ぼくのともだち 【軍神マルスの娘と呼ばれた女 番外編 その1】 北の野蛮人の息子、帝都に立つ

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16 女神の激励

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 その日。


 

「男爵が登院なさるときは純白のトーガなのだけれど、子どもはどうすればいいのかわからなかったの。それでご近所にいろいろお話を聞いたの。そしたらメーテルが、ライヒェンバッハ伯爵夫人がね、廷吏や警吏の子たちと同じでいいのよ、って教えて下さったの。伯爵夫人はこういう催しごとにお詳しくていらして助かったわ」

 メイドのカレンが用意してくれた礼服仕様の真っ白なテュニカを、奥様が自ら着付けをしてくれた。

 すると・・・。

「エミーリエ! それがしの登院用のトーガはいかがしたか! これはヒダヒダがかっこよくないからイヤであると申したではないか!」

 どこからか男爵の大声が聞こえて来た。

「ん、もうっ! キュークツでメンドウだからイヤといつも駄々をこねてばかりいるクセに! こういう時に限って、んっ、もうっ!

 カレン、悪いけどちょっと行って見てあげてちょうだい!」

「ハイ、奥様」

 カレンが笑いを嚙み殺しながら出て行ってしまうと、奥様は言った。

「一生に一度、あるかないかのとても名誉なことよ。誇りに思いなさい、ミーシャ」

 そして着付けを終えた奥様はぼくをじっと見つめ、ギュッと抱きしめてくれた。マーサさんとは違う、どこか落ち着いた花の香りがした。故郷の母たちを想い出す。

「わたしもコニーたちと後から行くわ。

 がんばるのよ、ミーシャ。あなたのことはもう息子だと思っているわ。いいえ。息子たちよりも、あなたがとても誇らしいわ」

 そう言って、奥様はぼくの頬にキスをしてくれた。


 

 本番の日だからとマーサさんは馬車を迎えに寄越そうと言ってくれたのだけれど、やっぱり断った。メリーと一緒に行きたかったのだ。緊張しまくっていたぼくには彼女の温もりが必要だった。彼女に跨ると鞍の下のメリーの腹を締める脚に思わず力が籠ってしまう。

 並足で手綱を取る。メリーの体温と息遣いを感じ、少し安心できた。ぼくの緊張を察したのか、メリーもいつになく気合が入っているような気がした。

 内閣府に着いた。いつものように警備兵に敬礼しメリーを預けた。

 いつもと違ったのは野戦部隊の兵隊と同じだった警備兵のヘルメットが、今日はキンキラキンに輝いてるヤツを被っていたことだった。

「じゃあ、行ってくるよ。待っててね、メリー」

 メリーの首を撫で彼女に頬を寄せた。メリーも愛おしそうに首をこすりつけて来て鼻を鳴らした。

 いつものように階段を上り、お菓子の載ったテーブルのあるぼくの執務室に入る。

 リュックを下ろし、椅子に座る。美味しそうなお菓子がすぐ目の前にあるのに、全然食欲がわかない。

 がちゃ。

「おはよう、ミーシャ。よく眠れた?」

 いつものように麗しい花の香りを振りまきながらマーサさんが入って来た。いつもの華やかな色のテュニカではなく、真っ白な女性用の裾の長い礼服を着けていた。ぼくの顔を一目見るなりゆっくりと口元を緩ませた。

「緊張してるのね。まあ、するなってほうがムリよね」

 そしてショコラのカップをテーブルに置くと、ぼくの手を取って、言った。

「まだ時間があるわ。予行演習しましょう」

「ヨコウエンシュウ?」


 

 内閣府の建物と元老院会議場は専用の通路で結ばれていた。白い壁の長い通路だ。

 通路の右手には間隔を置いて窓が切れらていて、そこから陽光が降り注ぐ元老院前広場が見渡せた。

 マーサさんの後をついて歩きながら広場を眺めている間に、一台、また一台と豪華な馬車が入って来た。中からは白いトーガ姿の堂々とした男たちが次々に降りて来た。今日の会議に参加する元老院議員たちが登院してきたのだ。

