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第一章 潜伏
12 バレた?
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「何をなさっているのか、説明していただけますか、少尉」
ヨードルは、背嚢を前後逆にかけたヴァインライヒ少尉に声を掛けた。美少女はつまらなそうに背嚢を床に降ろし、
「テストです」
と答えた。
「こんな夜中に、こんなところで、一体何のテストなのです」
「知りたいですか?」
美少女はニコ、と笑った。
ああ・・・。笑った顔が娘のヒルダに似ている、と思った。
彼女は背嚢を開き中から金属の平たい箱を覗かせた。赤と緑の二つのボタンが付いている。
「ちょうどよかったです、海曹長。この部屋はミカサの一番底ですよね」
「まあ、そうです」
「何をする部屋かは知りませんが、ここにこれを置かせてほしいのです」
「何ですか、それは」
「発信機です」
「ハッシンキ? もしかして、あの通信機とやらの親戚ですか?」
うふふ。
ヴァインライヒは小さく笑い、ボタンの横の蓋を開け三つの小さなライトが光っているのを見せた。
「今回この演習航海に乗艦させていただいた機会に艦内で電波がどのように伝わるかテストさせていただきたかったのです。この中には特定の周波数の電波の発信源と電池が入っています。ブリッジから最も遠い、いくつもの隔壁を隔てたここからどの程度電波が伝わるかをブリッジの通信機でモニターできるのです」
「はあ・・・」
「皆さんの邪魔でしょうか」
「それは・・・、ほとんどありません」
ヨードルは正直なところを言った。
「通常では使われない部屋ですし、設備ですから」
「ここは何をする部屋なのですか。このパイプとバルブは何のために?」
肩までの短いブルネット。その澄んだ碧眼までが娘にそっくりだった。瓜二つとまではいかない。が、最後に見たヒルダの面影を思い起こさせるほどに、このバカロレアの娘は自分の娘の特徴を併せ持っていた。ヒルダに最後に会ってから、もう三年にもなる。
「・・・この艦は蒸気でエンジンを動かします。このバルブから海水を取り入れ、ボイラーに送り蒸気を作ります。また戦闘時に被弾した際、前部と後部の弾薬庫に注水するときにもこのバルブを開きます」
「でもそんなことをしたら沈没してしまうじゃありませんか!」
「大量の砲弾薬に誘爆するよりはマシです。それに、たとえ前後の弾薬庫が満水になってもそれだけではこの艦は沈みませんから」
ヨードルはこの好奇心の強い利発そうな娘に好感を抱いた。
「それにもう一つ。被弾して片舷に浸水した時も反対側に注水してトリムを保つのに使います。艦を水平にしないと主砲や副砲の射撃が出来なくなるからです」
「なるほど。とてもよくわかりました」
「ですので、今回の演習中にはまず、使われない部屋です。戦争しているわけではありませんからね。ですので、その程度の荷物でしたら帰港してから撤去していただけるならご自由に設置していただいて構いません。ただし、艦は波浪で動揺しますから横倒しになったり滑って転がらないようにしっかり何かに固定してください」
「じゃあ、このバルブに括りつけても?」
「いいですよ」
「あと・・・、そうですね、その壁際のフックににでも固定させてください」
「二つもですか」
「それぞれ、周波数が違うのです。一緒にすると具合が悪いもんですから」
「・・・なるほど」
ヴァインライヒ少尉はヨードルの目の前で二つの大きな箱を設置し、それぞれについているボタンを押した。
「これで終わりです。大切なことを教えていただいて、ありがとうございました」
「下士官の務めですので、お気遣いなく」
二人はそろってその部屋を出てハッチを閉めた。
「あの・・・」
「なんでしょう」
「そういえば、出港前に艦長とお話しされていた、なんですか、あの石炭がどうとかいうのは、どういうことなのですか」
