ぼくのともだち 【軍神マルスの娘と呼ばれた女 番外編 その1】 北の野蛮人の息子、帝都に立つ

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15 帝国一の美女の「個人授業」

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 クラスのみんなや他の北の仲間たちにはナイショにした。言えば絶対に羨ましがられ、妬まれ? ちゃうかもしれない。特にドミートリーなんかは。

「なんだって? お菓子食べ放題? うそだろ? ちっくしょー、許せねー!」

 ってなる。

 でも、タオにだけは話した。

「そうだったんだ。きっとマーサさんはキミに気を遣ってるんだろうね。だって、あんなところにたった一人でこもりっきりにさせられるのは辛いだろうからね」

 タオは元老院や内閣府といった政府の役所があまり好きではないみたいだ。ぼくはそれほどでもなかったのだけれど、

「そうなんだろうね」

 と合わせておいた。

 タオはタオで、毎日ではないけれどやっぱり政府の他の役所へ行くことになったらしい。そういうこともあるのだろう。

「ヤン閣下が言ってたでしょ? 音楽専門の先生とオルガンを全部の小学校に配置? するって。ぼくね、その先生たちにピアノを教えてくれって頼まれちゃったんだよ」

 心底イヤそうな、渋々、というカンジが彼の顔に出ていた。

「ええっ?! スゴいじゃないか、タオ!」

「でもね、思いっきりピアノ弾けるならいいんだけどさ、そういうのって、ニガテなんだよなあ・・・」

 ゆううつそうに言うタオの肩を、ぼくはぽんぽんと叩いた。

 でも、勉強はともかく、タオのピアノはもう生徒というよりは先生級よりも上なのだから、仕方がないだろうとは思った。それに、この広い帝国にもまだピアノを弾ける人は少ないだろうし。

 馬車の送り迎えは感謝したけれど断った。

 毎朝、他の子供たちが学校に登校した後にメリーに跨って役所に向かった。

「行ってらっしゃい、ミーシャ。がんばるのよ。応援してるからね」

「おうえんしてるからね」

「からね」

「はい、奥様。リタ、クララ、行ってくるね」

 そうして奥様やリタやクララに見送られ、ぼくはビッテンフェルト家を出る。

 メリーは朝からぼくと出かけられるようになって嬉しそうだった。首を撫でてやると懐っこくアタマを寄せて来て鼻を鳴らした。学校へのいつもの風景とはまた違った景色を楽しみつつ、ぼくはメリーに揺られながら帝都の中心に向かった。

 内閣府の前に着くと警備の兵隊さんに敬礼をしてメリーを預けた。時折ぼくを名残惜しそうに振り返りながら、ほかの軍馬を繋いでいる厩にひかれて行くメリーを見送って、内閣府の建物に入る。そして、3階の秘書室の隣に設けられたぼくの「執務室」に、行く。

「おはよう、ミーシャ!」

 花の香りのする空気を振りまきながら、マーサさんが出迎えてくれる。

「おはようございます、マーサさん」

 チョコレートケーキ、アーモンドのパイ、マドレーヌ、オレンジジャムのタルト、ボルボローネ、サクサクのビスコッティー・・・。

 例によって覚えきれないほど食べきれないほどの焼きたて作り立てのお菓子が並んだテーブルに着く。朝ごはんはしっかり食べたはずなのに、なぜかお腹が鳴る。

「じゃあ、さっそく始めましょう」

 マーサさんは手づから淹れてくれた甘い香りの湯気の上がるショコラの木のカップをぼくの前に置いた。彼女の左の薬指には女の人には不似合いなほどゴツい銀の指輪があった。帝国人の結婚している人は男でも女でも右の薬指に指輪をしている。これは左だから結婚指輪ではないだろう。それにしても、ゴツいな・・・。

 マーサさんが今日のテーマを話す。

 ぼくはサクサクのビスコッティーを齧りながら、彼女の話を聞く。こんなこと、学校じゃ絶対にできない。

「まず、スピーチの構成を考えましょう」

「コウセイ?」

「そう。基本はあなたが学校でしたスピーチでいいの。それを一度バラバラにして再構築する」

「サイコウチク?」

「話すべき要素をあげてその並べ方をもう一度考えるの。難しくする必要はないわ。できるだけシンプルに。要はあなたの故郷と帝国の違っている点と似ている点をあげて行けばいいのよ。そしてあなたが帝国に来て見たこと聞いたこと触れたもの。それについて感じたことを素直に話せばいいの。そして、お父さんのことや、これからのあなたの故郷のありようについてのあなた自身の意見も盛り込むといいと思うわ」

