ドMのボクと史上最凶の姉たち

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第二話 ぼくの幼馴染(後編の中)

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 その日からぼくの特訓が始まった。

 ユニフォームなんか間に合わないのでとりあえず学校の体操服のまま。スパイクだけは、

「足元は大事だ。慣れなくちゃいかん!」

 と先生が、いやもはや「監督」と呼ばなくてはいけなくなったオニヅカ監督が言うので監督のを借りた。

「せ・・・、監督。水虫持ってないですよね」

「・・・」

 何故そこで黙るんだ!

 多少の不信を抱きつつも、ぼくは借りたスパイクを履いてグラウンドに出た。


 

 特訓と言ってもYouTubeとかで見た往年のスポコンマンガのようにローラーを引いたり古タイヤを引っ張って走ったりうさぎ跳びをしたり、なんてことはない。他のメンバーと同じようなメニューでもない。なにしろ、時間がない。

 キャッチャーの3年生ミズノ先輩と軽くキャッチボールをこなした後はまずは20球ほど全力で投げ込んだ。

「いいぞ、ヤマト! 投げるほどに伸びてくる」

 ギプスの腕を釣ってない方の手でスピードガンを構えたスズキがニキビ顔を輝かせて叫んでいた。

 初日は投球はほどほどにして、残りは監督のノックで守備練習に加わった。なにしろ3年ぶりで感覚がサビついている。それに軟式ボールと違う硬球の感触にも慣れておかなくてはならない。ピッチャーゴロを捌いたりランナーを配置しての牽制球もやってみた。そうしてなんとか久々の「野球」を思い出した。

「ヤマト、給水しろ」

「肩も冷やしとけ」

 スズキや監督、他のメンバーたちも気を遣ってくれた。

 しかし、暑い。スタミナがないからすぐに息が上がって滝のように汗もかいた。

 グラウンド脇のベンチに引き上げて大きなウォータージャグから麦茶をゴクゴク直飲みした。

 高校野球の規定でベンチ入りできる人数は18人と定められているが、わが武相高校野球部はそれにも満たない総勢12名。ぼくの家政部に次いで人数が少ないのだ。マネージャーもいない。この麦茶だって、監督自ら職員用の給湯室でわざわざ煮だして作ってくれていると聞いた。それだけに、ありがたい美味さを感じる。

「ハイ、タオル」

 差し出されたタオルを受け取りつつ、

「ああ、ありがとございます」

 と礼を言い、でも、そこはかとない違和感を覚え、振り向いた。

「・・・ワカバ! お前、何してんの」

 なんと、制服姿のワカバが立っていた。

「応援しに来た」

 恥ずかしそうにして言った。

「はあ? だって、お前だって大会あるだろ」

「初戦敗退した。団体戦も負けたから、もうない。ハイ、これ」

 と、スポーツバッグから赤いバンダナに包まれたタッパーウェアを取り出して来た。開かれたその中身を見て、ぼくは幼稚園児が使った後の絵の具のパレットを連想した。

 辛うじてサンドウィッチであろうと判別できるそれは、レタスの緑とゆで卵の白と黄色そしてケチャップの赤がスクランブルぐちゃぐちゃになっていたのだ。しかも保冷材も使っていないからレタスは萎びてタッパーウェアにスキマがあるものだから形が崩れてしまっていた。コイツが珍しく朝早く起きていたのはコレのためだったのか。

 げえっ・・・。

「小腹空いたでしょ。食べて♡」

 困惑したぼくが躊躇していると肩越しに何本もの手が伸びて来た。

「ナニコレ、シバタの差し入れ?」

「気が利くじゃん!」

「もーらいっと」

 あっという間にタッパーウェアはカラになった。普段よほど貧しいモノを食っているのだろう。何も知らない野球部の面々に、ぼくは密かに感謝した。


 