 そんな様子を見ちゃったりして、ますます緊張してしまうのをどうしようもできなかった。

 通路の終わりにある階段を上ると、広場の大きな石段を登った上にある何本もの太い柱が立つ議事堂の正面と同じ高さのフロアに出る。そこにはいくつもの扉があってその一つに衛兵が立っていた。やっぱりヘルメットはキンキラキンだ。マーサさんが扉に近づくと、彼は敬礼し、黒くて重いドアを開けてくれた。

 そしてぼくは、議場に入った。

 そこは円形の、巨大なすり鉢を縦に半分に切ったようなところだった。

 壁は白く、はるか上の天井は丸いドームになっていた。ドームの裾には明り取り用の窓が切ってあって、ふんだんに差し込む帝国の陽光が壁に反射しながら議場全体をほの明るく浮かび上がらせていた。目を下に落とせば、すり鉢の底を取り囲むように、黒い木のベンチが縁から底に向かって幾重にも設えられているのが見渡せた。

 マーサさんはベンチの間に何本かある石段の通路の一つをすり鉢の底に向かって降りて行く。

「元老院の定数は600。その内貴族が300。平民が300。

 貴族は軍務を10年勤めれば自動的に議席が与えられる。平民も、10年兵役に就き現職の元老院議員の推薦を得た者の中から各選挙区での投票で選ばれる。

 任期は終身。貴族平民の別なく、死ぬか議員の職を自ら辞退するまでその身分が保証されるわ」

 広いように見えた議場だったが、でも、どう見ても600人もの議員全員が座るには椅子の数が足りないように見えた。だから訊いた。600人も入れますか? と。

「そうね。せいぜい400も入ればいっぱいになっちゃうかもね」

 あっさりとマーサさんは認めた。

「この議場が出来てから100年以上経つらしいけれど、今まで満席になったのを見たことがないわ。議席があっても登院しない議員が少なくないからなのよ」

「・・・どうしてですか?」

「理由はいろいろ、かな。まず大部分が、議員であっても最前線に勤務していて帝都に帰れず登院できない軍人。それに、政府の御用で外国にいる人もムリよね。大使館の大使とかね。そして、数は少ないけれど歳を取りすぎて長時間の議事に参加できない人、なんかもいる」

 ビッテンフェルト准将も元老院議員だ。でも、帝都のすぐそばの駐屯地に勤務しているにもかかわらず、会議に出ていないのを知っていた。男爵のようなそういう「サボリ」の人もいるのだろう。元老院の持つ独特の「雰囲気」が性に合わなくて。

 緊張を紛らわそうと、ぼくは訊いてみた。

「そういう人でも議員でいられるんですか?」

「本人が辞職しない限りは、ね。元老院議員の身分はたとえ皇帝陛下でも侵すことは出来ない神聖不可侵なものなのよ」

 石段を降りきってすり鉢の底に着いた。

 議員席の反対側は高い壁。底の真ん中に一際高く演壇があり、その左右にやはり黒い木の長椅子が壁伝いに広がっていた。演壇の真後ろ、背後の壁には、政府の馬車のドアや演習で見た陸海軍の旗にあるのと同じ、金色に輝く巨大な鷲の紋章が掲げられていた。

「演壇の両側にはまず元老院議員で構成される10人委員会の人たちが座る。それから、内閣府の役人や議案によっては統合参謀本部や前線の指揮官が居並ぶこともあるわ。要するに、政府側の人間が座るところ。議員の細かい質問に答えられるようにね。

 そして、証人として発言するひとのための証人席がある。

 ミーシャ、演壇に立ってごらんなさい。今日、あなたが証言する場所はそこよ」

 ぼくは何段かの石段を上がって演壇に立った。教室の教壇とは比べ物にならないほど高い場所。そこに立って、議場全体を見渡した。

 演壇を中心に扇状に広がる長椅子。ここに600人の議員の人たちが座るのか・・・。

 当然に緊張はさらに高まった。心臓がバクバク音を立てているのがわかるほどに。

 でも荘厳? だけれど予想のほか単純な感じもした。白い壁と黒い長椅子以外にはなにもない空間。簡素? 質素?

