友だ」

 そう言って再び注がれた杯も一気に飲み干した。

 と、

 突然ガクッと首を垂れたかと思えば、レイはテーブルに突っ伏して寝息を立て始めた。

 クオは瞬く間に寝入ったミン家の娘を見下ろし、立ち上がった。

「シャオピン。お前はこれから頭を連れて山に潜め。あらかたの事が終わったら東に落ち延びよ。帝国なら、頭を粗略には扱うまい。いいな?」

「クオ様・・・」

「悪いが、しばらく外に出ていてくれないか」

 従者を幕舎の外に下がらせると、クオはテーブルに伏しているレイの寝顔に顔を寄せた。

「レイ。死ぬのはオレだけでいい。お前は、生きろ。

 幼いころから、ずっと好きだった。願わくばオレの名を呼んで微笑んで欲しかったが、今生では無理だったな。もしも生まれ変わってお前が傍にいたら、その時は何があろうと絶対に妻問いをする。そして生涯添い遂げる。

 誰よりも愛している、レイ・・・」

 ミン家の若頭は初恋の首領の娘の唇に初めての、そして最後のキスを贈った。


 

 レイの身体を天幕で包ませ、シャオピンと二人がかりで運び出し馬に乗せた。

 ふいに、幼いころのことを思い出した。

 帝国兵の捕虜から教わったという、いにしえの王女の話をレイが得意げに披露し、自ら毛布に包まれてマネをして見せてくれたのを。クレオパトラという王女が占領軍であるローマの将軍の前にカーペットに包まれて現れるという話である。

「はは。まさかこんな時に思い出すとはな」

 思わず独り言がクオの口を突いて出た。

「は?」

 旅装を整えたシャオピンが問い返したが、クオは笑って首を振っただけだった。

「しばらくは目覚めまいが、安全な所まで出たら出してやってくれ。達者でな、シャオピン。頭を頼んだぞ」

 既に死を決した世界から頭を落ち延びさせよう。そんな若頭の意を察した忠実な従者は黙して頷き、手綱を取った。

 陣営地の門まで見送った。宴の最中でも任務を怠らない真面目な番兵が二人いた。

「シャオピンをナイグンへの使いに出す。門を開けよ」

 番兵に門を開けさせ、騎乗の従者と丸めた天幕を載せた馬とを門の外に送り出した。

「お前たちも飲んで来い。代わりの者が来るまで見張りを代わってやる」

 それで番兵も酒に預かることができ、クオも一人で愛する女の見送りが出来た。

 二騎の姿が雨に濡れる山裾の間に隠れるまで、ひとり、クオは陣営地の門の傍で濡れながら立ちつくした。

 


 


 

 天幕で包んだレイを伴ったシャオピンがアイホーの北の山に入ったころ。


 

「ヨシツネ」作戦に参加する空挺部隊の「にわか騎兵」約100騎と分解した10門の五十ミリ砲を積んだ荷馬隊が、徒歩の一個中隊に護衛されつつ雨脚の強くなった陣営地を出発した。砲を設置する山頂付近の平地までは徒歩で5時間ほど。途中で荷駄隊と別れ、空挺騎兵部隊はそこからさらに2時間ほどかけて出撃予定地点に向かう。馬蹄の音をさせぬよう馬は駆けさせない。到着は日付の変わった明くる24日午前三時ごろになる。第三軍の予報官によれば、夜明け前に雨は止むとのことだった。敵に気付かれずに接近するにはまことに好都合だ。

 

 完全軍装に雨除けのマントを着け馬の背に揺られつつ、暗いけもの道をゆく馬の列に連なるヘルムート・シュミット二等兵は実はあまり馬が得意ではなかった。

「乗馬は得意です!」

 多少のウソを吐いた。実際には徴兵で兵役に着く前に南の牧場で少しばかり牧童のアルバイトをした程度。落馬しなかったのは慣れた馬に気遣われたのもわからないぐらいのドシロートだった。それでも騎兵隊の話を聞くや居てもたってもいられずに真っ先に志願した。

 彼は気が気ではなかった。

 あのヤヨイ少尉が敵中のナイグンで、孤立無援で、戦っている。

 最初に荒野の駐屯地にヤヨイが現れてから、ヘルムートはヤヨイに恋をしていた。

 ブルネットの優し気な碧眼の美少女。純潔の白人にはない、どこか東洋の面影の見える美しい面立ちと華奢な身体に似合わない数々の武功の持ち主。そして軍人全ての憧れである「アイゼネス・クロイツ(鉄十字章)」の受章者というギャップ。ヘルムートはモロにハートを射抜かれ、惚れこんでしまっていた。

