ぼくのともだち 【軍神マルスの娘と呼ばれた女 番外編 その1】 北の野蛮人の息子、帝都に立つ

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04 北の野蛮人の息子たち、帝国の守り神たちに会う

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「午前中はみんなと普通に授業。でも、午後は帝国語の講習よ。いいわね?」

 4年生の担任の先生がそう言った次の日から、憂鬱な日々が始まった。


 

 ぼくたち10人の北の留学生は一人ずつ別々の小学校に入れられていたんだけど、それがちょっと寂しかった。なにか考えがあってのことだと思うが、でも帝国語を身に着けるのにはよかったと思う。北の連中同士が集まるとどうしても帝国語ではなくて北の里の言葉を使ってしまうからだ。独りなら、イヤでも帝国語を話さなきゃいけなくなる。

 それでも、朝タオと一緒に登校し午前中は普通にみんなと授業を受け、美味しいランチを食べるところまでは良かった。

 だけど、午後は、サイアクだった。

 他のみんなが校庭で遊んでいるのに、ぼくは教室で帝国語の講習を受けなければならないのだ。帝国語が話せたりきちんと教科書を読めたりしないと授業についてゆけないから、これはしかたない。でも、他の子たちがサッカーしてる横で勉強しなきゃならないのは、とても辛かった。

 だが、もっとサイアクなのは、その特別な講習であのイケズなドミートリーと机を並べなければならなくなったことだ。

 午後になると10人の北の留学生の内近くの数人がぼくの小学校に集まって来る。一緒に帝国語の講習を受けるためだ。その中に、あのドミートリーもいた。

「おう、元気だったか、ミーシャ!」

 何日ぶりかで会った早々、早くもコイツはこういう口を利く。ぼくはイヤなやつから愛称で呼ばれるのが大嫌いなのだ。軽んじられてバカにされてる感じがするからだ。年上ならいい。ドミートリーはぼくより2つ年上だ。でもイヤなやつなので愛称で呼ばれたくないのだ。わかるかな、このカンジ。

「この、クソ野郎! まだぼくを愛称で呼ぶのか!」

 思わず殴りつけたくなったが、ガマンした。なぜなら、ぼくは族長の息子だからだ。族長の息子は誰よりも誇り高くなければいけない。ドミートリーなんかと同じレベルで怒ってはいけないのだ。

 そこでふと思いついて、他のみんなに尋ねた。

「ぼくは11歳だからホントは5年生なんだけどいっこ下の4年生のクラスにいるんだ。まだ帝国語に慣れてないからね。ヨーゼフ、キミは何年生のクラスになったの?」

 彼はぼくのいっこ下の10歳だ。テュニカの胸にぼくと同じ馬のブローチを着けていた。イリアがくれたやつだ。

「ぼくは3年生。それでも勉強が難しいんだけどな」

 額に下がった金髪を気にしながら、彼は恥ずかしそうにそう言った。

「そうだね。ゲオルギー、キミは?」

「ぼくも3年生だよ」

「そう・・・。で、ドミートリー。キミは何年生になったの?」

 ドミートリーはカラダは大きいし腕っぷしも強い。だけど少々オツムが弱いのをぼくは知っていたのだ。

 一番年上のドミートリーは急に黙って下を向いた。

「キミはぼくより2つ年上だけど、ホントなら小学校じゃなくてリセっていう上級の学校へいく年なんだってね。で、キミは今何年生のクラスにいるの?」

「・・・に、にねんせい」

 ドミートリーは恥ずかしそうにボソッと呟いた。

「そうか。じゃあ、この中ではぼくが最上級生だね。わからないところがあったら何でも聞いてよ。教えてあげる」

 いつもぼくにカラんでくるドミートリーは、こうして大人しくなった。

 そして、イリアが来た。

「やあ! みんな揃ったね。あ、みんなぼくがあげたブローチを着けてくれてるね。嬉しいよ。じゃあ、さっそく今日の授業を始めよう!」

 こうしてぼくたち金の馬のバッジを着けた北の留学生の「特別帝国語講習」が始まった。

 

 講習は「読み」「書き」「聞く」「話す」を、ソウゴウテキ? にやった。

 まず、イリア「先生」が帝国語で話す。

「あなたは今朝、朝食で何を食べましたか?」

 そして話した内容を黒板に書く。ぼくたちはそれをノートに書き写す。

「ぼくはライ麦パンと目玉焼きとスープを食べ、ミルクを飲みました」

 模範解答をイリア先生が言い、書くと、それも書き写す。

 そしてぼくたちの番。ぼくがゲオルギーに質問する。ゲオルギーが答える。

「ぼくはフレンチトーストとオニオンサラダと・・・」

 そしてゲオルギーがドミートリーに質問し・・・。という具合。これを何度か繰り返す。そんな感じ。

 でも、授業が終わるころには校庭で遊んでいたヤツらはみんな帰ってしまっていた。けっこう、疲れた。

 初日の最後にイリア先生はぼくたちにお手製の「ジショ」をくれた。何枚かの「紙」を綴じ合わせたものだが、文字はちゃんと「インサツ」されていた。

「これには帝国で一般的に使われている単語が約300ほど入ってる。これだけ覚えればまず帝国での生活には困らない」

「え、そんなに!」

「大丈夫。すぐ覚えられるよ」

 と、イリア先生は言った。

「北の国には文字がない。だから帝国語のアルファベットで代用してある。

 でもね、本当は北の国にも文字があったらしいんだな。都心にバカロレアという学校があってね。リセを卒業した者が入る『ダイガク』だが・・・」

「ダイガク?」

「うん。そこのゲンゴガクの先生から聞いたんだ。先生は今、キミたちの北の国の文字をカイセキして『ジショ』を作っていらっしゃる。だがこれには何年も何十年もかかるらしいんだ。

 もしきみたちが帝国での修行を終えて帰国するときまでに間に合えば、きみたちはその『ジショ』を故郷に持って帰ることができるかもしれない。きみたちの国の言葉をきみたちの国の文字で書き表すことができるようになる。素敵なことだと思わないか?」


 

 講習が終わってビッテンフェルト家に帰る途中、タオに会いたくなった。彼の住むライヒェンバッハ家に寄ってみた。ハンスという門番が居たので訊いた。

「あの、タオ、いますか?」

「ああ、タオ様のお友達だね。悪いが、タオ様はいまルスなんだ」

「『ルス』?」

「タオ様、今、ここにいない。わかる?」

 親切なハンスは身振り手振りでぼくにわかるように話してくれた。

「タオ様。学校終わる。出かける。毎日。わかる?」

 なんとなく、彼の言うことは理解できた。

「・・・そうですか。ありがとうございました。さようなら」

 タオと話したかったな。

 残念だけど、でも仕方がない。帝国語がある程度話せるようになり、講習が終わるまでのガマンだ。

 ああ、早く帝国語がペラペラ話せるようになってタオといっぱい遊びたい。みんなとサッカーがしたい!