「あなたのお父さんを案内した人から聞いたわ。お父さんもそこに立って議場を見渡して驚いてた、って」

「驚いた?」

「あんまりジミだったから、だって。この議場に比べれば例えばあなたのお父さんも泊まったすぐそこのクーロン飯店の高級スイートや、あなたがお世話になっているビッテンフェルト家とかその辺りの貴族の屋敷の広間だとかのほうがよっぽど豪華よ。あなたは皇宮にも入ったんでしょう? やっぱり、ジミだったでしょう」

「はい」

 と、ぼくは答えた。

「この世界で最大最強の帝国の、それが国風なのよ。質素堅実。質実剛健。

 本当に強い戦士はゴチャゴチャとやたらに騒ぎ立てたりしないし、ゴテゴテと身なりを飾り立てて虚勢を張ったりはしないわ。それと同じなのよ。東のノールも、西のドンも、北のあなたたちの里も、帝国を見下したりはしないでしょう? むしろ無口でジミな帝国を畏れ、恐れているでしょう?」

 帝国皇帝の息子である元老院議員であり「国務長官」であるヤン閣下の秘書。マーサさんは、落ち着いた様子でそう言った。

「じゃあ、やっぱり陛下のお席もジミなんですよね、きっと」

「わたしが今座ってる、ここがそうよ」

 演壇のすぐ目の前。議員席を真っ二つに割ってど真ん中を登ってゆく石段の、向かって右側。しかも最前列に座っていたマーサさんは、そう言って両手を広げた。

「あなたがその演壇に立って証言する間、陛下はここにこんな風にお掛けになってあなたを見上げるようにして話を聞くはずよ。このことはね、この元老院で行われる議事や発言はやんごとなき帝国皇帝の身分よりも重要で尊重され、帝国皇帝でさえも敬意を払うものだということを示しているのよ」

「じゃあ、帝国では皇帝陛下よりも元老院議員や民衆の方が偉いんですか?」

「そう見えるかもしれないわね。ある意味で、意図してそう見せている、かも」

 と、マーサさんは言った。

「ミーシャ。今度はあなたがここに座ってごらんなさい」

「いいんですか?」

「ええもちろん、いいわよ」

 ぼくはマーサさんと入れ替わるようにして皇帝陛下の座席に着いた。他の議員と同じ。何の変哲もない、ただの木の長椅子でしかない。クッションもない。しかもその端っこ。

 代わりにマーサさんが演壇に立った。金の鷲の紋章をバックにした、白い礼服に美しく長い金髪を靡かせたマーサさんの姿が、ひと際神々しく見えた。

「皇帝陛下の正式なお名前は『インペラトール・ルディー・カエサル・アウグストゥス』。

 この名前の一番上と下半分は代々の皇帝が継承している称号よ。これだけでもう、帝国皇帝がこの巨大な帝国の最高権力者であることを示しているのよ」

 演壇からマーサさんが語り掛ける。その声はぼくたちの他にまだ誰もいない広大な議場の壁で反響して大きく響き渡り、凄みと力強さを感じた。ぼくの声もこんな風に聴こえるのだろうか、と思った。

「まず、『インペラトール』。

 これは陸海の帝国軍30万の頂点に立つ最高司令官であることを示しているの。

 軍の最高司令部である統合参謀本部は、元老院にではなく、唯一帝国皇帝にのみ責任を負う。このことはつまり、帝国皇帝が帝国軍全軍の指揮権を持っていることになるのよ。

『インペラトール』を名乗れるのは帝国中で皇帝陛下だけ。他の人には名乗りは許されないし、勝手にそういう名前を名乗ると法律に触れ、裁判にかけられる。そういうふうに法律で定められているの。