「ヨウソ、シンプル、ケイケン、イケン・・・」

「帝国のいろんな仕事のことを知りたければ実際に見に行ってもいいし、調べたいことがあったらそこのバカロレアの図書館に行けばいいわ。帝都の中なら半日で行って戻って来られるし。本当ならあなたたち北の留学生の遠足で行くはずだったのだけれど、それじゃ間に合わないから」

 マーサさんが秘書室に下がる。ひとりになったぼくは、オレンジジャムのタルトを頬張りながら、持ってきたスピーチの草稿を取り出して「要素」を書き出し、そこにさらに別の要素を書き込んでゆく。


 

 ぼくが帝国に来て最初に驚いたのはアレックスが言っていた言葉、道路や鉄道などの、

「ソチアル・インフルストラクテュール」

 だったのを思い出す。

 どこまでも平坦で真っすぐな、石で舗装された道。山があればトンネルを掘り、谷や川があれば橋を架ける。そうすることで、人や馬や馬車やトラックがより小さい労力エネルギーで遠くまで往来することができる。軍隊や政府だけじゃない、街や村の人々みんながトクをする。様々な人や物品が帝国全てにより短い時間で行きわたるようになる。

 そして、とても多くの「産業」が帝国にはある。

 最初に見学した軍隊、海軍や陸軍の軍艦や戦車や小銃といった兵器ひとつとっても、多くの産業の積み重ねの上に成り立っていることがわかる。それはまるで目の前のバームクーヘンのように幾重にも折りたたまれ積み重ねられて帝国という国自体を富ませることにもつながっている。

 この前のタオのピアノだってそうだ。

 ピアノやタオが言っていたオルガンという楽器が作られる。それを作る職人さんたちが増える。そして楽器を使って学校で音楽を教える先生たちも生まれる。ぼくはまさに新しい産業が生まれるその場に居合わせたわけだ。

 多くの様々な人々がそうした様々な産業に携わり、お給料を得て生活し、また多くの物品を買い、稼いだお金を使う。お金が帝国中を回り、駆け巡る。そして人々が、潤う。

「お金」もまた、ぼくの里にはない帝国の根本を支える重要な要素だと思った。

 いったい、帝国にはどれほどの産業があるのだろう。そしてお金のことをもっと知りたい。

 時にはマーサさんに付き添ってもらって帝都のいろんな商店や工房や農園に見学に行った。帝国を支える産業をどうしてもこの目で見たかった。

 ぼくはメリーに、マーサさんは彼女の愛馬であるよく手入れされた黒毛の馬を駆っていろんな職業の現場を訪れた。

 まず、最初に遠足で見た軍隊が使っている小銃の工場へ行った。これは帝都のすぐ西に、馬で二時間ほど騎走したところ。ぼくの通う小学校のおよそ十倍以上もの広さを持つ敷地にその工場はあった。

 説明してくれたのは工場を取り仕切る国防省の役人の人だ。兵器だから民間の工場ではではないのだ。

 兵隊と同じカーキ色のテュニカにトラウザーズを履いていて腕は剥き出しじゃなくて薄いシャツを着ている。働いている工員の人もみんなシャツにトラウザーズだ。金属を削って飛び散る破片から肌を守るためだという。

「国務長官」秘書のマーサさんがついていてくれたお蔭だろうか、役人さんはとても丁寧に教えてくれた。

 小銃は主に鉄でできている。だが、一口に鉄と言ってもその成分で柔らかいものや硬いもの、いろいろな種類に分かれているのをまず知らされた。そして製法の違い。叩いて作るものや溶けた鉄を型に流し込んで作るものやカタマリを削り出して作るもの。

「キミは元素、エレメントというものを知っているかい?」

 西のチナ出身か、親がチナ人だったかするらしい、ヤン閣下と似た黒い髪の東洋人の役人が言った。

「いいえ、まだ知りません」

「鉄は元素記号Feだけれど、この現実の世の中に純粋な混じり気のない鉄製品を探す方が難しいものなんだ。実際に世の中にある多くの鉄がいろんな成分が混じっている『合金』なんだよ。これもそのひとつでね。正しい名前は『クロムモリブデン鋼』というんだ。鉄Feの中に炭素Cとか、マンガンMn、クロムCr、ニッケルNi、モリブデンMoが混ぜ合わされた『合金』なのさ。強度の違いはあるけど、陸軍や海軍の大砲も同じ合金で作られているんだよ」