 練習が終わったのはもう陽がとっぷりと暮れたころだった。

 習慣というのは恐ろしいもので、気が付くと自分の家の前にいた。

「おっと・・・」

 でも気になる。

 チョットだけ我が家の様子を見て行こうかな、と門の格子戸に手を掛けたとき、

「タケル」

 仕事帰りのひと姉が立っていた。

「どうしたの? 野球部の練習、終わったの?」

「うん」

「練習、たいへん?」

「まあね」

「で?」

「うん。・・・ちょっと寄ろうかな、って・・・」

 ジャケットを腕にかけた薄いブラウスのひと姉はフッと笑い、夏の夜風に靡く長い髪を掻き上げた。その仕草に、とても妖艶が感じがした。

「ダメよ」

 ひと姉は言った。

「区切りがつくまで、集中しなさい。そのために、チヒロさんも、学校のみんなも協力してくれてるんでしょう。

 タケル。

 男はね、ダメとわかってても、やらなきゃいけない時がある。

 あたしたちのことは気にしないで。集中して、頑張ってきな」

 そして、おやすみ、の一言を残し、ひと姉は格子戸の向こうに行った。

 おそらく、父のシャテーだったゲンゴロウさんも、ひと姉のこういうキップの良さに惚れたのかもしれない。

「おやすみ」

 ぼくもまた、2軒隣のワカバの家に帰った。


 


 

 毎日、セットプレーに重点を置いた守備練習をこなし、動きを身体に覚え込ませた。みんなが打撃練習をしている間は肩を痛めない程度に投げ込み、直球の他にスズキの指導でカーブとフォークを身につけた。フォークはイマイチだがカーブは自分でも意外なほどによく切れた。キャッチャーのミズノ先輩も、

「ヤマト、お前はカンがいい」

 と、ホメてくれた。

 ぼくはホメられると伸びるタイプだ。ミズノ先輩はピッチャーをノセるのが上手なのだろう。キャッチャーには最適な才能だと思う。

「あまり時間がないが、ヤマトのタマには球威がある。スズキ、いっそのことスライダーにしてみないか。直前まで直球と見極めが出来なくなれば、バッターも余計に打ち辛くなる。どうだろう」

「・・・やってみるか、ヤマト」

 カーブもスライダーもボールに回転を加えてバッターの手前で曲がる変化球なのだが、球速が遅くなるカーブに比べ、スライダーの方がスピードがストレートとあまり変わらない。そしてバッターの手前で急に落ちるのである。それでスライダーも練習することになった。ただし、マメをこさえてしまうとアウトなので、ホドホドに、だけれど。

 そんな風に、ぼくは久々に野球に集中した。


 

 その間も懲りることなくワカバは差し入れを続けていた。最初のころのような絵の具がぶっ散らかったようなのはなくなり、回を重ねるにつれて比較的マトモなものを持ってくるようになった。そして無遠慮にタッパーウェアに伸びてくる手もなくなった。

「え、どうぞ」

 とみんなにも勧めてみたのだが、

「いや、やめとくよ。シバタはお前のために作ってくれてるんだろうからさ」

 あまりのマズさに音を上げた、というよりは、みんな何かを察したっぽく、ぼくに遠慮するようになったのだと思う。

 ワカバの作ってくれたのり巻きを頬張りながら、

「まあ、なんとか食えるぞ」

 と、ホメてやった。

 それなのに、なぜかヤツは目をウルウルさせて泣き出した。

 せっかくホメてやったのに。やっぱりワカバはヘンなやつだ。

 そんな風にして一週間が瞬く間に過ぎた。


 


 

 初戦の日は朝から猛烈な暑さで、日本の全人口の一割ぐらいは熱中症で死ぬんじゃないかと思われるほどだった。

 試合に出かけるぼくをチヒロさんが玄関で見送ってくれた。

「頑張ってね。ウチで応援してるわ」

「学校から応援バスが出るって。あたしも後からブラスバンドと一緒に行くから!」

 冷ややかなぼくの反応にもめげず、毎日奇妙なサンドウィッチやのり巻きなどの差し入れを作り続け、練習を見守ってくれたワカバ。

 その朝も感極まったように目をウルウルさせてぼくに駆け寄り、手を取ろうとした。

「待ちな、ワカバ!」

 チヒロさんはイキナリ娘を一括して、制した。

「これから勝負に行く男に、女がみだりに触れちゃいけないよ。運気が下がるから、やめときな!」

 まるで肩衣脱いだ女博徒の緋牡丹お竜さんのように、チヒロさんはそう啖呵を切った。

 そんな、大袈裟な・・・。

 そう思ったが、もちろん口には出さなかった。

 しかも、エプロンのポケットから火打石を取り出し、ぼくに、

「カチカチ」

 とまでやってくれさえもした。この人は旦那さんもそうやって送り出すのだろうか。まるで絶滅危惧種のような女のひとだ。

「じゃ、行ってきます」

「ご武運をお祈り申し上げます」

 玄関に三つ指を突いて、チヒロさんは言った。


 