その時は第三者にも聞いてもらって大事にしようという意図があった。だがこうしてすでに港を離れてしまった今、あの一件を公にしてしまっては、水兵たちの士気に係ると思い直した。およそ軍隊とか軍艦というもので一番大切なものは「兵の士気」だと、20年前に初めてキール軍港で駆逐艦乗りになった時、くどいほど叩き込まれたのが今も骨身に沁みていた。
「・・・なに、いつものことです」
さもつまらなそうに、重大事などではないとでもいう体でヨードルは流した。
「石炭にもいろいろあるんですよ、少尉。カロリーのことですがね。この艦は最もカロリーの高い、すなわち火力が強くて馬力の出る、そして、高価な石炭を使用するのです。下士官としては艦第一ですが、上の方々はさらに上の方々からもっと経費を削れとか言われているんじゃないですかね。ケチりたくなる気持ちもわかりますがね。ま、見たところ今回の10日間ほどの訓練には十分に間に合うようですから、心配はないでしょう。あとから自分のせいにされるとイヤなので、ちょっとキツめに報告しただけなんですよ」
自分の漏らしてしまった懸念を経済と政治の論理にすり替え、いつものように上官に意見具申をしただけだというように思わせた。
「そうなんですか。よくわかりました。でも海軍て、意外にオープンな所なんですね。」
ヴァインライヒはホッとしたような表情で寛げた。
「海曹長、これからまだお仕事なのですか? もうほとんどの人は寝ているのに」
「歳を取ると寝つきが悪くなるんです。それで水兵たちが手抜きをしていないかついでに艦内を見回ったりするのです」
「そんな。海曹長はまだお若く見えます」
とヴァインライヒは言った。
「あの、後になってしまいましたが、夕食をありがとうございました」
「ああ・・・」
ずいぶんと律儀な質の娘だなと思った。
「少尉がジムだけ先に帰して下さったと聞きまして。彼が夕食に間に合うように、お気遣いいただいたと。それで、少尉はどうされるのか、気になっただけです」
バカロレアの娘は美しい笑みを浮かべ彼を見つめた。
上の階に向かう狭い階段を登り、後から登って来た少尉の小さな手を取って引き上げた。
「ありがとうございます。海曹長って、もっとおっかない人かと思ってましたけど、お優しい人だったんですね」
床のハッチを閉める彼を見下ろし、美少女はまたも律儀に礼を言い、世辞まで付け加えた。夜中にこんな照れくさいことを言われるのも何年ぶりだろうか。
「おっかないですよ。怠けた水兵たちには容赦なくカミナリを落としますからね」
「でも、ジムもあなたを尊敬していると言っていましたよ」
「そうですか。甘えられるよりは、おっかながられた方がいいですけどね」
そんな話をしながら、なおも階段を登ろうとする少尉を促した。
「少尉、この上はもう上甲板です。少尉の部屋はこのフロアですよ。あっちです」
「あら、そうだったんですね・・・。ごめんなさい。作りがどこも同じに見えて。じゃあ、これで。おかげで助かりました。ありがとうございました」
「そうだ。言い忘れていたことがあります」
ヨードルは天井の灯りを指してこう言った。
「なんでしょう」
発電機の不具合。ダイナモの回転にムラが起きていたせいで、恐らく電圧が微妙に変動したのが通信機の故障に繋がったのでは、と言おうとした。しかし、言おうとして何故か気後れし、言葉に詰まった。
碧眼を真っすぐ向けて見上げて来るバカロレアの娘。そう言えば幼いヒルダからこんな目で見上げられたことがあったっけなあ・・・。
どうしてお父さんはいつもいないの? ・・・
「・・・どうしました? 海曹長」
「・・・あ、いや・・・。何でもありません。失礼しました」
少尉は小さな微笑を浮かべ、
「わかりました。おやすみなさい」
と言った。
「おやすみなさい、少尉」
ヨードルは自室に向かう美少女を見送り、先刻までの憂鬱な気分が消え、温かくて、せつないものを胸にすることが出来た思いで艦首方向へ歩みを進めた。
ヤヨイはホッとしてベッドに寝転がった。
背後から声を掛けられた時にはどうしようかと思ったが、自分でもうまく立ち回れたことに驚いていた。うまく設置を終えても後から発見されて取り外されたら困ると思っていた。結果論だが、むしろ先任士官に立ち会ってもらってよかったと思った。