 逸る心を抑えて、ぼくはビッテンフェルト家に帰った。


 


 

 そんな風にして5日経ち、10日が経った。


 

 学校の授業、帝国語の講習、帰宅してリタやクララたちと遊び、宿題をして夕食で奥様と話す。その日の授業のこととかいろんなこと。何日かに一度、ビッテンフェルト准将も家に帰って来た。

「ミハイル! 元気でやっとるか! 学校はどうだ! おもしろいか! 少しは帝国語が話せるようになったか! スポーツはどうか!」

 矢継ぎ早の准将の言葉には全てに気合が、思いっきり入っていて、時として疲れることもある。帝国の軍人という人たちはみんなこうなのだろうか。

 まだたどたどしくはあるけど、准将はぼくの帝国語の上達ぶりにとても喜んでくれた。

 彼に、サッカーが好きなんだけど今は講習で出来ないのが残念、みたいなことを話したら、

「なに? そちはサッカー好きか! ではいずれ学校対抗の試合に出るがよい! そして必ず優勝するのだ! よいな、ミハイル!」

 なんて乱暴な、とは思ったが、

「頑張ります!」

 負けずに気合を入れて答えておいた。

「よろしい! それでこそわがビッテンフェルト家の男子であるっ!」

 ビッテンフェルト男爵は鼻息を荒くして大いに頷いた。


 

 毎朝の登校のわずかな時間とランチでタオと話すのがわずかな楽しみだった。

「帝国語の勉強、たいへん?」

 ぼくの顔を覗き込むようにして、タオは訊いた。

「まあね。でも、だいぶ話せるようになったろ? 」

「うん。最初の頃よりずっと上手になったよ。ミーシャはアタマがいいんだね」

 ぼくは年上や仲のいい友達からは愛称で呼ばれたいのだ。誰だってそうじゃないかと思う。

「ところでさ、タオ。学校から帰る。いつも、タオいない。どこに行く?」

 ぼくは前から気になっていたことを尋ねた。

「ああ。それね。ぼく、習い事してるんだ」

「ナライゴト?」

「そのうち聴かせてあげられればいいんだけどね」

「キカセル?」


 

 帝国では「月」というもので毎日の連なりを区切っている。30日経つと月の名前が変わる。その年の最初の月は              Januarヤヌアール。2番目はFebruarフェーブルアール、というカンジ。今は6番目のJuniユーニ。そして来月は7番目のJuli     ユーリ。             

 そして12番目のDezemberディツェンバーでその年が終わり、またヤヌアールの月になる。

 10のつく日が休みになる。

 だからひと月には3日休みがあるわけだ。学校も休みだし、街の店と軍隊以外はみんな休みになる。みんなそれで疲れないのかなと思うが、学校もそうだけど店や工房はたいてい太陽が昇ってから一番高い所に来る12時までで終わる。あとは何をしようと自由だ。仕事を終えて体育館や広場で身体を動かしたり公衆浴場でサウナに入ったり街中のカフェやサロンやフォルムで友達とおしゃべりしたり勉強したり、あるいは盛り場でサケを飲んだり・・・。

 帝国人たちはみんなそんな風に毎日を過ごしているようだった。

 狩りや畑仕事や隣の村とのいくさや祭り以外はのんびりしているぼくの北の里に比べるとちょっとキュークツに思えるが、誰も文句を言わないから、それほど苦痛じゃないのだろう。

「やったー! 明日は学校休みだぞーっ!」

 その日午後の講習の合間にドミートリーが嬉しそうに言った。10日もの間、午後の遊びなしでずっと帝国語の勉強ばかりだったから、彼はそれが楽しみだったのだろう。もちろん、ぼくもだ。これでやっとタオと遊んだりできるな、とウキウキしていたら、講習の終わりに青い肌のアレックスがやってきた。

「Yo Leute!   wie gehts? "Studierst du?" よお、お前たち! 元気で勉強してるか?」

 帝国語で、彼は挨拶した。

 が、その後。彼は北の里の言葉でこんなことを続けた。

「今日はお前たちにいいニュースを持ってきたぞ。

 休み明けの21日から数日間。お前たちはアウスフルーク、『遠足』に行くことになった」

「『遠足』?」

 聞き慣れない単語に、誰もが首を傾げた。

「みんな、それぞれの家に帰ったら家の人にバーデホーゼ、『水着』を用意してもらうように」

「『水着』?」


 

 遠足に行くことになった。数日学校へは来ない。

 タオの家に行ってそう伝えようと思ったんだけど、やっぱりタオはいなかった。

 で、門番のハンスに、

「あの、ぼく、学校行かない。休み明け、数日間」

 彼に、タオに伝えて欲しくてそんな風に言おうと思ったんだけど、やめておいた。ヘンに間違って伝わるとよくないなと思ったのだ。で、タオの家には寄らずにまっすぐビッテンフェルト家に帰った。


 


 

 北の里から帝都に来た時は北駅に着いたわけだが、ぼくらが連れてられて行ったのはそれとは反対の南駅だった。

 10日ぐらいぶりに北の留学生10人全員がそろった。みんな学校に行くときのリュックを背負っていた。ぼくと同じで、そこには水着が入っている。

 奥様に「遠足」に行くことになったから水着を用意してください、とお願いしたら、

「まあ! いいわね。水着ということは、行き先は西の湖かしら。それとも南の海かしらね」

 ミズウミ? ウミ?

 その後奥様は湖と海の違いを教えてくれようとしたんだけど、山の中で育って泳ぐとしたら川しか知らないぼくにはどうにも理解が出来なかった。

「まあ、行けばわかるわ。ミハイル。あなたきっと、ビックリするわよおっ!」

「するわよおっ!」

「わよおっ!」

 リタとクララが奥様のマネをして笑った。


 


 

 帝都まで来た時は「ベゾンダラーシュネイトゥーグ」、特別急行列車に乗ってどこにも止まらずに来たんだけど、南駅からぼくらが乗ったのはレギオナールバーン 普通列車。しかも3等の、コンパートメントが、仕切りが無いドン行だった。

「お前たちは今、みんな貴族の家に世話になっている。だが今日は帝国の普通の平民が乗る一番安い列車にした。帝国の普通の人々の毎日の人情に触れるのも大事な勉強だからな」

 引率はアレックス。イリアは来なかった。そして、帝国に来た時にはいた護衛兵もいない。

 よくよく考えたら、ぼくたちはもう外見からは帝国人の子供と全然変わらない。同じようなテュニカを着てみんな同じような金髪や栗色の髪、青や灰色の目をしているのだ。ただ、話をすると帝国語がまだ不自由なのがわかってしまうわけだけれど。

