上 下
41 / 60
第二章 対決

39 冷徹な敵の指揮官、ミン・レイ

しおりを挟む
 両舷の奇数番号副砲は水平に敵船を狙い、後部では小さなボートが1隻、敵の只中に向け潮流に乗ってゆっくりと艦を離れていった。載っているのは小さな包みで、副砲である70ミリ砲の薬莢を分解した装薬一発分の半分の量が入っていた。

 1丁の機銃が敵船の群れに近づいてゆくボートに狙いを着けていた。ボートがちょうどミカサと敵の小舟の中ほどに差し掛かった時、

「ファイア(撃て)!」

 機銃弾がタタタタッと一連し、ボートに吸い込まれた。途端にボートはボムッ、と轟音を発して爆発した。黒々とした煙がキノコ状に湧き上がり粉々になったボートの破片が周囲に吹き飛び、海面に大きな波紋が広がった。副砲の1発分にも満たない発射薬だが、その爆発の威力で向こう側に集結した小舟は大きく動揺した。

 これで十分に威嚇にはなっただろう。

 同じボートが数隻、今度は小さな蒸気船外機付きでミカサから離れていき敵の群れの中に突っ込んでいった。ミカサの機銃はそれらボートに狙いを定めた。

 交渉中、敵がボートに近づいたりおかしな動きが見えたら即ボートを撃つ。そういう含みが今のデモンストレーションにはあった。今度は100ミリ主砲の発射薬一発分がそれぞれ積まれている。陸軍の榴弾砲より改良され射程を伸ばすために増量された装薬は周囲数十メートルのものを全て根こそぎ吹き飛ばすだろう。だが、強力な装甲を施されているミカサには、徹甲弾の直撃でもない限りさほどの被害はないと思われる。仮に同程度の砲撃を受けたとしても、ミカサの砲弾では破れないほど、ミカサの装甲は強靭なものだった。

 こちらの要求通り、白旗を立てた一隻の手漕ぎ舟が近づいてきた。舟には10名ほどの敵兵が乗っていた。

 舷側の手摺に数本の鈎のついたロープが投げられ、掛けられた。ほどなくそれを手繰って数名のチナ兵が指定した左舷側前部砲塔傍に乗艦してきた。浅葱色の半袖の胸の上で合わせした筒袖。それに脛の見える下穿き。藁で編んだサンダル。

 チナ兵のいでたちはそんな風だった。皆平らな顔に細い目をさらに細くし、ミカサの兵たちを睨んでいた。乗艦してきたチナの敵兵たちに、砲塔の上やブリッジの上から、ヨードルが派遣した武装した水兵たちが小銃の銃口を向けていた。

 ミカサの乗員たちはブリッジの命令に忠実だった。

 絶対不可侵のはずの帝国海軍第一艦隊旗艦。その艦上に敵兵を迎えねばならない遣る瀬無さは、あった。

 だが、ミカサの水兵たちは皆帝国と皇帝に親愛の情を抱いていた。誰一人敵兵の乗艦に際し命令に反して勝手に発砲する者などはいなかった。銃撃戦ともなればミカサの周りを埋め尽くした小舟の上の泣きわめく子供たちに当たる。子供たちの少なくない数が死ぬ。そんな事態は帝国の名を穢すものだ。将兵の誰もが同じ思いを持っていた。

 乗員たちはその遣る瀬無さを艦長のルメイに向けていた。

 そもそも彼が石炭量を過少にした責任者だ。彼こそがこんな、チナの近海を通行しなければならなくなった状況を作り出した張本人であることは口から口へ、もはや全てのミカサ乗員たちの知るところとなっていた。だから、その不満の矛先を全て艦長に向け、そして、耐えていた。

 その、半ば憎むべき艦長が参謀長と共に甲板に姿を現した。銃を構えた水兵たちにさらなる緊張が走った。自分の艦の艦長に緊張することはままある。だが、ヴィクトリーの水兵たちが厳しい訓練を強いるその鬼提督に感じる緊張とはまったく種類の違う性質のものであった。

 ルメイは長官直々に指名されたヤヨイと同じく、飄々としてラカ少佐の後ろに立っていた。司令部を代表して交渉に臨んだはずのカトー少将だったが、ラカ少佐が半ば強引についてきたのだ。少佐の傍にはヨードルの命でブリッジに派遣された上等水兵のマークが通訳として付き従っていた。

 乗艦してきた10名ほどのチナ兵の中に女性がいた。彼女の丈の短いチナ服は紫色で、女傑とも女盗賊頭ともいうような雰囲気を彼女に付け加えていた。

 ラカ少佐はその指揮官と思しき女性兵に対し、先に口を開いた。

「帝国海軍第一艦隊司令部のラカ少佐である」

 少佐の言葉を、ヤヨイと同じく付き従っていたマークが通訳しようと口を開きかけたとき、

「通詞は必要ない」

 その女は片手を上げてマークを制し、淀みない帝国語を発した。

「私はミン・レイという。この艦の責任者はどこか」

 東洋人の歳はわかりにくいが30半ばほどでもあろうか。黒髪を団子に結い上げ、紫のチナ服に黒いベルトを帝国陸軍兵のように交叉して身に着けていた。その細い眼をさらに細くし、ラカ少佐を睨んでいた。