だが、不愛想だとばかり思っていた先任士官と話せたのはよかった。彼は何かを言いかけた。あれはなんだったのだろう。それが少し気になったが、話してみれば意外なほど気さくな男だった。なら最初のあの態度は何だったのだろうと思うが、何か心境の変化でもあったのだろうか。彼のプロフィールが送られて来れば、それがわかるかもしれない。
ルメイと対立関係にあるのはわかったが、まだヨードルを完全に味方と断定はできない。だがいずれにしてもコミュニケーションが取れたのはいいことだと思った。それに彼の不愛想な仮面の下の、優しい一面を慕う水兵はいるのだ。水兵たちの印象が、案外決め手になるのかもしれない。
小さな送受信機のダイヤルを「5」に合わせ、ワイヤーを繋いでみた。リヨン中尉からの返信はまだなさそうだった。
ヤヨイが2、3時間ほど仮眠している間に、航走する第一艦隊に、朝が来た。
「先任士官より全艦に達する。総員起こし。各員通常配置に着け。以上」
艦内のスピーカーからヨードル海曹長の声が流れ、総員起こしのラッパが吹奏され、静かだった艦内は急に騒めきだした。
ヤヨイもまた身支度を整え、ブリッジに向かった。途中ミヒャエルの居室のドアを叩いた。
「ミック! 朝よ。起きて。わたし先に行くね」
タラップを駆け上がりブリッジに入った。
ブリッジは静かだった。
操舵員と機関員の水兵の他にはブリッジ左右舷の見張り員と昨夜の当直士官である通信科のデービス大尉がいるだけだった。大尉は寝ぼけ眼で敬礼したヤヨイを笑った。
「おはようございます」
「やあ、おはよう。今日からユンゲ少尉と交代でここに詰めてくれな。オレは副長が来たら下がらせてもらうから」
「順調ですか?」
「通信機もミカサも何事もなく、さ。8時になったらターラントに定時連絡を入れてくれ。通常航行時は8時と12時、16時と20時に入れることになってる」
「アイ、サー」
「フフン。海軍式の敬礼も板についてきたな」
まだミカサの全士官、航海科、機関科、砲術科、そして司令部要員たちは来ていなかった。まだ異変は起こらないだろう。起こるとすれば明日、明後日、演習海域に到着した後の可能性が高い。それまでは、乗組員たち、特に士官たちの観察に勤めることだ。
「よろしければ艦隊全艦の通信テストをしたいと思います。いいでしょうか」
「おう。やってみてくれ。念には念を、だな」
ヤヨイはデービス大尉と席を代わった。各艦に同時に全周波数で呼びかけた。
「ミカサより第一艦隊全艦へ達する。通信テスト。通信テスト。感度いかがですか。オーバー」
「ヴィクトリーよりミカサ。感度良好。オーバー」
アンではなかった。あの美男とは言えない大尉だろう。でも真っ先に応答してくれた。やはり小気味のいい艦だと改めて思った。
続いてビスマルク、エンタープライズからもアンサーが来た。
「大尉。各艦受信状態良好です」
「了解。まずまずだな。・・・お、副長だ」
デービス大尉と共にヤヨイも席を立ち敬礼した。
「お早うございます、副長」
チェン少佐は東洋風の顔に快活な笑顔を浮かべ答礼した。
「お早う! お、さっそく配置に就いているな。よろしく頼むぞ、少尉!」
そう言って艦長用のコマンダーシートに座った。
「わかりました、副長!」
8時になった。
ヤヨイは通信機のモード切替つまみを音声通信用のVHFからモールス通信用の中波に切り替えた。そして、モールス信号のキーを叩いた。
*** 第一艦隊ミカサより軍令部に達する。定時連絡を送る。現在、艦隊はターラント沖約140海里付近を実弾射撃演習予定地フジヤマ島に向け航行中なり。天気快晴。波穏やかなり・・・ ***
そうだ。
今は「バカロレアから通信機の運用のために派遣された臨時士官」を演じ切らねば。
キーを打ちながら、ヤヨイはこれから始まるであろう、裏切り者たちの策動に備え、気を引き締めた。
士官たちがブリッジに昇って来た。
「おはようございます!」
ヨードルは、背嚢を前後逆にかけたヴァインライヒ少尉に声を掛けた。美少女はつまらなそうに背嚢を床に降ろし、