 そう言って、山積みされている、まだ銃身の穴を掘る前の鉄の棒を取り上げ、ぼくに持たせてくれた。それはまだ単なる鉄の棒だったのだけれど、父がもらい受けて来た帝国の小銃よりもはるかにずっしりと、重かった。

 小銃の銃身になるものは、硬くて熱に強く衝撃にも強くて狂いが少ないものが選ばれる。そして、手間はかかるけれど精度を出すために全て削り出しで作られるということだった。

 そして何よりも驚いたのは、全ての工程が流れ作業で、分業で行われていることだった。

 銃身に穴を掘る。掘った穴にライフリング、螺旋の旋粂を彫る。薬室を取り付ける加工。銃身を黒く塗る加工。

「今帝国軍が採用している銃はボルトアクション式といってね。こんな風に一発撃つごとに槓桿を引いて薬莢を出し、次弾を装填する形式なんだけれど、この工程はその機構を取り付けるところだよ。そして引き金部分の取り付けもする」

 そして銃把、銃床になるクルミ材の木部を取り付ける工程が終わると検査工程で試射して合格した製品だけが軍に納入される。

 一人の職人が一から全部作るのだと思っていたから、これは大きな「発見」だった。

 なるほど。これならば一人の工員が同じ作業を繰り返せばいいから同じ品質のものをより安くより多くより早く作ることができる。

 ぼくら北の留学生一人につき一丁と交換された銃が出来るまでに、幾重にも、何人もの手が掛かっているのを、ぼくは知った。

 そんなふうにして多くの産業を見学した。

 そして、やはりそんな多くの産業を結び付けている「お金」のことも知りたくなった。

「それなら、銀行を見に行きましょう」

 やっぱりマーサさんに連れられるようにして、ぼくは「銀行」に、行った。

 元老院前広場、フォルム街、そして繁華街スブッラの間に挟まれるような目立たない地味な場所。だけど、国の役所からも近く繁華街や商店に近いだけに人通りは多い。

 そもそも、銀行とは何か。

 帝国語では「バンク」。方言の英語でも同じ。フランス語で「ボーンキ」。ぼくの里の言葉では・・・。なんということになるのだろう。そもそも、ぼくの里にはお金というものがない。

 銀行の役割を一言でいえば「お金を商う店」である。

 なんじゃそりゃ。

 ドミートリーなら、きっとそう言う。

 では、そもそも「お金」とは何か。

 繰り返すが、ぼくの里には「お金」がない。と、いうよりも、そもそも「お金」が必要ない。

 村で一年を通じて食べるパンのための小麦は村中みんなで総出で種を蒔き、総出で刈り入れをする。野菜も、村の女が総出で苗を植え、取り入れる。羊は各自家で飼う。山羊もそうだ。山羊の乳も村の衆みんなで分ける。偶に野菜や羊の肉、小麦や野菜を隣近所で交換することがある。ぼくが仕留めた野ウサギやシカの肉を広場で解体していると誰かが来て野菜やイモと交換してくれと言ってくる。

 でも、その程度で十分に生きられる。村の中では。

 それに比べれば、帝国の国土の広さと人口の巨大さ産業の多彩さと規模は段違い、まさに、「異次元」だ。もはや物々交換では世の中が成り立たない。

 一日中小銃の銃身を削っている人は貰ったお給料、お金でパンを買い、肉を野菜を買って食べる。物々交換などしていられない。小銃の銃身を削る人は、その労働している時間と技術を提供している見返り、対価としてお給料であるお金を貰って生活をしている。学校や大学の先生、役所の役人、軍人、トラックの運転手、服屋の店員。農業や漁業などをしていない、そうした「食べるモノを作らず、獲って来ない」人たちの方が、帝国では圧倒的に多い。そういう人たちは働いてお金を得てお金を払って食べるものを買い、生きている。