「列車の中では出来るだけ普通の帝国人たちと話をしてみろ。多少言葉が話せなくても誰も不思議に思わない。帝国には『方言』がたくさんあるからな」

 と、アレックスは言った。

「ホウゲン?」


 

 南駅からは2本の路線が出ている。途中までは一緒だが、1本はそこからやや西の、かつてチナと呼ばれていた国との国境に近いマルセイユへ。そしてもう一本がマルセイユより東のターラントへ。いずれも帝国で最も大きな港町へ向かって伸びている。

 ぼくたちが行くのは、ターラントだ。

 帝都の南駅を離れた列車は、7つの丘を一望できるところまで来てすぐに止まった。乗客が少し降りて行き、出る時にはほぼ満席だった座席にちょっとだけ空きが出た。

 ドミートリーやゲオルギーはキオスクでアレックスが買ってくれたシシカバブーを挟んんだブロットにかぶりついていて床や座席に盛大にタレをこぼしていた。

「あんたたち、どこに行くね?」

 乗ってすぐにどこかの人のよさそうなおばあさんが通路の向こう側から話しかけて来た。北の里では年寄りは少ない。ぼくたちはなんとかこのおばあさんと話をしようと懸命になった。

「南です」

「ターラントです」

「ぼくたち、アウスフルークに行くんです」

 ぼくたちは口々にそう答えた。

「ほうそうかえ。いいねえ。言葉が少しアレだけんど、あんたらどこから来たね」

「北です」

 とぼくは答えた。

 そうするとそのおばあさんの向かいにいた中年の男が、

「北、ってえと、シュヴァルツバルトシュタットかね」

「それよりも、もっと北です」

「へえ・・・。いつの間にまた領土が広がったんかな。ちィとも知らなんだ」

 ぼくたちの帝国語を「アレ」という割には、おばあさんもその中年の男も、どっちも帝国語がヘタだった。アレックスの言った通りだ。それで少し、気がラクになった。


 

 車窓からの眺めは列車が止まる度に少しずつ変わって行った。

 麦畑ばかりだった景色がいつの間にかオレンジ畑になり小高い山や荒れ地やいくつかの街を過ぎるころには茶畑になったりした。北の里の寒い土地にはない、帝国ならではの風景。あふれる陽光に光る畑が地平線の向こうまでずーっと、延々と続いていた。

 と、ヨーゼフが歌を歌い始めた。

「Из-за острова на стрежень,・・・」

 ぼくたちの里に昔から伝わる、コサックという勇敢な一族の英雄の歌だ。


 


 

 Волга-Волга, мать родная

 Волга, русская река,

 Не видала ты подарка

 От донского казака!・・・


 


 

「ヴォルガ、ヴォルガ、生みの母よ ヴォルガよ、ロシアの河よ

 ドン・コサックからの贈り物をお前は見たことが無いだろう!・・・」


 他のみんなも、ぼくも。そしてアレックスも一緒に歌い始めた。彼は少し泣いているようにも見えた。長い間故郷を離れたまんまだと言っていた。故郷を思い出し懐かしくなったのかもしれない。

「あんさんら、どこのひとかね。珍しい歌を歌っていなさるが・・・」

 今度はどっかのおじいさんがこう尋ねて来た。瞳は黒く肌の色は茶色い。頭に汚い布を巻いた人だった。

 ぼくは答えた。

「北の里から来ました」

「はあ?」

「北にある里です」

「あんだって?」

 おじいさんは少し耳が遠いみたいだった。

「きー、たー、のー、さー、とー、でー、すー・・・」

 アレックスがおじいさんの耳に口を寄せ大きな声で言い直すと、おじいさんは言った。

「ああ、北からかね。で、どこまで行くんだね」

 この後も何度か何人かの違う人々と同じようなやり取りを繰り返した。帝国にはほんとうにいろんな人々がいる。そしてみんな話好きなのを知った。


 

 途中機関車が変わり、いくつもの駅で止まり、長い待ち合わせの停車では駅に降りてキオスクでパンを買って食べ、石炭や水の補給でまた止まり、そのようにして丸一日と一晩を走り続ける列車の中で過ごし、次の日の朝、痛む背中とお尻を伸ばしつつ左の車窓から、東から登って来た朝日に照らされたのは今まで見たこともない作物の広大な畑だった。

「アレックス、あれ、なあに?」

「いや、実を言うとここまで来るのはオレも初めてでな」

 目を覚ましたアレックスは正直に言った。そしてだいぶ顔ぶれの変わった車内にいた人をつかまえて訊いてくれた。帝都を出るときはほとんどが白い肌の人ばかりだったのに、茶色い肌の人が半分以上を占めるようになっていた。男はみんな頭に布を巻き、女は髪や顔をすっぽりと布で覆っていた。

 教えてくれたのは顔を布で覆ってキレイな目だけを出した若い女の人だった。

「あれはサトウキビです。この辺りの特産ですよ」と。

「サトウキビ?」

「それって、食える?」

 ドミートリーが聞いた。

「あれからサトウが取れるんですよ」

 と、その女の人が笑いながら答えた。

「サトウ?」

「なるほど」

 と、アレックスがウンウン頷いた。

「もうお前らが食ったかどうか知らんが、チョコレートを作る時ににカカオと混ぜたりするのだ。メープルシロップのガムにも入ってる。コーヒーや茶に入れて飲む人もいる。茶色や白いのもある。とても甘い。この辺りで採れるものだったのだな。知らなかった」

「あ、ぼくそれ、『チョコレート』食べたよ」

 と、ぼくは言った。そしたら、

「何っ!」

 突然ドミートリーが怒りだした。

「ちくしょう、ミーシャ! お前、そんな甘いものをオレよりも先に食ったのか!」

 そこで怒るのか。ぼくは心底、コイツにウンザリした。

 

 列車はさらに半日走り続け、その日の昼にやっと大きな街に着いた。

 帝都を出てから丸一日と半日。もちろん、帝都よりは小さいが北のシュバルツバルトシュタットよりははるかに大きい。しかも、なにやら生臭い匂いが漂っていた。背中やお尻のコワバリは限界だった。列車を降りるや、みんな背中を伸ばしたりお尻をトントン叩いたりした。

「ここが終点のターラントの街だ。ちょっと匂うな。魚の加工工場が多いと聞いた。漁獲れた魚をヒモノにしたりカンヅメにしたりネリモノを作ったりする」

「ヒモノ?」

「カンヅメ?」

 そこからさらにトラックに乗せられた。アレックスのテュニカと同じ緑がかった茶色。この色のことを「カーキ」というのだそうだが、ドアにワシのマークが付いていてアレックスと同じカーキのテュニカを着た軍人が運転していた。アレックスが右手を挙げて敬礼すると、そのトラックの運転手も敬礼していた。

 トラックは黒い煙を吐かなかった。音も静かで、しかもめっちゃ速い! 