「テストです」
と答えた。
「こんな夜中に、こんなところで、一体何のテストなのです」
「知りたいですか?」
美少女はニコ、と笑った。
ああ・・・。笑った顔が娘のヒルダに似ている、と思った。
彼女は背嚢を開き中から金属の平たい箱を覗かせた。赤と緑の二つのボタンが付いている。
「ちょうどよかったです、海曹長。この部屋はミカサの一番底ですよね」
「まあ、そうです」
「何をする部屋かは知りませんが、ここにこれを置かせてほしいのです」
「何ですか、それは」
「発信機です」
「ハッシンキ? もしかして、あの通信機とやらの親戚ですか?」
うふふ。
ヴァインライヒは小さく笑い、ボタンの横の蓋を開け三つの小さなライトが光っているのを見せた。
「今回この演習航海に乗艦させていただいた機会に艦内で電波がどのように伝わるかテストさせていただきたかったのです。この中には特定の周波数の電波の発信源と電池が入っています。ブリッジから最も遠い、いくつもの隔壁を隔てたここからどの程度電波が伝わるかをブリッジの通信機でモニターできるのです」
「はあ・・・」
「皆さんの邪魔でしょうか」
「それは・・・、ほとんどありません」
ヨードルは正直なところを言った。
「通常では使われない部屋ですし、設備ですから」
「ここは何をする部屋なのですか。このパイプとバルブは何のために?」
肩までの短いブルネット。その澄んだ碧眼までが娘にそっくりだった。瓜二つとまではいかない。が、最後に見たヒルダの面影を思い起こさせるほどに、このバカロレアの娘は自分の娘の特徴を併せ持っていた。ヒルダに最後に会ってから、もう三年にもなる。
「・・・この艦は蒸気でエンジンを動かします。このバルブから海水を取り入れ、ボイラーに送り蒸気を作ります。また戦闘時に被弾した際、前部と後部の弾薬庫に注水するときにもこのバルブを開きます」
「でもそんなことをしたら沈没してしまうじゃありませんか!」
「大量の砲弾薬に誘爆するよりはマシです。それに、たとえ前後の弾薬庫が満水になってもそれだけではこの艦は沈みませんから」
ヨードルはこの好奇心の強い利発そうな娘に好感を抱いた。
「それにもう一つ。被弾して片舷に浸水した時も反対側に注水してトリムを保つのに使います。艦を水平にしないと主砲や副砲の射撃が出来なくなるからです」
「なるほど。とてもよくわかりました」
「ですので、今回の演習中にはまず、使われない部屋です。戦争しているわけではありませんからね。ですので、その程度の荷物でしたら帰港してから撤去していただけるならご自由に設置していただいて構いません。ただし、艦は波浪で動揺しますから横倒しになったり滑って転がらないようにしっかり何かに固定してください」
「じゃあ、このバルブに括りつけても?」
「いいですよ」
「あと・・・、そうですね、その壁際のフックににでも固定させてください」
「二つもですか」
「それぞれ、周波数が違うのです。一緒にすると具合が悪いもんですから」
「・・・なるほど」
ヴァインライヒ少尉はヨードルの目の前で二つの大きな箱を設置し、それぞれについているボタンを押した。
「これで終わりです。大切なことを教えていただいて、ありがとうございました」
「下士官の務めですので、お気遣いなく」
二人はそろってその部屋を出てハッチを閉めた。
「あの・・・」
「なんでしょう」
「そういえば、出港前に艦長とお話しされていた、なんですか、あの石炭がどうとかいうのは、どういうことなのですか」
その時は第三者にも聞いてもらって大事にしようという意図があった。だがこうしてすでに港を離れてしまった今、あの一件を公にしてしまっては、水兵たちの士気に係ると思い直した。およそ軍隊とか軍艦というもので一番大切なものは「兵の士気」だと、20年前に初めてキール軍港で駆逐艦乗りになった時、くどいほど叩き込まれたのが今も骨身に沁みていた。
「・・・なに、いつものことです」
さもつまらなそうに、重大事などではないとでもいう体でヨードルは流した。