 ぼくは帝国に来て、様々な産業を束ねる「経済」というものを知った。

 その経済の中心に、銀行はあるのだ。政府でもなく、皇帝でもない。

 人は働いてお金を稼ぐ。稼いだお金は生きるために使う分以外は貯めることができる。小麦と同じだ。でも、小麦はそのままとか粉にして袋に入れておいてもいずれ悪くなる。ネズミに喰われてしまうかもしれない。でも、金や銀でできたお金なら、永久に価値が変わらない。いくらでも、何年でも貯めておくことができる。

 でも、自分の家にお金を溜め込む人は少ないのだそうだ。

 なぜかというと、不用意に自分の家にお金を貯め込むと泥棒が入って盗まれるからだ。もちろん、憲兵隊に捕まれば泥棒は鉱山送りになって奴隷よりヒドい扱いを受ける。あまり悪さがひどい時は死刑になる。それはぼくの村でも同じだ。他の家の羊を盗むヤツは自分の家の羊を全て奪われる。ひどい時には村中の人たちから殴られ、死ぬこともある。そういう悪いヤツへの御仕置は帝国でもぼくの村でも必要なものだ。

 そうならないように、人は稼いだお金を銀行に預ける。好きな時に預けて必要な時に一部か全部かを引き出す。それが銀行の役割のひとつだ。

 で、銀行にお金を預けるとトクをすることもある。

 帝国のお金の名前は「マルク」という。

 例えば、ぼくが働いて貯めた100マルクを銀行に一年間預けると105マルクになって帰って来る。「金利」という「オマケ」がつくのだ。だから人々は泥棒除けと「オマケ」を目当てにお金を銀行に預ける。

 でも、そこでぼくは不思議に思った。

 銀行で働いている人は、どうやって利益を出すんだろう。

 人のお金を預かり、金利まで付けてやってはいずれ銀行そのもののお金が無くなるではないか。

 銀行でも、その「支店」のエライ人が丁寧に説明してくれた。ここでもマーサさんの「顔」が利いた。

 エライ人は銀行のカウンター越しにやってきた人を指して言った。

「見ててごらん。あの人はお金を預けに来たんではないんだ」

「何しに来たんですか?」

「お金を借りに来たんだよ。そして、それが銀行の一番大事な役割、仕事なんだ。お金を貸すのがね」

「せっかく集まったお金を、あげちゃうんですか?」

「あははは。あげちゃったら、大損さ。あくまでも、貸すんだ。ある時期が来たら金利をつけて返してもらう。例えば、100マルク借りた人は一年後に108マルクにして返してくる。8マルクが銀行の儲けになるわけだ」

 なるほど・・・。

 銀行が「お金を売る店」という意味が、これでやっとわかった。

 人が生きるためには食べる以外にいろんなことをしなければならない。家を建てたり、商売のための店や工場を作ったりする。新しい農場を拓くときもあるだろうし、新しい漁船を買うこともあるだろう。そういう時は働いて得られるお金だけでは到底足りない、莫大な額のお金が必要になる。

 そう言う人に、銀行はお金を貸す。

 人々は借りたお金で家を建て、工場を建て、農地を開墾し、その仕事で得たお金から少しずつ銀行に借りたお金を返す。

 人がお金を借りなくなれば、むしろ銀行が困るのだ。だから、銀行にとってはお金を預けてくれる人よりも借りてくれる人の方が大事な「お客さん」になるのだ。

 帝国にはこういう銀行があちこちにある。

 そして、銀行のもう一つの役割が「為替」だ。

 繰り返すが、帝国のお金、通貨は「マルク」。でも東のノール王国では「クローネ」。西のドン王国では「両」という通貨が流通している。帝国は東のノールとも西のドンとも「貿易」をしている。東のノールからは海産物や材木や石炭や高価なガラスを「輸入」しているし、西のドンからはお酒や陶器、アルコールを作るための原料になるコウリャンという穀物を買っている。代わりに帝国からは乳製品や小麦、家畜の飼料になるトウモロコシや砂糖を輸出している。

 それらの貿易の代金の支払いのことを「決済」というのだけれど、帝国の「マルク」が基軸通貨とされているということだ。だから銀行は東のノールにも今は戦争が終わって帝国の友好国になったドンにも支店を置き、向こうの業者が「クローネ」や「両」を「マルク」に変える為替業務も行っている。その手数料収入もまた莫大な金額になるのだ。