 サトウキビ畑を真っ二つに割るように伸びる真っすぐな道。石で真っ平らに舗装された道を快速でトバすトラックは汽車よりも速いスピードでひた走った。そして、やがて「港」に着いた。

 ぼお~っ、ぼお~っ・・・。

 時刻はもう夕方近かった。どこからか異様な音が聞こえて来た。そして、爽やかな香りのする風も。

「お前たち、見てみろ」

 トラックを降りたぼくたちの目の前に、夕陽をキラキラ映す真っ平らな、そしてどこまでも続くとても広い平面が現れた。

「生れて初めて見るだろう。これが、海だ」

 まあ、行けばわかるわ。きっとビックリするわよおっ!

 ビッテンフェルト家の奥様が言っていたのは本当だった。北の山の中で生まれ育ったぼくたちにはこれが全部水だなんて、とうてい信じられなかった。

 しばらくの間、 ぼくたちはその夕日を映えてきらめく大自然の巨大な水溜りを飽くことなく眺め続けた。

 厳重な警備のいる門をくぐる。父が土産に持って帰って来たのと同じ銃を下げた兵隊が何人もいた。門をくぐったり歩いている兵隊に行き会うたびに、アレックスはサンダルの踵を合わせ、敬礼していた。それを次第にぼくたちも真似るようになった。

 そうやって、「ガンペキ」に着いた。帝都から丸2日間。ここが今回の遠足の終着点だ。

 目の前にユラユラ揺れる水面が広がり、大きなものから小さなものまで無数の船が浮かび影絵のようにひっそりと佇んでいた。

 そのうちの一艘がゆっくりとこっちへ近づいて来る。まるで黒い魔物がやってくるような、そんな怖さがあった。

 やがて、目の前のその船はゴォーッと大きな唸り声を上げてガンペキに着いた。見上げるように巨大な鉄のカタマリ。その船の上に何人かの人影が現れ、口々に何かを叫びながら岸壁にロープを投げたりそれを結んだりし始めた。

 そして最後に小さな橋が掛けられ、その橋を伝って何人かがガンペキに降りて来た。

「あれは同じこの世の人間なんだろうか」

 ゲオルギーが言った。

「もしかすると、地の底に棲む魔物たちかも・・・」

 ヨーゼフも、声を震わせた。

 ぼくたちの間ににわかに恐怖が走り、みんな身を寄せ合った。

 するとアレックスがサッと敬礼をした。

「ショウサ! 軍属のアレックスであります。北の里の子供たち、計10名、帝都より引率して参りました!」

 降りて来た魔物達の中の一人が敬礼を返した。

「話は聞いている。ご苦労だった」

 もちろん、その時はあまり言葉がわからなかった。そんなやり取りだったことを後でアレックスが教えてくれたわけだけれど。

 ショウサ、と呼ばれたその男の敬礼はアレックスみたいに右手をナナメ右に上げるのではなく、額の上に翳すものだった。陸の兵隊とは違い、船の上の兵隊たちはみんなそれ式の敬礼みたいだった。陸と海で敬礼のしかたが違う。そのことも、ぼくには驚きだった。

「そうか! お前たちが北の野蛮人の息子たちか」

 彼は一列に並んだぼくたちを見回してバルバールン、野蛮人と呼んだ。ぼくたちを、その息子だと。

「ようこそ、『インビンシブル』へ。オレが艦長のヘイグだ。インビンシブルは、お前たち野蛮人を、歓迎する!」

 そして、さあ乗り込め! とでもいうように片手を払った。


 

 ぼくらが乗ったインビンシブル号は、帝国海軍が誇る最新鋭の巡洋艦だったのを後で知った。ちなみに「インビンシブル」とは「無敵の」という意味だそうだ。名前だけでも強そうな船だ。

 艦長のヘイグ少佐は、海軍の紺のテュニカをモリモリに盛り上げた筋肉を持つ、「マッチョ」な軍人だ。昨年まで第一艦隊の通報艦「リュッツオー」の艦長を務めていたのだが、昨年のチナ戦役の発端となった「戦艦ミカサ拿捕未遂事件」で大活躍をして少佐に昇進し、帝国第一艦隊所属のこの最新鋭の巡洋艦の艦長としてこのとき着任したばかりだった。

 そこへぼくたち「北の野蛮人の息子たち」が乗り込んできた。というわけなのである。

 高価な鉄を惜しげもなく道に敷いた鉄道にも機関車にも驚いたぼくたちだったが、生れて初めて全て鉄でできた船に乗った。

 どうして鉄でできた船が沈まないのか。

 その時はどうしても理解できなかった。ぼくたちは「バルバールン」と呼ばれたことなどまったく気にならないほどにおどおどビクビクしながら巡洋艦「インビンシブル」号に乗り込んだ。


 

 ちょうど、夕飯時だった。

 食堂へどうぞ。

 そんな感じにぼくたちを艦内に案内してくれたのは、なんと女の水兵だった。帝国の戦う船の上には女も乗っているのだ。そのこともぼくたちの驚きの一つだった。ぼくたちの里ではいくさは男だけのものだからだ。

 帝国海軍の賄いの豪華さは小学校のカフェテリア以上のものだった。

 帝国らしい鶏料理に加え、一口でその虜になってしまった牛や豚の肉をふんだんに使った「カレー」や「シチュー」「ステーキ」「ハンバーグ」、そして乗組員の半分以上を占める南の国出身の水兵たちのために豚肉を抜いた料理もあった。焼いたライスや辛いスープなども初めてだった。もちろん、いろんな種類のパンや「ナン」という薄いパンも美味かった。もちろん、全てが食べ放題!

 さっきまでの怖さはどこかへ行ってしまった。まるまる2日間も汽車やトラックに揺られブロットばかりだったぼくたちが素晴らしい海軍の料理の虜になったのは言うまでもなかった。白い肌や黄色い肌。多くの男女の水兵たちに混じって、ぼくたちはめっちゃ美味い料理をたらふく腹に詰め込んだ。

「Heave in anchor !」

「Let go painter!」

 満腹になったぼくたちは、案内役らしい女の水兵に連れられて、帝国語じゃない、聞き慣れない大きな声がする上の甲板に上がって行った。

「アレックス、あれ、何ていってるの?」

 上の甲板に出るタラップを登りながら、ぼくは尋ねた。

「悪いが、オレにもわからん」

 青い顔を傾げながら、アレックスはそう呟いた。

 ぼくたちが上の甲板に出るや、船はゆらっと動いた。みんな鎖の手摺につかまった。さっきまでぼくたちが立っていた岸壁がゆっくりと離れていくのが船の上の強力な灯りに照らされて見えた。幾人かの見送りの人が手を振っているのも、見えた。