「石炭にもいろいろあるんですよ、少尉。カロリーのことですがね。この艦は最もカロリーの高い、すなわち火力が強くて馬力の出る、そして、高価な石炭を使用するのです。下士官としては艦第一ですが、上の方々はさらに上の方々からもっと経費を削れとか言われているんじゃないですかね。ケチりたくなる気持ちもわかりますがね。ま、見たところ今回の10日間ほどの訓練には十分に間に合うようですから、心配はないでしょう。あとから自分のせいにされるとイヤなので、ちょっとキツめに報告しただけなんですよ」
自分の漏らしてしまった懸念を経済と政治の論理にすり替え、いつものように上官に意見具申をしただけだというように思わせた。
「そうなんですか。よくわかりました。でも海軍て、意外にオープンな所なんですね。」
ヴァインライヒはホッとしたような表情で寛げた。
「海曹長、これからまだお仕事なのですか? もうほとんどの人は寝ているのに」
「歳を取ると寝つきが悪くなるんです。それで水兵たちが手抜きをしていないかついでに艦内を見回ったりするのです」
「そんな。海曹長はまだお若く見えます」
とヴァインライヒは言った。
「あの、後になってしまいましたが、夕食をありがとうございました」
「ああ・・・」
ずいぶんと律儀な質の娘だなと思った。
「少尉がジムだけ先に帰して下さったと聞きまして。彼が夕食に間に合うように、お気遣いいただいたと。それで、少尉はどうされるのか、気になっただけです」
バカロレアの娘は美しい笑みを浮かべ彼を見つめた。
上の階に向かう狭い階段を登り、後から登って来た少尉の小さな手を取って引き上げた。
「ありがとうございます。海曹長って、もっとおっかない人かと思ってましたけど、お優しい人だったんですね」
床のハッチを閉める彼を見下ろし、美少女はまたも律儀に礼を言い、世辞まで付け加えた。夜中にこんな照れくさいことを言われるのも何年ぶりだろうか。
「おっかないですよ。怠けた水兵たちには容赦なくカミナリを落としますからね」
「でも、ジムもあなたを尊敬していると言っていましたよ」
「そうですか。甘えられるよりは、おっかながられた方がいいですけどね」
そんな話をしながら、なおも階段を登ろうとする少尉を促した。
「少尉、この上はもう上甲板です。少尉の部屋はこのフロアですよ。あっちです」
「あら、そうだったんですね・・・。ごめんなさい。作りがどこも同じに見えて。じゃあ、これで。おかげで助かりました。ありがとうございました」
「そうだ。言い忘れていたことがあります」
ヨードルは天井の灯りを指してこう言った。
「なんでしょう」
発電機の不具合。ダイナモの回転にムラが起きていたせいで、恐らく電圧が微妙に変動したのが通信機の故障に繋がったのでは、と言おうとした。しかし、言おうとして何故か気後れし、言葉に詰まった。
碧眼を真っすぐ向けて見上げて来るバカロレアの娘。そう言えば幼いヒルダからこんな目で見上げられたことがあったっけなあ・・・。
どうしてお父さんはいつもいないの? ・・・
「・・・どうしました? 海曹長」
「・・・あ、いや・・・。何でもありません。失礼しました」
少尉は小さな微笑を浮かべ、
「わかりました。おやすみなさい」
と言った。
「おやすみなさい、少尉」
ヨードルは自室に向かう美少女を見送り、先刻までの憂鬱な気分が消え、温かくて、せつないものを胸にすることが出来た思いで艦首方向へ歩みを進めた。
ヤヨイはホッとしてベッドに寝転がった。
背後から声を掛けられた時にはどうしようかと思ったが、自分でもうまく立ち回れたことに驚いていた。うまく設置を終えても後から発見されて取り外されたら困ると思っていた。結果論だが、むしろ先任士官に立ち会ってもらってよかったと思った。
だが、不愛想だとばかり思っていた先任士官と話せたのはよかった。彼は何かを言いかけた。あれはなんだったのだろう。それが少し気になったが、話してみれば意外なほど気さくな男だった。なら最初のあの態度は何だったのだろうと思うが、何か心境の変化でもあったのだろうか。彼のプロフィールが送られて来れば、それがわかるかもしれない。