「ルメイ大佐はどこかと訊いている」

 と、その女は言った。

 初めてまみえる敵国の士官と思しき女性から「ルメイ」という固有名詞が発せられた。

 ウリル少将が掴んだ、海軍大佐カーティス・ルメイの亡命という情報が、初めて敵国の士官の言葉によって確認された瞬間だった。ミカサ側で不可解を覚え首を傾げているのはマークだけで、ヤヨイもラカ少佐も驚かなかった。そして、本来は驚かなければならないカトーもまた、少しも表情を変えずに、立っていた。

「私が本艦の艦長、ルメイだ」

 ルメイが、まるで敵方と打ち合わせてでもいたかのように進み出て名乗った。

 すると女は言った。

「あなたがルメイ大佐か。わが国は貴殿の亡命の意思を受け入れる。このミカサと共に、我が国にご招待しよう」

 敵国の士官から「ルメイ」という名と「亡命(Asyl)」という言葉が発せられた。

「亡命・・・」

 下士官のマークがありえないといった顔をしてあんぐり口を開いた。

 この瞬間に、今までヤヨイが秘匿していたルメイという男の意図が公になった。同時にそれは彼を交渉に加えたがった人物の有罪を確定するものだった。長かったヤヨイの任務のうち、その半分が今、確認され達せられたのだ。

 帝国海軍第一艦隊司令部参謀長カトー少将その人が裏切り者であることはこれで確定した。

 ワワン中将はすでにそれを悟り、ヤヨイを交渉団に加えたのだ。

 演技ではない本心からの憎悪を抱いて、ヤヨイはようやくルメイの横顔を睨みつけることができるようになった。彼女の中の緊張が解消してゆき、それを上回って余りある憤怒と闘志が湧き上がって来た。

 最後に残された彼女の使命。それは、

「絶対にミカサを敵の手に渡さないこと」

 それただ一つとなった。

「・・・亡命、ですと?」

 すでにその事実を知っているだろうラカ少佐は敢えてそれを口にした。

「そうだ。我々はルメイ大佐と貴艦ミカサを我が国へ迎え入れるためにここにいる。これ以降は我々の指示に従ってもらう」

 ルメイの代わりにミンと名乗った士官が答えた。

「それは断る。

 我々は今海上を漂流している子供たちの人命救助と救助完了まで戦闘状態の休止を要求する。

 もし拿捕を強行しようとするなら、先ほどのように我々が流したボートを撃つ。その後副砲の水平発射で本艦の周りの舟艇を無差別攻撃する」

 ラカ少佐はそう言って威嚇したが、ミンはフン、と鼻で笑った。

「人命救助を謳いながら子供を殺すと脅すとは。矛盾千万。片腹痛いわ。

 攻撃したければ、好きなだけするがいい!」

 そう言って右手をサッと挙げた。

「見ろ」

 彼女は振り上げた手を下ろした。その指先の指し示した方角に先刻敵側に送り出したミカサのボートが浮かんでいた。その周囲の小舟から一斉に敵兵が立って舟伝いにぽんぽん飛び移り、ミカサの救命ボートから離れた。ボートの周りには子供だけが乗った船が何艘か残った。最後の敵兵がボートから離れ際に火薬を塗してあるのだろう、発火させた松明を翳し、パチパチと激しく燃え上がるそれをボートの上に放り投げ、水中に飛び込んだ。

「まさか!・・・」

 マークが唖然とした声を発すると間もなく、先刻の副砲の装薬のよりもさらに数倍大きな爆発が起こった。

 グワーン・・・!

 ボートだけでなく周りの舟艇も皆吹き飛び、大きな波紋と爆風とが五千トンの大艦さえも揺るがし、大きな風圧が艦上にまで及んだ。

 ヤヨイたちはとっさに伏せて爆風をやり過ごした。湧き上がった爆雲が消え去ると、さっきまでボートがあった場所はぽっかりと半径数十メートルの円形に開いていて波紋が周囲に広がっていた。爆発によって四散した破片がひらひらと舞いながら落ちて来て甲板に降り注いだ。

「うげっ!・・・」

 マークの視線を追ったヤヨイは、甲板に降って来たものを見た。

 そこには小さな子供のむごたらしい骸や身体の一部が転がっていた。

 ヤヨイたちだけではない。ブリッジや甲板上にいた誰もがこの光景を目にし、その心を凍らせ干からびさせた。皆、あまりに残酷な光景に無言の叫びを上げた。
しおりを挟む

処理中です...