「あれは出港の号令を欠けているのよ」

 女の水兵が教えてくれた。

「錨を上げろ、舫を解け、ってね」

「イカリ?」

「モヤイ?」

 船を動かすのには帝国語を使わないのをぼくは知った。

「たぶん、あれは英語だ」

 とアレックスは言った。

「えいご?」

「帝国語の方言なんだが、どうも去年あたりから軍は英語を使い始めたらしい。いくさをするのに帝国語よりも便利なんだと」

 岸壁が動けば、とっぷりと日が暮れた夜空の星々も動いた。思ったほどにはこの大きな船は揺れない。それもまた、不思議だった。

 それからぼくたちは船室の一つに案内された。

 川で魚を獲るときの網みたいなものがズラッと釣られていた。

「これはハンモック。水兵はみんなこれで寝るのよ」

 その女の水兵は「はんもっく」に上がる時のやり方、つまり、まずお尻を乗っけてさっと向きを変えその網の中にすっぽり納まる。それを実演して見せてくれた。

「じゃあ、お休みなさい。起きるころには予定海域に着いてるわ」

 そう言って女の水兵は出ていった。

「ねえ、アレックス。この船はどこに向かってるの? いったい何が始まるの?」

 怖がりのヨーゼフが言った。

「それは見てのお楽しみだ」

 ハンモックに収まりながら、アレックスは答えた。

「だが、そこでお前たちは目ん玉が飛び出し、腰を抜かすものを見るだろう。それだけは、間違いない。さ、もう寝ろ。明日は早いぞ」

 ぼくもハンモックに横になった。長旅と適度な船の揺れと満腹とで急速に眠気が来た。

 そして朝が来た。

 ぼくたちはアレックスの言葉が決して誇張じゃなかったことを知ることになった。

 

 すでに起き出している水兵たちの騒がしさで目を覚ました。

 空は快晴。だが強い海風。夜通し走り続けたインビンシブル号はいつの間にか海の上で止まっていた。

 ぼくたちは朝食もそこそこにライフジャケットという上っ張りを着せられ、鉄のヘルメットを被せられ、甲板から海面に下ろされたランチという小舟に乗せられた。これにもトラックと同じ「エンジン」がついてて、漕がなくても水の上を走れる。

 どうやら、海の上に突き出ている大きなゴツゴツした山に向かうらしいのを知った。「島」というらしい。初めて海を見て海の上に来たぼくたちは、もちろん「島」も初めて見る。

 インビンシブル号の上と違い、小さなランチの上はめっちゃ揺れた。うねりが大きく、小さなランチは海の上で木の葉のように翻弄された。みんな舟のあちこちに捉まって青い顔をしていた。アレックスも船は初めてらしい。元々青い顔をさらに青くしていた。

「う、うぷっ!・・・」

 早くもドミートリーが酔った。ランチの舟べりにアタマを出して朝食べたばかりのものをゲーゲー吐いていた。みっともねー、と思った。

「あれが、フジヤマ島だ」

 ランチを操縦している白い肌の水兵が帝国語でぼくに教えてくれた。

「今からあそこにジョウリクする」

 島に近づくに従い、島の上に城のようなものが見えて来た。

 それは大きな石と大木を伐り出した材木で作られた砦のようなものだった。

 ジョウリクしたぼくたちはその砦に向かった。

 水兵と同じ紺色のテュニカを着た兵隊が何人かいた。彼らは大きな機械を使って砦の石を積み上げたり大人が3人がかりで手を繋いでやっと抱えられるほど太い材木を何本も砦に立てかけ、どうやら補強をしているらしかった。

「あと一時間後だ! そろそろ撤収にかかれ!」

 案内してくれた水兵が叫ぶと、作業をしていた兵隊は、

「アイ、サー! ショウイ殿」

 と答えた。

 ショウイ?

 と、陸に上がってやっと息を吹き返したアレックスが「ショウイ殿」と呼ばれた水兵に尋ねていた。

「ショウイ殿。これがヒョーテキですね」

「そうだ」

 と彼は答えた。

 ヒョーテキ?

「お前たち、いいかしっかりよく見ておけ。ミーシャ。これはお前の里の家より大きいか?」

 アレックスが北の言葉でぼくに尋ねた。

「大きいです。5倍か、6倍くらい。いや、もしかすると、10倍以上くらいかも・・・」

「もし、いくさでここに立て籠もれば敵は太刀打ちできんだろうな」

「そう思います」

「逆ならどうだ? お前やお前の里の男たちはここに立て籠もった敵を倒せると思うか」

「・・・無理です」

「銃を持っていればどうだ? お前の父が、ヤーニャが持って帰ったろう。あの強力な銃があれば、どうだ?」

「でも、それでも無理です。こんな頑丈なドリデは、初めて見ます」

「わかった。その言葉が、聞きたかったのだ。みんなもいいな? 」

 そう言ってアレックスはショウイというちょっとエラいみたいな水兵に向き直った。

「ありがとうございます、ショウイ。十分、見ました」

「よし! それではインビンシブルに戻るぞ」

 そうしてぼくたちはまた巡洋艦に戻った。

 そしてそれから。

 なんと、ぼくたちはインビンシブル号のブリッジに、艦橋に案内された。

「おう! 北のガキどもか! お前たち、ヒョーテキは見たか」

 ブリッジには何人かの水兵がいてみんな何かの機械のようなものを操作したり大きなメガネのようなものを目に当てて海の彼方を睨んだりしていた。あのマッチョの偉い人、ヘイグ艦長も、もちろんいた。