ルメイと対立関係にあるのはわかったが、まだヨードルを完全に味方と断定はできない。だがいずれにしてもコミュニケーションが取れたのはいいことだと思った。それに彼の不愛想な仮面の下の、優しい一面を慕う水兵はいるのだ。水兵たちの印象が、案外決め手になるのかもしれない。
小さな送受信機のダイヤルを「5」に合わせ、ワイヤーを繋いでみた。リヨン中尉からの返信はまだなさそうだった。
ヤヨイが2、3時間ほど仮眠している間に、航走する第一艦隊に、朝が来た。
「先任士官より全艦に達する。総員起こし。各員通常配置に着け。以上」
艦内のスピーカーからヨードル海曹長の声が流れ、総員起こしのラッパが吹奏され、静かだった艦内は急に騒めきだした。
ヤヨイもまた身支度を整え、ブリッジに向かった。途中ミヒャエルの居室のドアを叩いた。
「ミック! 朝よ。起きて。わたし先に行くね」
タラップを駆け上がりブリッジに入った。
ブリッジは静かだった。
操舵員と機関員の水兵の他にはブリッジ左右舷の見張り員と昨夜の当直士官である通信科のデービス大尉がいるだけだった。大尉は寝ぼけ眼で敬礼したヤヨイを笑った。
「おはようございます」
「やあ、おはよう。今日からユンゲ少尉と交代でここに詰めてくれな。オレは副長が来たら下がらせてもらうから」
「順調ですか?」
「通信機もミカサも何事もなく、さ。8時になったらターラントに定時連絡を入れてくれ。通常航行時は8時と12時、16時と20時に入れることになってる」
「アイ、サー」
「フフン。海軍式の敬礼も板についてきたな」
まだミカサの全士官、航海科、機関科、砲術科、そして司令部要員たちは来ていなかった。まだ異変は起こらないだろう。起こるとすれば明日、明後日、演習海域に到着した後の可能性が高い。それまでは、乗組員たち、特に士官たちの観察に勤めることだ。
「よろしければ艦隊全艦の通信テストをしたいと思います。いいでしょうか」
「おう。やってみてくれ。念には念を、だな」
ヤヨイはデービス大尉と席を代わった。各艦に同時に全周波数で呼びかけた。
「ミカサより第一艦隊全艦へ達する。通信テスト。通信テスト。感度いかがですか。オーバー」
「ヴィクトリーよりミカサ。感度良好。オーバー」
アンではなかった。あの美男とは言えない大尉だろう。でも真っ先に応答してくれた。やはり小気味のいい艦だと改めて思った。
続いてビスマルク、エンタープライズからもアンサーが来た。
「大尉。各艦受信状態良好です」
「了解。まずまずだな。・・・お、副長だ」
デービス大尉と共にヤヨイも席を立ち敬礼した。
「お早うございます、副長」
チェン少佐は東洋風の顔に快活な笑顔を浮かべ答礼した。
「お早う! お、さっそく配置に就いているな。よろしく頼むぞ、少尉!」
そう言って艦長用のコマンダーシートに座った。
「わかりました、副長!」
8時になった。
ヤヨイは通信機のモード切替つまみを音声通信用のVHFからモールス通信用の中波に切り替えた。そして、モールス信号のキーを叩いた。
*** 第一艦隊ミカサより軍令部に達する。定時連絡を送る。現在、艦隊はターラント沖約140海里付近を実弾射撃演習予定地フジヤマ島に向け航行中なり。天気快晴。波穏やかなり・・・ ***
そうだ。
今は「バカロレアから通信機の運用のために派遣された臨時士官」を演じ切らねば。
キーを打ちながら、ヤヨイはこれから始まるであろう、裏切り者たちの策動に備え、気を引き締めた。
士官たちがブリッジに昇って来た。
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すべて会議の議事録として“やさしく処理”されていく。
これは、歴史が動きそうで動かない、
両家政務会議の史実回避コメディである。
だが――
この均衡がいつまで続くのかは、誰も知らない。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
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