 さらに『カエサル』は、いにしえの古代ローマの時代から始まってドイツの『カイザー』、ロシアの『ツァーリ』にも通じる『皇帝』の尊称。国家の権威と権力を象徴する名前なの。『カエサル』を名乗ることで帝国の神々を祀る最高神祇官も兼ねていることになる。これも皇帝にしか名乗ることは許されない。

 そして最後の『アウグストゥス』は『尊厳者』という意味。元老院の議場で『プリンチペス』第一人者として存在し振舞うことができる唯一の人であることを示している。

『プリンチペス』には、議題の最初と最後に発言する権利がある。何人たりともその身体を侵されない特権、『護民官特権』も持っている。意に染まない議決にはVETO、拒否権も行使できる。もちろん、これも皇帝以外誰一人そんな特権を持つ者はいないし、『アウグストゥス』も『プリンチペス』も皇帝以外には誰一人、名乗れない。

 帝国の軍事と権威と権力を一身に集め、そして600人の元老院議員と元老院を支配下に置く唯一の人。それが『帝国皇帝』という人なの。

 古代ローマがそうだったように、この帝国も、長い間にいろんな政体を辿って今のような政体をとるようになったのよ。

 表面だけなら議員や貴族の方が偉く見えるかもしれないけれど、それは見せかけに過ぎないわ。

 こういう政体のことを大学では『元首政』と習うけれど、要するに『共和政の衣を纏った帝政』なのよ」

「『共和政の衣を纏った帝政』・・・」

 マーサさんの話はぼくにはまだちょっとムスかしすぎた。でも彼女が言おうとしていることはなんとなくわかった。この帝国では、元老院では、皇帝も貴族も議員も何かの役割を演じているのだ、と。それを演じ続けることで国のカタチを作っているのだと。

「どうしてこういう政体をとるようになったか、だけどね。わたしたち帝国貴族はね、どんな政体を採ろうとも、これさえやってれば絶対大丈夫という政体はこの世の中に存在しないということを建国以来の歴史の中で学んで知っているの。

    帝国のはじまりにはね、あなたの北の民族と深いかかわりがあるのよ、ミーシャ」

 マーサさんは演壇を離れすり鉢の底に立った。ぼくとほぼ同じ目線に立った彼女は、言った。

「約千年前のあの大災厄で、この世界は一度滅びかかった。そのことは、最近の海洋考古学の発達で急速に明らかになって来たわ。千年前の人類は、まるで神のような技を駆使した高い文明を持っていた。ものを尋ねると神の啓示のように答えを教えてくれる箱や、天空に人が作った星を浮かべて自分や他人の居場所を教えてくれたり、遠く離れた人と顔を見ながら話ができる小さな板を持っていたり、とかね。

 だけど、ほとんど一夜にして、それらは全て失われた。それまでこの地球の上に君臨していた神のような人類はほぼ全滅しかけてしまったの」

 マーサさんはゆっくりと歩いて来てぼくの隣に座った。長い金髪が揺れ、ぼくは彼女の花の香りに包まれた。それは何故かぼくをとても落ち着かせた。

「その時、ヨーロッパというところに住んでいた何十家族かが、それまで住んでいた土地から逃げ出し、命からがら南に向かい、最終的にこの帝都の地にやってきた。

 途中、今のあなたたち北の民族の土地を通過しなければならなかった。でもそもそもはね、最初から通過するつもりではなくて、単純に目先の災いから逃げて来ただけだったのよ。もし、あなたたちの先祖がわたしたちの先祖を受け入れてくれれば、今の帝国はなかったかもしれないわね。