「はい! 全員しかと見ました、ショウサ!」

「よ~し・・・。そろそろだぞ。お前たち、あっちの方を目ん玉ひん剝いてよ~く見てろっ!」

 そう言ってヘイグ艦長はブリッジの外、大海原の一点を指さした。

 すでに朝日を浴びて煌めいている海の彼方に、やがて一筋の黒い煙が見え始めた。それは次第に2本になり、3本4本と増え、そして大きく見えて来た。

「我が帝国海軍の守り神、第一艦隊の主力戦艦だ!」

 ヘイグ艦長が胸をそびやかして高らかにそう言った時、ブリッジの奥で他人の声がした。

「・・・ズズ・・・、ミカサよりインビンシブル・・・」

 すると、一人の水兵が小さなひも付きの箱を取り上げてこう話すのが聞こえた。

「インビンシブルよりミカサ。感度良好」

「艦隊はあと10分で予定海域に到着する」

「アイ。ヒョーテキ準備完了。貴艦の到着を待つ」

「了解。以降、コマンドモード。アウト」

 ぼくたちはそのブリッジの天井隅に取り付けられていた声を出す不思議な箱に見入った。

 そして、ドミートリーが言った。

「アレックス。帝国にはあんな小さな箱に入る人間もいるのか?」

 この時ほど、ドミートリーが帝国語の習得が遅いことを感謝したことはなかった。ぼくは思わず、顔を赤くした。

 ヘイグ艦長が叫んだ。

「Battle station! 」

 すると、艦長の側にいた水兵が同じことを言った。

「Battle station, アイ!」

 ぼくはアレックスを見た。

「せんとうはいちに着け。たぶん、そう言っているのだ」

「これも、えいご?」

「たぶん、そうだ」

 その命令はブリッジにいた他の水兵に伝わり、ほどなく、急に艦内全体が騒がしくなり、目の下の甲板を水兵たちが忙しく走り回っているのが見えた。

 やがて。

「Maned and ready!」

 天井の小さな箱や壁から突き出た管からそんな声がして、

「Maned and ready, Sir!」

 艦長の側の水兵が同じことを繰り返した。

「よ~し・・・」

 そして艦長は、ぼくたちを振り返って、こう言った。

「今からお前たちの目ん玉が飛び出て腰を抜かすものが始まる。キンタマが縮み上がらんように、よく揉んどけ! そして、あの第一艦隊とお前たちがさっきまでいた島がどうなるか、よ~く見ておけ! Standby engine!」

「Standby engine!」

 船のエンジンだろう。ゴーっという音と共に船体が震え始めた。

「おおっ、見えたぞ!」

 ゲオルギーが叫んだ。

 煙だけだった方向に、いつの間にか大きな船が一隻、いや、2、3、・・・4隻、一列に並んで近づいてくるのが見えた。その先頭にいた一隻の周りにぼわっと白い雲が咲いた。

 と。

 どお~んっ!

 重々しい音がインビンシブル号の艦体を震わせるほどに聞えた。

 そしてすぐに、

 どか~んっ!

 さっきまでぼくたちが上陸していた島の砦の近くで大爆発が起きたのが、見えた。

「ガキども! あれが我が帝国艦隊の主力、我らの海の守り神だ」

 ヘイグ艦長が言った。

 で。

 どかどかどかどお~んっ!

 重々しい音が連続したかと思うと、島の砦の近くで次々に大爆発が起き、火炎が渦を巻き、黒い煙が濛々と舞い上がった。その煙のせいで、しばらくの間島が見えなくなってしまったほどだ。

 ブリッジにいた水兵の一人がぼくに黒いメガネを貸してくれた。それで覗いてみろというわけだ。ぼくはそれを両目に当てて構え、島のほうに向けた。

 メガネの中の黒い煙が晴れた。ぼくたちが見た大きくて頑丈な石と大木の砦があったところは木っ端みじんになって影も形もなくなっていた。

「・・・スッゲー・・・」

「おい、オレにもよこせ!」

 ドミートリーが、ゲオルギーが、ヨーゼフが、みんながそのメガネで木っ端みじんになって消えてしまった石の砦を、見た。誰もが唖然として無口になった。なんという、巨大な破壊力だろうか。「帝国の海の守り神」というのは決して言い過ぎではない。そう思った。

 その後、艦隊が航行しながらすれ違いざまに標的を攻撃したりするのも見学した。インビンシブル号の10倍以上も高く吹き上がった白い水の柱が何十本何百本と海面をかき回し、艦隊からかなり離れて見物していたぼくたちの船にも水飛沫がかかるほどだった。4隻の戦艦は、まるで地獄から来た火の神のようだった。

 やがて演習は小休止し、ぼくたちのインビンシブル号は第一艦隊の旗艦ミカサの近くに停泊した。

 そしてぼくたちはランチでミカサに登り、海軍で一番エライ、シレイ長官という人と、会った。

 何人もの幕僚を従えたフレッチャー提督はビッテンフェルト准将以上にエネルギッシュな人だった。

「おお! きみたちが北の留学生か! よく来たな!」

 提督はぼくたち一人ひとりと握手をすると、快活にこう言った。

「海も初めて。軍艦を見たのも乗ったのも初めてだと聞いた。どうだったかね? 帝国海軍は」

「はい! とても、とても勉強になりました。海軍一の軍艦の破壊力に、驚きました」

 アレックスに通訳してもらい、ぼくはみんなを代表してそう答えた。

「そうか! それは何よりだった!」

 提督はニコニコしながら、そう言った。



 せっかく水着を持っていったのに、誰も海辺で海水浴しようとは言わなかった。世話になったインビンシブル号のヘイグ艦長が言ったように、ぼくたちは「目ん玉が飛び出して腰が抜けてキンタマが縮み上がって」しまったようだった。

 そうして、まるでたましいを抜かれてしまったようになって帝都へ戻る汽車に乗ったのだが、でも、遠足はそれで終わりではなかったのである。

 来た時と同じようにドン行で帝都まで戻ったぼくたちは、その足で帝都の東にある荒れ地に連れていかれた。そこでぼくたちは、「海の守り神」以上の、「陸と空の守り神」に出会った。


 

 カラカラに乾燥した荒れ地には、すでにその演習に参加する全部隊が集結を終えていた。

 ぼくたちは観戦用の小高い丘の上の陣幕に座らされ、それを見た。

 ここでも命令は全部えいご。ただし、ぼくたちの北の言葉と英語を両方話せる通訳のひとが付いてくれて、ぼくたちに逐一様子を説明してくれた。

「参加するのは第一近衛軍団所属の第32戦略砲兵連隊、第一及び第二機甲師団、「愛国」歩兵旅団、「ヴァルキューレ」歩兵旅団、そして、第一落下傘連隊。総兵力約6千人の演習だ」

 案内役兼通訳のシュミット「ショウイ」は言った。

 ここで軍隊の階級のことをいろいろ教えてもらった。少尉は尉官で銅を模した茶色の樫の葉の階級章。そして海軍のヘイグ艦長も付けていたのは少佐でやはり銅の月桂樹の階級章。どちらも中、大と昇進するにつれそれぞれ銀や金に階級章の色が変わる。

「軍隊の勲章や階級章も作ってる」

 イリアの言葉を思い出した。彼はこういうのも作ってるんだな。そう思うと不思議な気持ちがした。

「時間だ。さあ、いよいよ始まるぞ」

 と、シュミット少尉が言った。

 ぼくたちの目の前にすでに歩兵部隊が配置に着いていた。全員が軍隊のリュック、「背嚢」を背負い地面に掘った穴、「塹壕」にはいって待機していた。歩兵はみんなカーキ色のテュニカにレギンスという同じ色の、脚にピッタリしたズボンを穿いている。

 歩兵陣地の先に荒れ地が広がり、その向こうに小高い丘が連なっていた。

 海軍のときに貸してもらった「ソウガンキョウ」というメガネを、今度はぼくたち全員が持っていた。それで見ると、小高い丘の上にはあのフジヤマ島にあったような砦がいくつも建てられていた。あれが敵の砦に見立てた「目標」なのだろう。

