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第二章 対決

40 ミカサ、拿捕される

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「帝国人はドイツ系の末裔が多いと聞く。そこの女性士官。貴官もドイツ系か」

 ミン・レイはヤヨイを指して言った。

「ならば、クラウゼヴィッツぐらいは知っているだろう。旧文明の滅亡少し前にいた、プロイセンの軍人で戦争思想家だ。

『戦争は激烈なものであり博愛主義のごとき婦女子の情が介入する余地はない』

『戦争を厭う国家は戦争を厭わぬ国家に必ず滅ぼされる』

 フン。この程度の見世物で驚くとはな。高度な軍事技術を誇ってはいても、貴国はもはや我らの敵ではないようだ」

 と、ミンは言った。

「撃ちたければ、撃てばいい。副砲の水平発射でもなんでも、ご自由に試みられれば良かろう。そんなものは痛くも痒くもない。我々は死など恐れぬ。

 ただし、あれらは全て我が国の資産だ。今の爆発で犠牲になった子らの責任。これから犠牲になる子らの責任は、ひとえに我が意に素直に従わぬ貴艦に、貴国にある」

 そう言って爆発によってぽっかりと開いた海面を再び覆う小舟に乗った子供たちを指し示し、ミンは胸をそびやかした。

 人の命をまるでゴミくずのように扱い、モノのように取引の代にし、しかも見世物にするとは・・・。北の野蛮人にも劣る、鬼畜と呼ぶ以外に呼びようがない。こんな連中の意のままになる法は、ない。絶対に、ない!

「重ねて要求する。

 我々は貴艦を拿捕し乗り組みの将兵らを捕虜とする。貴官らが我々に従えば、これ以上誰も死なない。返答を請う」

 ヤヨイはグッと奥歯を嚙み締めた。

「・・・貴国の要求とは何か」

 ラカ少佐は尋ねた。

「これまで貴国に奪われた土地と人民の返還。そして相当の賠償金である」

「そんなことを直ちに返答できる権限は本艦の誰も持ってはいない」

「・・・だろうな」

 と、ミンは言った。

「貴艦から交渉のための人数を本国へ送ればよい。それで改めて交渉の機会を設けることとなろう。ここであの汽艇を下ろし、本国に使者を向かわせればよいのだ。その交渉結果が明らかになるまで、交渉が進展する担保としてミカサは我が国が拿捕するということだ」

「だが、貴国がわが艦の乗員の生命の保障を示さぬ限り、ここを動くわけにはいかない」

「保障? これはすでにいくさだ。いくさに保障などがあると思うか」

 自ら交渉に立つと言ったカトーは依然黙っていた。何か意図があるのだろうか。

 ラカ少佐は冷静に弁舌を振るった。

「先ほど本国から通信を得た。

 貴国の攻撃により本艦は被害を受け、現在も本艦の行動の自由を奪っていることは明らかに休戦協定に違反する。帝国はこの貴国の暴挙にすでに動員令を発し、貴国との国境に部隊配置が始まったと。戦時動員令も併せて発令されたと知った。

 まもなく元老院で貴国への宣戦が討議され、それは議決と同時に布告される。

 これ以上のわが艦への介入は元老院の議決を待たず即戦争となる。今、貴官はクラウゼヴィッツを引用し、これはいくさと言われたが、貴国はその覚悟あってこの暴挙に及んだものと解釈してよいか。

 貴国はわが帝国に対し宣戦を布告する用意ありとしてこの行動に及んだと解釈してよいか。

 すでに機関室と弾薬庫に武装した兵を配置してある。貴国の兵が強引にわが艦を奪うつもりであろうが、機関が動くことはないだろうし、貴国に本艦を奪われるくらいなら弾薬庫に点火して自爆する覚悟だ」

 さすがの女偉丈夫もラカ少佐の言葉に一瞬だが息を呑んだように見えた。焦っている。そんな気配を感じた。

「これ以上ここで問答するヒマはない!

 自爆するというほどならお試しになればよかろう。それは我々にとりさしたる問題ではない!」

 そして続けた。

「貴官らが仲間の船の救援を待っていることはわかっている。その時間稼ぎに付き合うつもりはない。10分与える。その間に早急に使者を立て、汽艇を下ろすことだ。将官以上の人物によって使者を立てよ。10分を経過したら、我々は腕づくでミカサを拿捕し、我が国の根拠地に曳航する」

「根拠地? 」

「これから貴官らはその目でそれを見ることになる」

「では、そのための協議を行う。その協議の間、現状維持を要求する」

「その必要はない」

 それまで黙っていたカトー少将がだしねけに口を開いた。

 ラカ少佐は黙した。

「帝国海軍第一艦隊司令部参謀長のカトーだ。階級は少将。貴官の要求を呑もうではないか。小官が汽艇で本国に戻り、交渉に当たる」

「ご自由に。貴国のことは我々のあずかり知らぬこと。貴国で決めればよかろう」

 事も無げに、ミンは言った。

「ではこれより曳航準備に移る。作業のためにわが軍の兵を乗艦させるが、異存はなかろうな?」

「異存はない」

 カトー少将が間髪入れず明快に答えてしまい、ラカ少佐は取りつくシマを失くしてしまった。

 ミンが右手を高く挙げてそれを大きく回した。

 するとミカサの周囲の小舟が一斉にワッと群がり、艦の周囲に次々と鈎付きのロープが掛けられ敵兵が乗りこんできた。

 復命のためラカ少佐がブリッジに戻ろうとしたときには、すでに敵兵の一部が上甲板に乗り込んできていて、カトーの姿も消えていた。だが、それより先にバカロレアの臨時少尉の姿も消えていたことまでは気付かなかった。

「曳航作業を監督せねばならない。ブリッジに案内してもらおうか」

 ラカ少佐がそれに返答する前に、チナ兵たちは大挙してブリッジ目指して駆け出していた。

 後に残されたルメイは何をするでもなくそこに立ち尽くしていた。

「少佐、私は・・・」

 恥知らずにも話しかけてきたルメイを、ラカ少佐は睨みつけた。

「気安く声など掛けるな!」

 少佐はかつての上官だった男に激しい怒りをぶつけた。現帝国皇帝をはじめ、南の国の人々は元来温厚な人情を持っている。だがその場のラカ少佐の激烈と言っていいほどの剣幕に、マークはチビりそうなほどの畏怖を覚えた。

「見てみろ! 貴様のせいで死ななくてもいい子供たちが死に、ミカサの兵たちが危機に瀕している。

 チナなりどこへなり、好きに行くがいい。人間の言葉を話すな。この、薄汚い裏切り者めが!」

 少佐はペッと唾を吐くと、マークを伴ってブリッジに急いだ。

 一人取り残されたルメイの前後を、乗艦してきたチナ兵たちが駆け去っていった。
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