「だいたいそんなところですかね、お嬢様」

「は?」

 その銀行のエライ人はぼくにではなくマーサさんに、しかも名前ではなく、そう呼びかけた」

「ありがとう。とても丁寧な詳しい説明だったわ、ミヒャエル。ちなみにこの子はミハイルというのよ。あなたと綴りが似ているわね」

「そうですか。元々は大天使ミカエルからとった名前ですからね。我々は兄弟かもしれない。よろしくな、ミハイル」

 だいぶ後になってから知ったが、この「帝国ツィーグラー銀行」を経営しているのはマーサさんの御実家の貴族だということだった。だから、「お嬢様」だったわけだ。


 

「見学で行ききれなかったところは図書館で調べればいいわ。キールやターラントの製鉄所や造船所、東部にある紡績工場や西部の窯業なんかは資料があると思う。そして、どの分野がどれほどの規模なのかもね。貿易についての資料もあるわ」

 タオを追いかけて行ったバカロレアの図書館でその辺りのことを調べた。

 立ち並ぶフォルム街の向こうから聞こえてくるにぎやかな繁華街を右手に見て、ハトたちが群れている元老院前広場を突っ切り、政府のいくつかの建物の間をすり抜けると緑のキャンパスがある。

 そのキャンパスの一角に図書館はあった。

 図書館は、周りの賑やかさとは全く別世界の、静かな知の宝箱だ。

 はじめて来たぼくは、まずその膨大な数の本を並べた城壁のような書架に驚かされた。一年どころか、ぼくが一生かかっても読み切れないほどの数えきれないほどの本が、そこにはあった。

 帝国の人が書いた本だけではなく、タオから聞いた地面の下や海の底のシェルターから「サルベージ」された古代の本が「復刻」されて誰でも読めるようになっているという。

 図書館の係のひとのことを「司書」さんという。

 マーサさんほどではないけれどキレイな司書さんにこういう本を探していると伝えると、キレイな司書さんは紙にスラスラとぼくが求めている本の名前をいくつか書き出し、学校のギムナジウムよりもはるかに広い書架の見取り図もくれた。

「まず、自分で探してごらんなさい。そうすれば、このリスト以外にもいい本と出会えるかもしれない。わからなくなったら、また来て」

 背の高い本棚がズラリと並んだ城壁のような書架は、「本の森」のようでもある。

 その森のなかから「産業」の棚を見つけ出し、項目ごとにアルファベット順にならんだ本の中からリストにあるいくつかの本を選び出した。時にはハシゴも使って登ったりして。

 目指す本を探していると、その近くに関連した魅力的な本がいくつか並んでいるのもわかった。司書さんが言っていたのはこういうことなのだな、と知った。

 全部選ぶと到底一日では読み切れないほどの量になる。そのなかの1、2冊だって怪しいものだ。

 幾冊かの本のページにはところどころにいろんなものが挟まっているのがわかる。それは紙の切れ端だったり木の葉だったり薄い木の皮だったり。過去にこの本を読んだ人たちがそれぞれに読みかけのところやまた読みたいところに挟んでいったものだろう。みんな同じなんだなと思った。そういうのを「栞」というのだと後で知った。たくさんの栞が挟まっているところはみんなが読んだことを示しているのだろう。それだけ大事なところなのだとわかる。古くてカサカサの葉っぱは、もしかすると挟んだのを忘れてしまって何年も経ったものだろうか。ぼくの里にもこういう図書館や栞のような文化が根付けばいいと思う。

 ひとまず選んだ本たちを読書スペースに運んで一冊ずつ目次を見ていった。読みたい個所のページにメモの切れ端を挟んでは積んでゆく。一通り要点を抜き出し、今度は優先順位? をつけてひとまず借りて行く本を一冊だけ選び、あとは書架の番号を控えて棚に戻す。

「あの、この本だけ借りたいんですが」

 司書の人に申し出た。

「この大学の学生じゃないわね。どこの子?」

「あの、家はクィリナリスなんですが、内閣府のマーサさんの御用で調べものをしているんです」

 マーサさんの名前を出せば何かとトクな気がしていた。なにしろ、ここの学生だったのだから。

「内閣府のマーサ? もしかして、マーサ・ローデンヴァルト・ツィーグラー?」

 司書さんは驚いたようにぼくに訊き返した。マーサさんの家門名と苗字を初めて聞いたような気がする。

「あの、皇帝陛下のご子息のヤン閣下の秘書の?」

「ええ・・・。そうですが。もしかして、ご存じなんですか?」

「ご存じも何も・・・。ほら」

 司書さんはカウンターの脇の壁を指した。そこには人の名前が彫られたプレートが壁いっぱいに並んでいた。

「ルディー2年度卒業の『スムマ・クム・ラウデ』よ。超有名な人よ。しかも『国務長官』の秘書だし。名門ローデンヴァルト一門のツィーグラー侯爵家の御令嬢でもあるしね。彼女、恩賜の指輪をしてるでしょう、純銀製の。見たことない?」