 歩兵陣地の後ろにはズラリと砲兵隊が並んで大砲の先を向こうに向けていた。あの戦艦ミカサに積まれていた大砲と同じくらいの、砲身の長い、大きなものだ。それが、10数門以上もある。

 そこでぼくは、眼下に整列している歩兵を指揮する将官の中にビッテンフェルト准将を見つけた。准将は将官だから金の縁取りのある肩章の色が黒。これがやはり昇進で銅、銀、金と変わり、陸軍の場合は将官はマントも着ける。

 黒のマントに金髪を靡かせた准将の姿は、めっちゃ、クール! カッコよかった。准将の指揮する部隊が「ヴァルキューレ」歩兵旅団、か。なんか、それも、カッコイイ。

 ぼくたちのいる「観戦席」の天幕には、あのインビンシブル号のブリッジにあったような小さな箱が置かれていた。

「砲兵隊! 射撃用ー意!」

 その「スピーカー」という箱から出たのはそんな命令だったのをシュミット少尉が教えてくれた。もちろん、ドミートリーが言ったような、「小さなこびと」が入っているのではない。これはきっと、ぼくらにはまだわからない仕組みで、離れたところにいる人の声を伝える機械なのだろう。やっぱり、帝国はスゴイ・・・。こういうのもぼくたちは勉強し、いずれはその仕組みを理解しなければいけないな、と思った。

「射撃用意、完了!」

「撃ち方、始めっ!」

 ズドドドドドドーンッ!

 砲兵隊の一斉射撃で、演習は始まった。鼓膜が破れるかと思った。

 海軍の時とは違い、飛んで行く砲弾が見えた。おそらく光の加減だろう。それらが弓のような線を描いて目標に飛んで行き、次々に、炸裂した。

 ドカドカドカーンッ!・・・。

 赤やオレンジの火球が横一列に炸裂し濛々とした黒い煙が「敵陣」を覆った。

「うひゃあ・・・。海もスゴかったけど、やっぱ陸だとなんか迫力だな」

 ソウガンキョウを構えたドミートリーが素直な感想を言った。他のみんなもそう思っているだろう。距離感が近い。それだけに刺激的で、それだけにコウフンするのだ。

「機甲部隊突撃準備」

 キコウブタイってなんだろう。そう思っていると、歩兵陣地の前の土が一瞬で何カ所も取り払われ、そこに鉄で鎧ったトラックのようなものが現れた。ぜんぶ大砲を持っていてもちろん、人が乗っている。

「機甲部隊、突撃開始!」

「赤1号車から10号車、各個に目標攻撃しつつ突撃せよ」

「青攻撃開始。赤を掩護せよ」

 それは「戦車」という大砲を備えた装甲された車だった。事前に掘った掩体に身を潜めて擬装していて命令を受け前進を開始したのだ。キャタピラーというグルグル回る帯のようなものを穿いた戦車は力強く穴から這い出ると向こうの丘に向かって横一直線になって前進していった。エンジンの轟音と共に砂煙が舞い上がり、風に吹かれて飛んでいった。

「うわーお、スッゲー、カーックイイ!」

 ヨーゼフが唸った。

 と。

「おわっ! ミハイル、あれあれっ!」

 突然ゲオルギーが素っ頓狂な声を上げた。彼の指さしている空を見上げると、そこに大きな銀色に光る芋虫のようなものが数匹、空を飛んでいた。

「なんだ、アレ?」

「なんだろう。オレも初めて見る」

 アレックスも目を細めつつ、手を翳して銀色の芋虫たちを見上げていた。

 傍らでシュミット少尉が微笑んでいるのに気づいた。それで、ああ、これも演習の一部なのだろう、と気づいた。帝国には、空を飛ぶ兵器もあるのだ、と。

 ぼくたちが見上げる空をゆっくりと芋虫たちが通りすぎるや、間もなく芋虫から小さな綿のようなものが一つ二つと、次々に飛び出しては落ちていった。

「あれは空挺部隊。落下傘兵だ。敵の陣地の背後に降りて、敵を後ろから攻撃する部隊だ」

 少尉はそう、教えてくれた。

 いや、すごい・・・。

 最初に大きな大砲で混乱し、次に戦車が突撃して来てさらに混乱し、次に真後ろを塞がれて退路を断たれ、そして・・・。

「連隊ーィ、前進っ!」

 目の前の陣地を出た歩兵部隊が一斉に全身を開始した。

 これで敵は完全に包囲される。降伏するか、全滅するかしかなくなる。ぼくのような子どもでも分かるりくつだ。

 進撃を開始した歩兵部隊を見守るビッテンフェルト准将の黒いマントの後姿をソウガンキョウで眺めていると、そこに一台の馬車が滑り込んできたのが見えた。中から軍服姿が二人降りて来た。一人は男。そしてもう一人は長い金髪を束ねた、女のひとだ。

 ソウガンキョウで見た男のほうの階級は銀の月桂樹。だから、中佐かな?

 え?

 その中佐に気付いたビッテンフェルト准将が敬礼している。中佐って、将官よりも下じゃなかったっけ?

 と・・・。

 その中佐と女の兵隊がこっちに向かって丘を登って来る。

 なんだろう。

 不思議に思っている間に、その中佐と女の人がぼくたちの天幕の下に入って来た。

 シュミット少尉が敬礼している。

「やあ、ご苦労様」

 と、その東洋人っぽい顔の中佐が笑顔で敬礼を返していた。

「やあ、キミたち! 演習はどうだった? 面白かったろう」

 その言葉で、彼はぼくたちに会いに来たのだとわかった。ぼくたちを見回していた彼と目が合った。

「キミがミハイルだな。あはは。お父さんに、そっくりだなあ・・・」

 この人が帝国皇帝の息子、ヤン議員だった。


 

 彼は気さくな人だった。

 ぼくたちのそばに椅子を引き寄せて座ると小学校の勉強のことや帝国語は難しいかとかスポーツは何が気に入ったかとかを一人ひとりに尋ねていた。アレックスと、ヤン議員と一緒に来た金髪のキレイな女のひとがぼくたちの言葉の足りない部分を通訳してくれたので、言葉を気にせずに話すことができた。

 そして、ある程度ぼくたちと打ち解けたヤン議員は、こう言った。

「この数日間。キミたちは帝国の陸と海と空の最精鋭の部隊を全てその目で見たことになる。どう思った? 率直な意見を聞かせてくれ」

 誰も何も言わなかったのでぼくはみんなを代表して言った。

「ぼくたちを世話してくれたインビンシブル号の艦長ヘイグ少佐はこう言っていました。第一艦隊の4隻の戦艦は『帝国の海の守り神』だと。そして今、ぼくたちは帝国の陸と空の『守り神』を見ました。帝国は神に守られた最強の国だと、そう思いました」

「ふむ」

 とヤン議員は言った。

「では、もうひとつ訊こう。

 今回のキミたちの『遠足』を企画したのは実はわたしなんだ。キミたちにどうしても見て欲しいと思ったからね。どうしてだと思う?」

「それは・・・」

 と、ヨーゼフが言った。

「ぼくたちに思い知らせるためでは? 

