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03 帝国での日々
しおりを挟む「ぼくはアレックスの友達なんだ。それに、キミのお父さんにもあったことがある。去年の秋だったかな」
イリアと名乗ったその若い男は親し気な笑顔をぼくに向け、身を乗り出して来た。
「北駅でね。ぐうぜん亡くなったぼくの父と同じ、青い肌の人を見かけて声を掛けたんだ。懐かしくってねえ・・・」
「ぼくの父と同じ?」
「そうだよ」
人懐こい笑顔でイリアは言った。
「ぼくの父はきみと同じ北の国の出身だったんだ、ミハイル。ぼくにもきみと同じ民族の血が流れているんだよ」
急に、帝国の言葉で言う「親近感」が湧いた。
「その時アレックスも一緒にいた。彼はヤーノフさんを帝都に案内する役をしていたんだが、今年に入って彼から話を貰ってね。去年北駅で会ったヤーノフさんの息子たちがやって来るって。その子たちを世話をしてくれる人を探してるって。彼とはそれからの友達なのさ」
「そうなんですか」
「というわけで、さっそくなんだが今からきみにいくつかの質問をする。きみはそれに答える。きみの里の言葉でもいいし話せるなら帝国語でもいい。これはきみがどの学年に相応しいかを判断するためのテストなんだ」
「学年? テスト?」
「きみは11歳だから本来は5年生に入るべきなんだが、今朝きみがいたクラスは4年生のクラスなんだ。ぼくがチコクしたせいで先生がそう判断したんだろうね。このままでいいか、あるいは5年生の方がいいか、それとも、もう少し下のクラスがいいのか・・・」
「ぼく、このままでいいです」
思わずそう口にしていた。
「へえ・・・」
「今の、このクラスのままがいいです」
これは後から知ったことだけれど、正式な小学校の呼び名は「リベラルアルテス」という。帝国人として最低限必要な教養や常識を身につけるのがリベラルアルテスで、小学校を卒業した生徒の半分以上はすぐ社会に出る。マイスターと呼ばれる親方について職人になったり店に行って商売を覚えたり、あるいは農園で作物を作ったり海に出て漁師や船員になったりする。
そうでない者のうち何割かは軍隊の幼年学校に進み下士官や士官になるための勉強をする。技術者を養成する学校に行く者もいる。石油やレアメタルを掘る鉱山技師、医者、機械工場の技師なんかはそれ専門の学校に行って技術を学ぶ。
それ以外はリセに進学する。誰でも入れる小学校と違い、試験がある。小学校での成績も参考にされる。
リセの、小学校との決定的な違いは、
「常に疑問を持ち、自ら学んでさらに問いを深め、他人と意見を戦わせ、お互いの理解と知識を深める場」であるということだ。
小学校では授業で自分の意見を発言することを強く指導していて、それでみんなよく手を挙げるのだけれど、それはリセへの進学のためであるという。
イリアはリセで教師の資格を取ったのだそうだ。
「アレックスは、教師の資格を持ってて北の国の言葉がわかる者を探していたらしいんだ。それでぼくに連絡が来たんだと思う」
テストの終わりに、彼はそんな雑談をしてくれた。
彼の話で興味深かったのは、人の命を預かる医者よりも学校の教師の方が収入もよく社会での地位が高いということだった。帝国では「いかに長く生きるか」よりも、「いかに良く生きるか」のほうが重視されているから、だと。
「イリアは先生なの?」
「いいや、違う。実はぼくの仕事は宝飾品の職人なんだ」
と、彼は言った。
「ほうしょくひん?」
「亡くなったぼくの父がね、どうしても教師になれとうるさかったから仕方なくリセに行ったんだけど、本当はぼくは職人になりたかった。だから、父が亡くなってすぐリセを退学して工房に入ったんだ。父には申し訳ないと思うんだけどね。
ぼくの工房ではコサージュやペンダントや指輪やブローチなんかを作ってるんだけど、軍隊の階級章や勲章なんかも作る。・・・そうだ、忘れてた」
彼は立派な革のバッグの中をごそもそして紙に包まれたあるものを取り出した。
「ミハイル、きみ、馬は好き?」
彼は包み紙を開いた。
「これは今回北から来たきみたち10人みんなにあげてるんだ。ぼくからの近づきのしるしだよ」
そう言って彼はぼくのテュニカの胸に馬を象った小さな金のブローチを着けてくれた。アクセサリーというものを、ぼくは初めて着けた。
教室に戻ったぼくのブローチに真っ先に気付いてくれたのは、やっぱりタオだった。
「なにそれ! カッコイイ飾りだね」
彼は身振りでそんな風に言ってくれたと思う。
帝国には、ぼくの里にはない「時計」というものがあった。
一日を24に区切る。太陽が一番真上に上り切ったときが午後零時。そこから12時間経った真夜中が午前零時。夏は午前7時。冬は8時が始業。今は夏だから、午前11時が昼食になる。
昼食はカフェテリアで摂る。
タオと一緒に行ったそこは、ぼくには天国のようなところに思えた。