 ああ・・・。

 あの左手のゴツい指輪は、それだったのか。

 ぼくは、ハイ、と差し出された本を受け取るのも忘れるほど、その真鍮製のネームプレートが並んだ一角を凝視していた。

 それらのプレートは、帝国にバカロレアが創設されてから今日までの数百年もの間、毎年選ばれている最優秀学生の名前なのだった。全ての学科で最優秀を取った学生の中でもっとも優秀な卒業生がその年の「スムマ・クム・ラウデ Summa cum laude」に選ばれ、なんと皇帝から直々に記念の指輪を下賜される。これは名誉などというものでは言い表せないほどの、最高に名誉なことなのだということだった。

 試みにもっと年を遡ってプレートを見上げてみると、マーサさんのより10コほど上のところに、やっぱり、あった。

「Yang Rudy」

 皇帝陛下の正式名は「インペラトール・ルディー・カエサル・アウグストゥス」なのだが、皇帝に即位される前の平民であられたころの本当の名前が「ルディー」だけなのは帝国人なら誰でも知っている。陛下のご出身の南の国の人々には家門名も苗字もないのだ。それでも何の不都合もなく帝国で生活できている。だから、ヤン閣下の名前も「ヤン・ルディー」だけなのだ。

 ちなみに「スムマ・クム・ラウデ」は、帝国語の中でもあまり使われない「ラテン語」という言葉で「最優等」を指す。

 その下が「マグナ・クム・ラウデ Magna cum laude」最優等に次ぐ優等。

 その下が「クム・ラウデ Cum laude」優等。

 そして一番下が「ベネ Bene」よくできました。

 バカロレアの学業成績を表すのはこの4つだけなのだそうだ。

 帝国の国是? は「信義と尊厳の尊重」という。そして、帝国が標榜? しているのは失われた旧文明ではなく、それよりもはるかに古い時代の古代ローマ。ラテン語はその古代ローマの言葉だという。

 ぼくの里の言葉と同じで、ラテン語にも悪口はある。「アホ」だとか、「マヌケ」だとか、「バカ野郎」だとか、「くたばっちまえ」というものだ。

 でも、「お前は失格」とか「お前は生きている価値のないダメなやつ」とか、相手の人格とか存在を否定する言葉は無いのだそうだ。

「相手を尊重し、相手に配慮し、相手を認める」

 という点がラテン語の特徴で、帝国語の母体となったドイツ語や方言であるフランス語はそのラテン語から派生したものなのだという。帝国の中には今も古代ローマの風が吹いているのだ。

 そのことに、ぼくはとても共感した。



 調べものや見学を終えると内閣府に戻って調べた事柄や見たものを整理し、官庁街に務めている人たちのための食堂から取り寄せてもらったお昼ご飯をマーサさんと一緒に食べる。

「マーサさん。お願いがあるんですが」

「なあに、ミーシャ」

「その指輪、見せてもらってもいいですか?」

「ああ、これ? もちろん、いいわよ」

 彼女は左手の薬指からサッと指輪を引き抜いてぼくに見せてくれた。

 中央に帝国の鷲の紋章が彫られていて、その周りを取り囲むように、

「RⅡ スムマ・クム・ラウデ マーサ・ローデンヴァルト・ツィーグラー」という文字が刻まれていた。図書館の司書さんが教えてくれたのは本当だったのだ。

 ぼくはお礼を言って指輪を返した。

「スゴイですね。むっちゃ、ソンケーです」

 お金持ちの貴族の娘で才色兼備。まさに帝国一の女の人と過ごした日々は、ぼくにとって、とても貴重なものになった。


 

 こんな風にして、ぼくの「元老院スピーチ特別授業」の日々は過ぎて行き、やがて、本番の日を迎えた。
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