 帝国はこのように強大な武器を、チカラを持っている。逆らってもまったくムダだと」

 しばらくの間、ヤン議員はぼくたちをまじまじと無言で見つめていたが、やがてこう言った。

「ふむ。

 キミたちは、同じ年頃の帝国の子供たちに比べると、どこか怜悧で大人びた印象を受ける。だが、それはムリもないと思っているよ」

 彼は身を乗り出してこう続けた。

「去年、わたしはここにいるミハイルの父君、ヤーノフ殿と親しく交わった。

 彼はたった一人で国境を越え、帝国にやってきた。我が国と交流し我が国を知り我が国と盟を結ぼうとして。常人にはできない、とてつもない勇気の要る行動だったと思う」

 父を誇らしくなったぼくは胸を張った。

「その時に、ヤーノフ殿からキミたちの村の様子も聞いた。

 毎年のように近くの部族と小競り合いがある。その度に村の男が戦死し捕虜になったりする。捕虜になった者は生きたまま皮を剝がれ、首を切られ、敵の村の入り口に首を晒される。村の強さを誇示するためだ。

 キミたちは幼いころからそんな環境で育ってきた。今彼が、ヨーゼフ君が言ったような感想を持つのは至極当たり前のことだと思う。

 そしてこの数日間。そして、今日。キミたちに我が帝国の陸海空の最新鋭最精鋭の部隊を見せたのも、本質的にはそれと同じだ。威嚇。脅かしだ。だから、今ヨーゼフ君が言ったことは、的を得ていると思う」

 アレックスの通訳を聞いたヨーゼフもまた、胸を反らした。

 それから、ヤン議員はぼくたちを見回して、こう言った。

「だが、それだけではない」

 と。

「ミハイル」

「・・・はい」

 急に名を呼ばれ、ぼくは顔を上げた。

「里でキミは毎日剣の稽古をしていたそうだな。父上が言っていた」

「はい」

「それから、ドミートリー」

「・・・はい」

「キミもそうだと聞いた。それにキミはもういくさに出て敵を倒してもいる、と」

 ドミートリーは恥ずかしそうに顔を上げて頷いた。

「・・・はい」

「わたしがキミたちに見せたかったのはね、帝国もまた同じなのだということなんだ」

 ヤン議員は言った。

「どれほど切れる剣を持っていても、どれほど強力な武器を持っていても、それを操るのは我々、同じ人間だろう。あの強力な戦車も、キミたちが乗った軍艦も、それを操る人間の日々の鍛錬なしにはただの鉄くずに過ぎない。

 キミたちが見たこの陸海空の演習はキミたちに見せるために特別に実施したものじゃない。毎月、毎年、全ての部隊が漏れなく行っているごく通常の訓練だ。キミたちは、たまたまその日にここに居合わせたに過ぎない。これが、帝国軍の日常なのだ。

 わたしが言いたいことが、わかるかね?

 キミたちが剣の稽古をするのは戦場に出て一人でも多くの敵を倒し、ひいては村の平和を守るためだ。我々も同じなのだよ。国民の命と財産を守るのが我々政府の、皇帝陛下の義務なのだ。そのために我々は不断の努力を惜しまない。

 そしてそれは、この現場の兵士たちに限らない。

 兵器を整備し、軍隊にかかる費用を稼ぎ、その技術を磨き、常に改良を研究する。そうした国全体の取り組みもまた、キミたちに是非とも学んでほしいのだ。

 この遠足はキミたちが学びを終えて帰国するまで何度となく行うように指示をした。次回からは帝国の様々な産業や政治の仕組みなども見学してもらいたいと思っている」

 ぼくは感動に揺り動かされながら、目の前の聡明な東洋人の澄んだ瞳を見つめた。

「いつの日か、我々帝国とキミたちの北の民族全てがいくさを止めて共に安心して平和に暮らせる日が来ることを、わたしは心から願っているのだ。

 キミたちのこの帝国留学は、そのための第一歩なんだよ。

 どうかそれを胸に留め、日々勉強に努めて欲しい」


 

 戦車や大砲を間近で見学させてくれるというのでシュミット少尉やアレックスに連れられて丘を降りようとしたら、

「ミハイル」

 と、ぼくだけヤン議員に呼び止められた。

「実はキミに是非とも聞きたかったことがあるんだ。わたしはこのマーサと賭けをしていてね」

 カーキ色の軍服を着たマーサさんは、ぼくの姉のハナよりもずっと年上。だけどビッテンフェルト男爵夫人よりもずっと若い。ヤン議員よりもだいぶ若い、金髪のとてもキレイな女の人だ。

 後から聞いたことだけど、マーサさんはイリアが言っていたバカロレアを卒業した貴族の娘で、英語や帝国語のいろんな方言を話すことができ、東のチナ語やぼくたちの北の言葉も話せるとてもアタマのいい人だ。

 どこで北の言葉を勉強したのかと不思議だったが、考えてみれば今まで100年以上も帝国といくさをしていて帝国につかまって帝国人になった北の人は少なくない。イリアもその息子なのだから、そういう人たちから学んだのだろう。

「というのもね、キミの父上、ヤーノフ殿は背嚢にたくさんのせっけんを詰め込んで持って帰ったろう?」

「はい」

「父上がそれをどうしたのか、それが知りたかったのだ。ヤーノフ殿はあの大量のせっけんをどうしたのか」

「はい。父は村の女の人を集めて全部配ってしまいました。そして、息子や弟を帝国に留学させるのを説得して欲しい、と・・・」

「ほらみろ!」

 ヤン議員はマーサさんを振り返って楽しそうに笑った。

「わたしの言った通りだろう?、マーサ。男を動かすにはまず奥方を動かすのが最良の策だ、とね。やっぱり、ヤーノフ殿は第一級の政治家だ。

 1マルク貸しだよ、マーサ」

「後で払いますわ、ヤン。演習視察にお財布を持ってくるわけにはいきませんもの」

 長い美しい金髪を後ろで束ねたマーサさんは、そう言って上品に笑った。

「あの・・・」

「なんだね、ミハイル」

「あの、マーサさんは、ヤン議員の奥さんなんですか?」

 ぼくのいささか無遠慮な質問に、気の毒なほどに顔を赤らめたマーサさんはとびきり可愛く見えた。
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