 でも、そこには彼らの居場所はなかった」

 そこでマーサさんはそれまで見せたことがなかった厳しい眼をしてぼくを睨んだ。

「あなたたちの先祖は、わたしたちの先祖を受け入れなかった。それだけじゃなくて、目の前に急に現れたわたしたちの先祖を実力で追い出しにかかった。当然に戦いになり、その戦いでわたしたちの先祖の少なくない人々が命を落とし、少なくない家族が失われた」

 どお~ん・・・。

 それじゃあ、我々北の民族は帝国の人々の仇敵、カタキではないか。

 急に目の前が暗くなるのを感じた。

「そこには身を落ち着ける場所はない。そう思った先祖たちは、さらに南を目指した。襲い掛かって来るあなたの先祖たちを追い払いながら、ね。

 そうして、先祖たちはやっとの思いでこの七つの丘の地に辿り着いた。その時の何十家族かが帝国人の始まりだし、その直系が今の貴族たちの先祖なの。

 その言い伝えを大事にしている貴族の中には、自分たちこそがこの帝国の創始者であり守護者だという自負心を強烈に持っている家が少なくないわ。わたしの実家もそう。そして、ブランケンハイム侯爵などはその最たるものだわ。皇宮での演奏会で会ったでしょう? 」

「はい」

「帝国の草創期から何百年という時が流れ、最初は王が立って王政を敷き、その後に貴族の中から有力者が現れて寡頭政を行い、それから貴族たちで構成する元老院が生まれて執政官が立ち、平民からも議員や執政官が出て政治に参加するようになった。

 でも次第に帝国の領土が広がって来た。決して帝国が望んだことではないけれど、西のチナや北のあなた方からの挑戦を何度も跳ねのけているうちに土地が広がって行ったの。

 するとね、毎年のように議員から執政官を選び、なんでもかんでも議会で決めていると追いつかなくなってきた。そこで、元老院議員の中から第一人者を選び長期の戦略を立てられる仕組みを作った。そして、今の帝政ができた。

 それからもう、200年近い時間が流れた。

 でも、それでも帝国の政治を担っているのは自分たちだという貴族の自負心は消えずに残っているわ。ある意味で、そうした貴族たちの強い意思が、この帝国を支えているとも言える。あなたが今日証言するのは、その強い意志と矜持を持つ貴族たちに対してなの」

 そして、マーサさんはぼくの手を取って、言った。

「あなたも知っているように、帝国人たちはみんな、あなた方をバルバールン、野蛮人と言って見下しているわ。言葉も道理もわきまえない者達だと。

 自分たちで何の努力もせず、食えなくなると南にやってきては帝国の地を荒らし、作物や家畜を奪い、帝国の民を殺す。仲間内でも小競り合いが絶えない。毎年、毎月、毎日のように殺し合いばかりしている、野獣と同じだと思っている人もいる」

 言葉は厳しかった。マーサさんの言っていることは全部本当のことだ。帝国に来てからのぼくたちは、意外にもフレンドリーな人たちばかりに会ってきたせいかその事実を忘れていた。マーサさんの言葉は、あらためてその現実をぼくに突きつけた。

 彼女は握ったぼくの手の上にさらにほっそりとした上品な温かい手を添え、重ねた。

「でも、ヤン閣下はそんな帝国とあなた方北の里との関係を変えようとしている。

 去年、あなたのお父さんに会ったからよ」

 マーサさんの青い瞳に優しい色が浮かんだ。

「閣下が、西の国との戦争で盾に張り付けられて戦場に捨てられた『盾の子供たち』だったことは、あなたも聞いたでしょう? 当時第十軍団の大隊長、ルディー少佐だった陛下に助け出されたと」

「はい」

「それに、閣下には兄弟同然に育ったイトコがいたの。陛下の甥にあたられる同じ軍団で新任の少尉だったウリル少将もそこで『タオ』という少年を助け出した。だから今、ウリル閣下は同じ名と境遇を持つタオを目に入れても痛くないほどに可愛がっている」