いろんな種類のパンや小麦を煮込んだオートミールというおかゆはもちろん、ビュルストという、ビッテンフェルト家の朝食にも出た腸詰めにもいろんな種類があるのを知った。それに「シュニッツエル」という鳥のから揚げ料理や「フリカッセ」という煮込みがまた美味しい。そしてふんだんにあるいろんな野菜や果物のジュースや乳。これらが全て、食べ放題飲み放題なのだ。これが天国でなくて、なんだろうか。
男はみんな食いきれないほどの量をトレーに盛って行くのだが、女の子の、それも上級生たちは何故か少量しか盛らない。こんなに美味しいのに。帝国に来て、最後までどうしても理解できないことは数えきれないほど多かったのだが、これもぼくにはどうにも理解できなかったことの一つだった。
午後は体育だ。
これは全学年でやる。駆けっこでもボール投げでも鉄棒でもなんでもいい。それに身体を使うから、言葉は全く要らない。
ぼくは、ボールを蹴って相手のゴールに叩き込む「サッカー」というヤツが一番気にいった。聞くところによれば、この「サッカー」のルーツは、何千年も前に戦争で捕虜にした敵兵の首を切ってコロコロ転がして遊んだのに由来するらしい。ぼくの里とあまり変わらない野蛮さがおもしろい。
体育が終わると下校になる。
教室に戻って今日授業で貰った教科書を袋に詰めていたら担任の女の先生が来た。
「ミハイル、イリア先生、テスト、結果、わかる?」
なんとなく言っている意味がわかってドキドキした」
「あした、またこの教室、来る。わかる?」
「え?」
「ここ、あなたの机、あした、また、ここ座る。いい?」
思わずホッとしてタオと顔を見合わせ、ぼくは笑った。
「午前中はみんなと普通に授業。でも、午後は帝国語の講習よ。いいわね?」
タオと一緒に学校を出た。
校門の外には子供を迎えに来た馬車が何台か並んでいた。朝ぼくを送ってくれたビッテンフェルト家のも来ていた。
「タオ、家、どこ?」
「ぼくはクィリナリス。この丘の上だよ」
そう言ってタオはなだらかに上る坂道の上を指さした。なんだ。ビッテンフェルト家と同じじゃないか。
「タオ、Adel 貴族なの?」
「ううん、違うよ」
タオは首を振った。
「でも、ライヒェンバッハ伯爵の家に住んでるんだ」
貴族じゃないのに貴族の家に住んでる。なんだ、ぼくと同じじゃないか。
タオを誘って馬車に乗った。
ライヒェンバッハ家にはすぐに着いてしまった。あまりにも学校に近すぎて話をする間もなかったし、まだぼくの帝国語は拙いどころかほとんど話せるレベルではなかった。もどかしいったらありゃしない!
決めた。明日はぼくも歩いて学校に行こう。
「明日、ぼく、ここくる。学校、一緒。いい?」
タオは笑って頷いてくれた。
「いいよ。一緒に行こう。乗せてくれてありがとう。じゃあ、また明日ね」
ライヒェンバッハ家は覚えた。そこからビッテンフェルト家までの道も。
「ただいま戻りました」
「お帰りなさいませ、坊ちゃん」
まずシツジが出迎えてくれた。
「ぼくはミハイルです。Wie ist Ihr Name? あなたのお名前は?」
「わたくしはフランツでございます」
「ああ・・・、Bitte・・・、ああ、nennen Sie mich ab sofort beim Namen これからは名前で呼んでください、フランツさん。 あ、それから・・・」
「なんでございましょうか、ミハイル様」
「明日の朝 Morgen früh・・・、馬車、ワーゲン、要らない」
馬車を指さして手を振り送り迎えは要らないと歩く真似をした。なんとか通じたらしい。
黒髪で背の高い、准将よりも年嵩の男はにっこりと笑って頷いてくれた。
「Verstanden かしこまりました、ミハイル様」
そして、二人の可愛い女の子たちにも。
「きゃ~っ」
「お兄ちゃん、帰って来たあ~」
「ただいまです。あの、あなたたちの、お名前は?」
「あたし、リター」
「クララ!」
リタは金髪のおさげ。クララは少しくすんだ栗色。髪の色は違うが、二人とも本当によく似ている。
「ぼくはミハイル。リタに、クララだね。よし、覚えた」
とにかく、話をすることだと思った。それにはこの子たちと遊ぶのが一番いい。それが言葉を覚える早道だ。
ぼくたちは、夕食が出来たことを知らせにメイドが呼びに来るまで思い切り庭で遊んだ。
彼女は驚いていた。たぶん、ぼくとリタとクララが泥だらけだったからだと思う。
「ああ、えっと、Ich habe・・・、友達が出来ました。Freunde gefunden. Sein Name ist Thao.彼の名前はタオです。彼の家はクィリナリスです。ああ、ライヒェンバッハ家に住んでます」
夕食の席でもできるだけ奥様と話すようにした。ところどころ北の言葉が混じってしまうが、奥様はなんとかわかってくれたみたいだった。
「ああ! ライヒェンバッハ伯爵の? でも、あのお宅にそんな小さな子がいたかしら?」
奥様は少し首をかしげて考えていた。だからたぶんそんなことを言っていたのだと思う。
「ああ、彼はアデルじゃ、貴族じゃありません。でもあのお屋敷に住んでるんだそうです」