 前から不思議に思っていたのだが、野球部の試合にだけは何故かブラスバンドが応援に来る。彼らにだって大会があるのだし、サッカー部やバスケやバレーの試合にはブラスバンドは行かない。何故野球部だけにブラスバンドが必要なのか。これは日本の高校野球の七不思議のひとつではないかと思う。

 去年の夏もぼくたち文化部は吹奏楽部と一緒に野球部の応援に駆り出されたものだ。だけど去年はあまりにも弱すぎて5回コールドで負けてくれたからある意味助かった。なにしろ炎天下である。みんな口には出さなかったが誰もがヤル気が無いのがまるわかりのタイドだった。

 だが、今年は・・・。

 すでにグラウンドに出て身体を慣らし始めていた僕らの視界に一塁側先攻の応援団席である芝生にゾロゾロと集まり始めていたブラスバンドや文化部の応援生徒の姿が入って来た。誰もが引き締まった眼差しでグラウンドのぼくらに視線を注いでいた。

 おや、今年の夏はどうも一味違うようだぞ。

 彼らの目は明らかにそう言っているように見えた。

 時間が来てぼくらに代わって後攻の相手チームがグラウンドに出た。

 ベンチに引き上げるぼくらに早くも声援が来た。

「ガンバレ、ブアイ! ファイトー」

「カミヤクン、ガンバッテー」

 カミヤというのは3年生のピッチャーだ。エースだったスズキがダメになったので、リリーフ予定だった彼が先発することになったのである。

「なんとか踏ん張ってお前に負担が行かないようにしたいが、まさかの時は頼むな」

 学校を出るとき、彼はそう言って肩を叩いてくれた。

「ヤマトー、ガンバレー」

 見上げると家政部の全員もいた。もちろん、ニイガタ先輩も。それに、

「タケルー、ガンバレー!」

 なんとふた姉がいたのには驚いた。日焼け防止のためにつば広の大きなハットを被りサングラスにこの暑いのに白の長袖長ズボン。そしてその隣にはなんとみつ姉まで。彼女の方はいつものショーパンにTシャツだったが、ふた姉と違ってヤル気が無いのがまるわかり。ふた姉にアタマをバシバシとシバかれていたからたぶんそうだと思う。

 そして・・・。

「タケルー、ファイトー!」

 ワカバもいた。

 ぼくはキャップを目深に被り、ベンチから昨年度地区大会ベスト8まで勝ち進んだというグラウンドの相手チームを注視した。


 

 試合前の下馬評に反し、初回から試合は息詰まる投手戦になった。

 一回の裏、極度のプレッシャーから来る緊張のせいか硬さの取れなかったカミヤ先輩の手からすっぽ抜けた甘いボールをライトに運ばれてヒットを打たれ、3塁ランナーの生還を許してしまった。が、以降開き直ったのかカミヤ先輩は落ち着いた投球でよく相手打線を抑え込んでいた。

 だが、相手の2年生のピッチャーもなかなかヤル。わがチームの打線も3回と4回にそれぞれヒットを打ちはしたものの得点には繋げられずにいたのだ。

 そして、6回の裏が、終わった。

「ヤマト、肩、温めておけ」

 グラウンドを睨みつけていたオニヅカ先生、もとい、オニヅカ監督が言った。

 もう、か!

 そう思ったが、もちろん、口には出さなかった。

「はい」

 ぼくはベンチを出てブルペンに行った。

 7回の表も3者凡退に終わり、いよいよ裏で出番かと思ったのだが、監督はまだ動かなかった。

 相手のバッターは打順よく1番。

 この回の初球をセーフティーバントされてランナーが出た。

 続く2番もバント。ボールを上手く三塁線に転がして一塁で刺したがランナーは二塁へ。

 そして3番。

 コイツが1回裏で打点を挙げたヤツだった。

 監督が、動いた。

「ヤマト、行けってさ」

 ブルペンにいたぼくは、呼ばれた。

「ブアイ高校、ピッチャーの交代をお知らせします。カミヤクンに代わりましてヤマトクン。背番号、12」

 場内アナウンスが流れた。

「ヤマトー!」

「ガンバレタケルっ!」

「ヤマトせんぱーい、ガンバッテー!」

 よし、やってやるっ!

 一塁側からの応援を背に、ぼくは小走りにマウンドに上がった。


 


 

             後編の下に続く
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