 ヤン閣下の秘書だからだろう。マーサさんはタオのこともよく知っていた。それに閣下の家でタオが手を組んで祈りを捧げていたお墓にいる人のことも。

「タオのピアノの才能は3歳でピアノを弾き始め5歳で作曲をはじめたモーツァルトに匹敵すると、それは手放しで褒めていらっしゃる。

 でもね、極限状況に置かれた人間は、特に子供は、時に驚くほどの能力を開花させることがあると聞いたことがあるわ。

 ある日突然弟が攫われ、お父さんもお母さんもいなくなり、たった一人で自分の家を守っていた。その家も、帝国軍が攻めて来て取られてしまい、挙句の果てに砲弾でめちゃめちゃに壊されてしまった・・・。

 でも、タオは驚異的に強い子だった。

 普通の子なら絶望してアタマがおかしくなって泣き叫けぶだけになってもおかしくない。そんな破局と絶望と悲しみを、タオは見事にピアノという世界で昇華し、その才能を開花させた。でも、本来ならまだ、ご両親と兄弟がそろった家族の温かさの中で存分に夢を見たい年頃なのよ。

 戦争になれば兵も死ぬけれど女も夫や息子や兄や弟を喪う。そして必ず小さな子供もギセイになる。

 閣下はそれを肌で体験した方。そして、兄弟同然に育った友達を亡くし、今また友達と同じ名前を持つ同郷のタオの面倒も見ている。それだけに、戦争を憎むお気持ちが誰よりも強いの。

 だから閣下は、あなたの里に楔を打ち込み、あなた方の中に帝国と共に生きようとする人たちを増やしていこうとしている。これ以上同じような子供を生まないために。

 陛下もそのお考えに賛同しているし、貴族たちの中にも閣下のお考えに共鳴してくれる人たちが出て来た。

 今あなたがお世話になっているビッテンフェルト家をはじめとして、今回あなたたち北の留学生を受け入れてくれた貴族たちはみんな、ヤン閣下のそうしたお考えに賛同してくれた人たちなの。

 盾に張り付けられていた自分や友達だったタオ。それに過去の忌まわしい記憶を持ちながらピアノという世界で必死に生きようとしている小さなタオ。そんな子供をこれ以上増やしたくない。そう思う閣下のお気持ちが伝わったのだと思うわ」

 そして、マーサさんはぼくの手を力強く握った。青い目に熱い炎を宿らせた彼女は、どんな屈強な兵士よりも強い力でぼくを抱きしめ、支えてくれた。

「ミーシャ!

 あなたは、あなたのお父さんの強い信念を現実のものにするために、この帝国に来た。

 あなたたちは、けっして、ひとりぼっちじゃないわ!

 それを、忘れないで!」


 

 これよりはるかな後年。

 里に帰ったぼくは、部下たちを率いていくさに臨むときにやはり兵たちを叱咤し、励ました。

「大丈夫。ぼくを信じてガンバレ!」

 兵たちにはそう言うよりもむしろ、

「もしお前たちが倒れれば、里は消える。お前たちの頑張りが勝利をもたらし、妻や子たちを救うのだ! 」

 部下たち一人ひとりに使命感を持たせ、鼓舞した。そういう時、ぼくは必ずあの少年の日のマーサさんの熱い言葉を思い出した。


 

「あの、そろそろ議員閣下がたの入場なのですが・・・」

 振り返ると白い礼装のテュニカ姿の凛々しい少年が立っていた。

「Hi! アイク。もう時間なのね」

 席を立ったマーサさんがその少年に親しく話しかけた。

「ミーシャ、紹介するわ。彼が今年度の廷吏の長。議長役をする・・・」

「第3アヴェンティノス小学校6年のドワイト・アイゼナワーだ。キミのことは聞いてる。よろしくな、ミハイル!」
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