 それなのに運命はヘルムートを彼女の小隊に加えず、降下先も別れてしまい、彼が降下したゾマが早々に攻略されて以降は第六軍の歩兵師団に編入されて待機待機、また待機の日々を送っていたのだった。

「オレはこの作戦中に必ずヤヨイちゃんをモノにする!」

 降下訓練の駐屯地の宿舎で夜中に騒ぎリーズルに窘められていたのは何を隠そう、このヘルムートであった。

 彼女を思うだけで彼の□□が△△になり××しそうでたまらなかった。こんな雨などどうということはない。ああ。一刻も早くヤヨイを敵中から救い出したい!

「どうしたヘルムート。もう武者震いか」

 騎馬の隊列を前後しながら部下を気遣うグールド大佐に声を掛けられた。

「はいっ、連隊長どのっ!」

「気合が入っているのはいいことだが、この先は難所だ。昂奮して崖から落ちぬようにな」

 そのへっぺり腰で馬に慣れていないのは一目でわかる。だがグールドはそんな兵を見て見ぬふりをした。たった100騎で敵陣に突っ込む騎兵隊に志願したいなどという愛すべきバカ共は貴重だ。戦争は機械がやるのではない。人間の意志が敵を打ち砕くのだ。

 少しエロ惚けの過ぎる濡れたマントのバカの背をポンポンと叩き、グールドは難所に差し掛かる列の先頭に立つため馬を急かせた。


 


 

 そこから数十キロ離れたナイグンの拠点の一室でヤヨイはふいに目が覚め、むっくりと起き上がった。

「どうしたの?」

 ヤヨイもリーズルも降下後拠点に籠ってからは高いびきで熟睡などはしていなかった。いつ敵襲があるかわからなかったからだ。

「いや、なんか悪寒がしたの」

 傍らのクリスティーナやビアンカやグレタは気持ちよさげに夢の中にいる。そして昼間は気丈に振舞うタオだったが、夜はヤヨイの胸に抱かれて寝たがった。彼も静かな寝息を立てていた。

「ふふ」

 リーズルは腹ばいになって葉巻に火を点けスーッと煙を吐いた。

「おおかた、兵の誰かがあんたを思いながらセンズリでもこいてるんじゃないのォ?」

 他の兵たちがいないところでは、リーズルも年下のヤヨイにはタメ語を話した。

「ちょっと、リーズル! やめてよ」

 と、

 トントン、と女子部屋であるタオの部屋をノックする者がいる。

「ホラ。誰かが夜這いに来たかもよ」

 偵察部隊の射撃の名手はどんな時でも余裕綽綽であった。

「グレタはいますか。ラジオ(通信機)がガーガー言ってます!」

 それは夜這いではなかった。夜間の見張りに着いた兵の一人だった。

 ヤヨイは起きて通信機のある居間に行った。

 ヘッドセットを着け、周波数のダイヤルを「学者」大隊用のに合わせた。

「『覗き魔』から『学者』」

「こちら『学者』ヴァインライヒです」

「ああ、ヤヨイか」

 橋の西北の丘に籠るラインハルト・ウェーゲナー中尉だった。彼も他の指揮官同様カーツが不明になった後「学者」大隊の指揮を襲ったヤヨイを名前で呼ぶようになった。

「どうやら、おいでなすったようだ」

 と、遠い砲声が拠点にも聞こえてきた。

「聞こえるか? ついさっき北の奴らが一斉にこちら向かって動きだした」

「援軍が必要ですか?」

「いや、まだいい。少し様子を見よう。状況を伝えたかったのとそっちも警戒した方がいいと思って一報を入れた」

 カーツが倒れた後、動揺するかと思われた各小隊の指揮官たちはむしろ肝を据えて落ち着き払っているように見えた。

「わかりました。南や西が呼応する恐れもあります。こちらも警戒を厳にします。状況が変わったらお報せ下さい」

「わかった。アウト」

 異変を察して「マルス」の面々が起き出して来た。

「北の敵が動き出したようよ。みんなを起こして! 警戒態勢!」

 ヤヨイはパンパンと頬を叩き気合を入れて声を励ました。
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