「そう。でも初日に友達が出来て良かったじゃないの!」
「それから、えと・・・。Iria ist・・・、 heute in die 学校、シューレ、 Schule gekommen・・・。今日、学校にイリアが来ました」
「Wer ist Iria? イリアって、誰?」
「・・・」
イリアのことを説明するには、ぼくの語彙は少なすぎた。残念だが、今のところはその辺りがぼくの限界みたいだった。
「ミハイル! また明日も遊んでね。Versprechen約束だよ?」
「約束よ!」
ぼくは、さっきフランツが言っていた口調を真似て頷いた。
「Verstanden Damen かしこまりました、お嬢様方」
ビッテンフェルト家にお世話になったことも、ぼくにとってはとても幸運だったと思う。
ぼくは記憶力はいい方だと思う。
里でも一度通ったけもの道はすぐ覚えた。山で迷子になったことは一度もない。
だから、タオの屋敷にも迷わずに行けた。
門番がいたが、居眠りをしていたので彼を起さないように門の外で待った。
しばらくすると、
「行ってきま~す」
元気のいい声が響いた。
「あ、ミハイル! おはよう!」
「おはよう、タオ!」
その声でやっと門番が起きた。
「ハンス、行ってきます」
「お、おはようございます、タオ様。行ってらっしゃいませ!」
「じゃ、行こう、ミハイル」
「うん!」
一時間目はMathematik算数だった。
帝国語や社会の授業と違い、算数は言葉がわからないぼくにも理解しやすかった。なぜかというと、里でぼくは村の羊を管理する仕事をしていたからだ。
村の各家ではそれぞれ5、6頭の羊や乳を採るためのヤギを飼っていた。それを山に連れて行って草を食べさせるのだが、一軒一軒がそれをするのは大変なので全部の家の羊をまとめてぼくが山に連れて行っていたのだ。村全部の羊となればだいたい300頭以上になる
ぼくの里には文字がなかった。数字もなかった。
だから羊の数を数えるのに指を使った。ここまでは誰でもできる。だけど、羊の数が10を超えると大人たちはみんな苦労していた。
そこでぼくは小枝を使った。羊が10を超える毎にポケットの小枝を折り別のポケットに入れる。一本の折った枝、つまり10のことを「ボルシャヤオフツァ(おおきな羊)」と名付けた。そして枝が10になると「オーチンボルシャヤオフツァ(とても大きな羊)」と呼んだ。100のことだ。そうやって300頭以上の羊を例えば「3つのオーチンボルシャヤオフツァと2つのボルシャヤオフツァとこれ」と、指を7本折って把握していた。
「ミハイルに任せると羊が迷子にならずに済む」
ぼくは大人たちからそういう評判を得ていた。
そこに父が帝国から帰って来た。
父の土産には銃とせっけんの他にもう一つあった。一冊の「本」だ。
「ミハイル。お前ならわかるだろう。これはな、帝国の子供たちが学校で使う教科書だ」
「シューレ? レアブッフ?」
それは帝国の小学校低学年が使う国語の教科書だった。
だがもちろん、初めて文字に接するぼくにそれが読めるわけがない」
「お父さん。この模様は何を意味してるの?」
「・・・わからん。あー、べー、つぇー、でーはわかる。それと、これは数字だ。あいん、つばい、どらい・・・」
「・・・」
帝国語はラテンアルファベット26文字に、ウムラウトの付いた3文字(Ä, Ö, Ü)及びエスツェット(ß)を加えた30文字を覚えれば読むことができることをその教科書で知った。
だが、その本でもっともありがたかったのは数字を知ったことだった。1から9までとゼロ0を知ったのはぼくにとってとても大きなことだったのだ。それまで、「3つのオーチンボルシャヤオフツァと2つのボルシャヤオフツァとこれ」と、指を7本折って表していた数は「327」というたった3つの数字で表せることを知った時は感動で鳥肌が立ったほどだ。
足し算引き算までは枝と指でできていたし、掛け算は一軒あたり平均6頭の羊が何軒分かで。割り算はその逆で327頭の羊は何軒分の羊になるかということで。
帝国に来るまでに、ぼくはそうした算数の基礎を学んでいたのだ。
だから、算数の授業でぼくはやっと、他の生徒たちと同じに手を挙げることができた。
先生は驚いていた。帝国語も満足に喋れないぼくが算数が出来るとは思わなかったのだろう。
「まあ、ミハイル。わかるの? 言ってごらんなさい」
「35を7で割る、答えは5です。なぜか。7に5をかけると35になるから」
「ブラボー! すごいわ、ミハイル。今手を挙げなかった子はミハイルを見習いなさい、いいわね?」
誇らしい気持ちでいっぱいになったぼくは満足して席に座った。
「すごいね、ミハイル!」
タオも褒めてくれた。とてもうれしかった。
だが、教室の後ろの方の席で僕を睨みつけていたヤツがいたことを、その時のぼくはまだ、知らなかった。
応援ありがとうございます!
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